2025年12月30日火曜日

12月の読書

 Instagramに読書ノート的なものを書いていたのだが、いろいろ面倒臭い。
やはり、のちのちデータベースとして使える、このブログを優先させることにする。

ヘルシンキ 生活の練習はつづく* 朴沙羅 筑摩書房 2024 
 著者の朴沙羅さんが、昔の知り合いのお嬢さんだと知って驚くとともに、妙に納得。いかにも京都あるあるなのだけれど。

きみの体は何者か* 伊藤亜紗 筑摩書房 2021 
 伊藤亜紗がジュニア向けに書いた100頁に満たない薄い本。伊藤さんの吃音者の当事者性を前面に出すことで、読みやすい本に仕上がっている。自分の意志通り動いてくれない体との付き合い方において、すべての人間は当事者なのだ。生きるためには技が要るのです。伊藤さんの研究の原点ここにあり。おすすめ。

インド映画はなぜ踊るのか* 高倉嘉男 作品社 2025
 映画と映画産業の歴史を通して、インド文化に迫る。第七章で取り上げられている「ラサ理論」という紀元6世紀以前(紀元前6世紀に遡るという説もある)に成立したという芸術理論もあるそうな。深い。巨大映画館の盛り上がりは、たしかに凄かった。半世紀も前の話だけれど。


生きるための読書* 津野海太郎 新潮社 2024 
 津野海太郎というと、2000年前後に出ていた「季刊・本とコンピュータ」の印象が強い。1938年生まれというから、もう80代後半なんだ。その、もうじき死ぬ人が、伊藤亜紗、小川さやか、藤原辰史といった1970年代生まれの若い研究者たちの著書を俎上に上げ、学問の気風の変化を好ましいものとして感想を述べているところなど、そうですよね〜と相槌を打ちながら読んでいくと、その人たち態度に通底するものとして、鶴見俊輔の「牙」のある「静かなアナキズム」にたどり着くのだ。

完本 神坐す山の物語* 浅田次郎 双葉社 2024 
 何年か前に、読んだはずの本が、「完本」と銘打って数編の短編と書き下ろしを加えて新しい書籍となって出ている。読後感がまるで違う。仏教伝来以前からこの列島に連綿と伝わり、様々なものと習合しながら現在に至る、見えなものとともに在る山岳信仰の姿を描いている。舞台は武蔵御岳山。


縄文 革命とナショナリズム* 中島岳志 太田出版 2025
  この本は縄文時代についてではなく、戦後、日本人が縄文に何を投影してきたかについての本である。縄文は漠としているから、なんだって投影することができる。多くの知識人たちが、我田引水とも呼べる強引な手法で、自説を補強するための道具として縄文を利用してきた。陰謀論、オカルトとも容易に接続可能である。
 読み方を変えれば、自分自身の縄文観が、どの時代に、どの知識人たちの、どのような言説に影響されて形成されてきたかを知ることができる。この本に出てくるものでいえば、島尾敏雄のヤポネシア論、中尾佐助の照葉樹林文化論といったものの影響を受け、僕自身の縄文観(というよりも、古層のイメージ)が形成されてきたらしい。

カキじいさん、世界へ行く!* 畠山重篤 講談社 2024

体はゆく* 伊藤亜紗 文藝春秋 2022

2025年12月27日土曜日

ふりかえり2025

 歳取るとともに一年が短くなるというが、まったくその通りで、暑すぎた夏の記憶(この夏の京都市は61-68で記録更新。つまり、猛暑日が61日、熱帯夜は68日に及んだ。こんな街は京都だけである。)だけが鮮明で、あと何があったか不覚にも、よく覚えていない。であるのに、あと五日で今年が終わってしまうというではないか。孫たちがやってきて、このまま新年を迎えてしまうと、今年がどんな一年であったか忘れてしまいそうなので、記録と記憶を元に、一年を振り返ることにする。

 まずはお遍路。2月、4月、11月の3回、四国に出向き、38番札所金剛福寺から45番岩屋寺まで250キロを歩いた。正確にいうと、うち30キロはバス利用である。お遍路四年目にして、ようやく全行程の6割を打ち終えたことになる。ともかく土佐路が長かった。まさに修行の道場。来年からは、岩屋寺から松山市に入り、瀬戸内海に沿って歩くことになる。瀬戸内路に入っても、まだ難所はあるようだけれど、往復に費やす時間は短くなってくるはずである。

 12年ぶりのヨーロッパ行きは、一番のビックイベントだったはずなのに、冒頭に書いた京都の夏の暑さにやられて、今年前半の出来事は忘却の彼方に飛んでいってしまいそうである。それでも、秋になって、ドイツ、オーストリアの稽古会で会ったうちの何人かが京都を訪ねて来てくれたので、幻ではなかったことを確認することができた。ヨーロッパの物価の高さを実際に体験すると、インバウンドブームの本質が過剰な円安にあることがよく理解できる。元凶はアベノミクスです。

 長年ホームグラウンドとしていた大井町稽古場が3月末をもって閉鎖になってしまった。もう更地にされ、その後に新しい家が建っていることだろう。ひとつの歴史の終わり。ヨーロッパに行っている間に起こった身体教育研究所の整体協会からの分離独立騒動。この話を聞いてから僕はずっと怒っていた。周囲の人たちの付和雷同ぶりも気に入らない。そう、この秋、ずっと怒っていた。いまや大多数となった稽古会が整体の入口だった人たちと、身体教育研究所を闘いながらゼロから作ってきた人間とでは、歴史観が違っている。

