2022年1月31日月曜日

禁糖2022

1/31
15日目。禁糖終了。
さてどこから戻していこうか。コーヒー、ではなく蜂蜜を舐めたい。薄切りした全粒粉パンをトーストし、バターの上に以前新潟の山田さんが送ってくれた日本蜜蜂の蜂蜜を塗って噛り付く。

1/30
14日目。もう終わりが近いはずなのに、ぐずぐずしている。
チーズ、バナナといった輸入品に頼りすぎなのが問題?とつれあいと話す。
地産地消の方がよいのか??? さて。

1/26
10日目。中指の方がなじんでいる。順調。
量の適さえ間違わなければー存外ここがむずかしいー早く終点にたどり着けるかも。

1/24
8日目。後半戦突入。
腹の第二を見ると、まだ薬指の方がなじむ。
急に肩周りが動きはじめた。春だな〜。

1/23
7日目。禁糖淡々と進行中。
禁糖についてはさんざん書いてきたから()付け加えることとくになし。
度合の適を取り戻すためにやっているので、食べ過ぎちゃったら洒落にならないと自戒。
機度間の適を求めるのが整体であるとすれば、たしかに度というのは、そのベースになる。

1/20
禁糖4日目。
今回も助走なしに「うん、今日から」と唐突に始めてしまった。
このところコーヒー中毒みたいになってたのだが杞憂に終わる。
食欲旺盛。やたら腹が減る。

1月の読書

マル農のひと* 金井真紀 左右社 2020
パリのすてきなおじさん* 金井真紀・広岡裕児 柏書房 2017
コロナの時代の僕ら* パオロ・ジョルダーノ 早川書房 2020
ギフトエコノミー* リーズル・クラーク レベッカ・ロックフェラー 青土社 2021
手から、手へ* 池田昌樹・植田正治・山本純司 集英社 2012
責任の生成* 國分功一郎・熊谷晋一郎 新曜社 2020
月3万円ビジネス100の実例* 藤村靖之 晶文社 2016
「線」の思考* 原武史 新潮社 2020
ディス・イズ・ザ・デイ*  津村記久子 朝日新聞出版 2018
一万円選書 岩田徹 ポプラ新書 2021
アドルフに告ぐ* 1〜4 手塚治虫 文藝春秋 1985

*は図書館から借りて読んだものです。

2022年1月24日月曜日

マスク、パティション、セルフレジ

コロナ禍で増えたもの三つ
交換接触同調の拒絶
それらを担うプラスチックたち
ひとはコロナで死なずとも、プラスチックに埋もれて滅びるにちがいない
ワクチン義務化の動きも海外では始まっている
リベラルを標榜している政治勢力がワクチン推進派で、
右派勢力の側が慎重派というのが面白い
リベラルと目される論客たちが、ワクチン接種の旗振り役となったのは日本も同じ
科学主義対反知性主義の争いなのか?
ほんとうの知性はどこに行ってしまったのだろう
結局、自分をつなぎ止められる陸地はどこにもなく、
海賊放送局のように海の上を漂うしかない

2022年1月13日木曜日

始動

 年末年始を京都で過ごした娘一家を千葉まで送り届け、そこから北陸新幹線で金沢へ。今年も白山稽古会が稽古始めとなりました。去年は石川で大雪に見舞われ、三日間足留めを喰らったのですが、石川は雪もなく拍子抜け、無事京都に帰り着くことができました。
 等持院稽古場が動きはじめたのは10日から。年末年始の過酷な合宿生活の疲れをひきづりながらの始動でしたが、静かな稽古生活がゆっくり戻ってきました。今週末くらいから、少しづつギアを上げていきます。

 図書館にもやっといけました。今月の読書予定の本たち。




 



2021年12月29日水曜日

年の暮れ

今年も残すところ、あと二日。千葉に住む娘が小さな怪獣たち三人を伴って滞在中。どうやら親がいるところが実家になるらしい。根無草の僕からすると、ここを実家と言われてもピンと来ない。娘にとって、京都は観光地という位置づけのようで、今日は交通博物館に行き、お正月には映画村に遊びに行く計画もたてている様子だ。一番下の1歳児はジージとネーネと一緒にお留守番である。

