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2025年12月26日金曜日

整体法研究所のころー1992年5月

 1992年というと、僕が整体協会の事務局に入って6年目、稽古場が立ち上がって4年目の年になる。その頃の稽古場というと、まだ指導者養成の場という看板を上げていて、整コンを目指す人たちも稽古に参加していた。稽古場の指導者制度、つまり、技術研究員、動法教授資格といったものが確立されるのは1998年まで待たなければいけなかった。整体協会の中で指導者と呼ばれるのは、整体コンサルタントであり、活元コンサルタントであった時代の話である。

 その時の僕の身分は、まず整体協会事務局資料室員、かつ、本部稽古場運営担当を兼務。資料室員といいながら、稽古場担当の比重がどんどん高くなっていた頃である。しかも、助手と呼ばれていたダン先生の弟子たちが増えていき、つまり、その人たちを統括する中間管理職でもあった。時折、自分の稽古会でのマクラで、「僕の不幸は、ダン先生が師匠ではなく上司として現れたことだった」と話すことがあるのだが、これは誇張ではない。

 京都から東京に移った理由のひとつは、僕自身整コンを目指していたからである。事務局で仕事しながら段位試験も受け、この年、整体コンサルタントの試験も受けた。ただ整コンになるということは、独立することであり、事務局も辞め、どこかにーたとえば、実家のあった岡山にー指導室を構えることを意味していた。

 整体コンサルタント試験が終わり、そろそろ結果が発表されるころのある日、ロイ先生に呼ばれた。おそるおそる会長室に顔を出すと、ロイ先生は困ったような顔で、「キミはどうしたいのかね」と問われた。つまり、事務局に残って、ダン先生の手伝いを続けるのか、それとも整コンとして独立するのか。何日か猶予をもらうことにし、その後、返事をした。

 どの道を選んだかは、ここに書くまでもない。自分で下した決断の重さを消化するために休暇を取って旅に出ることにした。友人を恃んで、一週間、カリフォルニアに逃げた。(当時の記録を掘り起こしてみると、信じがたいことに、東京ーサンフランシスコの往復運賃が66,000円とある。)

 もちろん、整コン試験の合格者の名前に僕の名前は含まれてなかった。ただ、試験官だった柳田先生、吉田先生、堅田先生といった大御所と呼ばれていた人たちの講評にどのような内容が書かれていたのか、今でも、少しだけ気になる。ロイ先生にはご迷惑をかけた。

 この頃から、稽古場の輪郭が徐々に形を取りはじめ、本部との路線の違いが大きくなっていく。稽古場がまだ整体法研究所と呼ばれていた時代の話である。

2025年7月11日金曜日

整体3.0

今回のヨーロッパ遠征のテーマは整体3.0。
なんで3.0なのかに、あまり意味はない。敢えていえば、new schoolの整体。

とはいえ、稽古としてやったのは、ただひとつ「隙間をとらえる」という「整体以前」と呼ぶべき稽古のみ。紙風船を使い団扇を使い、手を変え品を変え、ひたすら、体を捌き、間に集注するという稽古のみ。

活元運動を知っている人もいるようだったので、その準備運動を動法的にやろうかとも思っていたのだが、ある稽古の途中、脱力的な動きが出てきたと思ったら、それが、よく見かける、観念運動的活元運動まがいのものに変わってきたので、こりゃダメだと、活元運動には触れずじまい。習慣化された自発運動ーhabitualized spontaneous movementsなんて語彙矛盾に決まってる。

愉気の型で人に触れることを教えようとしたら、それまで受動的な感覚で人に触れる稽古をしていたはずなのに、掌が相手の体に届いた途端にやる気満々の能動の集注に変わってしまったので、これも中断。触れられている人が触れている人を身体集注に導く稽古に切り替えた。日本の稽古会でもよく見かける風景なのだけれど、整体3.0は難しい。

整体はmethod方法ではない。整体を生きるためのartなのだと強調してきたけれど、はたしてどのように受け止められたのか。そうそう、稽古場を説明するのが面倒で、整体協会にはold schoolとnew schoolがあって…と話することにした。使い勝手はすこぶるよい。その二つはどこが違うんだという質問が次に飛んでくることからは逃れられないけれど。

