グリーンカーテンとして植えたゴーヤの勢いがすごい。地面から雨樋に届くまで伸びてしまったので、紐を横にずーんと張ったら、それをたどってさらに伸び続けている。9月に入ってから身をつけはじめ、すでに10個以上収穫しただろうか。予期せぬ贈りもの。
ゴーヤはいきなり姿を現わす。可愛い赤ちゃんサイズのものが、いきなり収穫できるサイズになって出現する。ちっちゃい頃会った友人の子どもが、いきなり大人になって訪ねてくる、そんな感じの驚きがある。これで採り納めかな〜と思っていても、必ず見落としがあって、何日かたつと、新しいゴーヤを葉の間に発見する。あと五個ぐらいは収穫できそうだ。
2019年9月28日土曜日
2019年9月26日木曜日
キム・ジヨン
テレビをみないので「嫌韓」番組のことはしらない。ただ本屋に「嫌韓本」が並んでいることは知っているし、そのような本屋からは自然足が遠のく。ツイッターをやっていて面白いなと思うのは、たかだか100人しかフォローしてないのに、その時々のトレンドが虫眼鏡で拡大されるように画面に現れてくるから、へぇー、韓国からの観光客が減ってるんだ、くらいの情報はちゃんと僕の耳にも届いてくる。そんなときほど、韓国に行ってみなきゃと、天邪鬼のぼくは思ってしまうのだけれど、残念ながら予定が立たない。
『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ著)を読んでみようと思ったのは、この本の翻訳者である斎藤真理子さんのインタビュー記事「女が勉強してどうなるのか」の時代から『キム・ジヨン』までをネットで見かけたからだ。どういうルートでこの記事にたどりついたかまでは覚えていないのだけれど、この記事を読んだあと、「読んでおくべき本のリスト」にキム・ジヨンは付け加えられた。いつものように図書館にリクエストしてみたら、なんと予約待200件。所蔵冊数も多いから数ヶ月待ちというところか。こうなると俄然買ってでも読むというモードに入ってしまい、本屋に行く機会を待っていた。
一番近所にある大きな本屋さんというと、立命館の学生生協。大学のキャンパスに足を踏み入れることはあまりないのだけれど、街中に行く予定もないので、とりあえずチェックしてみることにした。しかし、キム・ジヨンはみつけられず。その日の夜、仕事から帰ってきて着替えを済ませた連れ合いが、めずらしく「この本読んでみる?」と一冊の本を目の前に差し出してきた。思わず声を上げてしまった。なんと、パソコンの画面で見たことのある顔のない女性の上半身の絵を表紙に使った本がそこにあった。キム・ジヨンである。半年近く前に予約しておいた本が届いたという連絡が図書館からあったので何日か前に取りに行き、もう読み終えたという。
さて、僕などフェミニズムに理解のある男を装っていたとしても、最後に出てくる精神科医レベルなんだろうな、と自戒を込めてコメントしておく。この問題、「性と文化の革命」における父権的制度ともつながっているので、稿を改めて考えてみることにする。
『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ著)を読んでみようと思ったのは、この本の翻訳者である斎藤真理子さんのインタビュー記事「女が勉強してどうなるのか」の時代から『キム・ジヨン』までをネットで見かけたからだ。どういうルートでこの記事にたどりついたかまでは覚えていないのだけれど、この記事を読んだあと、「読んでおくべき本のリスト」にキム・ジヨンは付け加えられた。いつものように図書館にリクエストしてみたら、なんと予約待200件。所蔵冊数も多いから数ヶ月待ちというところか。こうなると俄然買ってでも読むというモードに入ってしまい、本屋に行く機会を待っていた。
一番近所にある大きな本屋さんというと、立命館の学生生協。大学のキャンパスに足を踏み入れることはあまりないのだけれど、街中に行く予定もないので、とりあえずチェックしてみることにした。しかし、キム・ジヨンはみつけられず。その日の夜、仕事から帰ってきて着替えを済ませた連れ合いが、めずらしく「この本読んでみる?」と一冊の本を目の前に差し出してきた。思わず声を上げてしまった。なんと、パソコンの画面で見たことのある顔のない女性の上半身の絵を表紙に使った本がそこにあった。キム・ジヨンである。半年近く前に予約しておいた本が届いたという連絡が図書館からあったので何日か前に取りに行き、もう読み終えたという。
