2012年12月10日月曜日

稽古としての活元運動

 活元運動は僕にとっての宝物である。そもそも、整体に道に入るきっかけになったのも、活元運動、殊に相互運動における「感応」というものに惹かれたからだ。

 活元運動はいうまでもなく整体協会の宝である。その宝物をひとつの入口にして(あるいは踏み絵にして)活動しているわけだ。活元運動で検索すればおびただしい件数がヒットするし、それはkatsugen undoで検索しても同じである。ここ50年の整体協会の活動を通して、活元運動はひとり歩きをはじめ、この単語が世に浸透するに従い、それがどのような起源をもつか誰も気にしなくなった。

 稽古場ができた当初(うわっ24年前だ!)、活元運動も稽古種目に含まれていて、一日4コマ(当時は一日4コマが標準だった)すべて活元運動という日まで設定されていた。その頃だけで、もう一生分の活元運動をやったぞ、というくらいやり込んだ。その後、諸事情あって稽古種目から外されていき、活元運動を知らない稽古者も増えてきた。

 数年前、活元運動の会を主宰しているグループに頼まれて稽古会をやっていた時期がある。その人たちによると稽古会は毎回やることが違っているので難しいという。たしかに、毎回同じプロトコルに沿って会が進んでいく活元会に参加している人たちにとって、手を変え品を変え、いろんな角度から切り込んでいく稽古会のアプローチは面倒だと感じるらしい。彼我の間に横たわっている川はなかなか深い。

 活元運動を稽古化するのは、なかなか難しい。つまり、活元運動に対し、誰もがある「イメージ」を抱いていてーそれまでの活元運動体験のなかで形成された記憶ーそれからなかなか離れられない。僕自身そう。それでも、時折思い出したように「稽古としての活元運動」を試みてきた。要は、準備運動の三つの動作を動法的に解析してできるだけ丁寧に行うというものだったのだが、これだけでも、活元運動の質は大きく変わる。でも、継続的な稽古に加えるにはもの足りなくて、それっきりになってしまっていた。

 ここ数年の稽古の進化、特に接触におけるカタの問題ー稽古における永遠のテーマですねーをとりいれて、活元運動の稽古化に今一度取り組みはじめている。まだ数回試みた段階なのだが、今回の手応えはちょっと違う。週末の集注稽古もこのテーマでやってみようかしらね。