2014年3月15日土曜日
禁糖2014
■今年の禁糖はなんの気負いもなく、いきなりスタート。■美味しい玄米をもらったからと、娘が置いていったお米を誰かがfacebookに載せていた「びっくり炊き」という方法で炊いてみたらなかなか旨く炊けた。■今年の禁糖は玄米菜食でいくのかしらねと思っていたら、禁糖2日目に急に肉が食いたくなって、駅前のスーパーでステーキ肉を買ってきて塩コショウで味付けして焼く。■禁糖3日目の朝、コーヒーを飲んでいる夢を見て、「あら、飲んじゃった、また一からやり直しだ」と思ったところで目が覚めた。そういえば、禁糖をはじめる前の数日間、コーヒーを飲んでなかったことを思い出した。僕にとって、禁糖=禁コーヒーの感じが強く、これまでなら「飲み納め」の儀式をやっていたような気がする。■禁糖5日目の日に、二子玉川の本部に顔を出したら、みなさん禁糖中だという。やはり同じような時期に禁糖の時期はやってくるみたい。帰り道、ドンクに寄って、フランスパンを買う。■去年のことはまったく覚えてなくて、いったいいつ頃やったのかしらと、日記に当たってみると、なんと二月にやっている。■何ヶ月かに一度入る、自然食のレストランがあざみ野にあるので、一度、禁糖メーニューを作れるかどうか、訊いてみよう。お客さん10人連れてくるからといったら、メニューに載るんじゃないかな。■今日で禁糖6日目。
2017年2月4日土曜日
禁糖2017
禁糖をやるとなると2週間ほぼ外食ができないので、自分の日程と照らし合わせて、禁糖計画を立てることになる。でもそれでは、本当はどのタイミングではじめればよいのかが怪しくなる。今回は、その始まりを確かめるべく、「プレ禁糖」と称して、1月の下旬から、お菓子、コーヒー断ちをはじめてみた。外食は許容。プレ禁糖とはいえ、おそらく量的に言えば、限りなく禁糖に近いもので、実際にすこぶる体調もよい。なのに、腹部をみると、中指から薬指に動いていく。薬指に移り切った時が、本当の開始時期になるのだろう。プレ禁糖1週間目で薬指に移った。つまり禁糖開始。残念なことに、突発的な行事が飛び込んできて、そのタイミングで禁糖に入ることはできず、かろうじてプレ禁糖を継続中。禁糖は明日の日曜日からはじめることにします。ど真ん中に白山稽古会が入っているのですが、おにぎりとフランスパンで乗り越えられるでしょう。この時期、尾骨焼塩もやっておきたいところだが、稽古に組み込むわけにもいかないし、さてどうしよう。
2018年1月25日木曜日
禁糖2018
朝寝床の中で腹部第2に触れてみたら、禁糖警報を発していた
それが昨日のことで、一昨日買ってしまったどら焼きに後ろ髪を引かれながら禁糖開始
先週5泊6日の日程で東京に行ってきたのだが、
食事の量も普段より多めだったし、甘いものを食べる機会も多かった
腹部第2に変調をきたした状態で京都に帰ってきたのだが、
結局、そのまま禁糖に入ることになってしまった
十年もやってると、すでに季節の風物詩みたいなもので、淡々とやるだけ
このところ外食する回数も減ってるし、食生活が大きく変化するわけでもない
それでも、いざ禁糖を始めると、自分の中にある食への執着心が前面に出てくるのが面白い
昔は禁糖中の料理写真をブログに載せたりもしてたけど、もういいでしょう
今回は干し芋で乗り切ります
あ、禁糖って、度合に対する感受性を取り戻すための稽古ですからね
この点はお忘れなく
それが昨日のことで、一昨日買ってしまったどら焼きに後ろ髪を引かれながら禁糖開始
先週5泊6日の日程で東京に行ってきたのだが、
食事の量も普段より多めだったし、甘いものを食べる機会も多かった
腹部第2に変調をきたした状態で京都に帰ってきたのだが、
結局、そのまま禁糖に入ることになってしまった
十年もやってると、すでに季節の風物詩みたいなもので、淡々とやるだけ
このところ外食する回数も減ってるし、食生活が大きく変化するわけでもない
それでも、いざ禁糖を始めると、自分の中にある食への執着心が前面に出てくるのが面白い
昔は禁糖中の料理写真をブログに載せたりもしてたけど、もういいでしょう
今回は干し芋で乗り切ります
あ、禁糖って、度合に対する感受性を取り戻すための稽古ですからね
この点はお忘れなく
2017年2月12日日曜日
春が来た
