sunajiiの公私混同
瓦のつぶやき
2021年8月31日火曜日
8月の読書
結局、この夏の課題図書は、加藤陽子になってしまった
昭和史裁判* 半藤一利・加藤陽子 文藝春秋 2011
それでも、日本人は「戦争」を選んだ 加藤陽子 朝日出版社 2009
首都感染 高嶋哲夫 講談社文庫 2013
魂でいいから、そばにいて* 奥野修司 新潮社 2017
新大久保* 室橋裕和 辰巳出版 2020
アフリカ人学長京都修行中* ウスビ・サコ 文藝春秋 2012
私の1960年代* 山本義隆 金曜日 2015
新版ウイルスと人間* 山内一也 岩波書店 2020
2021年8月25日水曜日
秋
長雨の次にやってきたのは残暑
去年の落しだねからなのか朝顔がフウセンカヅラの間から顔を出す
ゴーヤも今頃になって実をつけはじめ、これが第3号
今年は豊作かもしれない
トンボも舞い始め、まだ暑いとはいえ、もう秋である
2021年8月19日木曜日
追悼 栗田さんのこと
栗田完さんの訃報に接する。
長い付き合いだった。
彼の出身校である北海道教育大岩見沢校で教えていた進藤貴美子さんの紹介で身体教育研究所にやってきたのが初めての出会いだから、おそらく1990年代の後半のこと。鼓童で活動していたこともあり、その後、早池峰神楽の会にも通っていたそうだ。集中的に本部の稽古会に通っていたのはどれくらいの期間になるのだろう。結局、末っ子長男ということで、東京での生活を切り上げ山形に戻っていった。亡妻の実家が秋田の南端の雄勝郡(今は湯沢市)、栗田さんの家が山形県最北の金山町ということで、時折、秋田や山形で会う機会もあった。
大井町稽古場で「筆動法でたどるおくのほそ道」なんぞを始め、ぼくの中で東北ブームがはじまったのが2000年代の中盤。そんな折、西馬音内盆踊り、早池峰神楽といった東北の伝統芸能の水先案内人になってくれたのも栗田さんだった。彼が山形に戻って以来、東京で会う機会は減ったが、いつ頃からか、京都の稽古会で顔を合わすようになり、僕が京都の稽古会に出始めるようになってから、夜の特訓のときには一緒に組んでいた。コロナの影響で毎週通っている西馬音内盆踊りの勉強会は中断中ですと残念そうに話していたのは去年の秋くらいだっただろうか。
西馬音内盆踊りのお囃子を聴きながら、栗田さんのことを偲んでいる。
栗田さんの画像を切り出してみた
NHKふるさとの伝承ー神楽が守る里 早池峰山麓の一年(1996)より
西馬音内盆踊り
今年は、無観客でライブ配信したらしい
2021年8月16日月曜日
人生はいつはじまるだろう
人生はいつはじまるのだろう。そんな妙なことを考えている。
そもそも、「人生」などいう単一で呼べるものなどあるのだろうか。むしろ、複数の人生が接ぎ木されるようにして、ここまでたどり着いたのではないか。「今の人生いつはじまった?」と問を変えると、僕の場合、父や妻が逝った七年前からはじまったとしか言いようがない。その前の人生と今の人生が不連続なのだ。長い時間をともに過ごしてきた人が居なくなってしまう。それによって、自分の人生が次のステージに否応なしに押し出されていく。ただし、その中断のあとも、その人たちとの未実現の人生は続いていく。連続性があるのは、未実現の人生の方で、現実の人生は不連続。つまり僕らはパラレルワールドを生きているのだ。これまで多くの岐路があって、その時々に決断し、あみだくじをたどるようにここまで生きてきた。しかし、その時々で選択されなかった道は、そのあとも続いていたのではないか。妙な考えは、不思議な答えにたどりつく。今日は送り火。
2021年8月14日土曜日
謎
こうしてブログを運営していると、不思議に思うことがたまにある。管理者のページを開くと、どの記事がよく読まれているか数字で表示される。当然、直近の記事へのアクセスが多いのだけれど、なんで今頃この記事が読まれているんだろうと理解不能な現象に行きあたることがある。たとえば、「
性と文化の革命
」。この記事自体、2年以上前にアップしたものだし、内容だって、半世紀も前に中尾ハジメが訳したライヒの本をハジメさんとミドリさんと3人で話したという他愛のないものだ。なのに、直近一週間で8件(7位)、1ヶ月で33件(15位)、3ヶ月で119件(4位)、6ヶ月で281件(2位)、一年で492件(2位)という具合で、1日1回はアクセスされている計算になる。謎すぎる。それとも、今でも、この本について検索している人が一定数いて、その人たちの検索に引っかかるかたちでこの記事が読まれているのだろうか。実に不思議で、逆に謎かけされているような気分になる。
2021年8月11日水曜日
覚張さんと一緒に稽古する
石川合同稽古会無事終了。2日目、ふるさと館での稽古を覚張さんと一緒にやる機会を得たというのは感慨深い。なんせ、覚張さんに背中を押されて、僕は指導者の道を歩むことになったのだから。
話は2008年に遡る。ゴールデンウィークあたりだったと思うのだけれど、関内にある横濱エアジンに
風狂知音
のライブを聴きに行った。その時のライブが凄かった。身体が文字どおりバラバラになってしまうような経験に打ちのめされた。翌日、仕事場の隣にある所長室に飛び込んで、裕之先生に「ああいうライブの経験は整体で可能なんですか?」と問い質した。裕之先生、あたかも当然という顔で、「そりゃできるよ」とのお返事。事務局と稽古担当という二足の草鞋を脱ぐことを決めたのはこの時なのだ。事務仕事してる場合じゃない、そう思ったのだった。後任選びや引き継ぎ等いろいろあって、実際に事務局を「卒業」したのは翌年の春。20年以上に及ぶ給与所得者生活に別れを告げたのだった。
あれから13年になるんだ〜。なんとか生きのびている。平穏という言葉から遠ざかってしまった気はするけれど。
下鴨散歩
午前中で稽古が終わったので、下鴨まで出かけることにした
河原町今出川まで203系統の市バス
河川敷に降りると、いきなり甲斐さんの写真が出迎えてくれる
出町橋を渡って糺の森に入る
お目当ては下鴨納涼古本まつり
予想していたより、ずっと規模が大きい
人も大勢出ている
沢山の本に囲まれると選べない
結局、三冊五百円コーナーで既読の本を買ってお終いにした
下鴨は46年前にはじめて京都で暮らしはじめた地区
当時の痕跡が残ってないかと、下鴨神社の北隣を歩いてみる
驚いたことに、当時、FWCが借りていたとおぼしき建物を発見
さて、こんなピンクの外壁だったっけと記憶をたどる
結局、そのまま北大路まで歩き、洛北高校前から204系統の市バスで帰還
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