2016年3月10日木曜日

5年

311から5年か〜
まだ半分夢の中にいるようだ
震災のあと、ダン先生に「しょんぼりしてるね〜」と言われ(2011)、
四国遍路を思い立ったはよいが「旅立てず」、その代わりに主夫業をやり(2012)、
翌年、妻が復活したのをよいことに、ドイツ・フランス・ブラジルに大遠征(2013)
帰ってきたと思ったら、義姉が亡くなり、妻が秋田で倒れ、
秋田に通う日々がはじまった(2014)
その年の秋には妻、父を相次いで看取ることになる
同じ年、竹居先生が逝き、小堀さんが逝き、夏にはロイ先生まで逝ってしまった
震災後、いったい何人の身内友人知人を見送ったのだろう
そういう年齢に自分自身が差し掛かっていたとはいえ多すぎないか
昨夏からの引越狂騒曲など慌ただしいだけで平和だった(2015)
そして、僕はまだこうして生きている(2016)

2016年3月8日火曜日

京都買物事情

 京都で暮らし始めてもう半年。最初の頃は、自分のテリトリーを広げようと、徒歩、自転車、バスを駆使してあちこち回っていたが、それも一段落、最近は近所で自己充足してしまい、街中に出かける回数も随分減ってしまった。結局、京都は歩かないとわからない。

 これまで一番ひんぱんに出かけてったところはどこだろうと、ここ半年の行動パターンを振り返ると、コーナンというホームセンターが思い浮かぶ。台所用品から家具を載せるパイル、それにコピー用紙まで生活必需品をちょこちょこと買い揃えていった。そこから少し下がったところにあるとようけ屋山本という豆腐屋さんにもよく行く。普通の豆腐屋さんなのだが、普通に豆腐が美味しい。ここの豆腐はスーパーにも置いていることに気づいたのだが、直接お店で買うほうが楽しい。京都に来てよく食べるようになったのは、油揚げと和菓子だな。スーパーはいくつもある。最初の頃は、一番近いイズミヤが多かったが、コープをみつけ、組合員になってからは、もっぱらそこに通っている。京都にも成城石井があると知った時には安堵したものだが、その比重は下がりつつある。チーズが切れそうになると出かけるくらいのことだ。京都人はパンを好むという話は聞いていたが、実際にパン屋の数は多い。結局、ブリアントというパン屋さんに落ち着いている。

 外食の回数も減ってきた。あちこち食べ歩いても、ひとりごはんは淋しいし、どうせ独りで食べるなら自分で作ったほうがよいという結論になった。禁糖中は100%自炊だったし。それでも、時には人が作ってくれたものを食べたくなる。これまで、三回以上入ったことのあるお店をリストアップしてみると意外に少なくて、3、4軒。家から徒歩5分、龍安寺商店街にある笑福亭といううどん屋さんのことはダン先生に教えてもらったのだが、うどんが普通に美味しい。大正末創業で、かつて井上靖が通っていたお店らしい。京都は洋食屋も多い。itadakiという北野白梅町にある洋食屋のランチはコストパフォーマンスがよい。いつも行列なのも納得できる。ロカンダきだやという若いシェフがやっている町屋イタリアンのお店が、やはり、徒歩5分のところにあって、ここには来客があったときにお世話になっている。月に一回でも彼の料理が食べられれば贅沢な気分になれる。

 上記参照した太字のお店、すべて徒歩圏内にある。あらためて半径1.5キロの円を描いてみると、龍安寺を含む名刹多数、北野天満宮、平野神社もこの円の中に収まる。JR円町駅、花園駅もとりあえず徒歩圏内。京都研修会館も圏内だ。

2016年3月7日月曜日

回廊

 稽古場スタンプラリーを構想あるいは妄想していたことがある→スタンプラリー。去年、回り稽古のアイデアを聞いた時には、このスタンプラリーを思い出した。もっとも、回り稽古は、スタンプラリー案よりシステマティックに構成されていて、16名1グループが6つの稽古場(実際には5カ所)で6人の担当者の稽古に出るというもの。テーマも坐法臥法と定められていて、しかもガイド付である。その成果が、『回廊』という冊子にまとめられているのだが、エキサイティングな内容である。4月からその回り稽古の二巡目がはじまることになった。しかも、関東と関西2グループが同時スタート。同じ面子が一つのグループとなって、あっちに行ったり、こっちに行ったり。想像するに愉しそうな風景ではないか。

























