2021年7月27日火曜日
2021年7月26日月曜日
次男坊の大冒険 3
ママに失恋した記憶が強烈に残ってるんだ。次男の頑なさの元を探っていくとこういうことになる。きっと、次男一般、そんな傷を負って生きてきてるんだろうなと想像する。僕は長男だし、娘は一人っ子だから、次男の気持ちはわからない。娘には、一人でお迎えに来られればいいねとアドバイス。ただ、子供二人置いてでかけてくるのはハードルが高い。
二日目の夜は三人とも爆睡。朝9時近くまで寝てしまった。気がつくと娘から「今日、一人で日帰りでお迎えにくる」とのラインが入っている。お、なかなかやるな。せっかくだから、トロッコ列車に乗せてあげようと計画するが、子供二人置いてきているので、早めに帰るしかないらしく、我が家にも寄らず、京都駅で待ち合わせることにした。次男には内緒。さて、どうなっちゃうんだろう。
京都駅までバスで移動。駅は思いの外閑散としていて、お昼時なのに待ち合わせ場所にしたイノダの前に席待ちの行列もなく、すんなり席に案内される。僕はステーキランチ、ネーネはあんみつ、次男はフルーツパフェを注文。品物が出てきた頃、ママ到着。が、次男無言で黙々とパフェに向かう。大人同士の会話がはじまり、時折、次男に言葉をかけても、ひたすらパフェに向かう。ママが注文したケーキを「食べる?」と訊かれたあたりから、ようやく声が出てくる。この場に及んで「ジージんちの子になる」と言い出したらどうしようと、どきどきしながらジージとネーネは親子の会話を聞いている。
「ママと新幹線で帰る」という言葉が発せられたときには、一気に緊張が緩んだ。そこからはもう手のひら返しで、さっさとバイバイと手を振って、野外保育の仲間たちにお土産を買うのだと、ママと手をつないでイノダを出ていった。
いや〜。まったく楽しい三日間だったよ。そして、間違いなく、これが最適解。
2021年7月24日土曜日
次男坊の大冒険 2
着替え荷物の中に、紙パンツも歯ブラシも入ってないことを発見し夜の買い出しに。野外保育で野山を歩き回っているから体力はあるのだが、コンクリートの上を歩くには不慣れな様子で、途中、ちゃっかりネーネに抱っこしてもらっている。最初に入ったドラッグストア。なんと紙パンツ置いてないという。大人用紙パンツは山とあるのに。少子高齢化日本の現実にいささかショックを受ける。二軒目のお店には置いていたのでことなきを得る。月を見ながら三人連れで歩いていると、三十年前の子育てしていた時代が甦る。三歳児、やや不安そうな表情を見せるが、元気を装っている。
夕方、ママにテレビ電話を掛ける。画面の向こうにはママと居残りの兄弟ふたり。長男は少し羨ましそう。次男は相変わらず平気を装っている。決して弱音を吐かない。ママに当てつけるように「ジージんちの子になる」とおっしゃる。なんでこんなに頑ななんだろう。こんな性格だと真意が伝わらなくて将来大失恋しちゃうぞ、とジージとネーネは不憫に思う。
移動の疲れが出たのか、9時過ぎには寝てしまい、翌日は6時にお目覚め。元気やな〜。三人サンダル履きで朝の散歩にでかけることにした。開放されている開門時間前の龍安寺のお庭へ。池は蓮の花でにぎやか。ウォーキングの人も多い。子連れが珍しいのか声を掛けられる。娘んちの子どもたち、挨拶だけはちゃんとするので、みなさん目を細める。帰ってきて、バナナとヨーグルトの朝食。まだ9時前だ。心細げな表情を時折見せるのだけれど、気丈に振る舞っている。午前中、ネーネと約束しいてた絵本を借りに図書館へ。次から次へ、絵本を渡してくる。借り出し枠全部使い、十冊借りる。絵本重い。暑いし重いし、思わず普段乗らないタクシーで帰宅。
2021年7月22日木曜日
2021年7月21日水曜日
次男坊の大冒険 1
「ジージんちに行く〜」と着替えをリュックに詰めて出発をせかす三歳児(正確には三歳半)。その勢いに気圧されて僕も荷物をまとめはじめる。これまで何度も同じ会話をしてきたけれど、今回はなぜか本気度がちがう。
