2021年8月11日水曜日

覚張さんと一緒に稽古する

石川合同稽古会無事終了。2日目、ふるさと館での稽古を覚張さんと一緒にやる機会を得たというのは感慨深い。なんせ、覚張さんに背中を押されて、僕は指導者の道を歩むことになったのだから。

話は2008年に遡る。ゴールデンウィークあたりだったと思うのだけれど、関内にある横濱エアジンに風狂知音のライブを聴きに行った。その時のライブが凄かった。身体が文字どおりバラバラになってしまうような経験に打ちのめされた。翌日、仕事場の隣にある所長室に飛び込んで、裕之先生に「ああいうライブの経験は整体で可能なんですか?」と問い質した。裕之先生、あたかも当然という顔で、「そりゃできるよ」とのお返事。事務局と稽古担当という二足の草鞋を脱ぐことを決めたのはこの時なのだ。事務仕事してる場合じゃない、そう思ったのだった。後任選びや引き継ぎ等いろいろあって、実際に事務局を「卒業」したのは翌年の春。20年以上に及ぶ給与所得者生活に別れを告げたのだった。

あれから13年になるんだ〜。なんとか生きのびている。平穏という言葉から遠ざかってしまった気はするけれど。

下鴨散歩

午前中で稽古が終わったので、下鴨まで出かけることにした
河原町今出川まで203系統の市バス
河川敷に降りると、いきなり甲斐さんの写真が出迎えてくれる
出町橋を渡って糺の森に入る
お目当ては下鴨納涼古本まつり
予想していたより、ずっと規模が大きい
人も大勢出ている
沢山の本に囲まれると選べない
結局、三冊五百円コーナーで既読の本を買ってお終いにした
下鴨は46年前にはじめて京都で暮らしはじめた地区
当時の痕跡が残ってないかと、下鴨神社の北隣を歩いてみる
驚いたことに、当時、FWCが借りていたとおぼしき建物を発見
さて、こんなピンクの外壁だったっけと記憶をたどる
結局、そのまま北大路まで歩き、洛北高校前から204系統の市バスで帰還

 

 


2021年8月3日火曜日

Is Keiko possible on ZOOM?

3ヶ月にわたるZOOM稽古終了。
充足感よりも、欲求不満感ーライブ稽古への渇望感がより強く残るものだった。英語力不足も深刻だ。

以下は、先月書いた「ZOOMで稽古は可能か?」の英訳版。まずはGoogle翻訳に下訳をお願いしてみた。昔に比べると随分マシになっているとはいえ、そのままでは使えない。元の文章で主語が曖昧になっているせいでもある。手を入れることでだいぶreadableな英語になった気はする。間違い、改善点があればご教示願いたい。

ちなみに、今回のお相手だったLina Gómezさんのプロフィールへのリンクを貼っておきます。

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Is Keiko possible with ZOOM?

Bring the iPad on a tripod to a small keiko room and launch ZOOM. Translation app is ready on the screen of my iPhone. The scenery is not as beautiful as it should be when the electronic devices are  brought into the keiko room. I was negative about the keiko using ZOOM, but I decided to try it for the first time.

The student is a dancer and choreographer from Colombia who lives in Berlin. She  was supposed to be enjoying  Kyoto life now with the Artist Residency Program sponsored by Goethe-Institute. But the Corona turmoil forced to change her plan to the Online Residency Program. Isn't it a vocabulary contradiction?

Is it possible to do our keiko with ZOOM?
The conclusion I have reached after two months of trial and error is that if some prerequisites were met, it might be possible. 

Prerequisite 1  Student  has a mutual experience .
Lina, my student this time, is from a university called PUC in Sao Paulo. There, she participated in Toshi Tanaka's class.  In the first place, she came to me with Toshi's introduction. As long as her works she showed me, a part of movements used in her dance seemed  inspired by the movement she experienced at Toshi's class.  In any case, I can't think of to do practice online without her experience with Toshi. She said she was interested in "air", so we started our keiko  "focusing on what we can't see."