2024年10月17日木曜日

EU2025 その2

遊びにいくわけではない。稽古しに行く。
9ヶ月先ということは、準備期間が9ヶ月あるということでもある。
そんな先を見据えて物事を考えたことがない。
ひょっとするとこれは千載一遇のありがたい出来事ではないか。

以前、整体協会の事務局で聞いた話。
スウェーデン人が一人、箱根の野口晴哉記念館(閉館)を訪ねてきたことがあるそうです。そのスウェーデン人曰く、「スウェーデンのインテリは、みんな活元運動をしている」と。まったく冗談のような話なのだが、荒唐無稽かというと、案外そうでもなさそうなのだ。

ヨーロッパに整体協会の活動が紹介されたのは1970年代のことのよう。
フランスには津田さんが、スペインには眞峰さんが、そして、ドイツには竹居先生が、というような具合で、活元運動を中心に晴哉先生の思想がヨーロッパに入っていった。留学生として、あるいは駐在員の家族として渡欧した人たちも大勢いた。1980年代に入るとヨーロッパの各地の活元会の人たちが日本にやってきたり、あるいは日本の人たちがヨーロッパを訪ねたり、様々なかたちでの交流があったようで、当時の月刊全生を開くとあれこれ報告記事が載っている。

野口昭子さんとアガサ・シュノーレポンさんが親しい友人であったことから、ニューヨークで活元会が開かれるといったこともあった。二人の往復書簡は月刊全生にも度々登場してたから覚えている人もいるかもしれません。アガサさんの解読不能な手書き文字に悪戦苦闘ながら翻訳していた頃が懐かしい。しかし、それ以降、個人的な交流はあったにせよ、組織的な交流は減少傾向にあったというのが、私の理解。

ヨーロッパで整体はどのように理解され、どのように受容されていったのか?
ましてや、稽古場の活動に至っては、ドイツの竹居グループに伝わっているくらい。室野井さんが舞踏のワークショップをイタリアでやったことがあるはずだけど、それとて20年も前の話。

 インターネットでSeitai とかKatsugen undo の検索語を与えてみると有象無象山のように出てきて、結構カオスな感じ。まあ、日本でも同じようなものだけれど。どんなカオスかちょっとみてきます。活元運動もテーマの一つになるので、準備として、活元運動3.0と称する稽古を月1やることにした。

2024年8月7日水曜日

整体3.0

 不謹慎を承知の上で、いまの整体はどのバージョンで動いているのか考えてみると、整体3.0ということになる。活元運動と愉気の時代が整体1.0、それに動法内観が入って整体2.0。そこに更に双観独観が加わって整体3.0。もちろん、身体教育研究所という枠組みの中での話である。もっとも、僕の知らない整体4.0というのが生まれている可能性もある。

 それにしても、ここ十年の変化は大きかった。つまり、ロイ先生が亡くなり、ダン先生が整体協会全体の指揮を取り始めることになってからの十年である。個人的にも変化の多い十年であった。いきなり「双観」といわれ戸惑った。おーい、おれたち内観派じゃなかったんですかと異議を唱えても、師匠はさっさと先を進んでいく。君子豹変す、というのは、自分的にはよい意味なのだけれど、梯子を外される側にとっては苦難の道が待っている。それが、進化深化の道であったことは疑いようがない。整体2.0から整体3.0へ。

 身体教育研究所ができて36年。人生の半分をこの結社とともに生きてきたのかと思うと感慨深いものがある。稽古場を始めるときに、師曰く、ここは「技を通して野口晴哉の思想を追求する」場であると。技以前に、技を可能たらしめる体をつくるといって、動法の稽古がはじまった。時折、本部稽古場で竹棒を振り回している場面が脳裏に蘇る。あの時代があったから今がある、という言い回しは、あまりに陳腐で年寄りじみているけれど、体ができてない人間に技の追求は無理というのは、いまでも真理だと思う。

 やはりOSとの対比で整体を語るのは無理筋か。

2024年2月8日木曜日

ザッハトルテ

 禁糖がもうすぐ明けそうという2月7日、郵便屋さんが海外からの小包を届けてくれた。ずっしりと重い。差出人は、先月、僕のところを訪ねてきたオーストリア人女性。鮮やかな包装紙を開けると木の箱が現れる。そして、その箱の蓋を開けると、でかいチョコレートケーキ。本家ザッハトルテ! 添えられていたメッセージカードには、「早めにお食べください」とある。そんなこと言ったって、まだ禁糖明けてないのだ。

