2021年12月29日水曜日
年の暮れ
2021年12月26日日曜日
2021年12月25日土曜日
英語版
英語版をはじめよう(より正確にいうと再開ー以前試みたことがあるが挫折)と思った動機の8割は、今年、ZOOMを使ったオンライン稽古をやったことに由来する。英語話者にとって、整体に関する情報は少ない。身体教育研究所関連でいえばゼロである。
近年、Google翻訳にせよ、DeepLにせよ、機械翻訳の精度が格段に上がったことは間違いない。しかし、たとえば、僕がこのブログに載せている整体、稽古関連の記事を機械翻訳で英語話者(日本語でないという意味です)が読んだ場合を想定すると、かなり悲惨な光景しか思い浮かばない。誤解を助長する結果さえ考えられる。(お前だって、誤解しているだろうという突っ込みは、ここではなし)。そうなると、機械翻訳の助けを借りて、自分で仕上げていくしかない、というのが今時点の結論。しかし、問題は山のようにある。
まず、固有名詞に定着した訳語がないのが困る。整体協会はSeitai Kyokai, Seitai Associationくらいか。一般名詞としての整体も流通しているけれど、野口晴哉のSeitaiも固有名詞として、かなり定着している。身体教育研究所が難しい。そのままShintai Kyoiku Kenkyushoでは問題は解決しない。そもそも身体と教育という既知の単語を組み合わせた「身体教育」という言葉を使い始めたのは、日本において僕たちが最初かもしれない。1990年くらい。身体x教育。ありそうでいて誰も使ってなかった。これ自体、謎だ。
COLDS AND THEIR BENEFITS
2021年12月23日木曜日
京都を動く(バス電車編)
2021年12月21日火曜日
京都を動く(徒歩編)
2021年12月19日日曜日
he said/she said argument 水掛論
In this respect, the theory of Taiheki (体癖論)is built on the premise that people cannot understand each other. The theory of Taiheki divides individuals shaped by the direction of their sensitivity into 10 types. People naturally judge things based on their own standards, and believe that these judgments are universal. It maybe true that if we don't believe that, it is difficult for us to survive. However, in the theory of Taiheki, ten standards are set. In other words, at its starting point, a standard or universality that can be shared by all of humanity are not set. It starts from the exact opposite, realism. Of course, before that, there is the basic premise that everyone is alive.
In the early days of Taiheki theory, it is said that people sometimes used animal metaphors to describe these types of people, such as a giraffe and a raccoon. The big question is whether giraffes and raccoons can understand each other. In fact, unless you go to a zoo, giraffes and raccoons, two different species, will never live together. However, humans live together as the same species. This is where it gets really tricky, but also really interesting.
There is a concept in biology called the Umwelt(
environment in English) proposed by a German bio-philosopher named Uexküll. he said that all animals live in a perceptual world that is unique to their species. That's right, each animal sees the world differently and lives in a different world. The theory of Taiheki is similar to this. The problem is that humans believe that we all live in the same world. Or we've been led to believe that we have to live according to a uniform standard that has been socially formed.
The most interesting part of Seitai theory lies in the pursuit of how these originally incomprehensible people can synchronize with each other and how they can overcome the world of Taiheki that confines them. The world of Seitai is about cultivating the ability to enjoy this discrepancy between oneself and others. Bothersome?
Be aware , we are living in bothersome world.
Why did I start thinking about this "Mizukake-ron"?
Because I am in the middle of it.
2021年12月9日木曜日
京都を動く(自転車編)
2021年12月6日月曜日
源氏物語読み合わせの会
2021年12月4日土曜日
水掛論
この点、体癖論は、人と人は理解し合えないという前提で組み立てられている。体癖論というのは感受性の方向によって形づくられた個人を10種に分けたものである。人間は当然のことだけど、自分を標準に物事を判断するし、その判断が普遍的なものだと信じている。たしかに、そう思えないと人間生きていけない。ところが、体癖論ではその標準を10本設定している。言い換えれば、人類全部で共有できる標準とか普遍性を出発点としていない。真逆のリアリズムから出発している。もちろんその前に、みんな生きているという大前提があるのだけれど。
体癖論が形成されていく最初期、この類型を、あの人はキリン型とか、あの人はアライグマ型とか動物に喩えたこともあったらしい。キリンとアライグマはお互いに理解しあえるか、という大問題。実際のところ、動物園にでも行かない限り、キリンとアライグマという異種が同居することはない。ところが、人間は同じ種として同居している。ここが実に厄介なところでもあり、また面白いところでもある。
環世界という考え方が生物学にある。ユクスキュルという生物哲学者が提唱したもので、「すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きている」というものらしい。それはそうだ、動物ごとに見えている世界は違い、生きている世界も違うだろう。体癖論もこれに近い。問題は、人間の方は、みんな同じ世界に生きていると信じている。あるいは社会的に形成された一律の標準に沿って生きなければいけないと信じ込まされてる。
整体論の醍醐味は、この、もともと理解不能な人間同士が、どのように同調し得るのか、どのように自らを閉じ込めている体癖世界を乗り越えられるかを追求しているところにある。この自他のズレ〜ズレというには大きすぎたり、時間的に隔絶しすぎたりするのだけれど〜を愉しむ能力を育てようというのが整体の世界なのです。ある意味面倒くさい世界。でも、面倒くさいなんて言ってたら生きていけない。
なぜ、水掛論について考えはじめたのか?
日々悩まされているからです。