三人兄弟の真ん中というのはなかなか大変だ。仲は良いのだけれど、一歳上のお兄ちゃんには知力腕力ともかなわない。ときには理不尽と思われる暴力を加えられる。生後十ヶ月になったばかりの下の子にはみんなの注意が集まる。三兄弟を観察するようになって、「三人寄れば社会ができる」という晴哉先生の言葉が腑に落ちた。長男がお泊りキャンプで留守したときの次男の穏やかな顔。いつも八つ当たりしている三男にも優しく接していた。
その次男がどうしてもジージんちに行くと主張する。ジージんちの子供になるとまでおっしゃる。三歳児にも家出願望ってあるんだと感心。しかし、普通それを実現しようと行動するか? 連れて帰るのはいいんだけれど、いつ連れ戻せるか計算が立たない。なんせ、京都は千葉から遠い。家出幇助の旅はこうしてはじまった。
千葉に通いはじめて一年と四ヶ月。慣れたといえば慣れた。ただ、子連れでの移動ははじめてで、だいぶ勝手が違う。日暮里経由で移動したのだけれど、え、東京駅ってこんなに遠かったっけと、いきなり距離時間感覚がひとりのときと随分違うことに戸惑う。新幹線に乗っても、「京都まだ〜」という孫の問いに、「京都遠いね〜」と答え、こんな長距離移動を毎月繰り返してきたことに我ながら驚く。5時間かけて我が家に到着。電車5本を乗り継いでやってきたことになる。よく来たな〜、三歳児。
2021年7月14日水曜日
2021年7月9日金曜日
稽古場的日本語
ここ2ヶ月オンラインで稽古しているLinaさん宛に、「ZOOMで稽古は可能か?」を訳して送ってあげようと、まずはGoogle翻訳に下訳をお願いしてみた。昔に比べると随分マシになっているとはいえ、そのままでは使えない。元の文章で主語が曖昧になっているせいでもある。これを手直ししてメールすることにした。英語で手紙を書くこと自体ずいぶん久しぶりだ。Gmailって文法的な誤りを指摘してくれるのね。これには、ちょっと驚いた。
機械翻訳が進化したことは認める。下訳の役にも立ってくれる。日本語の主語を明確化すれば、より正確な英語にしてくれる。しかし、稽古場的表現をどのように翻訳してくれるのだろう。ちょっと試してみる。例えば、こんな具合。上段が日本語、下段がgoogle翻訳。
後頭部から目を入れて、その目を顔の裏側に届かせてください。
Put your eyes on the back of your head and bring your eyes to the back of your face.
実際、このような日本語をぼくらは違和感なく使っている。しかし、よくよく考えると、日本語ネイティヴにとっても、なかなかすごい日本語なのだ。翻訳された英語の文章を読んで、さほどの違和感を感じないところがぼくらの問題であるといえなくはないのだが、これを字義通り解釈しようとすると、とんでもない情景が浮かんでくる。極端な話、目をえぐり取って、それを後頭骨に押し付け、頭部を貫通させて目の奥に押し込む、といったホラーな風景を想像する人が現れたとしても不思議ではない。
それはあんまりなので、日本語を変えてみる。
後頭部に風を感じ、その風を顔の裏側まで届かせてください。
Feel the wind on the back of your head and let it reach the back of your face.
Feel the wind on the back of your head and let it reach the back of your face.
この方が、だいぶマイルドで、日本語ネイティブにとっても、こんな日本語だと、きっとわかりやすい。英文もだいぶましなかんじ。でも、ここでfeelという動詞を使ってしまうと、この先、厄介な問題が出てくる。万事がこんな調子。考えてみると、ぼくらは、長い時間をかけて内観的身体語という言語空間をつくりあげ、この言葉が通用する範囲を広げようとしてきたのだ。もちろん、「古典」を参照しながら。
登録:
コメント (Atom)
