2019年7月22日月曜日

太秦

休日のひとり散歩
床屋で髪切って洋食屋でランチしてから、
円町を少し下り、天神川に沿って、ぶらぶらと太秦方面へ歩きはじめる

御池通まで出ると急にひらけてくる
道沿いにあたらしい大学の建物があり、その向かいには料理学校
広い道づたいに西に進むと、右京図書館にたどりつく

右京図書館は中央図書館よりだいぶ床面積が広く、大型本が充実している
置かれている本の傾向もだいぶ違う
CD、DVDのコーナーもあって、ブースで音楽を聴いている人も多数
鶴見俊輔伝(黒川創著 新潮社)を借りる

図書館を出て、さてどうするか
京都で暮らし始めて4年近くになるが、太秦一帯はあまり探検できてない
京都駅や西院に出るときに京福電車には乗っているのに途中下車はすることはほぼない

蚕ノ社に行ってみる
40年も前、ボゲットさんが精華大学の学生と一緒にやっていた、
渡来人の跡をたどる自転車ツアーに加わって、ここに来たことがある
脚が三本ある鳥居で有名
このあたりは、もともと秦一族が開拓した土地である

蚕ノ社を出て、さらに西に歩く
広隆寺を通り過ぎ、そこから太秦の商店街に入る
昭和のかおりを色濃く残す街並みが続く
気がつけば帷子ノ辻

さてどうするか
一筆書きで等持院まで帰ろうと歩きはじめるが、撮影所前まで来たら、
急にコーヒーが飲みたくなって、嵐電に乗ってしまう

そういえば、映画「嵐電」まだ観に行ってない

2019年7月21日日曜日

見えるとは

運転免許の更新手続きに行った
ゴールド免許のペーパードライバーなので5年ぶりである
前回の更新では、視力が少し戻っていたらしく、原付運転に眼鏡等は不要となった
そして今回、なんと普通車の運転にも眼鏡等が不要になってしまった
視力が戻っているという実感はまるでない
近視が老眼に移行しているだけではないかとも思うのだが、
免許証に余分な制約事項が書かれていないというのは気持ちがよい

更新センターでの視力検査というのはおなじみの「C」のどっちが欠けているかを
申告するだけの単純なもので、的が小さくなると、滲んでほとんど点にしか見えない
でも、どの部分が薄いというのは、ぼんやりとわかる
それを「はい、上」「はい、右」といった調子で申告した結果が眼鏡等不要である
眼科とか行かれてますか?と訊ねられたのだけれど、無論、答えはNO
係員が不思議そうな顔で「自然治癒」と用紙に記入していたのには笑った

でも、実際のところ、見えるというのは、いったいどういうことなのだろう
どっかで、焦点が合う=見えるだと、信じていた節があるのだけれど、どうもちがう
そう、ボケてても見えているのだ

当面、車を運転する予定はないのでご安心ください

2019年7月18日木曜日

死にどき

来月で67歳になる
母が亡くなった歳にたどりつくわけだ
妻が亡くなったのも67歳だった
早すぎたといえるけど、60過ぎたらいつ死んだっておかしくないのも確かだ

どうやって整体で死ねるか
これは大問題
下手な死にかたすると司法解剖が待っている
へんな世の中だ

坊主だって、医者の証明書がないと自分の葬式が出せない
これをへんと思わないのだろうか
もっとも、今時のお坊さんは、医者通いしてそうだから、
へんとは思わなくなってるのかもしれぬ

俗が戻った僕は、死ぬのが少し怖くなった
今、死んじゃうと、残された今の連れ合いが気の毒だ
十年は付き合うと宣言して一緒になったからには、あと十年は生きなきゃいけない
二十年じゃなかったの?と突っ込まれそうだが、とりあえず十年
続きがあれば、そのときにまた考えることにする

今年は身近人の訃報が多く届く

2019年7月15日月曜日

三度目の連句会

三度目の連句会
六人組の一角に加えてもらい先月の続き
月一回三時間を二回やって歌仙ひとつを巻くペースということは、
10分に一句分づつ進んでいる勘定になる
みなさんどうして、次から次へ句が浮かんでくるのだろう
この速度にまずついていけないし、三時間をひと息でやってしまう密度にもついていけない
あーだこーだとお喋りしながら、お菓子をつまみながら、会は進んでいく
恋の句にさしかかると俄然盛り上がる
女性たちの体力にはとても太刀打ちできない
終わった時には、もうへろへろである
巻いてしまえば、そこに残るのは36行の文字列のみ
残されたのが36行で、その5倍の文字列は捨てられている
大人6人、6時間、のべ36時間が凝縮される
使うのは紙と鉛筆、季寄せに電子辞書
これを大人の遊びと言わずなんと言おうか
今晩も知恵熱出そうだ

2019年7月10日水曜日

古いノート

古いノートは捨てた
ダンボール4箱ぐらいあったんじゃないかな
こんなノート、残されたら遺族が困る
ただし、スキャンして、シュレッドしてから捨てたので
データは残った



1971のノートにこんな文字の羅列をみつけた
なにと闘おうとしていたのだ
なにから逃げようとしていたのか

今なら、やっぱり動が大事でしょ、
それとも、透という字だってあるよと、
幼い自分にアドバイスするかもしれない

2019年7月8日月曜日

お知らせ 2019/7

いくつかのお知らせ

●7/9 南区DIY読書会で『近代日本一五〇年』について発表します
    19時45分〜 ちいさな学校くらまぐち → map
    レジメはこちら → pdf   (ソマティックスシリーズを読まれた方もどうぞ)

●7/13 白山稽古会の会場が変更になります  → pdf

●8/4-5 石川合同稽古会のお知らせです  → pdf 
   ・未会員は公開講話(13-16)しか出られないのかというご質問がありましたが、
    そういうことになります。
   ・但し、公開講話終了後、入会の手続きを行えば、続きの稽古(17-20)
    翌日(10-13)の稽古に参加可能です。

2019年7月5日金曜日

ソマティックス 5

といいながら、もう少しだけ

時代の空気、というものはあるだろう
自分というものが、他者性を取り込むことで形成されていくとすれば→「
身近に接していた人たち(人とは限らないが)を通して、
あるいは、もっと直接的にその時代の空気を取り込んでいるにちがいない
じぶんさがしをはじめたのも、このような理由による
ぼくらは明治150年の申し子だ
ぼくらは孤児だ
ならば稽古しようぜ、という結論は我田引水がすぎるか