禁糖がはじめられると思ったら、急に身内のお葬式が入り、月はじめ三日ほど上京して来た。通夜葬式に一通り付き合うということは、そこで出てくる料理に手を付けるということで、禁糖どころではない。結局、正式な禁糖を始めたのは帰って来てからなのだが、プレ禁糖をやっていたにも関わらず、それなりの飢餓感が襲ってくる。映画『沈黙』を観に二条駅まで行き、そのまえに一階にある本屋を冷やかしていると、平積みされていた『一汁一菜でよいという提案』という本に呼ばれたような気がした。手に取ってみると、装丁といい写真といい、なんだか読みたくなってレジに直行。ご飯と具だくさんの味噌汁を基本とすることをカタとすることが書かれている。食に対する真摯な感じが伝わってくる素敵な本だった。禁糖期間中ならではの出会い。今回の禁糖のヒットは焼き芋。アルミホイルにさつまいもをくるみ、それを火鉢の灰の中に埋めておく。一時間もしないうちによい香りが漂ってくる。これは美味い。その香りが部屋からなかなか抜けてくれず、稽古会の前には食べられないところが難点である。週末は白山稽古会。今回は一泊二日なので、持参のおにぎりと簡易味噌汁で乗り切った。石川に出かけた時は一ヶ月の中でも集中的に外食する期間なのだが、雪模様だったこともあり、外出もせずホテルの部屋でひたすら橋本治の『浄瑠璃を読もう』を読んでいた。禁糖、尾骨焼塩など、春の風物詩みたいなものである。旬の時期に旬のことをやっておくと季節の変化に上手に対応できる。われわれ夏冬30度の温度差の中を生きているわけで、それだけでも人間の適応力というのはたいしたものだと思う。ただ、尾骨焼塩にしろ足湯(そくとう)にしろ、僕の中では、身近な人間同士でやりあうものとしてあり、自分一人でやってる風景というのは空想しづらい。子育てをしている中で、足湯など頻繁に活用してきたけれど、最近は、足湯の潜在意識教育的な側面が薄れてきた印象があって、それはちょっと残念。ともあれ、今年いちばんの寒波到来とはいえ、もう春ですね。
2013年2月11日月曜日
禁糖8日目
禁糖淡々と進行中
今日で8日目
禁断症状もなく、ただただ御飯が美味しい
これまで何度もやってることを差し引いても
この淡々とした心地というのはなかなかよい
はじめて禁糖をしたときの(禁断症状を含む)劇的な変化はないが
その分、細やかさは増しているようにも思える
禁糖本来の意味、つまり、度合いの確かさを取り戻す上での度合の目盛が
細かくなってきたのか
仕事はすごくやり易く、なにより目が楽で視界が広がってくる
このまま禁糖をデフォルトにした方が上達しそうだが
聖人君子になってしまうのはイヤだな
外食できないと社会生活も営めないし
期間限定が禁糖の良さである
あと一週間続けてみることにする
今日で8日目
禁断症状もなく、ただただ御飯が美味しい
これまで何度もやってることを差し引いても
この淡々とした心地というのはなかなかよい
はじめて禁糖をしたときの(禁断症状を含む)劇的な変化はないが
その分、細やかさは増しているようにも思える
禁糖本来の意味、つまり、度合いの確かさを取り戻す上での度合の目盛が
細かくなってきたのか
仕事はすごくやり易く、なにより目が楽で視界が広がってくる
このまま禁糖をデフォルトにした方が上達しそうだが
聖人君子になってしまうのはイヤだな
外食できないと社会生活も営めないし
期間限定が禁糖の良さである
あと一週間続けてみることにする
2012年5月3日木曜日
禁糖メニュー
2016年2月8日月曜日
禁糖接近中
このところ腹部第二が不安定
今年もまた禁糖の季節がやってきた
禁糖ほど稽古場で盛り上がる話題はそう多くない
どうして、こんなに盛り上がるのだろう?
そのプチ苦行感、それが食いものとつながっている
だから盛り上がる
それだけ、みんな食いしん坊ということだ
二週間、糖分、コーヒーを断つというだけのはなしなのにね
何度も書いているが、禁糖は「度」に対する感覚を取り戻すために行う
はじめて禁糖をやったのは十年以上まえのことだが、
その時は、コーヒーが飲めないことが苦痛だった
最初のうちは、食べるものが無くなるのではないかと心配だったが、
回数を重ねる度に、工夫が生まれ、上手に過ごせるようになってくる
それでも、禁糖を前にすると、あれこれ非常食を買い込んでしまうのは、
初期の記憶が残っているからにちがいない
さて、いつからはじめようか
今年もまた禁糖の季節がやってきた
禁糖ほど稽古場で盛り上がる話題はそう多くない
どうして、こんなに盛り上がるのだろう?
