2024年7月29日月曜日

7月の読書

こわばる身体がほどけるとき* 板橋勇仁 現代書館 2021
加藤周一、米原万里と行くチェコの旅* 小森陽一・金平茂紀・辛淑玉 かもがわ出版 2019
一汁一菜でよいと至るまで* 土井善晴 新潮新書 2022
生きる場所をどうつくるか 瀧口夕美・黒川創 編集グループSURE 2024

横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか* 田崎健太 カンゼン 2024
 1999年の元旦、高熱を押して僕は国立競技場で行われた天皇杯決勝、横浜フリューゲルス対清水エスパルスを観に行った。この試合を最後にフリューゲルスというサッカーチームは消滅した。一人の横浜市民として、フリューゲルスファンとして、クラブの消滅は理不尽に思えた。それから四半世紀の時を経て、クラブ消滅に至る「失敗の記録」が一冊のノンフィクションとしてまとめられた。

パンとサーカス* 島田雅彦 講談社 2022
 島田雅彦って啓蒙家なんだ。啓蒙家はサーカスのピエロなのか。それとも、僕が皮肉屋に過ぎるのか。

反穀物の人類史* J・C スコット みすず書房 2019
 「ゾミア 」の著者であるJCスコットの手による人類史。なぜ人類は穀物を栽培し定住を始めたのか? 狩猟採集の時代から周辺の環境を変形させながら人類は定住に近い様式で生活を営んできた。その後現れる穀物依存の生活より栄養的には多様性が豊かで豊潤だったのにもかかわらずだ。穀物を育てる労働集約型の生活は人口の密度を高め家畜化された動物の密度を高め、結果、疫病の蔓延を許した。なのにどうして穀物なのか。税金として取り立てやすいのが麦米トウモロコシといった穀物だった故に、時の権力者たちは住民を定住させようとした。定住地から逃亡する者も多かった。人口の減少を食い止めるため戦争をした。奴隷を獲得するために。国家に寄り添うように、あたかも文明が農耕とともに「進化」してきたように語られてきた定説を覆す一冊。そう、人類はは税金取りを養うために定住させられたのだ。高野秀行はこの本を読んだ上で「イラク水滸伝 」を書いたのか、すごく気になる。なんせ舞台は古代文明が生まれたイラク南部の湿地帯なのだ。時代区分でいえば縄文期と重なる。おーい、だれかJCスコットに縄文時代のことを教えてやってくれ。

2024年7月25日木曜日

片桐庸子さんのこと

7月20日、片桐庸子さん逝去。
最後に顔を見に上賀茂の自宅に伺ったのは、先週の火曜日だったから、
その4日後ということになる。
すでに幽明の世界を往き来していて、さて次はあるのかと思いながら帰ってきた。

はじめて会ったのは1977年のことだと思うので、付き合いは半世紀に近い。
私の29年ぶりの京都帰還をいちばん嬉んでくれたのも庸子さんだった。
稽古に見えるたびに、昔話ー昭和20年代のことが多かったーをしていった。
早稲田での同学年に小林信彦や富島健夫がいたそうだ。

ユズルさんに続き、庸子さんも居なくなり、
まあ、京都に戻ってきたミッションの半分くらいは果たした気分だ。


一度、庸子さんの器でお茶会を開こうか。

2024年7月19日金曜日

輪島漆器販売義援金プロジェクト at Cafe Frosch

 等持院稽古場でやった「輪島漆器販売義援金プロジェクト」を北野天満宮に近い、Cafe Frosch さんで引き継いでやっていただけることになりました。期間は7月20日〜28日。(26日はお休み)。開店時間は11時〜17時。輪島漆器は古民家によく似合いそうです。

Cafe Frosch カフェ・フロッシュ  
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2024年7月18日木曜日

この時期になると

この時期になると胃袋あたりが不調になる。
十年前に亡くなった妻と過ごした時間の名残り。
妻を看取り、父を看取り、それぞれ死亡診断書に「胃がん」と書かれていたせいである。
父の遺した書類を整理していたら、祖父の死亡診断書が出てきて、そこにも胃がんとあった。そうか、うちは胃がんの家系なのかと、それがずっと頭の片隅に残っている。

ガンで死ぬのは、そう悪くない。
急には死なないから、人生を振り返る時間が持てる。
だんだん衰弱していく姿を周りにいる人間に見せることは教育的だ。
かといって、整体の徒として、人がガンで死ぬなんて微塵も思っていない。
死因なんて、医者が公衆衛生上の統計のために求められている数字にすぎない。

この時期の不調は、僕のなかに残っている未練症状なのだ。
でも、もう十年経ったしな〜。ぼちぼち抜け出そうか。
不調の在処を探ってみると、お腹などにはない。
結局、頭。
そうだよな〜と妙に納得。
こうして、僕は次の十年に足を踏み出していく。
え、あと十年生きる気なの?というツッコミはなしね。

2024年7月10日水曜日

川を渡る

懇意にしている90歳越え独り暮らしのご老人が二人いて、ご機嫌伺いというか生存確認のため時々顔を出すようにしている。ところが6月はそれができなかった。それくらい、こちらの体力が落ちていた。