 困ったことに、自分が稽古会でやっていることの9割は、この我儘師匠に教わってきたことで、しかも、ここにきて、人為を離れるための技法がさらに進化深化している。観客然としている立場ではないのだが、この続きを見ないわけにもいかない。さて我が身をどう処するべきか。怒りはまだおさまってない。が、結論は出た。

2025年12月26日金曜日

整体法研究所のころー1992年5月

 1992年というと、僕が整体協会の事務局に入って6年目、稽古場が立ち上がって4年目の年になる。その頃の稽古場というと、まだ指導者養成の場という看板を上げていて、整コンを目指す人たちも稽古に参加していた。稽古場の指導者制度、つまり、技術研究員、動法教授資格といったものが確立されるのは1998年まで待たなければいけなかった。整体協会の中で指導者と呼ばれるのは、整体コンサルタントであり、活元コンサルタントであった時代の話である。

 その時の僕の身分は、まず整体協会事務局資料室員、かつ、本部稽古場運営担当を兼務。資料室員といいながら、稽古場担当の比重がどんどん高くなっていた頃である。しかも、助手と呼ばれていたダン先生の弟子たちが増えていき、つまり、その人たちを統括する中間管理職でもあった。時折、自分の稽古会でのマクラで、「僕の不幸は、ダン先生が師匠ではなく上司として現れたことだった」と話すことがあるのだが、これは誇張ではない。

 京都から東京に移った理由のひとつは、僕自身整コンを目指していたからである。事務局で仕事しながら段位試験も受け、この年、整体コンサルタントの試験も受けた。ただ整コンになるということは、独立することであり、事務局も辞め、どこかにーたとえば、実家のあった岡山にー指導室を構えることを意味していた。

 整体コンサルタント試験が終わり、そろそろ結果が発表されるころのある日、ロイ先生に呼ばれた。おそるおそる会長室に顔を出すと、ロイ先生は困ったような顔で、「キミはどうしたいのかね」と問われた。つまり、事務局に残って、ダン先生の手伝いを続けるのか、それとも整コンとして独立するのか。何日か猶予をもらうことにし、その後、返事をした。

 どの道を選んだかは、ここに書くまでもない。自分で下した決断の重さを消化するために休暇を取って旅に出ることにした。友人を恃んで、一週間、カリフォルニアに逃げた。(当時の記録を掘り起こしてみると、信じがたいことに、東京ーサンフランシスコの往復運賃が66,000円とある。)

 もちろん、整コン試験の合格者の名前に僕の名前は含まれてなかった。ただ、試験官だった柳田先生、吉田先生、堅田先生といった大御所と呼ばれていた人たちの講評にどのような内容が書かれていたのか、今でも、少しだけ気になる。ロイ先生にはご迷惑をかけた。

 この頃から、稽古場の輪郭が徐々に形を取りはじめ、本部との路線の違いが大きくなっていく。稽古場がまだ整体法研究所と呼ばれていた時代の話である。

2025年12月25日木曜日

年末年始読書週間

さてどこまで読めるか。



2025年12月11日木曜日

美容院で髪を切る

美容院に行くのはおそらく20年ぶりのことだ。
京都に来てからというもの、髪を切るのは近所のチェーン展開している散髪屋、しかも二、三ヶ月に一度と相場が決まっていたから、僕にすれば相当の飛躍である。

いきなり、70過ぎの爺さんが現れ、ちょっとパンクでヤンチャな感じにしてくれとリクエストされ、紹介者たるカミさんが、横からベッカム風がよいなどと口を挟むものだから、40代の美容師さんも困ったに違いない。

でも、さすがプロですね。手際よく髪全体の形を整え、そこから、こちらの無茶振りをかたちにしてく。小一時間のうちに、ヤンチャな新生スナジイが出現した。



2025年11月29日土曜日

11月の読書

松本清張の女たち* 酒井順子 新潮社 2025
僕の歩き遍路* 中島周平 西日本出版社 2022
ぼけと利他* 伊藤亜紗・村瀬孝生 ミシマ社 2022
異国トーキョー漂流記 高野秀行 集英社 2005
建築と利他* 堀部安嗣・中島岳志 ミシマ社 2025
トランジェクトリー* グレゴリー・ケズナジャット 文藝春秋 2025

2025年11月25日火曜日

イベント案内 「関西フォークムーブメントと社会運動──かわら版、ハンパク、フォーク集会」

立命館大学平和ミュージアムで12月20日(土)、「関西フォークムーブメントと社会運動──かわら版、ハンパク、フォーク集会」というイベントが開催されます。

12月20日 土曜日 14時〜17時 無料 予約不要

 https://rwp-museum.jp/event/20251220_01/




遍路2025 杖を忘れる 

お遍路は杖と一緒に歩く。杖はお大師さまだという。
ただ、この杖の存在をぽっかり忘れることがある。頻繁にある。
一週間の時間が生まれたので遍路に出た。立冬を過ぎているから冬遍路である。
まずは宇和島に向かう。