そのプチ苦行感、それが食いものとつながっている
だから盛り上がる
それだけ、みんな食いしん坊ということだ
二週間、糖分、コーヒーを断つというだけのはなしなのにね
何度も書いているが、禁糖は「度」に対する感覚を取り戻すために行う
はじめて禁糖をやったのは十年以上まえのことだが、
その時は、コーヒーが飲めないことが苦痛だった
最初のうちは、食べるものが無くなるのではないかと心配だったが、
回数を重ねる度に、工夫が生まれ、上手に過ごせるようになってくる
それでも、禁糖を前にすると、あれこれ非常食を買い込んでしまうのは、
初期の記憶が残っているからにちがいない
さて、いつからはじめようか
2026年2月7日土曜日
禁糖2026
吉田神社の鬼やらいの神事に行った翌日、急遽思い立って禁糖を始めた。順調に行けば、旧正月には終えられるはずである。外食しづらい禁糖期間中に泊まりがけの行事を入れることはないのだけれど、今年は、ばっちり白山稽古会が入っている、というか、白山にやってきた。
そうなると、食料持参の出張ということになる。タッパーにカレーを載せた白米を詰め、もうひとつのタッパーにはサラダ。おにぎりにふかしさつまいも。さらには、バゲットにチーズ。果物、ティーバッグも入れた。ちょっと準備過剰という気がしないでもないが、これには理由がある。
この時期北陸に向かうと、天気予報と列車の運行状況と睨めっこすることになる。一年前の2月は、結局雪で来られなかった。来られないのなら諦めもつくが、問題なのは、来たはよいが帰れなくなるパターン。随分前のことだが、雪でホテルに48時間缶詰になったことがある。まだ、北陸新幹線が金沢までで、サンダーバード一本で通っていたころの話だ。
明日の天気予報は雪。交通機関もあやしい。
雪国に缶詰というのも悪くないとはいえ、今は禁糖中だ。
そう、禁糖の話でした。
今回、タイミングが合ったのか、変化が速い気がする。
2025年1月22日水曜日
禁糖2025
禁糖つつがなく終盤へ。
普段の食事から、コーヒーとちょっとした菓子類が欠けるだけのことで、いつもとさほど大きくは変わらない。でも、ずいぶん真面目に食と向き合っている感はある。いかんせん腹が減る。今年はチーズ類をよく食べている。近所のパン屋さんのチーズチーズチーズというフランスパン生地の上にチーズ数種類おいて焼いたものがあれば満足。
先週末の白山稽古会もおにぎりフランスパンで乗り切った。
今週いっぱいで終える予定なのだが、昔のような我慢する感じがまるでなく、つまり、お祭り感を欠く禁糖ということになる。ま、こんなものか。
【追記 1/27】
禁糖終了。途中、味噌の仕込みなどもして充実。
腹部第2を乱すものとしてスマホがあることは間違いなく、禁糖と並行してスマホ断ちをすべきかもしれない。現代人には、こっちの方が大変だな。
2016年2月29日月曜日
2022年1月31日月曜日
禁糖2022
1/31
15日目。禁糖終了。
さてどこから戻していこうか。コーヒー、ではなく蜂蜜を舐めたい。薄切りした全粒粉パンをトーストし、バターの上に以前新潟の山田さんが送ってくれた日本蜜蜂の蜂蜜を塗って噛り付く。
1/30
14日目。もう終わりが近いはずなのに、ぐずぐずしている。
チーズ、バナナといった輸入品に頼りすぎなのが問題?とつれあいと話す。
地産地消の方がよいのか??? さて。
1/26
10日目。中指の方がなじんでいる。順調。
量の適さえ間違わなければー存外ここがむずかしいー早く終点にたどり着けるかも。
1/24
8日目。後半戦突入。
腹の第二を見ると、まだ薬指の方がなじむ。
急に肩周りが動きはじめた。春だな〜。
1/23
7日目。禁糖淡々と進行中。
禁糖についてはさんざん書いてきたから(→)付け加えることとくになし。
度合の適を取り戻すためにやっているので、食べ過ぎちゃったら洒落にならないと自戒。
機度間の適を求めるのが整体であるとすれば、たしかに度というのは、そのベースになる。
1/20
禁糖4日目。
今回も助走なしに「うん、今日から」と唐突に始めてしまった。
このところコーヒー中毒みたいになってたのだが杞憂に終わる。
食欲旺盛。やたら腹が減る。
2004年5月29日土曜日
