2022年3月23日水曜日

デジャヴ

机代わりに使っているコタツの上が乱雑になっている
このところ連句の宿題が複数回ってきていて、日夜、呻吟しているのだ
季寄せに下書き用の紙とペンの類
おまけに、遍路関連の書籍
この散らかった風景どっかでみたことがある
このデジャヴ感
そう、晩年の父の部屋と瓜ふたつではないか
訪ねていく度に、この混雑なんとかしろよ
などと心のなかでつぶやいていた
あら、同じ穴の狢だったとは

2022年3月16日水曜日

韓日ダンスフェスティバル1995

韓日ダンスフェスティバル1995のDVDが回ってきた。
1995年、つまり27年前の映像。
室野井洋子さん、森(竹平)陽子さん、ふたりとも美しい。
楽屋でカメラに収まっている松井くん、榎田くんのハンサムぶりに驚愕。
え、こんなに男前だったっけ。

近々、等持院稽古場で上映会やります。

↓  当時の文章が出てきたので蔵出ししておきます。


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あざみ野通信 071 1995.11.13
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 韓国公演のための稽古をやっている最中に、何度か稽古場に足を踏み入れたことがある。なんとも形容しがたい空間がそこにあった。舞踏の室野井洋子さんと日舞の森陽子さんが一緒に踊る。こういう組み合わせは稽古場以外では考えられない。ダン先生曰く、室野井さんの踊りは、客体を消し、内観的身体だけを動かすもの、一方の森さんは逆に内観的身体を消し、客体だけを動かしていく踊りだと。僕が最初に稽古場で感じた、この形容しがたい空間はソウルでも出現した。そういう意味では、この公演は大成功と呼べるのではないか。踊りというものを「自己表現」として扱っている公演者が多かった中、稽古場組の出し物は異質だったと思う。「感応を用いた空間芸術」とでも呼ぶべきものだ。人は、その空間に形成される空気を感じることによってのみ、それを味わうことができる。

 室野井さんに「表現する自分というものを意識していますか」と訊いてみた。「昔は、あったかもしれないけれど、今はない。料理をつくるのと同じ感覚で踊っています。下拵えをして、それを横に置いて、次の作業に移り、といった感じです」なかなか説得力のある答えであった。ソウルでの公演を見ているとき、「室野井さんはプロだなあ」と、ふと思った。なにをもってしてプロというのか、そこのところははっきり意識しなかったが、あとで考えると、舞台の上で何が起ころうと、すべて自分一人で背負ってやるという心意気、覚悟、そんなものを室野井さんの姿から感じたらしい。かといって、気負いとは違う種類のものだ。

(1995/11/1記)

2022年3月15日火曜日

はじめの一歩

四国遍路を発願したのは十年前、311の翌年のことである。(遍路) その年の初めにふと思いつき、準備万端整えて出発寸前まで行ったのだが、実現しなかった。あれから十年。今の方が、出立する機は熟したといえなくもない。なんせ、ここ十年の間に、どれだけ多くの身近な人たちが鬼籍に入ってしまったことか。2013年の暮れに義姉のお亨さんが亡くなったのがはじまりで、翌年には竹居先生、裕介先生、妻睦子、父公一とたてつづけに近しい人たちが逝ってしまった。僕が京都に居を移した2015年以降も室野井さん、小杉さん、剱持さん、吉木さん、去年には栗田くん。親戚友人関係でも雅弘さん、修平さん、彰一くん、小栗栖さん、平田さん、そして先月には真海和尚まで逝ってしまわれた。そして伸幸くん。その他大勢。そりゃ、誰もいつかは居なくなる。ここに挙げた人たちがたまたま先に行ってしまっただけのことで、三年後、五年後、僕自身どっちの側にいるかわからない。そんなことを思いながら最初の一歩を踏み出した。

2022年3月14日月曜日

お遍路見習い

目覚ましを二時間早め遍路旅

朝6時に起き出して、京都駅発7時50分の高松行きの高速バスに乗ったら、11時には一番札所である霊山寺に到着。門前で遍路用品を買い求め、お参りの手順をお店の人に一通り教えていただき、そこから見習いお遍路開始。般若心経読むなんていつぶりだろう。納経帳にも朱印を捺していただく。二番札所に向かう途中、大麻比古神社の案内を見て、阿波の国にご挨拶と北に向かって歩く。同じ道を戻り、車道沿いに極楽寺へ。さらにこんどは、旧街道を三番札所の金泉寺を目指す。代わり映えのしない、昭和の空気を残したひなびた道。向こうから、スタスタと歩いてくる遍路姿の中年男性とすれ違う。ということは、逆打ちで回っているのだろうか。旧街道を歩きながら、「先を急ぐことは遍路の本分ではない」ことに気づく。