 その女性が訪ねてきたのは1月の半ば。どのように、僕のところにたどり着いたのか不明なのだが、東京でダン先生とも面会したとのことだったので、整体協会を知る人が間にいることは間違いがない。ヨーロッパで活動していたキシさんという治療家に師事していたことがあり、ウイーンで開業しているという。ちょっと聞き齧っただけで、すぐに自分の仕事に使おうとしたり、野口晴哉の弟子を名乗ったりという手合いは洋の東西を問わず多い。なので、ちょっとお茶を濁すつもりで、かといって誤解されることは極力避けるように対応していった。

 そういえば、ドイツ人の知り合いは大勢いるが、オーストリアの人って会うのは初めて。中身の詰まった体が現れるのかと思いきや、意外に柔らかい。はじめてきた人と必ずやる、指に集注する、指の間の空気に集注するといった稽古からはじめてみた。

 話が通じる感じというのはなんだろうね。英語を共通語として会話していくのだけれど、通じる感がある。ノンバーバルなものに対する感覚がちゃんと育ってる人だったから、僕の拙い英語であっても、十分理解してもらえたのだと思う。2時間ほど稽古したら、次の日も来てよいかという。2日目終わったらもう一日。なんと3日間連続で現れた。ほんとは会員外指導はしちゃいけないことになっているのだが、乞われたらnoといえない。

 海外における整体の伝播の仕方って不思議。そもそも、整体協会がコントロールできる類のものではない。晴哉先生の時代に津田さんがフランスで、眞峰さんがスペインで、それぞれ活動を始め、そのあとには竹居さんがドイツで始める。その他にも、いろんなかたちでヨーロッパには入ってるはずだ。いつか事務局にスウェーデンの人がやってきて、「スウェーデンのインテリはみんな活元運動をやってます」と話していたという逸話ーそんなわけねぇだろうーがあるくらい。以前なら、そりゃいかんだろうという整体協会的な考えを僕もしていたのだけれど、いまはもう、「勝手に進化しろ」という意見である。

ああ、禁糖明けが待ち遠しい。



2023年7月24日月曜日

同調

 五十代の十年、お茶の稽古に通った。月2が基本だったが、月1のこともあれば、数ヶ月、間がが空いたこともある。最初は二人で習いにいっていたが、途中からは、先生との一対一の稽古になった。結局、基本だけで終わり、お茶の広大な世界のほんの一部に触れただけで終わってしまったが、得難い経験をさせていただいた。先生役を買って出て頂いた、橋松枝さんには感謝しかない。この間、一度だけ、「茶室が茶を点てる」、という経験をした。もちろん、亭主の席に座し、お茶を点てているのは私なのだが、自分が点てている感じは全くなくて、お茶室が点てているとしか表現のしようがない、そのような経験だった。こんなふうに操法ができればと、切に思った。

 関東に暮らしていたころは、風狂知音の音楽も横濱エアジンに聴きに行っていた。僕が整体指導者への道に足を踏み出すきっかけを作ってくれた存在でもある。このことは、3年前、石川合同稽古会に覚張さんを呼んだ時、こんな風に書いた。↓ 

覚張幸子さんについて
 十年以上前のこと、いやもう少し前のことかもしれない。風狂知音のライブを横浜関内のエアジンに聴きにいった。ぼくがまだ事務局の仕事と大井町稽古場での稽古担当という二足のわらじを履いて大車輪で活動していた頃のことである。風狂知音は、覚張幸子(vocal)、田村博(piano)、津村和彦(guitar)の三人のジャズユニット。この人たちの作り出す音楽を通して、音楽とは聴くものではなく「体験」するものであるということを学んだのだけれど、その日のライブは格別で、もう、自分の体がバラバラにばらけてしまうという驚愕の経験をした。風狂知音の音楽には、稽古のエッセンスが覚張さんを通して注入されているので、翌日、裕之先生に、「こんな経験をしたのだけれど、これは整体で可能なのか?」と問いにいったことを覚えている。無論、返事は「そうだよ」というもの。それからしばらくして、僕は二足のわらじを脱ぐという一大決心をするのだけれど、このときの、風狂知音の音楽との出会いがひとつの契機であったことは、ぼくのなかでしっかりと記憶されている。数年前、津村さんが逝き、二人組みになってしまったけれど、風狂知音の活動は続いている。(2020/3/1)