禁糖2004
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気刊あざみ野通信 288 2004/5/29
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■「禁糖」を試みている。これは、梅雨前のある時期、ある体状況(腹部第二調律点の系統)の人にダン先生が申し渡していることで、僕自身どうも該当者。人の言葉には素直に従わないというのは、僕の特質みたいなもので、これまでなら、「そんなこともあるのかな」と聞き流していた類のものなのだが、なぜか今年に限って、素直に実践してみる気になった。ひょっとすると、もう少しましな身体になれるのでは、という期待があったからである。期間は二週間。コーヒー、アルコールも禁止である。
■単に紅茶に砂糖を入れない(普段でも入れない)、トーストにジャムを塗らない(最近はあまりジャムって食べてない)といった程度のことであれば、さほど難しくない。しかし、食材、調味料にまで範囲を広げるとーそうしない限り禁糖にならないーたちまち食べるものがなくなってくる。つまり、それだけ今の食生活は「砂糖漬け」になっているのだ。砂糖中毒といってもよい。禁煙なら煙草だけをやめれば済むことだけれど、「禁糖」となると、一気に食生活すべてを見直さなくてはならなくなる。果物が禁止項目に入ってないことが救い。
■三日もたつと、ものが本来持つ「甘み」が分かるようになってくる。アルコールを普段飲む習慣のない僕にとって禁アルコールはまったく苦にならない。しかし、禁コーヒーというのはなかなか厳しい。仕方なく、抹茶を点てて飲んでいる。あと腹が減る。これは間食をしなくなるためだと思うのだが、ともかく空腹感というのが新鮮。それと皮膚の感覚が変わってくる。これは意外。
■最初の三日間は快調。が、四日目くらいから、やや禁断症状らしきものがでてきた。甘いものに目がいく、他人の飲んでいるコーヒーから目が離せなくなる、等々。妙に尻が定まらず、気がつくとそわそわと部屋の中を歩き回っていたりする。禁煙を試みたとき(いまだに喫煙者ですが)に似たようなことは体験したことがある。やはり糖分摂取もある種の中毒なのですね。ようやく一週間経過。何度かしくじったー食パンも砂糖を使っているのだーけれど、腹部第二が「しっかり」してきた感じはあります。
■あと一週間、なんとか続けられそうである。身に覚えのある人はやってみるといい。なかなか楽しい非日常的体験です。
2018年2月8日木曜日
2024年2月11日日曜日
禁糖2024
禁糖前半戦終了。
今年はなぜか肉食系に変身。
毎日のように肉買ってきて食っている。
一昨日は、普段買ったことにない鶏の骨付きもも肉を焼いて齧りつき、
昨日など、カセットコンロの上に鉄板を載せて一人焼肉。
ちょっと胸やけしてしまった。
糖分を油で補おうとしているのだろうか。
菜食の連れ合いは、ひたすらチーズ。
いつものことだが、量に対する「適」がまだ大雑把すぎるのだ。
さて、あと一週間。
2/9
禁糖明け。さっそくザッハトルテの箱を開け、8分の1に切り分け皿に載せる。フォークでひと口食べる。美味い。ふた口目を食べる。おいしい。三口目を口にしたところで、首をかしげる。もう、これ以上食べられない。一切れのまだ半分も食べていない。なるほど、度合いを知るとは、そういうことなのだ。砂糖はすぐにエネルギーになるとは知っていたが、確かにその通りだ。飢餓感は雲散霧消し、食事の量は半減。渇望していたコーヒーも一回飲むと充足し、また紅茶中心に戻る。わが家の主たる食事はもともと禁糖食であることを確認。さて、この度合いに対する感受性は、どれくらい保持されるだろうか。
2025年1月12日日曜日
なじむ
寝床から抜け出す前に自分のお腹に触れてみる。
え、もう禁糖なの?
腹部第2調律点が右手薬指でなじめば該当者となる。
うーん、去年より2週間もはやい。
おまけに来週末は白山稽古会がある。
とはいえ、2週間の禁糖生活に入れば、なんかの行事と重なることは避けられない。
で、いきなり禁糖開始。
では、なじむって、どういう感じなのか?
これを英語で説明できるのか?