いっと最初から忘れた。思いのほか早起きしたので、準備万端整えて、予定より早く家を出発して、最寄りのバス停に向かう。数百メートル歩いたところで、杖を忘れていることに気づく。慌てて家人に電話。途中で杖を受け取り、今度は違うバス停に向かって歩きはじめる。

無事宇和島駅に到着。改札を出て駅構内の端っこの喫煙所に向かう。一服して、その日の宿のある方向に歩き始める。数十メートル歩いたところで、杖がないことに気づく。慌てて戻る。遍路初日で二度も杖を忘れるという失態。前途多難だ。

遍路4日目。大洲から内子を通り抜けて大福という旅館を目指す。車道をひたすら歩く一日。内子に入る。内子に来るのは二度目、八年ぶり。前回は夏の人形浄瑠璃公演を観にきた。土地勘があるつもりで町に入ったが、どうも怪しい。ビジターセンター近くの公園のベンチで地図を広げ、前回泊まった宿の場所を確認し行ってみることにする。宿は閉まっていて、その前のベンチに座り、その先を考えていたのだが、杖が手元にないことに気づく。どうやら、さっきの公園に起き忘れたらしい。ちゃんと、そこに戻れるかどうか。

遍路最終日。古岩屋から久万経由で松山市に入る。大街道という市の中心らしいとこでバスを降り、商店街のアーケードを抜け、街の概要を把握しながら、ずんずんとJR松山駅を目指す。あとはみどりの窓口で京都までの切符を買うのみ。連休がはじまるからなのか、行列ができている。その行列に並んでいるうちに杖がないことに気づく。置き忘れたとすれば、駅前でリュックを下ろしたところか。いや、駅前の横断歩道を渡る前にも一度、荷物を下ろしている。行列から抜けるわけにもいかず、やや悶々としながら順番を待っていた。

無事、杖と一緒に帰ってきたものの、今回、杖を忘れる回数が多過ぎた。
先を急ぐと、杖を忘れる。

今回の遍路は宇和島から岩屋寺へ、海から山への百キロの行程。岩屋寺は45番札所。とうとう八十八ケ所の半分を越えたことになる。GoogleMapには極力頼らず、紙の地図を参考にしながら歩くようにした。この方が断然、風景に目がいく。手持ちのスマホのカメラはしょぼ過ぎるので写真も撮らない。かといって、写真なしのブログも寂しいので、宇和島の鯛めし屋でもらった【鯛めしの食べ方】を載せておくことにする。あれはちょっとクセになる味だった。




2025年11月6日木曜日

秘密基地

目下のところ、狭い台所を拠点にして暮らしている。
火を使う、狭い、ホットカーペットがテーブルの下に敷いてある。
つまり、この台所が家の中で一番暖かいという理由による。
去年の暮れ、長年使ってきたダイニングテーブルは脚を切られ和机に変身。
その机の前に正座して本を読むもよし、煙草を吸うもよし。
一動作で冷蔵庫の扉を開け、一動作でガス台の火を付けられる。
この机を起こしてしまえば、布団一枚敷くスペースは生まれるから、
この狭い台所だけで暮らせるんじゃないかと思うほどである。
照明は暗めにしてあるから、穴倉感濃厚。
まるで秘密基地じゃないか。

2025年10月29日水曜日

10月の読書

観世寿夫 世阿弥を読む* 観世寿夫 平凡社ライブラリー 2001
京都* 黒川創 新潮社 2014
人が減る社会で起こること* 工藤哲 岩波書店 2025
BUTTER*.  柚木麻子 新潮社 2017
開墾地* グレゴリー・ケズナジャット 講談社 2023

2025年10月27日月曜日

関西公演終了

チャーリーとトリーナの三日間にわたる関西公演無事終了。
音楽ホール、神社、寺院という三つの会場で、それぞれ異なる時間帯に催された演奏会。
受付周辺をうろうろしながら、アイリッシュハープと薩摩琵琶の音色に耳を傾けていた。
ちょっと距離のあるところから流れてくる音の心地よさというのがあることに気づく。
構えて聴くのではなく、聴こえてくる音に身をまかせる感じ。
演者と聴者という垣根が低い状態。

トリーナがひとりで演奏していると、ハープの音色として聴いているのに、そこにチャーリーの薩摩琵琶の音が入ってくると、ハープの音が、どんどんピアノの音に聴こえてきてしまうのはなぜなんだろう。

ふりかえれば、半年におよぶプロジェクトだったわけだ。
チラシ配りで、普段は行かないお店に出かけたり、音楽ホールの楽屋をフラフラしたり、はじめてする経験も多かった。

そして明日からは稽古会。





2025年10月24日金曜日

遠くを見る

遠くを見ることがなくなった。
北野天満宮のあたりまで行けば、東に比叡さんの頂を望めるし、
うちの近所からだと愛宕山も見える。
でも、目の前30センチのiPadやパソコンの画面を見ている時間の方が、はるかに長い。

このことに気づいのは、最近、ある人と一緒に稽古たからだ。
内観しているうちに、はるか遠くを静かに眺めている集注が現れてきた。
いいなあ、この感じ。
忘れていた懐かしい感覚。

そうだ、この人、中央アジアの国に行ってきたばかりなんだ。
シルクロード、砂漠、天山山脈…。
人が旅に出るとは、いつもと違った集注を体験するためなのか。
なるほど。