     指導者の道に入ったはよいのだが、なかなか、お茶室で、あるいは、風狂知音のライブで経験したような出来事が操法の場で出現することは稀だった。いや、これまでなかったと言ってよい。ところが、それが突然やってきた。師匠に教わった手順通りやっただけなのだが、相手の背骨に触れるだけで、自分の背骨がのたうちはじめたのだ。言ってみれば、脊椎同士の活元運動。あとは、もう、その流れが導くままについていくだけ。同調とはこういうことなのだ、局処と全体との関係性とはこうなのだ、ということを身をもって体験する出来事だった。ブレークスルー!。これまで、「同調する」ことを稽古の中であれこれやってきたけれど、甘かった。本当に他者と同調できるためには、とんでもない体力が求められるのだ。逆にいうと、自分の体力に応じた同調しか出現しないということでもある。かなり怖い世界でもある。

2021年12月25日土曜日

COLDS AND THEIR BENEFITS

  Let's talk about Seitai.  Seitai here refers to the Seitai of Haruchika Noguchi and the Seitai of the Institute of Body Education (身体教育研究所). However, people who study Seitai vary from one to another, from those who say, "I don't take medicine, so I am a Seitai person" to those in the practice who say, "Who care about health". I think that's fine. Simply not taking medication is a contribution to society in the sense that it does not increase unnecessary medical costs, but in the eyes of the world, it is an antisocial presence. It's a strange world. Anyway, let's move on from the question of why seitai practitioners do not take medicine to the question of experience and education.

 For example, if you read Noguchi's book, "COLDS AND THEIR BENEFITS," it says that when a person catches a cold, develops a fever and sweats, and then successfully passes through the period body temperature goes lower than normal, the body is refreshed. Many people understand this as just a health method, but from an educational standpoint, it suggests something really important. In other words, it is a model of how we assimilate our experiences. Let's say a cold is exogenous, like the flu for example. So the human body and the virus collide. The fever occurs on the borderline. The epidemiological mechanism of fever can be explained in many ways, but when a person experiences something, there is a chance to encounter with others. The "other" can be a virus or a new environment, or a human being. Some might say that this is too much anthropomorphizing viruses and bacteria, but if you think of a person as a unified entity, this is not anthropomorphizing or anything, it's just natural. The definition of "experience is born as an encounter with others" is not so far off the mark.

 The question is, "How do we assimilate our experiences? According to Noguchi, when you catch a cold, it is natural to go through the process of fever, low temperature, and return to normal temperature, and after this process, you become a new body. The same is true for relaxation, hypersensitivity, and excretion in the case of the Katsugen Undo (活元運動). In other words, a "new body" means a body that has assimilated the experience. If you think about it that way, medication can be an obstacle to this process of assimilation. Yes, person of Seitai  is not someone who does not take medication, but someone who can quietly look at the process of assimilation that is happening within him or her.

 When you think about it, the difficulty of "experiential learning" also comes to light. If experientialism is just a field approach, it may end up confusing the learners. I worked for five years at the Japan Center of an American college program as I wrote about in another article, and looking back now, a lot of my work was spent as a counselor to take part in the assimilation process of students who are confused and stuck in the foreign culture.

Translated with a help of "www.DeepL.com/Translator (free version)"
Originally written in Japanese  as「なぜ身体教育なのか 2」on 2012/9/29

2021年5月9日日曜日

八島花(やつしまはな)稽古会

緊急事態宣言がまた出て、もやもやした感じはありますが、やります。
まだ人数的には余裕ありますので、ご興味のある方はお申し込みください。
(5/9)

