年号への関心が消えた
たまに年数を数える場面になると、西暦を恃む
自分の中で大きな時代区分があるとすれば、それは東日本大震災ということになる
その出来事は震災の前だったのか、それとも後だったのか
そのように震災を境にものごとを考えている私がいる
自分で年号をつくるとすれば、AQになるだろう
After the Quake
では、2011年はAQゼロ年なのか、AQ1年なのか
それはAQゼロ年と数えるのが妥当だろう
とすれば、2019年はAQ8年ということになる
AQ8年を生きている
2019年9月10日火曜日
2019年9月8日日曜日
2019年9月2日月曜日
バルパライソ
先月上京した折に、神里雄大の「バルパライソの長い坂をくだる話」を観る機会を得た。
予備知識なしで臨んだのだけれど、まず、神里というひとは詩人なのだと思った。詩人なのに、自分でその声を直接聴衆に届けるのではなく、役者のからだを通して、その声を届けようとしている。詩人のテキストはスペイン語に翻訳され、アルゼンチン人の役者によって発語される。もともとの日本語テキストは英語訳と一緒に字幕としてステージの上部に投影される。聴衆の僕が見ているのは、舞台の上の役者の動き、聞いているのは役者が発語するスペイン語のテキスト。同時に、日本語の字幕にも目をやる。女優は舞台の端の車の中にいて前を見ているが、いっこうに声を発する様子がないので、彼女の動向からも目が離せない。ずいぶんと聴衆に負荷を強いる構成になっている。五感をばらばらに働かせている隙間からなにかが伝わってくる。
二年前、この劇が京都で作られているとき、俳優のなかの二人が、時間をみつけて僕のところに稽古に来ていた。ただ、肝腎の公演時、ぼくは韓国に出かけていて、本番を見ることができなかったから、二年経って、ようやく役者としての二人を見ることができたのだった。なぜ、かれらが等持院に?と不思議に思うひともいるかもしれないけれど、サンパウロと京都の間に整体ルートというのがあって、ここ何年か人が行き来している。20年前、本部稽古場での稽古仲間であった田中俊行さんが日系の奥さんと一緒にサンパウロに移住したことにたどり着く。移住して何年かのち、田中さんはサンパウロの大学で動法を教えはじめる。(→ PUC訪問記2013)そのクラスにいたのが、今回の神里さんの芝居に出ているEduarudo Fukushimaで、Marina SarmientoはEduはその役者仲間。日本〜ブラジル〜アルゼンチン〜日本と大きなループが形成されるようになったのは不思議だ。
余談だけれど、バルパライソという地名のひびきは好きですね。チリ中部にある港町だそうです。
予備知識なしで臨んだのだけれど、まず、神里というひとは詩人なのだと思った。詩人なのに、自分でその声を直接聴衆に届けるのではなく、役者のからだを通して、その声を届けようとしている。詩人のテキストはスペイン語に翻訳され、アルゼンチン人の役者によって発語される。もともとの日本語テキストは英語訳と一緒に字幕としてステージの上部に投影される。聴衆の僕が見ているのは、舞台の上の役者の動き、聞いているのは役者が発語するスペイン語のテキスト。同時に、日本語の字幕にも目をやる。女優は舞台の端の車の中にいて前を見ているが、いっこうに声を発する様子がないので、彼女の動向からも目が離せない。ずいぶんと聴衆に負荷を強いる構成になっている。五感をばらばらに働かせている隙間からなにかが伝わってくる。
二年前、この劇が京都で作られているとき、俳優のなかの二人が、時間をみつけて僕のところに稽古に来ていた。ただ、肝腎の公演時、ぼくは韓国に出かけていて、本番を見ることができなかったから、二年経って、ようやく役者としての二人を見ることができたのだった。なぜ、かれらが等持院に?と不思議に思うひともいるかもしれないけれど、サンパウロと京都の間に整体ルートというのがあって、ここ何年か人が行き来している。20年前、本部稽古場での稽古仲間であった田中俊行さんが日系の奥さんと一緒にサンパウロに移住したことにたどり着く。移住して何年かのち、田中さんはサンパウロの大学で動法を教えはじめる。(→ PUC訪問記2013)そのクラスにいたのが、今回の神里さんの芝居に出ているEduarudo Fukushimaで、Marina SarmientoはEduはその役者仲間。日本〜ブラジル〜アルゼンチン〜日本と大きなループが形成されるようになったのは不思議だ。
余談だけれど、バルパライソという地名のひびきは好きですね。チリ中部にある港町だそうです。
2019年8月30日金曜日
2019年8月21日水曜日
カルカソンヌ
■ある本を読んで、そこに引用されていた本に移動するというのは、僕にとっての普通の読書スタイル。でも、ある本を読んで、そこからボードゲームに移るという経験はあまりしたことがない。■このところ、カルカソンヌというボードゲームをやっている。道を繋げ、草原を広げ、都市をつるくという単純なゲームなのだけれど、奥さんとふたりでやていると、あっという間に小一時間が過ぎてしまう。道が繋がり、街が出来上がっていく様を見るのが楽しい。一応、勝敗はあるのだけれど、やっているうちに、どれだけ美しい風景を生み出すかに焦点が移っていって、勝負のことは忘れている。ゆるい集注でゲームが進んでいくというのもあるけれど、終わったあと、草臥れない。■このゲームにたどり着く前に読んだのが、『知性は死なない』(與那覇潤 文藝春秋)という本。「気鋭の学者が鬱になり、その鬱と向き合うこで変わっていった過程の記録」とでもまとめられるのかもしれないが、それだとまとめにも紹介にもならない。不思議な読後感の本だった。当事者性と知性のありようについて真摯に語られている本である。この中で、著者が通ったデイケアで遊ばれていたゲームとして、このカリカソンヌが紹介されていた。やっと得点のルールを理解してきた段階なのだけれど、奥が深そうだ。これで三人四人とプレイヤーが増えていくと二人で遊ぶのとは違った姿を現してきそうな予感もある。
2019年8月13日火曜日
When I Was Most Beautiful
わたしたちの「性と文化の革命」の会
ハジメさん現れず、「ユズルにきく会」的展開
話題は中川五郎からピート・シーガーに転じ、茨木のり子さんの
「わたしが一番きれいだったとき」をユズルさんが英訳し、
それにピート・シーガーが曲にして歌ったという、
「ユズルにきく」でも聞いたことのない話が出てきた
ネットで検索すると、このことに触れているいくつかのブログに行き当たり、
音源も見つかった
なんだ、知らなかったのは、ぼくくらいだったのか
・幻泉館日録
https://gensenkan.blog.so-net.ne.jp/2005-04-07
・音楽は出会った時が"その時"です
https://ameblo.jp/msmsmyrecord/entry-12245549697.html
ハジメさん現れず、「ユズルにきく会」的展開
話題は中川五郎からピート・シーガーに転じ、茨木のり子さんの
「わたしが一番きれいだったとき」をユズルさんが英訳し、
それにピート・シーガーが曲にして歌ったという、
「ユズルにきく」でも聞いたことのない話が出てきた
ネットで検索すると、このことに触れているいくつかのブログに行き当たり、
音源も見つかった
なんだ、知らなかったのは、ぼくくらいだったのか
・幻泉館日録
https://gensenkan.blog.so-net.ne.jp/2005-04-07
・音楽は出会った時が"その時"です
https://ameblo.jp/msmsmyrecord/entry-12245549697.html
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