グーグルに道訊ききながら遍路行

金泉寺到着。ここからJRで徳島駅経由高速バスで京都に戻るつもりにしていたのだが、時計を見ると、まだ2時半。あと二つくらい回れそうと、最終便の高速バスを予約してから腰を上げる。四番札所の大日寺に向かう道は途中から山の中をたどる遍路道となる。登り坂ということもあり、思ったより時間がかかる。道標の距離が示す距離が減らない。大日寺に着いた頃には空気が冷たくなりはじめ夕方の気配。徳島駅行きのバスの時間が気になり始める。慌ただしく読経を済ませ、納経帳に御朱印をいただき、ちょっと急ぎ足でーすでに遍路の本分を失念ー五番札所の地蔵寺を目指す。下り道。地蔵寺にて今回のお遍路行はおしまい。次回来るときは、この地蔵寺からはじめることになる。羅漢というバス停から徳島行きのバスに乗車。

日帰り遍路なんてもったいない。
でも、とにもかくにも、最初の一歩を踏み出した。

冒頭の句、連句仲間三人ではじめた三吟の発句に取り上げていただいた。


2022年3月8日火曜日

脱液晶画面

 久しぶりに総武線に乗った。ひと昔前なら、紙に印刷された広告が掲示されていた窓上の場所に液晶モニタが埋め込まれている。しかも三画面。数年前までなら、ドア上にあるだけだった液晶モニタが、車両全体に広がっている。つり革につかまって立っている乗客からすると否応なしに視線が広告の流れているモニタに向かわざるを得ない。紙の広告であれば、目を閉じれば消える。しかし、液晶画面の上で点滅する広告は目を閉じても消えない。これでは逃げ場がない。ちょっと吐き気がしてきた。

 連れ合いが脱携帯電話を試みている。携帯は持ち歩かない。家にいるときも電源は入れない。連絡手段は家でんにする。携帯電話が普及したのは、ここ20年のことだから、時計の針をその時間巻き戻そうというわけだ。はじめて一週間ばかりたつが、「時間が増えた」とおっしゃる。たしかにそうかもしれない。一番影響を受けているのは私だ。彼女とのLINEでテキストメッセージをやりとりすることが消え、家でんを介しての音声通話と台所のメモ書きが伝言の手段となった。僕自身の時間も増えた。

 総武線の電車の中で感じた不快感は、キューブリックの「時計じかけのオレンジ」の一場面を思い起こさせる。そう、瞼を無理矢理こじ開けられ、不愉快な映像に晒される矯正教育のシーンである。朝起きては、iPadを開けてメールをチェックする。大半は、無料登録したサイトからのメルマガ。これらをゴミ箱に入れる。ニュースアプリを開けて、最新ニュースを見ているうちに、有名人のゴシップ記事に誘導されていたりする。これではまるで、自ら進んで、総武線の広告モニタに見入っているようなものではないか。

 デジタル機器との付き合いかたを検証中。

2022年3月5日土曜日

聴く稽古

月末三日間の稽古は「聴く」稽古でもある。おそらく稽古時間の半分は講話に充てられているから、その時間、僕はひたすらかすかに聴こえてくる師匠の声に耳を傾ける。基本、師匠の声は小さい。ピンマイクとアンプで拡大された声もなかなか僕には届かない。音のかたまりとしてやってきても、それが言葉として像を結ばない。断片的に聴こえてくる単語から、何について話されているのか類推していくしかない。まるで、圧倒的に語彙の少ない人間が外国語の海に放り出されたようなものである。僕の中にある三十年分の膨大なデータベースに照らし合わせて、内容を察そうとしていくのだが、無力である。もう、師匠の話は十分聞いたから、もういいではないかという兆なのだろうか。それでも三日間出ると、新しい発見があり、実際、身体も変わっていくから、苦行とはいえ、この稽古会を外すわけにはいかない。そもそも、この稽古会に出るために居を京都に移したのだから。かすかに聴こえてくる声をBGMに妄想の世界に入っていくことも多い。でも、全体的な集注感だけは増している。これもまたたしかなのだ。

2022年2月28日月曜日

2月の読書

菌の声を聴け* 渡邉格・麻里子 ミシマ社 2021
アーモンド* ソン・ウォンビョン 祥伝社 2019
くらやみに、馬といる 河田桟 カディブックス 2019
カーテンコール* 加納明子 新潮社 2017
世界のおすもうさん* 和田静香・金井真紀 岩波書店 2012
ポルトガル-小さな街物語* 丹田いづみ JTB 2002