2015年8月24日月曜日

前にすすむ 7 - 引っ越し1986

外務省に勤める知り合いがいる
あの人たちは、国境をまたいでの転勤が日常茶飯事だから、
辞令が出てから一ヶ月以内に次の赴任先に移動する
なんて事態も普通に受け入れている
独身ならまだしも、家族持ちなどどうするんだろう

1986年のことを思い出す
縁あって整体協会の本部事務局に入ることになった
その話が持ち上がって、実際に事務局で働き始めるまで
つまり、住まいを京都から東京に移すまでを、わずか6週間で終えている
それが以後29年間続く私の東京生活の始まりだったのだが、
古い日記を広げてみると、知人友人親戚の家を泊まり歩き、
引越の荷物出しまで友人に頼み、じつに他力本願の引越し模様だった

時系列で辿ってみると、こんなかんじ

4/25 京都支部長のO先生から本部事務局員募集の話を聞く
4/26 O先生より本部に履歴書を送るよう指示あり
4/27 履歴書購入
       (永瀬清子朗読会in奈良)
4/28 本部に履歴書郵送
4/30 (韓国領事館査証申請)
5/7 局長と電話面接→内定
5/10 (大倭活元会)
5/12 上京 局長と面接→即決
5/13 不動産屋巡り開始
5/14 アパートは見つけられず 京都に帰ってくる 
5/15 荷造り開始
5/18 知人友人に声をかけてガレージセール
5/19 区役所に転出届 バイク廃車届 実家に荷物を送る
5/21 (伊丹からソウルへ飛ぶ 28日まで韓国 → 白雲山へ
5/28 ソウルから成田経由東京 荻窪の竹渕宅へ転がり込む
5/29 日生ホールで中等講習会 事務局として参加
6/1   アパート探し 宇奈根の物件に決定
6/2   仕事始め  道場泊
6/6   道場泊 夜中ダン先生やってきて研究生相手に明け方5時まで喋る
6/8   京都から荷物到着

ものごとが決まるときって、こんなものなのかも
それにしても、このフットワークのよさ
独身だったからできたんだろうな〜

さて、ここまで書けば次に何が起ころうとしているか、
察しのよい方には、もう分かりますよね

はい、引っ越すことにしました

2015年8月19日水曜日

西馬音内

土方巽の原点が西馬音内盆踊りにある
という説にはにわかには同意できないが、
8年ぶりに観に行ってきました西馬音内盆踊り

8年前に案内してくれた栗田さんは踊りの輪の中にあり、
京都から来た笛吹きの森美和子さんも踊っている
西馬音内に来るのは3回目で、
最初は会場周りをウロウロしながら、人垣の間から踊りを眺めていた
2回目は指定席ーといってもパイプで足場を組んだものーから観て、
今回はお囃子正面の桟敷という特等席

























雨が心配されたが、
始まる前に少しぱらぱらしただけで、最後まで保った
前日が体育館開催だったことを思うと、ラッキーとしかいいようがない
この西馬音内盆踊りを初めて見た時には、
伝統芸能継承のお手本を見せられたようで感激したが、
間を置いて来てみると、
やはり、その難しさにも目が行かざるを得ない

筋金入りの年寄りは消えつつある
おじさんたちは頑張っている
十代とおぼしき若者もそこそこ数は揃ってそうだ
しかし、その間の30代40代が手薄な印象
ことにお囃子、地口連
こんな状態で一定のレベルを保っていけるのか
観光、地域振興とも絡み合っているから、話は余計に難しくなる
おそらく

義妹は、50年前、高校生の時に西馬音内の盆踊りを観たという
篝火だけの明かりで、遅い時間には子どもは帰されたという
踊り手も地元の人たちだけで、まだ観光客はいなかった
盆踊りが盆踊りだった頃の記憶

西馬音内盆踊りが美しいことは変わらない
上手い人の踊りを観ていると飽きることがない
彦三頭巾姿の十代とおぼしき踊り手ものなかに、
それはそれは美しく踊る子がいて、もう希望の星
男踊りも女踊りと同じ所作なのに、なぜああも違った踊りになるのか
ー酔っぱらってるからですというだけでは説明にならない
角帯を締めた女の踊り手はなんだろう
衣装によって表出するものが違ってくる
謎だらけ

帰り道、
今年から笠を付けて踊るようになった栗田さんに
彦三頭巾とのちがいを問うてみると、
視野が全然ちがいますとのこと
とにかく、笠をかぶると、前の人の足しか見えなくなる
どんどんひとりの世界に入っていく
とのこと



(画面中央、紺地□模様の浴衣が栗田さん)

