2021年2月26日金曜日

2月の読書

絶望書店* 頭木弘樹編 河出書房新社 2019
圓朝* 奥山景布子 中央公論社 2019
僕はなぜ小屋で暮らすようになったか* 高村友也 同文館出版 2015
スモールハウス* 高村友也 同文館出版 2012
白い土地* 三浦英之 集英社 2020
しょぼい生活革命* 内田樹・えらいてんちょう 晶文社 2020
性からよむ江戸時代* 沢山美果子 岩波新書 2020
落語を聴いてみて面白くなかった人へ* 頭木弘樹 ちくま文庫 2020
 これは名作です
人新世の「資本論」 斉藤幸平 集英社新書 2020
銀の島* 山本兼一 朝日新聞出版 2011

いま、子育てどうする? 弘田陽介・棚澤明子 彩流社 2021
 稽古仲間の弘田さんから献本いただきました。この本のように自分の専門(弘田さんの場合は教育学)のうしろに透けてくるように整体、稽古というものが語られていけば、もっと世の中に浸透していくのかもしれませんね。



2021年2月18日木曜日

デジタルアーカイブの作り方

かわら版デジタル化プロジェクトを始動させたものの、原本の保存状態をかんがみると、当初考えていたスキャナを使うよりもデジカメで作業を進めていく方がよいという結論。

最初は、床の上に原稿を置いて、スマホのカメラで撮っていたのだが、なかなか水平が保てず、あとの調整作業に手間取ってしまうので、作業台にカメラを固定した方が能率的という結論にたどり着いた。 作業台にスマホスタンドを取り付け、スマホを固定し、その下に原稿を置くというスタイル。スマホに触れずともシャッターが切れるよう、Bluetoothのリモコンを購入。ページをめくり、リモコンシャッターを押すだけで、次々に画像を取り込んでいける。あとは、紙の凸凹への対処法を見つけられれば完璧。

画像の歪み調整、切り取りはパソコンでやるよりもスマホ上でやる方が簡便みたい。歪み修正後の画像をスマホからパソコンに送り込んで(iPhoneからMacにはAirdropという機能が使える)、ここから画質の調整に入る。取り込んだ一号分7枚の画像をプレビューで表示させ、一枚一枚、色を落とし、露出でモノトーンに近づけていく。それができれば、後はPDFで書き出しておしまい。

わざわざ紙に打ち出す必要はないのだけれど、出来上がったPDFをワープロソフトに流し込み、ページの割り付けを工夫して、A4裏表に印刷して40年前のB58ページ建のミニコミをA5サイズで再現している。去年、プリンタとパソコンを買い替えたのだが、まさか、ここで役に立ってくれるとは思ってなかった。

ここからは、ルーティン化した作業を粛々とやるだけなのだが、このスマホを使ったスタイルであれば、手分けしてやることもできる。人海戦術で一気呵成に進めていくことも十分可能だ。




2021年2月16日火曜日

禁糖2021

第一期は1月の下旬にはじめたのだけれど、急に千葉から呼び出しがかかり十日目で中断。今年は、もうこれでよいかしらと思ったものの、旧正月が来て、やっぱり、もう少しやったほうがよさそうと、再開。二期目のほうがつらいのはなぜ。

知り合いから稽古場で禁糖はじめたのはいつですか?という問い合わせがあったので、調べてみたら、自分の文章として残っている一番古いものは2004年。蔵出しして、このブログの一番下に加えておいた。⇒<禁糖2004> もう、そんなに経つのだ。最初のころは梅雨前の時期にやっていた。それがいつから春先に移動したのか、これも調べてみたら2013年。それまで5月だったものが一気に3月に移動している。

禁糖中は食卓がやたら豪華になる。普段は一汁一菜のベジタリアンメニューなのに、急にお肉が食べたくなって鶏肉の塊を買ってきたり、連れ合いが急にさつまいもレーズン入りの蒸しパンをつくりはじめたり。われながらなにやってるかよくわからない。



2021年2月9日火曜日

かわら版

記憶というのは、「過去」という大きな袋に次から次へ出来事を放り込んで保存している感じで、時間が経つにつれ、袋の中の出来事が混ざり合って時系列がどんどん曖昧になっていく。その時系列を確認するためには、当時の資料に当たるしかない。一次資料はやはり大事なのだ。 

