4月中旬まで、つまり2ヶ月前まで、今回のコロナ騒動は、等持院に蟄居してやり過ごせばよい、くらいに思っていた。ところが、コロナウイルスの嵐に吹き飛ばされ、6月の後半を迎えた今、この文章を千葉の佐倉という街で書いている。詳しい経緯は書かないけれど、移動自粛の異様な空気のなか、4月後半から、京都と千葉の間を行き来する生活が始まった。今のところ、京都2、千葉1くらいの割合で過ごしているのだが、今後、千葉で過ごす時間がさらに増えていきそうな気配なのだ。しかも、長期戦。直接、だれかがコロナに感染したという様な話ではない全くない。でも、その影響を十分に受けている。移動自体は苦にならない性分なのだが、二重生活ー京都でのしずかな暮らしvsやんちゃな男の子二人に囲まれた生活ーへの適応には苦労している。
今回のコロナ騒動の中、ネットの活用が盛んになっているようだが、その流れに追随する気にはならない。ZOOMを使ったミーティングといったものを何度か経験してみたが、ネットで人には会えないことを確認しただけで、ましてやネットで稽古会するなんて空想もできない。むしろ、リアルに人と会うことの価値というものが上がったように感じている。そして、本当に会いたいという人の数は実は少ないということも。5月は、稽古に来る人も減り、開店休業状態であったから、等持院を留守にすること自体、あまり問題にならなかった。6月になって、ようやく人が戻りはじめた。どれだけ人が戻ってくるか、ちょっとわからない。僕に本当に会いたい、と思ってくれる人がどれだけの数はいるのだろう。
月末には京都に帰り、三日間の稽古会にも復帰します。
2020年6月7日日曜日
2020年5月31日日曜日
2020年5月21日木曜日
旧仮名
背表紙に『療病談義』と書かれたA5サイズの冊子が手元に残っている。中身は整体操法協會発行の『全生』第1号から8号の合本である。発行の日付はとみると昭和25年から28年くらい。つまり、今から70年くらい前、整体協会の前身である整体操法協會が出していた『月刊全生』の前身の機関誌ということになる。第一号のあとがきには、この号は再刊であると記されており、たしかに、巻頭言の日付は昭和22年4月とある。昭和30年代に入ると、『全生季刊』というのも発行されていた時期があり、瀬田に本部道場が建設されたと時期を同じくして、いまと同じ判型の『月刊全生』が発行され始める。
『全生』と『全生季刊』にはおおよそ十年ほどの時間差があるのだけれど、内容はともかく、使われている日本語に大きな違いがある。前者は旧仮名であり、後者では新かなが使われている。『全生』には、その後、単行本として出版される、『叱り方褒め方」など潜在意識教育シリーズの元になる文章も多く掲載されているのだけれど、それらが旧仮名表記で印刷されている。この十年の間のどこかで、表記法が変わってしまっているのだ。新かなが制定されたのは戦後すぐの昭和21年のようだが、それが広まるまで十年という時間がかかったということなのか。
僕が晴哉先生の著書に触れたのは、かれこれ40年前になるのだけれど、もちろん、現代仮名遣いで表記されたものだった。いま、こうして、旧仮名で書かれた同じ文章を読んでみると、うん、野口晴哉は旧仮名の人だったのだなと強く思う。
『全生』と『全生季刊』にはおおよそ十年ほどの時間差があるのだけれど、内容はともかく、使われている日本語に大きな違いがある。前者は旧仮名であり、後者では新かなが使われている。『全生』には、その後、単行本として出版される、『叱り方褒め方」など潜在意識教育シリーズの元になる文章も多く掲載されているのだけれど、それらが旧仮名表記で印刷されている。この十年の間のどこかで、表記法が変わってしまっているのだ。新かなが制定されたのは戦後すぐの昭和21年のようだが、それが広まるまで十年という時間がかかったということなのか。
僕が晴哉先生の著書に触れたのは、かれこれ40年前になるのだけれど、もちろん、現代仮名遣いで表記されたものだった。いま、こうして、旧仮名で書かれた同じ文章を読んでみると、うん、野口晴哉は旧仮名の人だったのだなと強く思う。
