2020年2月26日水曜日
同工異曲
とある編集者と話していて、五十音順にタイトルを並べた用語集のような本造りを示唆された。なるほど!と思って、このブログを含め、これまで書いてきた文章を五十音順に並べてみた。つまり、時系列を取っ払って、タイトルで並べ替えてみた。結構、面白い。100頁ほどの小冊子なら、すぐできてしまいそう。孫を読者として設定したーつまり、おじいちゃんは、こんな風に生きてきたんだよ、と解説するためのー自家本にはできそうだ。古希を記念して、こんな自家本を百部くらいつくってみるのも悪くない。散々書き散らかしてきたから、すぐに50くらい集まるだろうと高をくくってきたのだけれど、意外なことに無いものは無い。いくら探しても、ヌネノの項目が見つけられない。当然のことだけど、整体がらみの文章は多い。ところが、それ以外のものを取り除いて、整体関連のものだけにしたら、どれもこれも同工異曲の文章ばかりで、まったく面白味に欠ける。もう詩を書いていくしかないのか。これは前途多難だ。
2020年2月24日月曜日
2020年2月14日金曜日
百年という時間 2
最近、どの本を開いても百年前が舞台だ。二十世紀の初頭、1900年〜1920年頃。どうやら日蓮主義者だったらしい曽祖父角三郎さんのことを調べようと開いた「日蓮主義とはなんだったのか」は、明治維新の二年前に生まれた角三郎さんの壮年時代と重なるから当然のことなのだけれど、「近代日本の民間精神療法」もまた然り。そういえば晴哉先生の生まれたのも1911年。「女たちのテロル」で描かれている金子文子が生きたのも、また同じ時代なのだ。今年が2020年だから、ちょうど百年前の時代、日本が帝国主義に足を踏み出していた頃のこと。そして、おどろくべきこと(ほんとは、驚いてはいけない)なのだけれど、その百年のうち、すでに僕は68年生きている。なんだ、百年前って、たった自分より一世代前の話なのだ。このエントリーを(2)としたのは、三十年近く前、同じタイトルで文章を書いていることに気づいたからで、40歳のときの時間、歴史感覚と、60代の今では、ずいぶん違ってきている。年号という時代区分によって、自分自身の時間感覚が日本という国に絡め取られてきたことを痛感することが最近とみに多い。
2020年2月8日土曜日
練る
本部の修養講座から流れてくる人も、ちらほら増えて、この稽古場の空気も少し変わりつつある。去年からはじまった、ダン先生の個人教授に出ている方もあって、その人たちが、稽古のネタを持ち込んできてくれるのはありがたい。行気主体の稽古なのだけれど、ノートに書かれた手順と組み立てを眺めているだけで、なるほど、こういう整体に向かおうとしているのかが、浮かび上がってくる。つまりは、人為を自然化していくという技術。それが美しい。ただ、ノートに記録されている、たとえば、「H2から右肩に繋がるよう脚の体位を取る」といったとき、どのように脚を動かしていけばよいのか、という一点において、体の練られ具合が歴然と現れてしまうし、この最初の一動作の質が、最終的な行気の出来不出来に繋がってしまう。ここがおもしろく、稽古の醍醐味でもある。
2020年1月30日木曜日
2020年1月22日水曜日
近代日本の民間精神療法
できるだけ本は図書館で借りて済ますようにしているのだけれど、昨年あたりから、リファレンスの多い分厚い本に挑戦する機会が多くなってしまい、結局、蔵書を増やす結果となっている。こないだ買ってきた「日蓮主義」の本もそうだが、この本も買ってしまうことになるのだろうか。アカデミズムの中で、整体がどのように扱われているのかに興味は勿論あるのだけれど、むしろ、次のような問題意識は、僕自身のものと重なっている。さてお手並み拝見、という感じで読みはじめたところです。
日本近代の科学思想はどのように形成されたのか。歴史的にみるならば、英·米·独·仏·蘭など西欧各国に由来するさまざまな科学思想が、制度化された概念装置がない段階の知的世界へと無秩序な奔流のように流れ込んだことによって形成されたのが、日本近代の科学思想の原型であった。欧米由来のさまざまな科学思想は、翻訳され、紹介され、断片化された形で近代日本の知的世界に移動され、その世界のなかで、欧米においては存在しなかった関係性が作られ、新たな意味が形成された。そこに起きたのは、個々の思想の移植ではなく、個々の思想が互いに関係をもつための新たな言説空間が日本語で形成されたという出来事である。そして、その言説空間では古来の思想と西欧科学思想が混交体を生じ、合理性と神秘性、普遍性と特殊性、近代と前近代、科学と科学外、西欧と日本との往還といった現象がしばしば起こっている。(p.52)
日本近代の科学思想はどのように形成されたのか。歴史的にみるならば、英·米·独·仏·蘭など西欧各国に由来するさまざまな科学思想が、制度化された概念装置がない段階の知的世界へと無秩序な奔流のように流れ込んだことによって形成されたのが、日本近代の科学思想の原型であった。欧米由来のさまざまな科学思想は、翻訳され、紹介され、断片化された形で近代日本の知的世界に移動され、その世界のなかで、欧米においては存在しなかった関係性が作られ、新たな意味が形成された。そこに起きたのは、個々の思想の移植ではなく、個々の思想が互いに関係をもつための新たな言説空間が日本語で形成されたという出来事である。そして、その言説空間では古来の思想と西欧科学思想が混交体を生じ、合理性と神秘性、普遍性と特殊性、近代と前近代、科学と科学外、西欧と日本との往還といった現象がしばしば起こっている。(p.52)
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