 東京で稽古会を開きます。場所は墨田区。15年ほど前、大井町稽古場で若者塾という稽古会をやっていた時期があります。その若者塾に参加していた後藤大輝さんが、墨田区京島に移り住み、長屋の保全活動に携わることになり、長屋文化協会という会を立ち上げました。その長屋のひとつが稽古場仕様のものに改築され(名称は旧邸稽古場)、貸しスペースとして活用されはじめています。私自身は5年半前に京都に引っ越しましたが、去年の春から訳あって京都と千葉を往復しています。千葉佐倉では何度か稽古会を開く機会はあったのですが、この度、東京でもやってみることにしました。ほぼ6年ぶりの東京での稽古会ということになります。テーマは「活元運動を稽古する」。 

 日時   5月16日(日)10時〜16時(途中昼休憩あり)  
 会場   墨田区八広2−45−9 旧邸稽古場  
 会費   5000円
 定員   8名程度(予約制)  
 テーマ  活元運動を稽古する(別紙参照)
 参加資格 整体協会会員であれば参加できます 



2021年3月27日土曜日

活元運動を稽古する

 整体協会イコール活元運動という時代は長く続いたし、実際、そのように考えている人は今も多いだろう。一方、身体教育研究所が活動をはじめ30年を超えるが、活元運動を知らないという稽古場ネイティヴも増えてきた。身体教育研究所以前以後を知る者のひとりとして、両者をつなぐ方法はないものかと長年考え試行錯誤を続けてきた。今年は、ここまでの試みを稽古として提示してみようと思う。稽古場ネイティヴにとっては、活元運動入門となるであろうし、動法内観に不案内な方には、稽古入門となるはずである。 

 【場所】 
 a.等持院稽古場  5/1,2,3  13時〜16時
 b.白山稽古会   5/9. 6/6, 7/4 10時〜12時
 c.墨田区八広    5/16       10時〜16時

 【参加】 整体協会会員であること 

 【内容】 
 1 ふれる カタでふれる  
 2 自他 カタと同調  
 3 集注のかたちとしてのゆがみ  
 4 邪気吐き 動法としての準備運動  
 5 自発と自然 身体集注と精神集注  
 6 相互運動  
 7 ひとりで行う活元運動  
 8 活元操法



2021年1月24日日曜日

ユズル界

1977年にいきなりワープしてしまったことで、封印していたものが動き出し、ちょっと困っている。少し落ち着いたので 「忘れてもいいように」に戻ります。そう、第一期の話でした。 

 それにしても渾沌の1977年。当時のぼくはといえば、京都の中の外国人コミュニティの中に棲息していて、どうすれば、日本社会に入って行けばよいのだろうと試行錯誤していた時期にあたる。そういう時期に無国籍な空気をまとったユズルさんに出会えたというのは幸運だった。入口は一般意味論(p.168-)とGDM(p.100)。ところが一般意味論セミナーというのが曲者で、みどりさんがあとがき(p.294)にも書いているように、「詩の朗読会、フォークソングのコンサート、ワークショップ、活元会、エンカウンターグループなどに参加する必要があります」という代物。そして、当時の私の渾沌に油を注いだのが、この付随物たちだったのです。 

輸入業者であるユズルさんは、海外から講師を呼んでボディワーク系のワークショップを70年代の後半から80年代にかけて開くようになる。それらの会に参加したり、お手伝いすることで、ぼくの体に対する関心は強くなっていたように思います。と同時に、本格的に勉強をはじめていた整体と理念、アプローチのちがいが気になりはじめる。最終的に第一期は、ぼくが整体協会に就職するために東京に移る1986年で終わることになります。東京に移ってから、ぼくはワープロを使った個人通信を出しはじめたのだけれど、その第一号(1986.9.16)にこんな風に書いています。  

整体協会での、最初の一月は、日本社会をテ-マにした文化人類学的フィ-ルドワ-クをやってる気分でした。10年前なら、反撥しかできなかったろう事柄を、自分の反応のしかたも含め、楽しみながら観察できました。「英語世界から敬語世界」への突入、とでも呼びますか。

振り返れば、京都での10年は、ぼくにとって自力でこの世界に踏み入っていくための長い長い揺籃期・適応期であったのか、そんな風に思えてきます。その揺籃期の少なくない時間を「ユズル界」(いま思いついた新語です)過ごしていたことは間違いありません。

