2022年5月26日木曜日

筆動法から連句へ

僕らの稽古で筆動法というのがある。お習字の道具立てを使って行う動法の稽古。これについては随分前になるけれど「ぼくが筆動法を稽古するわけ」というタイトルで以前書いたことがあるので、そちらを参照のこと。

漢字というのは点と線で構成されている。この点と線の書き方をひと通り稽古すれば漢字が書けることになる。最初は漢字一文字からはじめ、回を重ねるごとに、半紙一枚に書く文字の数も増えてくる。もう少し沢山の文字を書こうとしていくと、俳句という素晴らしいお手本があることに気づく。そのころには、一度や二度はかな文字も書いてきているから、全紙一枚に五七五の俳句一句を書いて見る。こうして、芭蕉、一茶、蕪村といった江戸時代の俳人が残してくれた俳句を書くという稽古が始まった。「読む」だけでなく「書く」という俳句の鑑賞法のはじまりでもある。

活字として本の上に定着している俳句を、自分が手にした(左手で構える)筆に墨を含ませ(自分で摺ったもの)、しかも動法というルールに則って(書くという意志さえも封じて)、身体を通して和紙の上に移し替えていく。文字通り、全身で俳句を味わいながら書いていく。こうして僕は俳句の世界に踏み入っていった。芭蕉の「おくのほそ道」に出てくる俳句を全て書いてみるという稽古もやった。半年以上かけたのではなかったか。そこから、俳句以前に、連句という広大な世界が広がっていることを知った。

はじめて「猿蓑」を読んだときの衝撃は忘れられない。中身に衝撃を受けたのではなく、そのわからなさ加減に衝撃をうけた。隣同士の句のつながりが、まったく理解できなかったのだ。それでも連句を手本にして書いてみることにした。そして書いたものを壁に貼ってみた。まず発句を適当なところに貼り、次に、脇の句を貼っていく。さて、どこに貼るべきか。発句との距離は、高さは、角度は。脇の貼り位置が決まれば、続けて第三句。同様に、脇との位置関係をあれこれ試行錯誤し場所を決めていく。いってみれば、前の句との関係を空間的配列に置き換えてみるということをやっていたわけだ。

このようにして連句の世界に入って行った。仲間内での実作も多少試みた。でも実際に、連句の現場に足を踏み入れたのは三年前のことである。それはもう恐ろしく、かつ濃密な世界であった。

2022年5月22日日曜日

定型

 お遍路に定型はあるのかというと、おそらくない。遍路用品として挙げられているのは、金剛杖、白衣、菅笠、教本、輪袈裟、数珠、納経帳と続く(四国遍路ひとり歩き同行二人解説編 へんろみち保存協力会編)。このうち、しょっぱな僕が買い求めたのは、白衣、教本、輪袈裟、納経帳くらい。「南無遍照金剛同行二人」と書かれた白衣を着れば、これだけでお遍路さんに変身してしまう。これに菅笠をかぶり、金剛杖を手にすれば、変身は完璧だ。僕の場合、まだ白衣だけで、頭にはキャップを被り、杖は自分で用意したものだから、お遍路度は低い。稽古着姿だから、修行者に見られている可能性はあるかもしれない。実際歩いていると、日差しよけ、雨よけには、菅笠はあった方がいいのかなとも思う。

 この定型の姿は、そう昔からあったわけではない。四国遍路は、もともと宗教者が修行として歩いていたものが、江戸期ぐらいに一般化し、明治大正期くらいに、よりツーリズム的な要素が流入してくる。この現在の定型を作ったのは、昭和初期の「遍路同行会」という組織らしいことに行きつく。このあたりは『四国遍路』(森正人 中公新書 2014)からの受け売り。うーん、さもありなんというか、大正、昭和初期って、そういう精神修養が流行っていた時代だから、その流れの中に、四国遍路も組み入れられたということだ。伝統と呼ばれてるものって、案外、百年かそこらのものが多いのは、いつものことだ。

 ただ、白衣=遍路という記号化の働きは強力だ。個人の属性がすべて捨象されて、遍路という修行者に変身してしまう。そんな移動する人間を日常の生活の風景の中に迎えいれている四国のひとたちは、それだけで偉いと思う。遍路姿で歩いていると、通学途中の小中学生とすれ違い、トラックで仕事する人に追い抜かれ、自分ちの庭で花の世話をしているおばちゃんと挨拶を交わす。この見る/見られる関係における眼差しの交差は柔らかい。

 さて、遍路見習いも三回目。鶴林寺、太龍寺という二つの札所をめぐる遍路ころがしという難所ルートで、きっちり「ころがされ」てしまいました。前回の焼山寺道よりは楽と感じたものの、山を降りてきてから足の裏をみると悲惨な状態になっていました。結局、今回は22番札所平等寺で打ち止め。たしかに、遍路ころがしと呼ばれているところは、アップダウンが大きくてつらいしきつい。でも、本当の遍路ころがしは、舗装道路を歩くことだろう。ということは、四国遍路道の9割が遍路ころがしということになる。

