2021年12月29日水曜日

年の暮れ

今年も残すところ、あと二日。千葉に住む娘が小さな怪獣たち三人を伴って滞在中。どうやら親がいるところが実家になるらしい。根無草の僕からすると、ここを実家と言われてもピンと来ない。娘にとって、京都は観光地という位置づけのようで、今日は交通博物館に行き、お正月には映画村に遊びに行く計画もたてている様子だ。一番下の1歳児はジージとネーネと一緒にお留守番である。

あわてて、この一年を振り返る。思った以上によく働いた一年ではなかったのか。(1)足繁く千葉に通った。11回を数える。昨年に比べ、一回あたりの日数は減らしてきた。それでも60日、のべ2ヶ月。去年生まれた三番目の男の子は、無事生後13ヶ月を迎え、すたすたと歩いている。(2)片桐ユズル編集「かわら版」のデジタル化作業に手を付けてしまった。1967年から1992年までの1500頁分。これをどのように使うのか全く考えてないのだけれど。年内に一区切り付けられて安堵している。(3)ベルリンとつなぎ、ZOOMで稽古をやってしまった。積極的にはじめたわけではないが、稽古会のありようを考えさせられる契機にはなった。英語力のダメさ加減も露呈した。(4)稽古会にはちゃんと出たのだが、耳はますます聞こえにくくなっている。白誌に助けられているとはいえ、この先、どう稽古に参加するのがよいのか悩み中。(5)白山稽古会は毎月開催。一月、雪に閉ざされて一泊二日の予定が三泊四日になってしまったのには参った。金沢の遠藤さんに尻を叩かれ、石川合同稽古会もオフ毎に3回。(6)今年唯一の新しいガジェットはプロジェクタ。これを使った「からむしのこえ」上映会も開催。(7)連れ合いは和裁の教室に通い始め、和裁三昧の日々。あれくらい集注できるものがあればいいな。(8)紙メディアとして等持院通信をはじめてみた。ゼロ号からはじめ9号にたどり着いた。(9)10月くらいから、コロナごもりから人が抜け出してきたようで、新しい人の動きが生まれてきている。これまでとは傾向の違う人たちが、この稽古場にやってくるようになり、新しい風を吹きこんでくれている。ここ一年半、コロナとは別に緊急事態宣言下にあった等持院稽古場もバージョンアップの時期にさしかかっているようです。(10)今年最後の一冊が藤原辰史氏の「分解の哲学」であったのは僥倖でした。

さて2022年はどんな一年になるのやら。来年もよろしくおねがいいたします。