この本の元になっている「ユズルにきく」会は、この「ユズル界」がどのように形成されてきたのか?ということを探究してきた場ということになります。

1977年

来週、ユズルさんの「忘れてもいいように」のオンライン読書会をやるというので、ちょっと覚え書きを作っておこうと、ユズルさんとの歴史を紐解いていった。巻末の年表によると、ぼくとユズルさんの付き合いは1976年の一般意味論大セミナー(フレンズ世界大学)にはじまっている。ぼくが東京に移る1986年までの10年が第一期。そこから、ほぼ30年空いて、2015年、ぼくが京都に戻ってきてからが第二期。ここでは、第一期について書こうと思うけれど、年齢でいえば、角南青年24歳、ユズルさん46歳からの十年間ということになる。いまや、68歳と90歳。

一般意味論大セミナーのチラシとか残ってないかしらと、デジタル化してある1976年のノートを見ていくのだが、いっこうに出てこない。ひょっとして翌年なのかもしれないと1977年のノートをめくっていくと(実際にはスクロースするわけだけど)チラシが一枚出てきて、その一番下に一般意味論大セミナーが予告されている。いきなり、年表の訂正が必要になってしまった。

ついでに、もう少し下までスクロールしていくと、こんなのまで出てきた。「学校を超える教育論」? まったく記憶から抜け落ちている。そのまま突っ走っていれば、教育業界で飯が食えるようになっていたかもしれない。これまで開いたことのないノート。読み返しているうちに、ユズルさんとのことは吹っ飛んで、1977年にタイムワープしてしまった。4月には三里塚、6月には韓国、7月に一般意味論の合宿があって、8月にはヤマギシの特講、GDMのセミナーに続けざま出て・・・。川嶋先生の活元会に出はじめたのもこの年らしい。いったいどうやって生活を回していたんだろう。もう混沌の極み。

こういう混沌の年にユズルさんと出会っているのでした。






2021年1月12日火曜日

少人数稽古

大雪の石川から無事帰還。結局、金沢で余分に2泊して帰ってきました。
さて、等持院での稽古再開です。
集団稽古ーといっても、定員3名の少人数稽古ですがーを復活させます。
まず手はじめに、今月は「筆動法」と「稽古としての活元運動」。
両方とも5回シリーズくらいでやりたいのだけれど、とりあえず単発開催。
はじめての方もどうぞ。
筆動法、活元運動については、ブログでも折に触れて書いているので、
下記リンクから読んでみてください。

1/15  13時〜16時 筆動法
1/25  13時〜16時 稽古としての活元運動
会費 3000円 要予約

2020年11月20日金曜日

自発の在処

今月の月刊全生に晴哉先生の活元相互運動についての講義が掲載されている。活元運動、相互運動を追求していく過程で発見したことのひとつに、僕らが自発性と呼んでいるものは、自分の内部からの動きではなく、むしろ他所から、外からやってくるものなのではないのかというものがある。出発点を他者、環境と響き合う存在として人間を捉えているのであれば、自発性を中からの動きと呼んでいっこうに構わないのだけれど、近代人たる我々は、この身体を一個の独立した存在とみなしているので、あえて、「自発性とは他者の欲求を動くことである」と言い換えている。 

これまでの活元運動の理解、イメージは、体の奥に生まれた小さな動きが、だんだんと全身的なものに発展していくというものだ。現象的にも体験的にもこの図式は間違ってはいない。この最初の動きのことを自発性と呼ぶ、そのように理解する。しかし、相互運動になると、少し様相が変わってくる。相互運動の原型は活元操法にある。整体協会が社団法人化されたとき、治療を連想させる活元操法を両者坐った形態で行う相互運動に切り替えたと、月刊全生に掲載された講義録(2018年11月号)の中でロイ先生が述べられていた。うつ伏せに寝ている人が坐った状態に移行したわけだ。外形的には、相互運動において後ろに座る人は働きかける人で、前に座る人(活元操法においてはうつ伏せに寝る人)が受けの人であるように見える。しかし、それって根本的な誤解ではなかったのか。