あわてて、この一年を振り返る。思った以上によく働いた一年ではなかったのか。(1)足繁く千葉に通った。11回を数える。昨年に比べ、一回あたりの日数は減らしてきた。それでも60日、のべ2ヶ月。去年生まれた三番目の男の子は、無事生後13ヶ月を迎え、すたすたと歩いている。(2)片桐ユズル編集「かわら版」のデジタル化作業に手を付けてしまった。1967年から1992年までの1500頁分。これをどのように使うのか全く考えてないのだけれど。年内に一区切り付けられて安堵している。(3)ベルリンとつなぎ、ZOOMで稽古をやってしまった。積極的にはじめたわけではないが、稽古会のありようを考えさせられる契機にはなった。英語力のダメさ加減も露呈した。(4)稽古会にはちゃんと出たのだが、耳はますます聞こえにくくなっている。白誌に助けられているとはいえ、この先、どう稽古に参加するのがよいのか悩み中。(5)白山稽古会は毎月開催。一月、雪に閉ざされて一泊二日の予定が三泊四日になってしまったのには参った。金沢の遠藤さんに尻を叩かれ、石川合同稽古会もオフ毎に3回。(6)今年唯一の新しいガジェットはプロジェクタ。これを使った「からむしのこえ」上映会も開催。(7)連れ合いは和裁の教室に通い始め、和裁三昧の日々。あれくらい集注できるものがあればいいな。(8)紙メディアとして等持院通信をはじめてみた。ゼロ号からはじめ9号にたどり着いた。(9)10月くらいから、コロナごもりから人が抜け出してきたようで、新しい人の動きが生まれてきている。これまでとは傾向の違う人たちが、この稽古場にやってくるようになり、新しい風を吹きこんでくれている。ここ一年半、コロナとは別に緊急事態宣言下にあった等持院稽古場もバージョンアップの時期にさしかかっているようです。(10)今年最後の一冊が藤原辰史氏の「分解の哲学」であったのは僥倖でした。

さて2022年はどんな一年になるのやら。来年もよろしくおねがいいたします。

2021年12月26日日曜日

12月の読書

ポルトガル、西の果てまで* 福間恵子 共和国 2021
分解の哲学* 藤原辰史 青土社 2019
あぶない法哲学* 住吉正美 講談社現代新書 2020
ポースケ*  津村記久子 中央公論新社 2013
アダルト・チルドレン* 信田さよ子 学芸みらい社 2021
家族と国家は共謀する* 信田さよ子 角川新書 2021

2021年12月25日土曜日

英語版

英語版をはじめよう(より正確にいうと再開ー以前試みたことがあるが挫折)と思った動機の8割は、今年、ZOOMを使ったオンライン稽古をやったことに由来する。英語話者にとって、整体に関する情報は少ない。身体教育研究所関連でいえばゼロである。

近年、Google翻訳にせよ、DeepLにせよ、機械翻訳の精度が格段に上がったことは間違いない。しかし、たとえば、僕がこのブログに載せている整体、稽古関連の記事を機械翻訳で英語話者(日本語でないという意味です)が読んだ場合を想定すると、かなり悲惨な光景しか思い浮かばない。誤解を助長する結果さえ考えられる。(お前だって、誤解しているだろうという突っ込みは、ここではなし)。そうなると、機械翻訳の助けを借りて、自分で仕上げていくしかない、というのが今時点の結論。しかし、問題は山のようにある。

まず、固有名詞に定着した訳語がないのが困る。整体協会はSeitai Kyokai, Seitai Associationくらいか。一般名詞としての整体も流通しているけれど、野口晴哉のSeitaiも固有名詞として、かなり定着している。身体教育研究所が難しい。そのままShintai Kyoiku Kenkyushoでは問題は解決しない。そもそも身体と教育という既知の単語を組み合わせた「身体教育」という言葉を使い始めたのは、日本において僕たちが最初かもしれない。1990年くらい。身体x教育。ありそうでいて誰も使ってなかった。これ自体、謎だ。

体育はPhysical Educationと訳される。おそらく、Physical Educationという単語を日本語訳したものが体育なのだろう。じゃあ、身体教育にはどういう訳語が充てられるべきなのか? アカデミズムの世界では、体育と同様、身体教育にもPhysical Educationという訳語が使われている。実に安直だ。故に、身体教育研究所をInstitute of Physical Educationとは訳したくない。つまり「身体」はどう訳されるべきなのだろう。

月刊全生には、いまでも晴哉先生の英訳文が巻末に掲載されている。「白誌」に載っている裕之先生の講義録が英訳されるのはいつのことなのだろうか。