2022年11月30日水曜日

11月の読書

四季のない京都* 時岡洋一 明石書店 2022
死を想う 石牟礼道子・伊藤比呂美 平凡社新書 2007
徹底検証 日本の右傾化* 塚田穂高編著 筑摩書房 2017
自壊するメディア* 望月衣塑子・五百旗頭幸男 講談社+α新書 2021
あの人と短歌 穂村弘 NHK出版 2020
尹東柱詩集 空と風と星と詩 金時鐘訳 岩波新書 2012
韓国現代詩選 茨木のり子訳編 花神社 2004

2022年11月14日月曜日

群青の空から

 見逃していたのだけれど、11/20-21の方は見られそうです。

 linktr.ee/JardimdosVentos


2022年11月9日水曜日

日和佐

お遍路で日和佐
今回は22番平等寺から23番薬王寺
できれば、その先の室戸岬まで

お遍路をはじめて地図を見たときに日和佐という地名が目に飛び込んで来た。ここから室戸に向かう道は、僕が十代後半、ひとり旅をはじめた最初期の頃通った道なのだ。おそらく、初めての太平洋は、ここの海だった。山の中で育った僕にとって、川が海に注ぎ込む風景は実に新鮮で、その風景に長らく見とれていた記憶がある。この先、四国の東海岸を南下していく中で、その見惚れた風景がどこのものであったか確かめられるかもしれないという密かな期待もある。とはいえ、半世紀も経てば風景も違ってしまっている可能性が高いのだが。

先を急ぎたいのか、そうでないのか、判然としない。妙な宙ぶらりんの感覚にとらわれている。通り過ぎる町に再びやってくることはないだろう。かといって、遍路は先に進むことを求められている。その凌ぎ合い。それとも早く家に帰りたいだけなのか。

薬王寺境内から日和佐の町を望む




2022年10月31日月曜日

10月の読書

ハングルへの旅 茨木のり子 朝日文庫 1986
隣の国のことばですもの-茨木のり子と韓国 金智英 筑摩書房 2020
みんなが手話で話した島* ノーラ・E・グロース 築地書館 1991
JKインドで常識ぶっ壊される* 熊谷はるか 川手書房新社 2021
忘却についての一般論* ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ 白水社 2020
「その他の外国文学」の翻訳者* 白水社編集部編 白水社 2022

2022年10月21日金曜日

リペアカフェ

 龍安寺商店街にあるカフェで「リペアカフェ」やることになったので一緒にやりませんかと誘われた。壊れた品物を持ち寄って、修理し、ほしい人に回すという、リサイクル市に「修理」という要素が加わったようなものらしい。元ラジオ少年として、簡単な修理はできそうなので、工具類を持って参加しようと思っている。興味のある方はどうぞ。
 日時 11月3日 10時〜15時。
 会場 HOME



2022年10月17日月曜日

AI時代の言語学習 2

 10/14 某語学学校見学。中級1のクラスを薦められたが、テキストをみると難しそうなので、初級2のクラスを見学。生徒の年齢層はやや高め。6人くらい集まっている。先生の声は聞き取れる。連用形の活用をテキストに沿って進めて行く。テンポよくというか、僕にはやや速すぎる。受講者との会話形式でのやりとりになると、皆さんの声が小さくて、やりとりをフォローできなくなる。ちょっと、この流れについていくのは無理だな〜。生徒の役割を演じるには、僕はもうすれっからしだし。90分マスクつけっぱなしというのもきつい。ということで、語学学校での韓国語学習は却下。こうなると自分用のカリキュラムを作るしかない。まあ、カリキュラムを作ることに関してはプロなんだけど。

というわけで、自分用のカリキュラムを考案することにした。
A ) 名文と呼ばれている平易で美しい韓国語のテキストをみつけてくる
B ) テキストをネイティブに読み上げてもらう
C ) テキストを書き写す 自分で声に出して読む
D ) テキストを辞書を引きながら訳していく
E ) 知らない用法を文法書を参照して、あるいは上級者に尋ねて学んでいく

なんだ昔ながらの寺子屋スタイルではないか。
でも、これを実行するためには、ふさわしい助言者が必要だ。
アドバイザー募集します。

2022年10月13日木曜日

AI時代の言語学習 1

 勢い余って、語学学校見学の申し込みをしてしまった。いえ、あくまで「見学申し込み」です。耳は遠くなり目はかすみ、着実に老化が進み、しかも、コロナの影響でマスク着用がデフォルトになっているこの状況で、はたして語学クラスへの参加って可能なのだろうか? 四十年ぶりに韓国語熱が再燃していることはたしか。これも、「韓国文学の中心にあるもの」を読んだせいである。でも、なんで、韓国語クラスに一気に跳んでしまうのか、自分でもよく理解できてない。七十になって、思っていたよりも残された時間は長いかもしれないとふと思ってしまったことが後押ししていることは間違いなさそう。

 韓国語の辞書など、とおの昔に手放してしまった。ただ、40年前と語学学習の環境は様変わりしている。インターネットのせいであるというか、お陰であるというか。翻訳サイトをつかえば、日本語を入力すると、すぐに韓国語が出力され、読み上げてくれさえする。至れり尽くせりというほかない。韓国映画だっていくらでも観ることができる。こんな環境があれば、独習だって可能だろう。オンラインレッスンという道もある。ただ、それらが身体性を欠いている限り、メインの学習法に据えようがない。

 ともかく明日見学行ってくる。