足かけ3ヶ月続いた輪島漆器義援金プロジェクト@京都は8月31日をもってひとまず終了とします。最終日、迷走台風のおかげで天候の定まらない中、おひとり来ていただけました。等持院稽古場には、一つのお膳に載る分だけを残し、在庫品は一旦、主催者の山田さんのところに送り返すことにしました。売り上げの総計は、カフェ・フロッシュさん開催分を含め、281,500円。全額漆器提供元の被災者に義援金として送付しました。ここまでのご協力に感謝いたします。能登地震からの復興は遅々として進んでないようです。一度、現地を訪ねてみたいと思っています。
2024年9月6日金曜日
2024年8月31日土曜日
2024年8月30日金曜日
輪島漆器義援金プロジェクト 京都最終
明日31日、予定通り開催します。
お天気どうなんでしょうね。ご無理されませんように。
5月末~6月初めに等持院稽古場で行われたこの輪島漆器販売義援金プロジェクトは、7月、カフェ・フロッシュさんに引き継がれました。それでもまだ、漆器は残っています。器を戻す前に、もう一度だけ、輪島漆器の会を開くことにします。前回より、二、三割引の値札をつけます。前回来られなかった方、漆器に目覚めてしまったリピーターの方歓迎です。月末には、この暑さが和らいでいることを願うのみです。
【日時】8月31日(土)10時~15時
【場所】京都市北区等持院北町8-3 等持院稽古場
駐車場はありません
【問い合わせ】メールで角南(すなみ)まで
*輪島漆器販売義援金プロジェクト
糸魚川市在住の山田修さん(ぬなかわヒスイ工房 https://nunakawa.ocnk.net/)は、2月から能登半島地震の被災地支援に継続的に入っています。その支援活動の中で出会った被災者の方から災害関連ゴミとして処分される寸前であった輪島漆器を大量に預かることになります。四月、それらを代行販売して義援金とするプロジェクトを立ち上げました。売上金は全額、義援金として器の持ち主に手渡されます。
着物のはてな
和装の世界に足を踏み入れると、「へんだな」と感じることがあれこれ出てくる。着物振興を謳いながら着物人口を増やそうとしている風もない。連れ合いが図書館から借りてきた「着物の国のはてな?」に横から手を伸ばし、その本から「きもの文化と日本 」にたどり着いた。この2冊の本、これまでモヤモヤしていた着物業界にまつわる疑問の多くに答えてくれた。やっぱりそうか〜、ということばかり。
2024年8月27日火曜日
ソウルの春
東京行きは体調不良と台風接近の予報をもとに中止。
時間をもてあまし、かつリハビリを兼ねて映画館へ。
「ソウルの春」という韓国映画を普段は行かないTジョイという京都駅南側のシネコンで観る。
1979年のソウル。朴正煕が暗殺され、全斗煥による軍事クーデターが起こる。
その顛末を映画にしてしまう韓国映画の底力に脱帽。
主役は保安司令官チョン・ドゥグァン。それに対抗するのが首都警備司令官イ・テジン。
映画が進むにつれ、この主役の二人誰かに似ていることに気づく。そう、チョン・ドゥグァン、K田くんにそっくりなのだ。あのK田くんが稀代の悪役を演じているようにしか見えなくなってくる。チョン・ドゥグァンの慶尚道訛りまでK田くんと被ってくる。対するイ・テジン(この映画のヒーロー)はK地くんに見えてくる。おいおい、K田対K地くんの闘いなのか。
韓国映画を見ていると、たまにこんなことが起こる。「1987年、ある闘いの真実」ーこれもまた全斗煥政権下での出来事だーを見たときには、主役のキム・ユンソクが、僕らが局長と呼んでいた人物と、これまた歩き方までそっくりで驚いたことがある。
日本がバブルで浮かれていた1980年代、韓国ではこのようなことが起こっていたのだ。
2024年8月25日日曜日
読書雑観
去年の秋から紙の新聞を復活させて読んでいる。 京都新聞には共同通信系の書評欄が毎
週土曜日に掲載されているのだが、 書評欄を開くたびに、もう一週間経ってしまったのか