大井町でさんざんやった稽古に「活元運動以前」というものがある。活元運動を稽古化しようと準備運動を動法的、内観的にあれこれ追求していったものだ。そんななかで、従来の活元運動において軽視されていたものとしてふれるときのカタの問題にいきついた。カタに入るということは、自分の意志を極限まで希薄化することで、つまり、カタに入ってしまえば自分で自分の体を動かすことはできなくなる。つまり、止まった状態。そのような集注でひとにふれ、活元運動に入る。すると、動きの源は、自分ではなく、ふれている相手から伝わってくるものであることを体験することになる。活元操法とは、手が勝手に動いて相手の悪いところにふれていくことではなく、寝ているひとの運動欲求をふれている人が代わりに動いていくものであると考えたほうが腑に落ちるのだ。しかも、その方が、ひとりで行う活元運動よりも充足感が生まれる。他者の運動欲求を実現するには、自己完結的=習慣的動きを打ち破る方向に展開していくしかないのだから。

「だっこ」を再体験することで、自分の中で、うまく言語化しきれてなかったものが、すこしまとまった感がある。孫に感謝ですね。ここで一区切り。

2019年10月18日金曜日

役に立つ以前

ここでの稽古には合掌行気以前、活元運動以前、等々、「以前」がつく稽古が多い。そもそもが、師匠の提唱するのが「消える整体」だからして、基本、ここでは役に立たない整体を目指している。役に立たないを目指すとは、役に立つ以前を目指すということで、つまりはお百姓さんのいうところの土づくりの部分にあたる。この百年、僕らは、地中からモノを取り出してきては、それらを加工して、役に立つものに変化させ、さらには、ぼくら自身を役に立つ存在に変容させていくことで、豊かさと呼ばれているものを実現させようとしてきたのだけれど、結果として、どんどん土地は痩せて、人も痩せてきてしまったのではないだろうか。いま、「せうそこ」の逆バージョンを考えていてーさっき、思いついたのだけれどー整体を学んだことのある、いろんな分野のプロと呼ばれる人たちに、「いかに整体が役に立たないか」を楽しそうに語ってもらおうという企画なのだけれど、実現可能性はあるかしらね。

2019年7月27日土曜日

ふつうに活元運動

30代の若者と80代のお年寄りが一緒に稽古したいという
さて、なにをやろうか
活元運動は共有されているようなので、三人一緒に活元運動をやってみることにした
なかなかよい

ここまで、稽古としての活元運動はやってきたけれど、
ふつうに活元運動をやるということはあまりやってない

ふつうに活元運動をする会
あえて、稽古会とは呼ばない会を8月限定でやってみることにします
1の日の午前です → 等持院稽古場日程

月末三日間の稽古会が終わったら、そのまま石川合同稽古会になだれ込みます
合宿形式の会なんて久しぶりだし、他の指導者と共同でやるのも久しぶり
ちょっと気合いが入ってきました

2019年3月14日木曜日

集注稽古

10連休?
稽古するしかない

【日時】  4/27,29,30,5/1,3,4,5のべ7日 11時〜16時
【会費】  1日5000円 
【定員】  5名 予約制
【参加資格】 整体協会会員であること

【日程および稽古内容】

4月27日 カタと同調1 
4月29日 動法入門 
4月30日 合掌行気以前・合掌行気 
5月 1日 筆動法入門・筆動法 
5月 3日 カタと同調2 
5月 4日 活元運動以前・活元運動 
5月 5日 連座入門・連座


【申し込み問い合わせ】
等持院稽古場 075-465-3138  toujiin@keikojo.jp

2018年10月18日木曜日

新潟・奈良・京都

大仕事を終えたばかりのヒスイ職人である友人が糸魚川から訪ねてきてくれたのが先週の水曜日。拙宅に一泊した翌日、奈良に向かうというので便乗させてもらうことにした。江戸末期〜明治初期の時代を生きた松浦武四郎という冒険家、好事家が残した大首飾りを再現してほしいとの依頼を松浦ゆかりの博物館から受け、半年がかりで取り組んだという。松阪で納品を済ませ、その後、四国、中国を回り、大首飾り一般公開の日に合わせて、再び松坂に向かう途中、京都に寄ってくれた。半年にわたる集注と納品を終えた安堵感からなのか、やや老けた感を漂わせていたが、ことばを変えれば、「大人になったな〜」という印象。本人も一世一代の大仕事だったと言っていたが、まさにそのような仕事だったにちがいない。奈良東大寺の一角に法華堂(三月堂)というお寺があり、そのご本尊の頭飾りにヒスイが使われているという。不思議なことに、装飾品としてヒスイが使われたのは、この法華堂の仏像が最後で、以後、忽然と美術史からヒスイは消えてしまう。新しい文明の象徴としての仏教と、それ以前の土着的なるものとのせめぎ合いがあったのだろうか。はじめて訪れる法華堂は東大寺最古の建造物だそうで、建物も中に収められている仏像も素晴らしいものだった。天河神社に向かうという友人とは近鉄奈良駅で別れ、京都に帰ってきた。

