2020年6月29日月曜日

6月の読書

新版 みんな言葉を持っていた 柴田保之 オクムラ書店 2018
在野研究ビギナーズ* 荒木優太 明石書店 2019
人口減少社会の未来学* 内田樹編 文藝春秋 2018
学ぶ、向きあう、生きる* 楠原彰 太郎次郎社エディタス 2013
世界まちかど地政学* 藻谷浩介 毎日新聞出版 2018
アーサーの言の葉食堂* アーサー・ビナード アルク 2013
インパラの朝* 中村安希 集英社 2009
また、本音を申せば 小林信彦 文藝春秋 2020
牙* 三浦英之 小学館 2019
日報隠蔽*  布施祐仁・三浦英之 集英社 2018

2020年6月28日日曜日

第3期白誌

4月から再開された白誌に京都三日間の裕之先生の講義が逐語的に載っている。読んでみると実に新鮮で、えっ、こんなこと話してたんだという内容のものばかり。つまり、覚えてない。いや、そもそも、最初から聞こえてない。耳が遠くなったことは、以前、このブログでも書いたが、その聴こえてなさ加減は相当で、こうして文章になったものを読んでみると唖然とするばかりである。そのくせ、稽古したあとで、「今回の稽古は素晴らしかった」などとつぶやいているわけで、ひょっとすると、いやひょっとしなくても、一緒に組んで稽古している人に多大な迷惑をかけているのではないかと思わざるえない。困ってはいるのだけれど、稽古に出ることは、ぼくにとっては生命線でもあるわけで、おやすみするわけにはいかない。今日から3ヶ月ぶりの稽古会、どうなるのかね。

2020年6月24日水曜日

佐倉散歩

なんで佐倉なのかという説明は後回しにして、
兎にも角にも、月の三分の一を千葉佐倉で過ごしている
今回のコロナ禍の嵐を一番受けてしまったのは、結局僕ではないのか

佐倉といってもイメージが湧かない
古い城下町で、近くに印旛沼があって、国立の歴史民俗博物館がある、
といった程度の知識しかないまま、この地に立った

まだ閉じられている施設も多く、街の探検をはじめたのは最近
城址公園は石垣ではなく、土塁でできたお城
その高台の尾根に連なるエリアに古い町が残っている

南側に下ったところに総武線が走り、
北側に下ると、京成線が走る
どちらの線を使っても、東京まで1時間、成田空港まで30分

土地としてはずいぶん昔から栄えていたらしい
地誌を紐解いていて、平将門ゆかりの地であることを知った
一茶も食いつなぐために江戸から下総一円を定期的に回ったという
記述を読んだ覚えがある

車に頼らないと生活しづらいというのが難点だな



















(城址公園の中にある池)















(佐倉市美術館の中に古書店があった)

















(旧式の郵便ポストが街角のあちこちに立っている)

2020年6月19日金曜日

経過報告

4月中旬まで、つまり2ヶ月前まで、今回のコロナ騒動は、等持院に蟄居してやり過ごせばよい、くらいに思っていた。ところが、コロナウイルスの嵐に吹き飛ばされ、6月の後半を迎えた今、この文章を千葉の佐倉という街で書いている。詳しい経緯は書かないけれど、移動自粛の異様な空気のなか、4月後半から、京都と千葉の間を行き来する生活が始まった。今のところ、京都2、千葉1くらいの割合で過ごしているのだが、今後、千葉で過ごす時間がさらに増えていきそうな気配なのだ。しかも、長期戦。直接、だれかがコロナに感染したという様な話ではない全くない。でも、その影響を十分に受けている。移動自体は苦にならない性分なのだが、二重生活ー京都でのしずかな暮らしvsやんちゃな男の子二人に囲まれた生活ーへの適応には苦労している。

今回のコロナ騒動の中、ネットの活用が盛んになっているようだが、その流れに追随する気にはならない。ZOOMを使ったミーティングといったものを何度か経験してみたが、ネットで人には会えないことを確認しただけで、ましてやネットで稽古会するなんて空想もできない。むしろ、リアルに人と会うことの価値というものが上がったように感じている。そして、本当に会いたいという人の数は実は少ないということも。5月は、稽古に来る人も減り、開店休業状態であったから、等持院を留守にすること自体、あまり問題にならなかった。6月になって、ようやく人が戻りはじめた。どれだけ人が戻ってくるか、ちょっとわからない。僕に本当に会いたい、と思ってくれる人がどれだけの数はいるのだろう。

月末には京都に帰り、三日間の稽古会にも復帰します。

2020年6月7日日曜日

ふるさと館

 一年がかりの改修工事を終え、コロナ騒動のあおりで再開館が遅れていたふるさと館が動き出したようだ。冷暖房設備が刷新され、畳も新調されている。板の間が減り、畳敷きのスペースが増え、ちょっと老舗旅館風になった印象。白山稽古会の会場も、来月からふるさと館に戻します。7月は4日(土曜日)、8月は2日(日曜日)、時間割は、10時〜12時を集団稽古、12時半〜16時を個別稽古に割り当てる予定です。



2020年5月31日日曜日

5月の読書

炭焼日記 宇江敏勝 新宿書房 1988
 図書館は再開されたが、図書館に寄る時間もなく出かけることになったので、本棚からこの本を取り出してきて旅行鞄に入れた。随分前に室野井洋子さんからの頂いた本。挟まっていていたメモの文面からすると十年くらい前に送ってもらったらしい。この本の出版は1988年とあるから、身体教育研究所が立ち上がった年である。
李香蘭 私の半生* 山口淑子・藤原作弥 新潮社 1987
宿無し弘文 柳田由紀子 集英社インターナショナル 2020
音楽が本になるとき 木村元 木立の文庫 2020

2020年5月21日木曜日

旧仮名

 背表紙に『療病談義』と書かれたA5サイズの冊子が手元に残っている。中身は整体操法協會発行の『全生』第1号から8号の合本である。発行の日付はとみると昭和25年から28年くらい。つまり、今から70年くらい前、整体協会の前身である整体操法協會が出していた『月刊全生』の前身の機関誌ということになる。第一号のあとがきには、この号は再刊であると記されており、たしかに、巻頭言の日付は昭和22年4月とある。昭和30年代に入ると、『全生季刊』というのも発行されていた時期があり、瀬田に本部道場が建設されたと時期を同じくして、いまと同じ判型の『月刊全生』が発行され始める。

 『全生』と『全生季刊』にはおおよそ十年ほどの時間差があるのだけれど、内容はともかく、使われている日本語に大きな違いがある。前者は旧仮名であり、後者では新かなが使われている。『全生』には、その後、単行本として出版される、『叱り方褒め方」など潜在意識教育シリーズの元になる文章も多く掲載されているのだけれど、それらが旧仮名表記で印刷されている。この十年の間のどこかで、表記法が変わってしまっているのだ。新かなが制定されたのは戦後すぐの昭和21年のようだが、それが広まるまで十年という時間がかかったということなのか。

 僕が晴哉先生の著書に触れたのは、かれこれ40年前になるのだけれど、もちろん、現代仮名遣いで表記されたものだった。いま、こうして、旧仮名で書かれた同じ文章を読んでみると、うん、野口晴哉は旧仮名の人だったのだなと強く思う。