と、時の速さを嘆かずにはいられない。 僕の読書は90パーセント市立図書館に依存しているのだけれど、新聞の読書欄を参考に予約を取ることが増えた。 書評欄に載るのは、その本が出版されて数ヶ月後のことが多いので、たいがい図書館ですでに購入されている。京都新聞の地元率はとても高く、 書評欄を読んだ僕と同類の人たちとの予約競争になる。とはいえ、緊急に読みたい本というのは、そう多いわけでもない。岡崎公園にある府立図書館ものぞくことがある。ただ遠くて、自転車では行けない、というか行かなくなった。それでも、バス地下鉄を使えば1時間かからない。混んでないし、市立図書館にない専門的な本も置いてあったりするから、もっと頻繁に利用してよいはずなのだが、心理的に遠い。
最近、 本の厚さが増していると思いませんか? 図書館で借りられるのは2週間まで。 他の人の予約がなければ、 さらに2週間ということになる。 僕が借りたい本に限って厚さが増しているのかもしれないが、2週間で読みきれない本が増えてきたきた気がして仕方がない。そういう時は本屋で買うしかない。 ところが、買った本の方が 「積読」 になってしまうケースが多い。 そう、 図書館から借りてきた本を優先して、 買った本を後回しにしてしまう傾向は間違いなくある。 「数の発明」 (ケイレブ・エヴェレット みすず書房) など2年以上そのままにしているのではないかな。
ひとり出版社をやっている知り合いが何人かいるが、素直にエライと思う。 どうやって仕事として成り立たせてるんだろうと、 いつも不思議に思うのだが、本作りにかける熱量、書き手と読み手をつなごうとする意欲がすごい。どう考えても、 初版千部くらいの規模で回していると思うのだけれど、 しっかり点数も出している。出版は斜陽産業だと言われてひさしいけれど、働いている人たちはの意気は軒高だ。 古本屋稼業というのも謎の仕事だ。 定価の1割くらいで引き取って半値で売り、 その利鞘で食ってくというビジネスモデルが不思議でならない。本屋に行けばあいかわらず次々と新刊本が並んでいる。 奥付きを見てどれくらいの重版されているのか確認してしまう癖はお世辞にも上品とはいえないけれど、 ついやってしまう。 「百年の孤独」 の文庫版が平積みされていて、 版を重ねているのをみると、この国に暮らす人たちの民度はまだまだ捨てたものではないと思う。 それとも、 僕が立ち回る範囲が偏りすぎていて大きな変化を取り逃しているのか。
このブログに 「x月の読書」として、その月に読んだ本のリストを載せている。ほぼ自分
用の備忘録なのだけれど、 月10冊として年に百冊、 50年で五千冊ほどの本を読んできた勘
定になる。 読んだ端から忘れていくというのが僕の流儀だから、 ただただ活字を食い散らかしてきた、だらしのない消費者のひとりということになる。でも、一冊の本を世に出すために投入されている書き手作り手の労力を省みると、もっともっと本を味わねばと、いまさらながら反省している。
2024年8月18日日曜日
植物考
藤原辰史 の「植物考」。
何年か前、書店で見つけた時には、表紙の写真が怖くて、手に取ったはよいが、すぐ書棚に戻してしまった。
ツル系の植物成長を観ていると、なんと頭がいいんだろうと、いつも感心させられる。柔らかい紐のような触手を空中に揺らせて捕まるところを見つけ、あっという間に、巻きつけていく。一旦巻きついたら、じょじょに水分を抜いて固定化させていく。グリーンカーテンとして毎年育てているゴーヤ用に張っている麻ひもの上を等間隔でツルを巻きつけながら進んでいく様は美しい。
根を持つこと、翼を持つこと。
このフレーズは、僕の記憶が正しければ、1970年代、僕らのバイブル的存在だった真木悠介 (見田宗介 )の「気流の鳴る音」 で使われていたものだ。土着と放浪、この二律背反とどう折り合いをつけていくのかが、若者にとっての大きなテーマであった。しかし、藤原は言う。根をもち、その土地に縛られているように見える植物は、世代をつなぐとき、風の力を借り、鳥の翼を使い、人の力も借りて、大きく移動するのだと。まったくその通りだ。
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