体力が落ちているときには、普段は気にならないものが行動の妨げとなる。たとえば川を越えること。ひとりは嵐山に住み、そこに行くためには桂川を越えなきゃならない。もうひと方は上賀茂に住んでいて、こっちは鴨川を渡る必要がある。川を渡るといったって、いまどき水の中をじゃばじゃば歩くわけでは無論なくて、ちゃんと橋はかかっているから、歩くなりバスで越えればなんてことないはずだ。でも、川というか水の流れが関所となって邪魔するのだ。

7月に入って、ようやく不義理をはたすことができた。
観光客で混み合ったバス、ぐんぐん上昇する気温、出かけていくのも、大袈裟でなく命がけだ。老人になるとは、こういうことをいうのだろうか。

2024年7月9日火曜日

夕立が通り過ぎたので庭に出てみた。
ゴキブリ風の生きものがもぞもぞ動いている。
にしては、動きがとろい。
蝉の幼虫だった。
蝉の抜け殻はしょっちゅう見つけるが、歩いている姿を目撃したのは初めてだ。
のそのそと簾を登りはじめ途中で止まった。

数時間後、もう一度様子をみたら、なんと脱皮を終えて、羽を伸ばしているところ。
脱皮の瞬間を見られなかったのは残念だが、しばらくその姿に見とれていた。
それにしても無防備。
無事飛び立っていくことを祈るのみ。

蝉は明け方まで同じ場所にいた。一晩かけて透明な羽根ををアブラゼミ特有の茶色に変え、ちょっと目を離している間に姿を消した






2024年7月8日月曜日

AI翻訳

このところ、英語でEメールを書く機会が増えてきた。
自分の英語のチェックのためにDeepLなどの世話になっているのだけれど、その有能ぶりに舌を巻くと同時に薄気味悪さも感じている。英文を書いて、左側の窓にコピペすると、さっとブラッシュアップされた英文が右の窓に表示される。たしかに、より自然な言い回しだなと納得することが多い。ネイティブにチェックしてもらっている感じではあるのだけれど、自分の実力以上の文章が出現してちょっと戸惑ってしまう。ほんとうにこれでよいのか。

文章のこなれ具合というのは、音読であろうが黙読であろうが、声にして読んでみて、体に馴染むものを選択しているはずなのに、その身体性なしに滑らかさがやってくるのが腑に落ちないというか、薄ら寒い。もちろん、校正された文章をチェックするのは人間だ。時には誤訳もある。多少の読解力のある英語なら、どの程度正確に翻訳されているかチェックできるが、もし自分の知らない言語でこれをやった場合、その翻訳が正しいかどうかを判断する術がない。逆方向に翻訳したり、違う言語を介在させたりしたとして、正確性は担保されうるのだろうか。軽薄な相互理解という幻想と、修復不能な行き違いが起こる気がしてならない。

この便利さによって、僕らは何を失ってしまうのだろうか。
困った時代になってしまった。

検索窓、翻訳窓に文字を入力し、リターンキーを押すたびに、彼我のコンピュータは発熱し、冷却ファンがゴーゴーと低い音を立てて回る。

2024年7月5日金曜日

反穀物の人類史

「ゾミア 」の著者であるJCスコットの「反穀物の人類史」(みすず書房 2019)を読んでいる。なぜ人類は穀物を栽培し定住を始めたのか? 狩猟採集の時代から周辺の環境を変形させながら人類は定住に近い様式で生活を営んできた。その後現れる穀物依存の生活より栄養的には多様性が豊かで豊潤だったのにもかかわらずだ。

穀物育てる労働集約型の生活は人口の密度を高め家畜化された動物の密度を高め、結果、疫病の蔓延を許した。なのにどうして穀物なのか。税金として取り立てやすいのが麦米トウモロコシといった穀物だった故に、時の権力者たちは住民を定住させようとした。定住地から逃亡する者も多かった。人口の減少を食い止めるため戦争をした。奴隷を獲得するためである。国家に寄り添うように、あたかも文明が農耕とともに「進化」してきたように語られてきた定説を覆す一冊。そう人類はは税金取りを養うために定住させられたのだ。

高野秀行 はこの本を読んだ上で「イラク水滸伝」を書いたのか、すごく気になる。なんせ舞台は古代文明が生まれたイラク南部の湿地帯なのだ。時代区分でいえば縄文期 と重なる。おーい、だれかJCスコットに縄文時代のことを教えてやってくれ。





2024年7月1日月曜日

分裂を引き受ける

整体協会はその出自からして反西洋文明的、前近代的存在といえる。
とはいえ、だれしも現代を生きているわけで、近代と前近代、西洋文明的と反西洋文明的なるものとの分裂の中で生きざるをえない。文明的なものとは、強迫症的な病に囚われてしまうということで、このあたりの構造はイリイチが警告とともに書いてきたことでもある。今の時代、文明的なるものに呑み込まれることなく正気を保つためには、分裂を引き受ける覚悟を持ち、分裂の狭間で生きる技を身につけていくしかない。おそらく、整体協会、あるいは身体教育研究所に存在意義があるとすれば、その正気を保つ技を発見継承させていくことだろう。言い換えれば、国を問わず、正気であろうとする人たちは一定数(少数派かもしれないが)存在しているが故に、もし十人の人間が、この道で生きる覚悟さえ持てば、僕らの道は、たとえそれが細々としたものであっても続いていくだろう。