片桐ユズルが発行していた「かわら版」というミニコミがある。1967年にはじまり1990年代まで続いたもので、70年代中盤からの10年間くらい僕も読者の一人だった。昨年末出版された「忘れてもいいように」は片桐ユズルの語りを元に構成されているのだけれど、「かわら版」は言ってみれば紙に保存されている記憶と呼んでいい。

そのかわら版、残されてはいるけれど、デジタル化されているわけではないから、現物を手にするしか、それに触れる機会はない。 「かわら版」デジタル化しちゃいましょうよ、と提案したのは、僕自身、段ボール三つ分くらいのノートをデジタル化したり経験があるから。ノートをバラしてスキャンする。カッターナイフと定規、それにパソコンとスキャナがあればできる。作業としてはそれほど難しいものではない。とにかく一度現物見せてとお願いしたところ、分厚いファイル3冊が届いた。 

現物を見て頭をかかえた。最初期のものー発行から半世紀経っているーは予想以上に劣化が進んでいる。そもそもが藁半紙(いまの人に分かってもらえるかな〜。一番廉かった紙質のもの)に印刷されたもの。おまけに、パンチで穴を開けたものを閉じているので、端っこが欠けている部分もある。このままスキャナにかけたらバラバラになってしまいそうだ。デジカメで撮影する必要が出てくるかもしれない。パンチ穴が本文にかぶり、データとして欠落している部分もある。できればパンチ穴のない現物がほしい。これは思った以上に手間のかかる作業になりそう。一年がかりのプロジェクトになる予感。みなさんの知恵もお借りしたい。



2021年1月30日土曜日

1月の読書

バウルを探して[完全版] 川内有緒・中川彰 三輪舎 2020
  5年前文庫本版で読んでいたはずなのだが、今回の本は読書体験としてまったく別物で、筆者が「完全版」と呼んでいる意味が理解できる。 
我が内なる韓国 四方田犬彦 作品社 2020
パッチギ!対談篇* 李鳳宇・四方田犬彦 朝日新聞社 2005
法廷通訳人* 丁海玉 角川文庫 2020
日本の異国* 室橋裕和 晶文社 2019

2021年1月28日木曜日

下駄

その美しさに目を奪われた
小ぶりな桐の二重曲面一本歯足中下駄
これって芸術品じゃないか



2021年1月24日日曜日

ユズル界

1977年にいきなりワープしてしまったことで、封印していたものが動き出し、ちょっと困っている。少し落ち着いたので 「忘れてもいいように」に戻ります。そう、第一期の話でした。 

 それにしても渾沌の1977年。当時のぼくはといえば、京都の中の外国人コミュニティの中に棲息していて、どうすれば、日本社会に入って行けばよいのだろうと試行錯誤していた時期にあたる。そういう時期に無国籍な空気をまとったユズルさんに出会えたというのは幸運だった。入口は一般意味論(p.168-)とGDM(p.100)。ところが一般意味論セミナーというのが曲者で、みどりさんがあとがき(p.294)にも書いているように、「詩の朗読会、フォークソングのコンサート、ワークショップ、活元会、エンカウンターグループなどに参加する必要があります」という代物。そして、当時の私の渾沌に油を注いだのが、この付随物たちだったのです。 

輸入業者であるユズルさんは、海外から講師を呼んでボディワーク系のワークショップを70年代の後半から80年代にかけて開くようになる。それらの会に参加したり、お手伝いすることで、ぼくの体に対する関心は強くなっていたように思います。と同時に、本格的に勉強をはじめていた整体と理念、アプローチのちがいが気になりはじめる。最終的に第一期は、ぼくが整体協会に就職するために東京に移る1986年で終わることになります。東京に移ってから、ぼくはワープロを使った個人通信を出しはじめたのだけれど、その第一号(1986.9.16)にこんな風に書いています。  

整体協会での、最初の一月は、日本社会をテ-マにした文化人類学的フィ-ルドワ-クをやってる気分でした。10年前なら、反撥しかできなかったろう事柄を、自分の反応のしかたも含め、楽しみながら観察できました。「英語世界から敬語世界」への突入、とでも呼びますか。

振り返れば、京都での10年は、ぼくにとって自力でこの世界に踏み入っていくための長い長い揺籃期・適応期であったのか、そんな風に思えてきます。その揺籃期の少なくない時間を「ユズル界」(いま思いついた新語です)過ごしていたことは間違いありません。

この本の元になっている「ユズルにきく」会は、この「ユズル界」がどのように形成されてきたのか?ということを探究してきた場ということになります。