四畳半の稽古場から天山山脈を望む。

2025年10月10日金曜日

アイリッシュ・ハープと薩摩琵琶で巡る音楽の旅

水無瀬神宮、妙蓮寺開催分の演奏会は満席となりました。
10/24、青山音楽記念館でのトリーナ・マーシャル ソロコンサート「うたう弦」は、まだ席に余裕があります。

水無瀬神宮開催分の会は満席になりました。。(10/10)
京都妙蓮寺開催分の会は満席となりました。(10/3)

9/23 プレスリリースが出ました。
今回のツアー情報が網羅されています。

このツアーの関西パートをまとめておきます。

【10月24日 金曜日】
うたう弦(いと) トリーナ・マーシャル アイリッシュハープ ソロ
会場 青山音楽記念館バロックザール  19時〜
チケット取扱中(メール申込で前売料金、チケット当日渡し dohokids@gmail.com


























【10月25日 土曜日】
アイリッシュ・ハープと薩摩琵琶で巡る音楽の旅
水無瀬神宮 17時〜

【10月26日 日曜日】
アイリッシュ・ハープと薩摩琵琶で巡る音楽の旅
妙蓮寺 14時〜



ツアー全体の詳細はこちらで。
















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2025年9月27日土曜日

9月の読書

鴨川ランナー* グレゴリー・ケズナジャット 講談社 2021
ぼくらの「アメリカ論」 青木真兵・光嶋裕介・白岩英樹 夕書房 2024
1945 最後の秘密* 三浦英之 集英社クリエイティブ 2025
冒険の書-AI時代のアンラーニング* 孫泰蔵 日経BP 2023
テクノ封建制* ヤニス・バルファキス 集英社 2025
暗殺の年輪* 藤沢周平 文春文庫 2009
がいなもん-松浦武四郎一代* 河治和香 小学館 2018

2025年9月21日日曜日

心中天網島

めずらしく感情的処理能力を超える案件に悩まされている。
こういう場合、どうすればよいのだろう。
不条理には不条理をぶつけるしかない。
で、お彼岸のお墓参りのついでに文楽を観に行くことにした。
菩提寺のある上町台地から、坂をとろとろ下り、徒歩15分で国立文楽劇場に着く。

人形浄瑠璃が描く世界は不条理で満ちている。
今回の演目である心中天網島は初見だったが、遊女小春に入れ込む紙屋治兵衛なんて、ただのダメ男で、遊女小春と女房おさんの義理がテーマなのだ。小春を死なせないために、夫の治兵衛に小春を身請けしろと言う心持ちなど、現代人の感覚からすればという「留保」をつけるべきかもしれないが、理解不能である。

最後の幕は、心中への道行が描かれていて、治兵衛が小春の喉を刺し、自分は首を吊ってしまうという場面を人形は演じてしまうのだ。もう凄惨そのものな場面であるのに、人形がやると、なぜか美しく、観ている者にカタルシスさえ与えてくれる。

江戸時代の大阪庶民はこの浄瑠璃をどのように見ていたのだろう。
それぞれに心中を希求する心があって、その実現を人形に託したのだろうか?
不条理で苦に満ちた現実世界を、この浄瑠璃を見ることで、いっときでも忘れられたのか?

見終わったあとの清々しさに自分でも驚いた。

それにしても映画「国宝」も大阪万博も、文楽劇場にはプラスに働いてないように見えるのはどういうことか。コロナ後はじめての文楽劇場だったけれど、空席の多さに驚いてしまった。





2025年9月17日水曜日

お先に失礼

西ノ内多恵さんの訃報を聞いたのは8月の下旬。
それから一月経って、西ノ内さんから葉書が届いた。
「お世話になりました。お先に失礼いたします」とある。
ご遺族の方に準備万端整えて、指示を出されていたようだ。
僕が大井町稽で稽古していた頃、僕が三人娘と勝手に呼んでいた年長の先輩のひとり。
わらべうたの研究者であり、詩作もされていた才女。
小杉さんのVサイン遺影もカッコよかったけど、西ノ内さんの挨拶文もお洒落だ。
92歳7ヶ月での大往生。
ありがとうございました。

2025年8月30日土曜日

京都十年 その8

二年連続の50-50だそうである。
大谷くんの話ではない。
京都で最高気温35度越えの猛暑日が50日、最低気温25度越えの熱帯夜が50日。
全国で最初に記録したらしい。
こんな記録が出る地域って、日本広しといえども、そう多くはない。
つまり、全国一、暑さが過酷な都市と呼べるのではないか。
十年前より、確実に暑くなっている。
午後の時間帯に出かけるのは大袈裟でなく危険。
それでも、赤トンボは飛び、夜には虫の声も聞こえるようになった。



2025年8月29日金曜日

8月の読書

優しい地獄* イリナ・グリゴレ 亜紀書房 2022 
みえないもの* イリナ・グリゴレ 柏書房 2025
ギリシャ語の時間* ハン・ガン 晶文社 2017
酒を主食とする人々* 高野秀行 本の雑誌社 2025
OFF GRID LIFE*  フォスター・ハンティングトン トゥーヴァージンズ 2022
限界国家* 楡周平 双葉社 2023
ジブリをめぐる冒険* 鈴木敏夫・池澤夏樹 スイッチ・パブリッシング 2024