課題山積は明らかだけれど、
やはり、よくここまで続いてくれた、
これからも是非是非続いてほしいという、
一途最初に感じたのと同じ感想を胸に会場を後にした

2015年8月15日土曜日

新幹線時間

北陸新幹線が開通して以来、3回新幹線を利用した
いずれも往路のみ
東京駅で新幹線に乗り込み、二時間半で金沢駅に滑りこむ
長野を過ぎたらあっという間に糸魚川という距離感が衝撃である
途中はトンネルばかりで、景色を楽しむこともない
金沢駅の新幹線の改札は自動改札になっていて、
(在来線の改札には駅員さんが立っている)
切符は改札機にのみ込まれて金沢の町に降り立つことになる
なんか違うな〜と思いながら歩きはじめる
気分が切り替わらないのだ
新幹線が開通するまでは、東京と金沢では異なった時間が流れていたのに、
新幹線開通とともに、東京時間が金沢に大量に流れ込むようになった
東京という圧力の高い空気の塊と金沢という小さな街が太いパイプで繋がってしまった
金沢は大丈夫だろうか

花はどこへいった

ラジオから流れてきた
デートリッヒの「花はどこへいった」
ちょっとゾクッときた


2015年8月11日火曜日

骨の拾える距離

骨の拾える距離?
なんだよそれは
スープの冷めない距離ってのは聞いたことがあるが、
骨の拾える距離なんて言葉知らないぞ

操法を受けていると
あるいは操法をしている最中、
見馴れない風景が現れたり、
聞いたこともない言葉が浮かんできたり
そんなことは、特段珍しいわけではないけれど、
昨日操法を受けていて浮かんできた言葉がこれ

骨の拾える距離ね〜
当分、骨なんて拾いたくねーや
いったい誰の骨を拾うんだ
それとも誰かがオレの骨を拾ってくれるのか?
お盆も近いし...
うつらうつらしながら、そんな連想のなかにいた

2015年8月9日日曜日

先月末の筆動法は松井さんに代わってもらったので、二ヶ月ぶりの筆
今回テーマは晩夏の季語である
意外ではなかったが、シーンとした静かな空間が出現した
*本部独法に参加した人の話を聞き、再び「動法の時代」の到来を予感

2015年8月8日土曜日

前にすすむ 6 - 呼ばれる

5月の公開講話でのお話の中に「呼ばれる」というのがあった。ある大工さんにお茶室を頼んだのだが、適当な床柱となる木がなかなか現れず、工事が進まない。大工さんをせっついても、「木に呼ばれない」という答えが返ってくるだけで、積極的に木を探している様子もない。2年経ったとき、ようやく向こう(どこだ?)から木はやってきて、以後、工事はすらすらと進み無事お茶室は完成した。めでたしめでたしというお話。ダン先生にはこういう寓話的な、ありそうもないけど、あるかもしれない、いやきっとあるだろうというものが多い。究極の受動性というお話です。

月始め、稽古会のため石川に行った。二年前、フランスでお世話になった西田昭博さん一家が帰省中だったので、稽古会のあと合流して晩御飯をご一緒した。翌日も都合が合えば一緒に遊びましょうといって別れたのだが、翌朝電話してみたら、お墓の掃除等々やんなきゃいけないことを沢山抱えてそうなので、西田さんと遊ぶことは諦め、京都に向かうことにした。6月末の京都での稽古会に参加して以来、京都に戻ることを考えて始めていた。来年5月で私の東京暮らしも30年になるし、カミさんもオヤジも居なくなって、東京にいる理由がなくなってきた。金沢移住という案も温めてきたのだが、いかんせん横つながりの人間関係がとぼしいから、きっと淋しすぎる。その点、京都なら昔の繋がりがわずかながら残っている。

降り立った京都は暑かった。おお、これが京都の夏だ!と懐かしさを覚えたのは自分でも意外だった。前日、39.2度という最高気温を記録したとか。予め連絡してあった池田先生と合流して、蕎麦屋で昼食。あとは、コーヒーでも飲んで、その日のうちに横浜に帰るつもりだったのだが、ふと思いたって、旧知の知り合いである新海みどりさんに電話することにした。電話は通じなかったのだが、しばらくして返信があり、いま京都に来てるんだけど、と話したら、「今晩、片桐ユズルさんの話を聞く会があるから是非来てくれ」とのこと。でも、宿ないんだけどというと、私の仕事場に泊まれるよとのこと。これはもう参加するしかない。

午後7時、高野にある新海さんの仕事場にお邪魔したら、神田稔さんの顔もある。一気に1980年前後にタイムスリップ。そもそも、私を整体と結びつけた張本人が片桐ユズルだったりするわけで、このタイミングで京都に来てしまったというのは、もう「呼ばれた」と思うしかない。夕食に連れてってもらった花見小路の小料理屋さんで、久方ぶりに鱧を食べ、翌朝はこれまた、うん十年ぶりに北白川のドンクで朝食をとり、最後は、鞍馬口のカフェで戸村さんとお茶して(「臥法が先」はこのときの会話から)横浜に帰ってきた。まあ、手応えありという感じかな。