フレイレが発端なのだ。
一昨年の夏だったと思うのだが、亀岡でフリースクールを運営している知人がやっている勉強会に、「次回、P.フレイレをやりますから来てください」と誘われてのこのこ出かけて行った。その時、「整体協会で仕事してます」と自己紹介したら、「はい、わたし会員です」と名乗りを上げられたのが参加者のひとりであるYさん。それをきっかけに、Yさんは等持院で稽古をはじめることになったのだが、稽古のたびに、フレイレを含む教育談義になってしまう。下手すると、稽古している時間と喋ってる時間が同じくらいじゃないかというくらい、喋ってる。いまどき、フレイレを読んでいる人がいるんだ、というのが最初の感想だったのだけれど、逆に、僕はちゃんとフレイレ読んでないな、ということがあらわになってしまい、それこそ40年の時を経て、フレイレを読み直すことになった。フレイレとの出会いは1973年。フレンズワールドカレッジのオリエンテーションの課題図書として「Pedagogy of the Oppressed」が現れたことだ。英語力のろくにない私がこの本を十分に理解できるはずもなく、以来、いってみればトラウマーそれが大げさなら、のどに刺さった魚の小骨ーとして僕の体に住み着くことになったというわけだ。
そのYさんが中心になってやっている南区DIY読書会ーただし会場は京都市北区ーに誘われ、ちょっと読書会というものに関心があったので参加してみた。それがなかなか新鮮なのだ。報告者が一冊の本を読んで、それを参加者に報告するーレジメも用意されているーというだけのスタイルなのだが、そこでの話はどんどん本題から外れていって、逆にふくらんでいく。そのダイナミズムが面白い。何回か参加しているうちに、「角南さんも」という流れになって、「では、整体の話をします」ということになった。だから、何か一冊の本を題材に、それを紹介するという読書会のスタイルとは離れてしまったのだけれど、いざ、人に自分がいまやっていることを話そうとすると、「なぜ、いま自分はここにいるの」という自分史を開陳することになってしまった。11月と12月の二回、報告の場を持たせてもらったのだけど、つまり、「体験するってどういうことなの?」という20代の疑問を抱えて、僕は生きてきたのだということに行き着いたのだった。
これまで、このブログに書いてきたことと、大部分重複することになりそうだが、なぜいま、ぼくはここにいるのか、もう一度書きはじめてみようと思う。
2019年2月19日火曜日
体験するということ 2
読書会でのレジュメとして用意した一枚が、この図。
FWCは体験の場、きっかけは用意してくれたけれども、その体験を吸収する手立ては与えてくれなかったのですね。フレームを壊す手伝いはしてくれたけれど、混乱した学生をどう再構成させるかというシステムを有しなかった。これをどう評価すればよいのだろう。それは個人の問題ですと言ってしまえば、それまでだし、はたして大学という4年という限られた期間で、その再構成が可能かといわれると、それも怪しい。FWCにおいて、学生はJournalという報告を大学に提出して単位を取得し、卒業リポートを書いて卒業していく。そのような制度設計。少なくとも、「書く」という行為が、再構成に有用だったことだけは評価しておこうと思う。いわば、体験するということを「フレームを壊すー再構築する」という一連のプロセスであると考えれば、このFWCでの体験した「よるべなさ」が、「身体教育」への接近につながっていったと言えるのだろう。
FWCは体験の場、きっかけは用意してくれたけれども、その体験を吸収する手立ては与えてくれなかったのですね。フレームを壊す手伝いはしてくれたけれど、混乱した学生をどう再構成させるかというシステムを有しなかった。これをどう評価すればよいのだろう。それは個人の問題ですと言ってしまえば、それまでだし、はたして大学という4年という限られた期間で、その再構成が可能かといわれると、それも怪しい。FWCにおいて、学生はJournalという報告を大学に提出して単位を取得し、卒業リポートを書いて卒業していく。そのような制度設計。少なくとも、「書く」という行為が、再構成に有用だったことだけは評価しておこうと思う。いわば、体験するということを「フレームを壊すー再構築する」という一連のプロセスであると考えれば、このFWCでの体験した「よるべなさ」が、「身体教育」への接近につながっていったと言えるのだろう。
2025年8月6日水曜日
京都十年 その2
京都に戻ってきてからの十年、なぜ昭和のラジオ少年が整体の道を志したのかということを、ずっと考えていたように思う。不思議っちゃあ不思議でしょ。科学技術全盛の時代に育ち、真空管ラジオを組み立て、自作機でアマチュア無線をやっていた少年が、紆余曲折の末、野口晴哉の思想と出会い、整体の道に入る。
科学とはなにか、科学技術とはなにか、稽古会に来ていた人の主宰する読書会などで、整体の話をしようとすると、どうしても、自分がどこからやってきたのかについて考えざるを得なくなる。そうして、日本人はどのように科学技術を受容してきたのかという歴史にまで射程を広げざる得なくなっていった。そして、自分自身が、時代の流れの中で、ラジオ少年となっていったのか、少しづつ理解するようになった。→ 読書会メモ
そんなラジオ少年が、いきなり異文化に放り出される。そこからが第二幕、20代ということになる。三年弱の期間の中で咀嚼できなかった体験をどう理解していくのか。そもそも、体験するとはどういうことなのか。人が学ぶとは、どういうことなのか。そんな疑問がライフワークとなっていく。そう、ライフワークとは、大きな異化感から生まれる。その糸口として、整体を学び始める。→ 学ぶということ
現在地にたどり着くまでの過程は、積み重なる偶然の産物に過ぎない。もちろん、折々、種々の選択をしてきたことは、その通りだけれど、その選択にしても、十年前、この家に一目惚れした時のように、「ふと」選んでしまうのだ。最初は小さな選択であったとしても、ものごとが動きはじめると、とんでもない未来が立ちあらわれてくるのが、人生の面白いところでもある。あれよれよという間に70代になってしまった。
2021年4月13日火曜日
学びの原型
「たのまれ講師」でやったzoom講義、90分喋りっぱなし。出来が良かったので(自己採点)、音声だけでいいからくれませんかと主催者にリクエストしたら、「あ、録画するの忘れてました」とのつれない返事。幻の講義になってしまった。整体における成長論を話してほしいとのことだったので、整体における育児の話を中心に据えたのだけれど、まず、僕自身がどのような経路で整体にたどり着いたかという話からはじめることにした。記憶違いがあるかもしれないけれど、以下が、このときの話の流れ。備忘録としてリストにしておきます。話そうとしていたけれど、実際には話さなかった事柄も事後的に付け加えているものもあります。タイトルは「学びの原型としての整体(育児論)」になるのかな。
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クエーカーの大学に飛び込む 1973
実験的大学における体験学習という方法
experiential learning at an experimental college
異文化の中に身を置くということ
混乱と葛藤と同化
フリースクール
体験するとは、体験を吸収するとは
学びの原型としての整体的育児
晴哉先生の著書
裕之先生の育児講座から
胎児期ー妊娠期
生後13ヶ月 腹が育つ時期
消化器としての腹、体験を同化するものとしてのハラ
1歳〜3歳〜5歳〜8歳〜思春期
成長病
今、育っているものを育てる
経過するという整体の考えかた
高温(発熱)→低温(休息)→平温
経過を妨げるもの
教育の書としての「風邪の効用」
体力とは
根拠のない自信
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現在進行形の身体教育研究所における稽古にまで立ち入る時間はなかったけれど、質疑応答を含め、充実の120分。予想していた以上に、「聞いてくれている」感が持てたのは収穫だった。ここ数年、読書会などで発表してきたことの総まとめの感じ。
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