2022年10月11日火曜日

身体観 3

 ソマティックの会無事終了。予想参加者数が25名(主催者の勘)というので、2本同時並行セッションの裏番組に当たる僕の担当稽古への参加者数を10名と見込んでいたのだが、蓋を開けてみると、リアル会場に50名近くが足を運び、裏番組ながら27名の参加者があった。「意志の届かない領域のことを体と呼ぶ」をテーマに団扇を使った「かくす・かくされる」の稽古。リノリウムの床に立った状態で稽古するという、ありえない環境下、75分の稽古はあっという間に終了してしまった。

 前稿「身体観2』では、技法ー身体観ー世界観の関係について考えてみたが、今回のフォーラムで取り上げられたハクスリーの場合、三者の繋がり方が違っていて、自分の世界観を、その途上で出会ったアレキサンダーテクニークなどの体験やインド哲学を取り込んでいくことで構築していった、という流れのようだ。思索家らしく精神から身体への方向性は明らかで、日本のソマティック心理学というのも、この方向性を踏襲している。ぼくが感じた違和感は、この方向性の違いに由来しているらしい。

2022年10月9日日曜日

身体観 2

 ひとつの技法にはそれを支える身体観があり、その身体観にはそれを支える世界観がある。ソマティック心理学協会のWebページにいくと、ソマティックワークと呼ばれている、さまざまな技法が列挙されていて、そのなかほどに「野口整体」が顔を出している。つまり、大きな括りとしてボディというジャンルがあって、その中に多くの技法が包含されているという図式なのだ。

 ここにきてやっと、僕のソマティックへの違和感の源が見えてきた。それぞれの技法が、それぞれの世界観の上に立っているのであれば、その世界は技法の数だけあり、それぞれの世界の中で、誕生から死に至る生を営んでいけばいいだけの話であって、徒党を組む必要などはじめからないのだ。それとも、ひとつの技法からもうひとつの技法へ引っ越ししていく、あるいは並列させていくことが可能であると考えているのであれば、ちょっとお人好しが過ぎるのではなかろうか。整体の世界の住人として、ソマティックの会を前にそんなことを考えた。

 さて明日はなにしようか。「まなざす」がテーマなので、等持院の稽古会の人たちに付き合ってもらって、仕込みにかかったのだが、結局のところ、どう自分の体を観るかという一点に絞り込まれた。つまり、内観の世界。与えられた時間は75分。さてどこまでできるかな。

2022年10月5日水曜日

身体観 1

  「秋のソマティック京都フォーラム2022」(10月10日 主催 ソマティック心理学協会)が近づいてきたので、なにやるか思案中。そもそも、なんで呼ばれるのか謎。片桐ユズルのご指名なのでという以上の理由が思い浮かばない。三年前、やはり、この会に呼ばれたことあるのだけれど、「ソマティックス?」にも書いたけれど、もやもや感が残った。

 今回は、はからずも「まなざし」が共通テーマになっている。外の世界を見る以前に自分の体をどう観ていくか、というところから始めてみようか。つまり身体観の話。ひとつの技法の裏には、その技法を支える身体観というものがあり、その身体観の裏にはその身体観の基盤となっている世界観というものがある。内面化された支配的な身体観/世界観とどう対峙していくかという問題である。




2022年10月3日月曜日

70の風景

70になったら
どんな風景が見えるのか楽しみにしていたのだが、
思いのほか見晴らしがよい

ここまで生きれば、
もうあの人は短命だった
と言われなくて済むのもよい

気張りが抜けて
よりフラットになって
操法も上手くなった気がする

とはいえ、
耳は遠くなる目は霞んでくる
それに合わせた暮らし方を模索せねば

円が安くなって
外こもりは無理そうだから
しばらくは四国を歩くことにする

残された時間は思っていた以上にありそうで
40年中断していた韓国語を学び直そうか、などと考えはじめた
5年続ければモノになるかも

手に入れてしまった敬老乗車証
徘徊のルールが変わってしまった
バス停ふたつ分だけ乗るなんて、ありえんかったのに

古希に立ち踊場と識る秋の朝 (和宏)

敬老乗車証

敬老乗車証を手に入れしまった。
70歳って老人なのかというと微妙。古稀といったところで、生存率は80パーセントより高く、僕の世代は、もともとの母数が多いから、毎年、生まれてくる子どもたちの数よりたくさんの人間が古稀を迎えてしまう。まったく稀ではない。
これから先、適用年齢を75歳まで上げてゆき、値段も高くなっていくらしいが、年間6000円(来年以降は9000円)で京都市バス地下鉄乗り放題というのは、徘徊老人にとっては、ありがたい。これまで、バスの停留所ひとつふたつ分で降りてしまう乗客の姿が不思議だったが、この乗車証を使えば、そういうこともできるわけだ。
京都で暮らしはじめて丸7年。生活圏はどんどん狭まってきていたが、この魔法の杖を使って、未知の京都を探検していくことにする。



2022年9月30日金曜日

9月の読書

自民党の統一教会汚染 追跡3000日 鈴木エイト 小学館 2022
けもの道の歩き方* 千松信也 リトルモア 2015
古代から来た未来人 折口信夫 中沢新一 ちくまプリマー新書 2008
アースダイバー 神社編* 中沢新一 講談社 2021
この国の戦争 奥泉光・加藤陽子 河出新書 2022
祝祭と予感* 恩田陸 幻冬舎 2019
家(ちべ)の歴史を書く* 朴沙羅 筑摩書房 2018
日高六郎 95歳のポルトレ* 黒川創 新宿書房 2012
アン・ソンギ* 村山俊夫 岩波書店 2011
疫病神* 莫言 勉誠出版 2014

2022年9月29日木曜日

踊り場

 孫たちと付き合っていると成長というものががいちようでないことがよくわかる。順調に成長していても、それが停滞する時期はある。踊り場と呼べるような時期。そんな状態になると、子ども心にも不安になるのか、「じーじ、面白いことない?」などと訊いてくる。そんな時には、「そうだね〜」と相槌は打っても、これはどうあれはどうと方向性を示すことはしない。この時期は、力を溜めている時間なのだろう。数ヶ月しないうちに、自分の興味をちゃんと見つけてくるものだ。

 大人にももちろん踊り場はある。この9月ひと月はそんな時期だった。月初めの白山稽古会行きが頓挫したこと。70になって見えてくる風景が変わったこと。耳が遠くなり、これから先どんなふうに稽古を進めていけばよいのか迷っていること。いろんなものが重なって方向性が見えなくなっていた。おまけに9月は毎年不調な月でもある。こういう時は、じたばたしても仕方がない。粛々と稽古して、読書に励み、あとは土いじりをして時を過ごす。

 ぼちぼち踊り場を抜け出す時期にたどり着いたようだ。月末三日間の稽古会が始まり、久しぶりに本格的な脱力動法などをやり、歩むべき方向が見えてきた。白山登山で得た教訓どおり、一歩一歩進むだけだ。