2020年5月13日水曜日
居るひと
一週間も一緒にいると、ぼくは来るひとではなく、居るひとになる。孫たちにとって、僕は、物珍しい人ではなくなり、新米の下僕という地位が与えられる。いきなり要求される事柄が増え、鼻かめだ、椅子を動かせだ、全く容赦がない。蹴りを入れてくる、挙句は噛みついてくるという狼藉まではじまる。やっていることは主夫業で、洗濯子守くらい。ちいさな洗濯物が物干しにずらっと並んでいる風景は可愛らしいのだが、干す手間は大人ものと同じくらいかかる。それにしても膨大な洗濯物。モノを大量に消費する子育てスタイルには隔世の感あり。ここまで、口は出さない手も出さない、という関わり方できたのだけれど、さて、この先、どうしよう。最初の頃は、カオスに目が回りそうになったが、そのカオスに適応しそうな自分自身がこわい。男の子二人、底無しのエネルギーだ。危険に突っ込んでいく様を見ていると、ほんとこの人たち、無事に成人までたどり着くのかしらと心配になる。今回、頑張って十日いたけれど、やっぱり京都に帰る。
2020年5月10日日曜日
白山稽古会休会
案の定というか、緊急事態宣言延長されてしまいましたね。サンダーバードも減便だそうです。うーん、今月の白山稽古会は中止にします。予約申し込み大勢入ってますとの連絡いただいていたのですが、申し訳ありません。今回の判断は、コロナ云々ということよりも、私の周囲で不幸があったりして、京都蟄居どころか、関西関東を往き来しなくてはならぬ状況に陥ってしまったというのが大きいです。6月には是非再開させたいと思っています。
今月5月号の月刊全生に掲載されている晴哉先生と中川一政さんの対談の中に、スペイン風邪について話された部分があるので、読んでみてください。18頁一番上の段です。此処を読ませたいがために、この対談記事を再掲載したとしか思えませんね。普段の風邪の経過のさせ方は、今回のような未知との遭遇における練習問題であったのかもしれません。
今月5月号の月刊全生に掲載されている晴哉先生と中川一政さんの対談の中に、スペイン風邪について話された部分があるので、読んでみてください。18頁一番上の段です。此処を読ませたいがために、この対談記事を再掲載したとしか思えませんね。普段の風邪の経過のさせ方は、今回のような未知との遭遇における練習問題であったのかもしれません。
2020年5月8日金曜日
宿無し弘文
『宿無し弘文』(柳田由紀子著 集英社インターナショナル)を一気読み。スティーブ・ジョブズの師ということで、その名を知られるようになった乙川弘文という禅僧の足跡を追った力作。書籍は本屋で実物を手にしてから買うという流儀なのだが、今回は時節柄Amazonで購入。数年前、この著者の文章(初出は「kotoba」に2012年に連載されたもの)と出会い、婆子草庵という文章を書いたことがある。著者が弘文の足跡を辿る過程で、弘文と同じ時期、永平寺で修行されていた禅僧ーぼくの結婚式の導師を務めていただいた方ーが証言者として現れるのだ。この文章が発表された後も、著者は弘文と交流のあった人たちを訪ねて旅を続ける。そして、ようやく一冊の書籍としてまとめられたのがこの本である。ぼく自身が生きてきた時代と重なり、また前述の禅僧とも縁があったりするので、著者と一緒に旅したような余韻がある。時代でいえば、1960年代から2010年代。地理的にいえば、日本、アメリカ西海岸、ヨーロッパ。ジョブズがインドに行った1974年、ぼくもインドにいたのだな、とか、サンタフェ、タオスといった懐かしい地名も出てくる。勿論、ぼくはジョブズにも弘文にも直接は出会わなかったけれど。現在、ぼく自身は、京都蟄居生活からいきなり引きずり出され、危機の三乗状態。この難局をどうすり抜けていくか、問われてます。そう、やはり最後は「婆子焼庵」なのです。
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