家父長制の起源* アンジェラ・サイニー 集英社 2024
 今年になってから読んだ本の中で、群を抜いて面白かった。非婚が女たちによる家父長制への抵抗運動であると理解すると、確かにいろんなことが腑に落ちてくる。学術的な本かと思いきや、考古学、歴史学、社会学、宗教学等々を縦横無尽に飛び回る冒険の書でもあった。バックラッシュが跋扈する現代日本を読み解く上でも役に立つ一冊。


2025年8月14日木曜日

京都十年 その7

お盆だ。
十年の間に、多くの身近な人が逝ってしまった。
稽古仲間だけでも、室野井、小杉、吉木、剱持、栗田……。
小杉さん以外、みんなオレより若いじゃないか。
憎まれっ子世に憚るとはよく言ったものだ。
とうとう吉田の大将も逝ってしまった。

京都に戻るきっかけを作ってくれた片桐ユズルさんも逝き、稽古に通って来てくれていた片桐庸子さんも昨年亡くなった。なんだかんだいって、この二人の最晩年に付き合えたのはよかった。

そう、生きてるうちは生きなきゃならん。
しっかりと。

2025年8月13日水曜日

京都十年 その6

ここ十年で一番の変化は衣に関してだろう。
稽古着、和服を着る時間が増えた。
大井町稽古場時代、通勤時は洋服であったし、稽古着の点数も少なかった。

連れ合いが和裁を習い始めてから5年になるが、時間とともに、稽古着のヴァリエーションがどんどん増えていった。今では長着、稽古袴はいうに及ばず、襦袢、ステテコに至るまで、手縫いのものを身につけている。さて、今日はどれを着ようか、などという贅沢な悩みを持つようになったのは人生初である。麻の稽古着なしに、もう夏は過ごせない。

連れ合いが和裁にたどり着くまでの経緯は話せば長くなるが、頼りがいのある先達を得ることで、文字通り日々精進している。ひとつのことに打ち込んでいるー不器用とも呼ぶがー存在が身近にあることは有り難い。

最近ようやく人様の袴を引き受ける心境にたどり着いたらしい。

2025年8月12日火曜日

京都十年 その5

 ここ十年で一番大きな出来事は、なんといっても2020年に始まったコロナ禍であろう。この年の春、世の中に不穏な空気が充満し、これは、<蟄居>するしかないのかと思いはじめた、そのタイミングで娘のところに不幸があった。しかも、娘は妊娠中。そうなると、ジージが頑張るしかない。ここから、緊急事態宣言が発出され、不要不急の外出はお控えくださいとのアナウンスの中、僕の千葉通いが始まる。新幹線のひとつの車両に乗客は僕ひとりというシュールな体験をしたのもこの時だ。9月に生まれた3人目の孫が満3歳になるまでの3年間、千葉通いはほぼ毎月続いた。人生で一番動いた3年間だった。

 コロナ禍によって明らかになったのは、どれだけ社会が「医療化」されているかということだ。ワクチン、マスク、消毒は言うに及ばず、人と人との距離、クシャミのしかた、トイレの流し方に至るまで、根拠があるようなないような言説が拡散され、社会生活を送る上での規範とされた。年寄りたちの過度に医療化された姿は醜悪でさえあった。インテリたちの振る舞いも同様で、気骨がありそうな知識人たちの腰抜けぶりがあぶり出された。反ワクとヘイトが奇妙なかたちで結びついた政党が姿を現してきたのもこの時期だ。

 日本で暮らしていると、一生に一度くらい大きな地震と遭遇する可能性は高い。東日本大震災は経験したとはいえ、被災したわけではない。戦争の匂いがかすかに残っている時代に生まれ、経済高度成長期の中で成長し、バブルが弾けたあたりから、半出家者のような生活を送ってきた。父や祖父の世代がくぐり抜けたてきた戦争のあった時代を幸いなことに知らないままここまでたどり着いたけれど、さて、どうなる。

2025年8月11日月曜日

京都十年 その4

白山稽古会との関わり方もずいぶん変わった。
なんせ、この会が始まった当初は、東京から上越新幹線で越後湯沢、そこからほくほく線で直江津。そこからさらに北陸本線で金沢というルートで、片道7時間くらいかけて通っていたのだ。その後、飛行機を使うことも増えたが、長距離遠征であったことは変わらない。

北陸新幹線が金沢まで繋がったのが2015年3月。京都に越してくる半年前のことで、新幹線の恩恵を受けることなく、京都から、今度はサンダーバードで通うことになる。東京から通うことに比べ、特急2時間で北陸にたどり着けるというのは極楽であった。のどかな琵琶湖の湖面を眺め、福井に入ってからは、白山山系の山並みを望む。新幹線に比べるとはるかに旅情を感じさせるものだった。ただ、雪や大雨には弱く、途中まで行って引き返すことになったり、逆に大雪で缶詰になり、京都に戻れなくなったことも、一度や二度ではない。北陸新幹線の敦賀延伸によって直通のサンダーバードは姿を消し、乗り換え2回しないと会場のある松任にたどり着けなくなってしまった。電車の中で眠る快楽も失われた。

白山稽古会、長くやっているせいで、まとまりがある。HUBとなって世話してくれている方のおかげである。振り返ると、この会は2009年に始まっているから、もう16年続いていることになる。