Prerequisite # 2 Multiple people on both sides.
At  first, I tried it one-on-one, but I soon realized that it was no good. Face to face over the screen does not work well. We decided to ask each other for a partner for each side. The style is that there are two people here and two people over there. This makes it look like a keiko scene. Demonstrate on this side and have them do it over there. Just having a checker makes it different. I was surprised that Lina was able to call on friends who are former students of Toshi in Berlin. 

Prerequisite # 3 There should be a possibility that one day you can practice in a real place
There is no guarantee that we will be able to practice together in a real place in the future. However, we cannot do it without assuming it. The feeling of itching in the shoes is too strong. In other words, keiko cannot be completed online alone. Our keiko will be completed when we will meet in a real space.

It seems it's a better idea to carry a real body over here rather than practicing at ZOOM, even if she needs a period of self-isolation after her arrival . But we should  do what we can do under given conditions at this point.

2021年7月31日土曜日

7月の読書

エクソダス* 村山祐介 新潮社 2020
100分de名著 オルテガ 中島岳志 NHK出版 2019
山と獣と肉と皮* 繁延あづさ 亜紀書房 2020
食べること出すこと* 頭木弘樹 医学書院 2020
世界まちかど地政学NEXT*   藻谷浩介 文藝春秋 2019 
進化する里山資本主義* 藻谷浩介監修 JTS推進コンソーシアム 2020 
これからの天皇制* 原武史他 春秋社 2020

2021年7月27日火曜日

白誌を稽古するー7月

白誌3号、二年前7月の稽古
外の動きと裡の動きを連動させる、そして逆転させる
さらに内観を取り替える
外は動かさず、裡の感覚だけ先に動かす
むかし、再現法と呼んでいた稽古でもある
相手の感覚経験を自分のなかで再現する
つまりマネする
歪めるということの意味がわかりはじめる
他者を師とする

最適解

最適解ってなんなのと訊かれた。
わかりやすくいえば、数ある選択肢の中のどれを選ぶのがベストなのかという話。
たとえば、今回の次男坊家出事件。東京駅にたどり着く前に引き返すところから、「ジージんちの子どもになる」ところまで千通りの可能性があったはずで、そのすべての可能性を排除することなしに、刻刻変化していく状況の中でベストな答えを探っていくということ。「ジージんちの子どもになる」なんて可能性はゼロでしょ、と言われても、ぜんぜんゼロではない。もし、次男坊が京都にいる間に、関東に大地震が来たら、そのまま、僕らが育てなきゃならない可能性だってある。もちろん、その逆のケースだってあり得るわけだけれど。そういう千通りの可能性引き受ける覚悟を踏まえた上でのこれしかないという答え、それを僕は最適解と呼んでいる。解決案とはちがうし、妥協案でもない。

僕の千葉通いについても同じことがいえる。
別に、娘に頼まれて千葉通いをはじめたわけではない。千通りの可能性の中から、その道が選択された。選択されたというより、それが最適解として立ち現れたという方が、僕の実感に近い。「娘さんたちと同居しちゃいなさいよ」とアドバイスをしてくれる人もいたが、その言葉が娘に寄り添った親切心から出てきていることは認めるとして、僕のこれまでの人生へのリスペクトの欠如と、その安易さに脱力した記憶がある。ひとつの解決案であったかもしれないが、それは最適解ではないだろう。

最適解が、唯一の道として、いきなり現れることもある。6年前の京都引っ越しがそうだった。その後の大変動を振り返ると、われながら苦笑するしかないのだけれど。

気ばたらき

 「気が利く」「気配り」「気がつく」といった「気」を含んだ言葉は日常会話の中で頻繁に使われる。あまり使われてないが「気働き」という言葉もある。晴哉先生は、この「気働き」ができなければ整体はできないと仰っている。ただ、この気働きということがこれまでよくわからなかった。ところがあるとき、ママが発した独り言を聞き取って先回りしてお手伝いする、今回家出してきた三歳児の姿をみて、なるほど「気働き」とはこういうものなのかと腑に落ちた経験がある。長男、一人っ子にはなかなかできない過剰のない自然な動き方なのだ。