2019年5月17日金曜日

改元

改元があったらしい
らしい、と書いたのは、それを目撃してないからなのだ
テレビはないし、ラジオも最近は聴かないし、
わずかにネットのニュースを通じて、世の中の動きが伝わってくる
直接会う人も、4月と5月でなにか変化があったかというと、そういう風でもない
隠居生活にもほどがあると言われればその通りなのだけれど、
むしろ、こんな暮らし方の方が、おわりのはじまりの時代にはふさわしい

2019年5月2日木曜日

嵐電

映画「嵐電」もうすぐ公開だそう
よく利用してる電車が舞台の映画を観る気分って、どうなんだろう

動法入門

去年は子ども稽古会やりましたが、今年は大人向けです
ちょっと、大上段に構えすぎたかも
来月22日、ソマティック心理学協会という団体が主催する会でやることになりました

http://somaticjapan.org/3rd-kansai-forum2019

2019年5月1日水曜日

目に入れても

目に入れても痛くない、という表現がある。小さなゴミひとつ目に入っただけで大騒ぎするのに、目に入れても痛くないだなんて…。先日、研修で東京に行った折、娘一家の住む佐倉まで足を伸ばした。孫たちー男の子ふたりーと遊んでいるうち、自分の眼差しが随分と柔らかくなっていることに気づいた。この迎え入れ具合。こういうのを、目に入れても痛くないというのか。あらためて、この日本語表現に深くうなづいた。娘だと、もう、目に入れると痛い。

年寄り三人で、「性と文化の革命」論議ーというより、ただのおしゃべり会をはじめた。下手すると、70年代はよかったな〜、という話に堕してしまいそうになるのだが、最後は教育談義に落ち着いて行くのが常ーといっても、まだ2回しかやってない。先日の会では、承認欲求という言葉への違和感という話題が、日本の学校教育における減点主義という話に転じていった。人は認められた方向に育っていく、というのが晴哉先生の潜在意識教育の要諦なのだが、減点主義の教育においては、ダメを認めることになってしまう。

せっかくの連休、目に入れても痛くないものを見に行きましょう。その前に、迎え入れの稽古をしましょう。

2019年4月30日火曜日

4月の読書

奇跡の本屋をつくりたい* 久住邦晴ミシマ社2018
福島の原発事故をめぐって* 山本義隆 みすず書房 2011
近代日本一五〇年* 山本義隆 岩波新書 2018
戦争は女の顔をしていない* スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ 岩波現代文庫 2016
磁力と重力の発見(1〜3) 山本義隆 みすず書房 2003
胎児のはなし* 増崎英明・最相葉月 ミシマ社 2019
村上海賊の娘(1〜4)* 和田竜 新潮文庫 2013
変調日本の古典講義* 内田樹・安田登 祥伝社 2017 

2019年4月27日土曜日

散歩

図書館に行こうと一緒に出かけた
途中、そうだ落花生の開いてる日だと気づき時計をみると11時10分
開店直後にカンパーニュだ食パンといった主食系のパンはすぐ売り切れてしまう週2日営業のパン屋さん
ダメ元でお店の戸を開けたら、食パンがひとつ棚に残っている
ラッキー

歩いていると空き地が目立つ
売り物件になっている古い家屋も多い

図書館で予約しておいた本を受け取り、次にニシナ屋珈琲を目指す
広島に本店のある珈琲豆焙煎所
40すぎとおぼしき元気な兄ちゃんがやっている
いつものベトナムと開店時(昭和8年とか)の味を再現したというブレンドの豆を購入
帰りに佐伯さんで野菜をみようと再び歩きはじめる

京都は和菓子屋さんの多い街だが、この季節はどこも柏餅が並ぶ
千本丸太町の交差点角にある和菓子屋さんー若菜屋さんといったーにはじめて入る
草餅とふつうの柏餅をひとつづつ購入

佐伯さんでほうれん草などをゲット
そのまま帰途に着くはずだったが、ここまで来たらお豆腐屋さんにも寄っていこうと、
進路を東に取り、とようけ屋山本を目指す
定番の油揚一枚豆腐一丁で432円
荷物がだんだん増えていく

朝、コーヒー一杯飲んだだけで出てきたことを思い出す
腹が減ってきたので、気になりながら一度も入ったことのない定食屋目指す
とびた食堂の戸を開けて中に入って驚いた
もっと奥行のある広いお店だとばかり思っていたのだが、狭い
驚いたのは、その狭さではない
なんと昭和がそのまま残っている
ひょっとすると僕の知らない昭和初期の空気
入口の戸はタイムマシンの扉だったのか
親子丼と玉子丼を注文
のれんの奥の厨房から調理している音は聞こえてくるが、中は覗けない
丼は美味しかった
小上がりの席で正座していただく
帰ってきてgoogle mapに載っている写真をみてみたが、店内の空気はまったく写っていない
実際に行って食べてみるしかない

ひと息ついて、両手に荷物をぶら下げ、一条通り商店街をぶらぶらと帰る
家を出てから三時間経っていた
歩行距離約8キロ
京都の街は歩いてみないとわからない

2019年4月19日金曜日

磁力と重力の発見

311が起こった翌月、師匠の操法を受けた
「しょぼんとしてるね」と言われた
たしかに、そんな感じ
でも、ぼくは何にしょんぼりしていたのだろう
8年経った今ふりかえる
僕の大好きだった電気の時代が終わってしまったことにしょんぼりしていたのだ

そもそも、なんで僕はラジオ少年になったのだろう
半世紀以上前の自分を思い起こす
高度成長期前の岡山の片田舎
家にあった電気製品は電灯、そして真空管ラジオ
電気アイロンもあったかもしれない
高度成長期が続くに従い、電化製品は増殖していく
ラジオが白黒テレビになり、洗濯機、冷蔵庫も加わる

ラジオは不思議だった
棚の上に鎮座したラジオのスピーカーから様々なものが流れてくる
ここでないどこかから発せられた音声が電波と呼ばれるものに乗ってやってくる
やがて僕は半田ごて片手に自らラジオを組み立て、海外からの放送を熱心に聴く、
そんな電気少年になっていった

*****

それから半世紀と少々
「磁力と重力の発見」を読み進めている
全3巻の大部
ようやく第3巻に取り掛かったところ
磁石の力は、どのように理解されててきたのかをギリシャの時代からたどっていく
磁石はなぜ鉄を引き寄せるのか
今だって不思議だし、説明せよといわれても、おそらくできない
元ラジオ少年、ましてや、高専の電気科に進んで電気のことをしっかり学んだはずなのに、
その元になる磁石の働きすら説明できそうもない

見えない力は魅力的だ
磁力は見えない、電波も見えない
なのに伝わる
ラジオ少年になったのも、のちのち気の世界に足を踏み入れたのも、
この見えないものへの魅力からだった、のかもしれない