京都十年 その3

世界一小さい四畳半の稽古場というのが、ここの売り文句。
それでも、十年の間に、多くの人がやってきた。
定着率の低さは自慢にもならない。

新しい出会いを得て結婚宣言した時の、稽古参加者の激減ぶりは予想以上だった。
そうか、自覚はなかったけれど、みなさん僕のことを男として見ててくれていたのだ。それとも、整体指導者は清く正しい存在であるべきという規範があったのか。たしかに、整体指導者って、俗と聖のギリギリの間に棲息する生きものなのだ。俗な話を聞くことをを自らの動力にして、しゃーしゃーと生きる妖怪なのかもしれない。

海外からも大勢やってきた。
ことに、ブラジルの田中さん繋がりの人にとって、日本にやってくることは聖地巡礼であり、その中のひとつに、この小さな稽古場を含めてもらったのはありがたかった。ドイツから定期的に訪ねてきてくれる人もいた。自分自身が海外に出かけることは、考える余裕さえなかったが、不思議なご縁で、この6月、ヨーロッパ行きが実現した。

それぞれの稽古場には、会員同士のコミュニティが形成されることが常なのだが、結局、等持院稽古場には、そのようなものは生まれなかった。生まれかけては消えていった。コロナの影響も大きい。僕が亭主で、稽古する人は客としてやってくるというスタイルが定着してしまった。

十年で、一巡りした感じはある。
十年って、こんなに速く過ぎていくものなのか。

2025年8月6日水曜日

京都十年 その2

 京都に戻ってきてからの十年、なぜ昭和のラジオ少年が整体の道を志したのかということを、ずっと考えていたように思う。不思議っちゃあ不思議でしょ。科学技術全盛の時代に育ち、真空管ラジオを組み立て、自作機でアマチュア無線をやっていた少年が、紆余曲折の末、野口晴哉の思想と出会い、整体の道に入る。

 科学とはなにか、科学技術とはなにか、稽古会に来ていた人の主宰する読書会などで、整体の話をしようとすると、どうしても、自分がどこからやってきたのかについて考えざるを得なくなる。そうして、日本人はどのように科学技術を受容してきたのかという歴史にまで射程を広げざる得なくなっていった。そして、自分自身が、時代の流れの中で、ラジオ少年となっていったのか、少しづつ理解するようになった。→ 読書会メモ

 そんなラジオ少年が、いきなり異文化に放り出される。そこからが第二幕、20代ということになる。三年弱の期間の中で咀嚼できなかった体験をどう理解していくのか。そもそも、体験するとはどういうことなのか。人が学ぶとは、どういうことなのか。そんな疑問がライフワークとなっていく。そう、ライフワークとは、大きな異化感から生まれる。その糸口として、整体を学び始める。→ 学ぶということ

 現在地にたどり着くまでの過程は、積み重なる偶然の産物に過ぎない。もちろん、折々、種々の選択をしてきたことは、その通りだけれど、その選択にしても、十年前、この家に一目惚れした時のように、「ふと」選んでしまうのだ。最初は小さな選択であったとしても、ものごとが動きはじめると、とんでもない未来が立ちあらわれてくるのが、人生の面白いところでもある。あれよれよという間に70代になってしまった。

2025年8月4日月曜日

お米が切れた。

とうとう、米櫃が空になった。
実家が兼業農家の稽古会参加者の伝手で譲ってもらった石川産の玄米。
米の値段高騰のニュースを横目で見ながら、まだ大丈夫と高を括っていたのだが、とうとう食べ尽くした。
スーパーの棚に米は戻ってきているが、高い。
銘柄米だと5000円。パールライスで3000円。カリフォルニア米も同じく3000円。
どれも白米、無洗米で、玄米は置いてない。
家庭用の精米機で七分付きのお米にするのがわが家の慣わし。
さてどうする。

米屋を目指すことにした。
配達から戻ったばかりの体の店主としばし雑談。
まだ新米は置いてなかったけれど、玄米が買えた。
滋賀産のコシヒカリ、5キロで4150円。
これで、新米が出回るまで、食いつなげそうだ。
米は米屋で買うべし。

2025年8月3日日曜日

京都十年 その1

 若い不動産屋のスタッフに連れられ、この家にやってきたのが2015年の8月3日。やはり、暑い日だった。40度を超えていたであろう閉め切られたこの家に足を踏み入れ、間取りを確かめた。引っ越してきたのが9月の25日だから、この日から2ヶ月経たないうちに、京都の街に降り立ち、第二次京都暮らしをはじめた。→ 前にすすむ6

 それから丸十年。第一次京都暮らしも十年だったから、同じくらいの時間をこの街で過ごしたことになる。といっても、20代と60代では、同じ10年といっても、まるでちがう。1970年代と2010年代の差も大きい。十年前、京都の街に降り立ったとき、すでに還暦を過ぎていたが、古稀を通り過ぎた今から振り返ると、まるで青年のようであった。

 平穏とはほど遠い十年間だった。2015年の秋に越してきて、コロナが始まったのが2020年。2020年の春から2023年の秋までは、コロナ禍にもかかわらず、毎月千葉に通った。平和な日常が戻ったと言えるのは、その後のことで、ここ数年のこと。