【鶴林寺に登る途中から太龍寺山を望む。この写真に写っている川まで降り、そこから太龍寺に向かってひたすら登っていく



2022年5月6日金曜日

奇跡

稽古する人が一人いて、そんな人と一緒に稽古してみようという人が現れる。そんな気まぐれで物好きな人が、どこからともなく集まってくることで、この稽古場は成り立っている。公教育の外側にあって、まさに身体の教育が行われる。こんな稽古場が存続していること自体、ひょっとすると奇跡かもしれない。人を集めようとは思わない。多くの人に届け、とも思わない。稽古する人一人一人が、それぞれの生活の中で、ここでやっている稽古を使っていけばよい。自分の器に見合った人数を相手に、僕は粛々と稽古する。

煩悩

煩悩友に歩く山道

現在進行中の連句のために作った短句。
十年前に四国遍路を発願した頃に比べると、煩悩は随分と減った気がする。つまり、悩むエネルギーが枯渇してきた。悩む力=生きる力とも言い換えることができるから、ここ十年で生きる力が低下してきている。これを老いるという。まことに目出度い。悩む人を見ていると、そんなに生きる力があるんだと羨ましくなる。悩みから逃れようとか、捨てようとか考えない方がよいです。正しく悩む技を身に付けましょう。

2022年4月29日金曜日

4月の読書

四國遍禮道指南 眞念 稲田道彦訳注 講談社学術文庫 2015
他者の靴を履く* ブレイディみかこ 文藝春秋 2021
海をあげる* 上間陽子 筑摩書房 2020
廃仏毀釈* 畑中章宏 ちくま新書 2021
四国遍路* 森正人 中公新書 2014
愛と差別と友情と LGBTQ+ *  北丸雄二 人々舎 2021
寺院消滅* 鵜飼秀徳 日経BP社 2015
エンド・オブ・ライフ* 佐々涼子 集英社インターナショナル 2020

2022年4月27日水曜日

迷う時間

 お寺とお寺の距離はわかっているから、自分の足でどれくらいの時間が必要かは予め計算できる。お寺の中での定型のふるまいも大体掴めてきたから、一日にどこまで進めるかも見当がつく。ところが、これには迷う時間は含まれていない。地図をたよりに、道標をたよりに、あるいはGoogleMapsをたよりに歩いていくが、それでも迷う。一本道を下って分かれ道に差し掛かったとき、さてどっちの道に行くべきか、しばし立ち止まって考える。ガードレールに貼ってある小さな赤い矢印をみつけると嬉しい。ありがたい。この迷う時間というのが大事なのだ。前回のお遍路見習い初日、遍路旅は急いではいけない、ということだけは感得した。でも、宿の心配、バスの心配、先を急がざる得ない場面も出てくる。迷う時間、あそびの時間、これが肝要。歩くとは先を急ぐことではない。それにしても何故歩くのか? 先人たちも歩いていたから、という答え以外見つからない。

稽古者として歩く

 歩いていると次のお寺まで何キロという石の標識が立っていて目安になる。粁という漢字が使われていることもある。有難いのだが、このキロ表示が体に響いてこないことに気づく。なんでだろうと考えてみると、キロという単位が身体の寸法と無関係であるということに行きあたる。身体性を欠いている。4粁という表示を見て、何かに換算あるいは翻訳しようとしている。こんな作業をやっているなんて、これまで意識することはまったくなかったけれど、疲れてくると、この換算翻訳作業が負担になってくる。4粁より1里と表示されていた方が疲れた体には優しい。これは確信をもっていえる。

 遍路道といっても、昔ながらの山道よりもコンクリートで舗装された道を歩くことの方が多い。歩くという行為としては同じなのだけれど、くたびれ方がまるで違う。山道を長距離歩き、そこからコンクリ道に出ると、足が悲鳴を上げる。固い柔らかいという問題ではない。土には脚と響き合うものがあるのに対し、コンクリにそれがない。コンクリ道とどう折り合いをつければよいのか、脚が困惑している。

 山道を歩きながら気がついた。登り道はナンバの集注、下り道は逆ナンバの集注。ナンバが何なのかは説明しない。稽古している仲間には、これで通じる。

 お遍路さんは金剛杖というのを使っているが、今回、杖は熊野から借りてきた杖(→熊野詣2)を持って行った。布に「南無大師遍照金剛」と墨で書き、その布を杖に巻きつけた。雨に濡れて滲んでしまったけれど。門前で売られている金剛杖は角形のもので、杖としては使いづらそうだったので、熊野の杖にした。こちらは木の枝を切ったもので切断面は丸い。基本的に杖は運動器の延長として使ってはいけない。あくまで感覚器の延長として使うべきもので、そのためには固く握ってはいけない。遍路ころがしと呼ばれている焼山寺への山道、下ってくるときの山道ではほんとうに助けられた。杖使いの達人になりそうだ。