さて、僕などフェミニズムに理解のある男を装っていたとしても、最後に出てくる精神科医レベルなんだろうな、と自戒を込めてコメントしておく。この問題、「性と文化の革命」における父権的制度ともつながっているので、稿を改めて考えてみることにする。
【予告】石川合同稽古会12月
2019年9月13日金曜日
2019年9月10日火曜日
2019年9月8日日曜日
2019年9月2日月曜日
バルパライソ
先月上京した折に、神里雄大の「バルパライソの長い坂をくだる話」を観る機会を得た。
予備知識なしで臨んだのだけれど、まず、神里というひとは詩人なのだと思った。詩人なのに、自分でその声を直接聴衆に届けるのではなく、役者のからだを通して、その声を届けようとしている。詩人のテキストはスペイン語に翻訳され、アルゼンチン人の役者によって発語される。もともとの日本語テキストは英語訳と一緒に字幕としてステージの上部に投影される。聴衆の僕が見ているのは、舞台の上の役者の動き、聞いているのは役者が発語するスペイン語のテキスト。同時に、日本語の字幕にも目をやる。女優は舞台の端の車の中にいて前を見ているが、いっこうに声を発する様子がないので、彼女の動向からも目が離せない。ずいぶんと聴衆に負荷を強いる構成になっている。五感をばらばらに働かせている隙間からなにかが伝わってくる。
二年前、この劇が京都で作られているとき、俳優のなかの二人が、時間をみつけて僕のところに稽古に来ていた。ただ、肝腎の公演時、ぼくは韓国に出かけていて、本番を見ることができなかったから、二年経って、ようやく役者としての二人を見ることができたのだった。なぜ、かれらが等持院に?と不思議に思うひともいるかもしれないけれど、サンパウロと京都の間に整体ルートというのがあって、ここ何年か人が行き来している。20年前、本部稽古場での稽古仲間であった田中俊行さんが日系の奥さんと一緒にサンパウロに移住したことにたどり着く。移住して何年かのち、田中さんはサンパウロの大学で動法を教えはじめる。(→ PUC訪問記2013)そのクラスにいたのが、今回の神里さんの芝居に出ているEduarudo Fukushimaで、Marina SarmientoはEduはその役者仲間。日本〜ブラジル〜アルゼンチン〜日本と大きなループが形成されるようになったのは不思議だ。
余談だけれど、バルパライソという地名のひびきは好きですね。チリ中部にある港町だそうです。
予備知識なしで臨んだのだけれど、まず、神里というひとは詩人なのだと思った。詩人なのに、自分でその声を直接聴衆に届けるのではなく、役者のからだを通して、その声を届けようとしている。詩人のテキストはスペイン語に翻訳され、アルゼンチン人の役者によって発語される。もともとの日本語テキストは英語訳と一緒に字幕としてステージの上部に投影される。聴衆の僕が見ているのは、舞台の上の役者の動き、聞いているのは役者が発語するスペイン語のテキスト。同時に、日本語の字幕にも目をやる。女優は舞台の端の車の中にいて前を見ているが、いっこうに声を発する様子がないので、彼女の動向からも目が離せない。ずいぶんと聴衆に負荷を強いる構成になっている。五感をばらばらに働かせている隙間からなにかが伝わってくる。
二年前、この劇が京都で作られているとき、俳優のなかの二人が、時間をみつけて僕のところに稽古に来ていた。ただ、肝腎の公演時、ぼくは韓国に出かけていて、本番を見ることができなかったから、二年経って、ようやく役者としての二人を見ることができたのだった。なぜ、かれらが等持院に?と不思議に思うひともいるかもしれないけれど、サンパウロと京都の間に整体ルートというのがあって、ここ何年か人が行き来している。20年前、本部稽古場での稽古仲間であった田中俊行さんが日系の奥さんと一緒にサンパウロに移住したことにたどり着く。移住して何年かのち、田中さんはサンパウロの大学で動法を教えはじめる。(→ PUC訪問記2013)そのクラスにいたのが、今回の神里さんの芝居に出ているEduarudo Fukushimaで、Marina SarmientoはEduはその役者仲間。日本〜ブラジル〜アルゼンチン〜日本と大きなループが形成されるようになったのは不思議だ。
余談だけれど、バルパライソという地名のひびきは好きですね。チリ中部にある港町だそうです。
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