 30年ぶりに京都で暮らし始めた当初、ずいぶん街が小綺麗になっていたことに違和感を抱いた。言葉を変えるとテーマパーク化していた。観光地として整備されたというべきか。いわゆるインバウンドと呼ばれるものは、すでに始まっていたが、十年後のいまと比べるべくもない。

 京都に引っ越そうと思った理由のひとつは、毎月末行われている京都稽古会の存在がある。風景とすると、僕自身は、この稽古会の風景が好きだ。月に一度、西日本各地から人が集まってくる。2015年の段階で、季節によっては宿が取りにくいという状況は生まれていた。それが、インバウンド増加の影響で宿泊費が高騰してしまった。稽古会参加者にとっては死活問題である。

コロナ前とコロナ後。この五年間で、いろんなものが変わってしまった。

2025年7月30日水曜日

7月の読書

ノイエ・ハイマート* 池澤夏樹 新潮社 2024
家事か地獄か* 板垣えみ子 マガジンハウス 2023
森の探偵 宮崎学・小原真史 亜紀書房 2021
イマドキの野生動物* 宮崎学 農文協 2012
感情の向こうがわ 光岡光稔・名越康文 国書刊行会 2022
地図は語る* J・チェシャー O・ウベルティ 日経ナショナルジオグラフィック 2023

2025年7月22日火曜日

風景としての整体

風景としての整体というものはある。

では、どこまでが整体で、どこから整体でなくなってしまうのか?
やっている中身はともかく、畳の上で行うことで成り立つ整体というものはある。
では、フローリングの床でやった今回の稽古会ー当地ではワークショップと呼んでいるーはどうだったのか?

身体観が変わらないと整体は理解できない。
まったく、その通りで、身体観を変えていくことで、僕らは整体の道を進んできた、はずだ。では、身体観を変えるための整体という表現は可能なのか?

ドイツで長年続いている稽古会に参加している日本人の方が、ウィーンのワークショップにやってきて、動法を初めて経験する当地の人が「カタ」に入るのを目撃してカルチャーショックを受けたと、事後、メールで感想を送ってくれた。新しい身体観に触れたことは確かだろう。でも、それは、整体と出会ったのか?

Feldenkraisをやっている人が、あるいは、seikihoなるものをやっている人が稽古に来て新しい身体観に触れる。その後、その人がやることは、Feldenkrais 2.0に、seikiho2.0に変わるかもしれない。でも整体にはならないだろう。このようなかたちで新しい(新しいのか?)身体観が広まっていくのを、僕らは素直に言祝ぐべきなのか?

結論の出ない宿題をもらって帰ってきた。

時差ボケもようやく抜けてきたのでー夏バテ気味ではあるけれどーヨーロッパ2025シリーズは、これで一区切りとします。

2025年7月14日月曜日

ブラジル組

ウイーンでの稽古会にブラジル組が参加してくれた。
サンパウロで活動する田中さんの仲間たちである。

ひとりは4年前、コロナ禍のとばっちりで、ゲーテ協会の招きで日本に来るはずだったのに、”online residency program”なるものに甘んじなければならなかったL。ベルリンを拠点とするダンサー/コレオグラファー。ZOOMでしか会ってなかった本人が生身の触れ合える人間として、目の前に現れた。→ skima

もうひとりはJ、奥さんと二人でオランダのDelftという街からやってきた。12年前、ブラジルに田中さんを訪ねた時、世話を焼いてくれたJは、その後、ボストンで5年暮らし、今は、オランダで暮らしているという。多感な青年が、逞しいややオジサンの要素まで付け加えて姿を見せた。→ road to brasil 2013

そのJ、稽古会の前日、録音機材と撮影用の三脚まで持って僕らの宿に現れた。延々2時間、幼少期から、青春時代、整体との出会い、さらにその先のことまでインタビューされた。かつて、こんなに自分のことを喋ったことはない。稽古場には30人の指導者がいて、ひとりひとり語ることは違うだろう。僕に整体を語る資格はないけれど、ひとりの整体の徒として経験したことなら話せるかもしれない。そんな風にインタビューは始まった。2時間喋ったらもう疲労困憊。ただ、本番へのよい助走にはなったように思う。“My story with Seitai “というタイトルの本が一冊書けそうなくらい濃密な時間だった。

Jとは、東京で会い(大井町稽古場)、サンパウロで会い、そして、ウイーン。3大陸で同一人物と会う機会って、そうはないよね。ものごとの伝わっていく様は不思議という他ない。

2025年7月12日土曜日

正念場

 整体の稽古会のため、毎月、石川に通っている。かれこれ一五年になる。金沢からローカル線で三つ目の松任という駅で降りる。松任は加賀の千代女の生まれ育った土地で、駅の近くに千代女の里俳句館もある。その目と鼻の先に中川一政記念美術館という小さな美術館がある。真鶴にあるものに比べると随分と規模の小さなものなのだが、空いた時間が生まれると立ち寄って、一政翁の作品に触れることにしている。

 この美術館で求めた一政翁の絵葉書をフレームに入れて机の上に置いて日々眺めている。「正念場」と書かれた墨書で九七歳の作とある。一政翁の作品は晩年のものほど素晴らしいのだが、それにしても九七歳の正念場って、いったいどのような正念場なのであろうか。