佐渡で民宿を営む友人夫妻が泊めてほしいとの連絡をもらったのは二週間ほど前。奈良大倭に行くという。はじめて大倭紫陽花邑を訪ねたのは、もう四十年も前のことで、当時、FIWCという毎夏韓国でワークキャンプをやっているグループが大倭の中に交流(むすび)の家という建物をつくり、そこを拠点に活動していた。はじめて韓国に行ったのは、このワークキャンプを通してのことで、記録をたどってみると、なんと1976年のことではないか。そのうちに、野草社という東京にあった出版社が大倭に引っ越してきたり、今回の友人夫妻も越してきて大倭の老人施設の職員として働きはじめたり、80年代半ばまで、つまりわたしが京都から東京に引っ越すまで、ちょくちょく大倭に顔を出していた。ここの会館をお借りして何度か活元会もやった記憶がある。ただ、関東に居を移して以来、疎遠になってしまい、今回の大倭行きは30年ぶりのことになる。交流の家はまだ残っていました。大倭で会った翌日、友人夫妻が京都にやってきた。新潟〜関空の間をピーチが飛びはじめてから、関西に来やすくなったようで、それは、関西から新潟に行きやすくなったということでもある。民宿をはじめて30年ということだが、毎秋開催されている佐渡でのトライアスロン大会の様子、四季折々の食べ物の話を聞いていると、また佐渡に行きたくなってしまった。前回行ったのは、まだ娘が小さかった時のことだから、これまた30年近く前のことになる。

2018年10月15日月曜日

稽古者のための活元運動

稽古場ネイティブの人たちも増えてきた
つまり活元運動を体験したことのない整体協会の会員が増えてきた
これ自体、まったくノープロブレムなのだが、ちょっともったいないと思ったりもする
活元運動を「稽古化」する試みを懸命にやったのは6、7年も前になる
折に触れて、このブログにも書いていたので、そちらを参照してみてほしい
「自発性」という言葉が再定義されることになったり、
わたくし的には発見の多い稽古になった
最近は、時折、「活元運動以前」をやるくらい
11月、三回シリーズで、「稽古者のための活元運動」と題して稽古してみます
稽古はしているが、活元運動は未体験の方、
あるいは、従来の活元運動とは違ったアプローチを体験してみたい方、
つまり、どなたでも参加可能です

2018年4月7日土曜日

活元運動以前

せうそこ参加者から「活元運動以前」の稽古をやりませんかというリクエストがあったので、せうそこ翌日の午前、参加者3名で開催。一番スタンダードな再現法を用いた様式を選択。稽古場の中では比較的活元運動になじみのある参加者だったこともあるが、活元運動を未体験の稽古場ネイティブの人たちに活元運動を教えることは可能だなという感触を得ることができた。活元運動の稽古化に取り組んで、もう5年以上になるのか。
http://dohokids.blogspot.jp/2012/12/blog-post_10.html

思い切って7月までの稽古日程出しました
但し、6月7月は暫定版の扱いです
http://dohokids.blogspot.jp/2016/12/34.html

2018年2月13日火曜日

テーマ

テーマ稽古というのをはじめて一年近く経つが、
いったいどんなテーマが出てきたのか、メモをまとめてみるとこんな感じ
坐法臥法といった基本的なものから、稽古会の復習まで、
いろんなリクエストを抱えてみなさんやってくる
なかには謎掛けみたいなテーマを言ってくる方もいて、これはこれで愉しい

すり足
坐法
臥法
支点をはずす
一息脱力 L4、L2
垂直感
封じる
空中視点
感覚の境界線
随伴行気
卵巣の行気
地と図
合掌行気以前
合掌行気
三角形の解体
三点の集注
裡のうごき
活気づけ
五七五
観点
相互運動
活元操法