日本語でだって説明はむずかしいぞ。
なじみの稽古って、稽古会の最初期からやっている。
二者が掌同士を合わせて、そのなじみを崩さないように、転がったり起き上がったりしていた。
同調の感じと言い換えても、伝わりづらい。漢字語だからなのか。
日常生活で使うとすれば「なじみの店」といったところ。
「なじみの店で食事する」とgoogleに問うと、Eat at a familiar restaurantと返してくる。
なじみをfamiliarと訳すのは、そう外れてはいない。つまり、すでに知っていること。
身体集注に入った時の「なつかしさ」というのは、忘れていたかもしれないけれど、すでに知っていた感覚。僕なんか、そのなつかしさに、いつも泣きそうになる。
からだに出会うとは、そのような経験。
禁糖に入ると、食い意地が張ってくる。
まずは、火鉢で餅を焼こう。
2021年2月16日火曜日
禁糖2021
第一期は1月の下旬にはじめたのだけれど、急に千葉から呼び出しがかかり十日目で中断。今年は、もうこれでよいかしらと思ったものの、旧正月が来て、やっぱり、もう少しやったほうがよさそうと、再開。二期目のほうがつらいのはなぜ。
知り合いから稽古場で禁糖はじめたのはいつですか?という問い合わせがあったので、調べてみたら、自分の文章として残っている一番古いものは2004年。蔵出しして、このブログの一番下に加えておいた。⇒<禁糖2004> もう、そんなに経つのだ。最初のころは梅雨前の時期にやっていた。それがいつから春先に移動したのか、これも調べてみたら2013年。それまで5月だったものが一気に3月に移動している。
禁糖中は食卓がやたら豪華になる。普段は一汁一菜のベジタリアンメニューなのに、急にお肉が食べたくなって鶏肉の塊を買ってきたり、連れ合いが急にさつまいもレーズン入りの蒸しパンをつくりはじめたり。われながらなにやってるかよくわからない。
2024年2月8日木曜日
ザッハトルテ
禁糖がもうすぐ明けそうという2月7日、郵便屋さんが海外からの小包を届けてくれた。ずっしりと重い。差出人は、先月、僕のところを訪ねてきたオーストリア人女性。鮮やかな包装紙を開けると木の箱が現れる。そして、その箱の蓋を開けると、でかいチョコレートケーキ。本家ザッハトルテ! 添えられていたメッセージカードには、「早めにお食べください」とある。そんなこと言ったって、まだ禁糖明けてないのだ。
その女性が訪ねてきたのは1月の半ば。どのように、僕のところにたどり着いたのか不明なのだが、東京でダン先生とも面会したとのことだったので、整体協会を知る人が間にいることは間違いがない。ヨーロッパで活動していたキシさんという治療家に師事していたことがあり、ウイーンで開業しているという。ちょっと聞き齧っただけで、すぐに自分の仕事に使おうとしたり、野口晴哉の弟子を名乗ったりという手合いは洋の東西を問わず多い。なので、ちょっとお茶を濁すつもりで、かといって誤解されることは極力避けるように対応していった。
そういえば、ドイツ人の知り合いは大勢いるが、オーストリアの人って会うのは初めて。中身の詰まった体が現れるのかと思いきや、意外に柔らかい。はじめてきた人と必ずやる、指に集注する、指の間の空気に集注するといった稽古からはじめてみた。
話が通じる感じというのはなんだろうね。英語を共通語として会話していくのだけれど、通じる感がある。ノンバーバルなものに対する感覚がちゃんと育ってる人だったから、僕の拙い英語であっても、十分理解してもらえたのだと思う。2時間ほど稽古したら、次の日も来てよいかという。2日目終わったらもう一日。なんと3日間連続で現れた。ほんとは会員外指導はしちゃいけないことになっているのだが、乞われたらnoといえない。
海外における整体の伝播の仕方って不思議。そもそも、整体協会がコントロールできる類のものではない。晴哉先生の時代に津田さんがフランスで、眞峰さんがスペインで、それぞれ活動を始め、そのあとには竹居さんがドイツで始める。その他にも、いろんなかたちでヨーロッパには入ってるはずだ。いつか事務局にスウェーデンの人がやってきて、「スウェーデンのインテリはみんな活元運動をやってます」と話していたという逸話ーそんなわけねぇだろうーがあるくらい。以前なら、そりゃいかんだろうという整体協会的な考えを僕もしていたのだけれど、いまはもう、「勝手に進化しろ」という意見である。
ああ、禁糖明けが待ち遠しい。
2023年1月31日火曜日
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