 いまを遡ること十数年、大井町、横浜、鎌倉三稽古場を共通登録にしていた時期がある。鎌倉稽古場の担当者三人のうち、大松さんをのぞき、松井さんが大井町、小杉さんが横浜を担当しはじめたころの話で、担当者も相互乗り入れ、稽古する人も三つの稽古場を行き来していた。大井町には戸村さんもいて、私も片隅にいた。横浜には小杉さんと一緒に中村さんもいたから、担当者の数は全部6人くらい。担当者一人ひとりの働きを担当コマ数をもとに分配し給与に反映させていくのは随分手間のかかる作業だったが、活気はあった。ただ、その後、稽古場の数が増えるにつれて、地区稽古場から本部へという縦の動きが主流になっていき、横の動きは沈静化していった。

 だれかさすらいの稽古人となって、全国稽古場制覇に挑戦してみてください。一年にひとりくらい、そんな若者がいてもいいんじゃないかな。スタンプラリー構想が頓挫したのはスタンプを集めた後の特典について具体案がなかったせいもある。よし、私がスポンサーとなって、全国稽古場を制覇された方に、等持院稽古場無料宿泊権二泊三日分、いや三泊四日分を提供することにします。ただし、それぞれの稽古場で行われている稽古会に参加すること、最初の稽古場から最後の稽古場まで、一年以内で達成すること、という条件を付けます。北は山形置賜稽古場、西は北九州八幡稽古場まで、これは大変だ。挑戦者は「はじめます」という連絡をください。

2016年3月6日日曜日

マリーゴールドホテル2

続編を観にいってしまう私は、もう一度インドに行きたいと思っているのだろうか

2016年3月2日水曜日

30周年

 なんと、今年は、あざみ野通信30周年ではないか。実際には、宇奈根通信→あざみ野通信→dohokids web →sunajiiの公私混同と推移してきたわけだが、ともかく1986年から途切れることなく書きつづけてきたことになる。ミニコミという言葉はすでに死語になっている可能性もあるけれど、30年前、京都から東京に引っ越したあと、主に関西に住む友人たちへの近況報告として始めた。ワープロが普及しはじめた頃で、悪筆が活字に変換されるのが快感だった。もとより、キーボードは得意である。このあたりの経緯はすでに書いている→『復元』。

 たまに備忘録として読み返してみると、中味は同工異曲で繰り返しが多い。人は進歩しないという人間観を抱くようになったのは、自分自身を振り返ってそう思うからである。30年の間に、いったい何万字を垂れ流してきたのだろう。「知者黙」の真逆をいくわけで、きっとこのまま悟ることなく朽ち果てていくのだろうな。僕が父の遺句集を編んだように、USBメモリにテキストデータだけ残しておくので、だれか遺稿集でも編んでみてください。第1号は1986年9月16日発行とあるから、あと半年で30年。

 ともあれ、30年前のいまごろ、僕は前の仕事を辞め、沖縄、台湾を旅し、さてこれから、どのように整体の勉強を進めていこうかと思案していた。東京への引越話が出てくるのは4月になってからのことだった→『引っ越し1986』。当時、身体教育研究所もまだ始まってはいない。いやはや、ぐるーっと一廻りして京都に舞い戻ってきたわけだ。


2016年2月29日月曜日

禁糖終了

ちょうど二週間で禁糖終了
自炊力はだいぶ上がった
でもクックパッドにもだいぶお世話になった



























































ご飯茶碗の端にごはん粒がついているのはご愛嬌ということで...
【禁糖10日目】ご飯 味噌汁(キャベツ、油揚) シシャモ  納豆+貝割れ 豆キーマカレー+生麩
【禁糖12日目】菜の花と鶏肉のパスタ フランスパン
【禁糖14日目】ご飯 味噌汁(大根・油揚げ・水菜) 生姜焼き(豚肉・玉ねぎ・ピーマン) 生麩

2016年2月28日日曜日

2月の読書

盤上の夜 宮内悠介 東京創元社 2012
くらしのやきもの事典 MCプレス 2006
仏教シネマ* 釈徹宗・秋田光彦 サンガ 2011
茶室学* 藤森照信 六曜社 2012
ニッポン沈没* 斎藤美奈子 筑摩書房 2015
小林一茶 句による評伝* 金子兜太 岩波書店 2014
慨世の遠吠え* 内田樹・鈴木邦男 鹿砦社 2015
千日紅の恋人* 箒木蓬生 新潮文庫 2005
 恥ずかしながら、筆者の名前を「ほうき」さんだとばかり長年思っていた。また、ベトナム行きたくなったな。