 ウォークマンが世に出たのが一九七九年のことだから、半世紀近くが経とうとしている。ウォークマンがiPodにとって代わられ、それがさらにスマホに置き換わって、イアホンで音楽を聴くのがすっかり定着してしまった風であるが、その習慣を身につけることなく七〇の歳を超えた。


 ところがである。この歳にしてイアホンをつけることになってしまった。原因は難聴にある。まさか老化が耳に現れるとは十年前には想像もしなかった。至近距離で会話している分に支障はない。ところが大勢の中にいるともうお手上げで、言葉が自分の上を飛び交っているのに、一人だけ無音のドームの中に閉じ込められているようで、まことにつらい。ふたば会に出席することも重荷である。それよりも、雨音が聞こえないのが寂しい。


 このような状況をどう受け止めるべきなのだろう。ここ数年は聴こえづらさという現象を受け入れ適応しようとしてきた。つまり孤独の道を選んで過ごしてきた。たしかに、年取ると共に行動半径は狭まり人付き合いも減ってはくるのだが、はたして、これを唯唯諾諾と受け入れるべきなのだろうか。聴覚補助機能を持つイアホンを使いはじめて気づいたのは、自分は聴くという行いを諦めていたという事実であった。外部補助に頼ることなく生きるという生活信条が逆に廃動萎縮ー使わなければ衰えるーを招いていた。


 それにしても、世界は音で溢れている。騒音だらけといってもよい。イアホンを付けていると、周りの音が均等に増幅され、音の嵐の中に放り出される。ここから必要な音だけを取り出して聞き取っていくなんて、なんと難易度の高い技を駆使して人は生きているのだろう。不思議なものでイアホンを用いて「聞こえる」とわかると、イアホンを外しても、少なくともしばらくの間は音の解像度が上がった状態で「聞こえる」のだ。さて休眠していた聴く力は蘇るのだろうか。それとも静かで平和な世界に引き返すのか。正念場である。


【初出 『会報 洛句』2025/7】 


7/12、時差ボケが抜けぬまま松任へ。美術館を覗いたら、「正念場」の現物が掛かっていた。初見ではないはずなのだが、思っていたよりも小ぶりの作品だった。また絵葉書を買ってしまった。




2025年7月11日金曜日

整体3.0

今回のヨーロッパ遠征のテーマは整体3.0。
なんで3.0なのかに、あまり意味はない。敢えていえば、new schoolの整体。

とはいえ、稽古としてやったのは、ただひとつ「隙間をとらえる」という「整体以前」と呼ぶべき稽古のみ。紙風船を使い団扇を使い、手を変え品を変え、ひたすら、体を捌き、間に集注するという稽古のみ。

活元運動を知っている人もいるようだったので、その準備運動を動法的にやろうかとも思っていたのだが、ある稽古の途中、脱力的な動きが出てきたと思ったら、それが、よく見かける、観念運動的活元運動まがいのものに変わってきたので、こりゃダメだと、活元運動には触れずじまい。習慣化された自発運動ーhabitualized spontaneous movementsなんて語彙矛盾に決まってる。

愉気の型で人に触れることを教えようとしたら、それまで受動的な感覚で人に触れる稽古をしていたはずなのに、掌が相手の体に届いた途端にやる気満々の能動の集注に変わってしまったので、これも中断。触れられている人が触れている人を身体集注に導く稽古に切り替えた。日本の稽古会でもよく見かける風景なのだけれど、整体3.0は難しい。

整体はmethod方法ではない。整体を生きるためのartなのだと強調してきたけれど、はたしてどのように受け止められたのか。そうそう、稽古場を説明するのが面倒で、整体協会にはold schoolとnew schoolがあって…と話することにした。使い勝手はすこぶるよい。その二つはどこが違うんだという質問が次に飛んでくることからは逃れられないけれど。

楽友協会

ウィーンの楽友協会Musikvereinで音楽が聴けたのは僥倖だった。
その音の豊穣さにカルチャーショック。想像していたよりも小さなホールで、客席数は800ほど。若手演奏家によるヴィヴァルディの「四季」をメインに据えた演奏会だったのだけれど、音の響きにちょっとたまげた。なるほど、こんな音を求めて、多くの日本人がヨーロッパを目指したのかと、ドイツ稽古会のメンバーである演奏家ひとりひとりの顔が瞼に浮かんだ。ここで、フルオーケストラの演奏を聴いたらどんな感じなんだろう。おそろしや。

まったく余談なのだが、父はミーハー・クラシックファンだった。要するに、有名どころーあの時代だと、カラヤンとかーのレコードを買ってきては、居間に鎮座するステレオで聴いていた。母が亡くなって何年もしないうちだと思うのだが、ある時、帰省したら馬鹿でかいプラズマテレビが置いてあってたまげたことがある。自宅では14インチのテレビを観ていたのに、実家に帰ると大型テレビ、といっても32インチか40インチくらいのもので、今となっては珍しくもないサイズなのだが、1990年代では、まだ珍しかったし高価だった。で、正月になるとNHKのBSで放送していたウイーンフィルのニューイヤーコンサートを嬉しそうに観て、「いつか行きたいな〜」などと宣っていた。そのニューイヤーコンサートが開かれる会場で音楽を聴いてきた。きっと、天国で喜んで、あるいは羨んでいることだろう。僕も、これからは、ミーハークラシックファンJr.を名乗ることにしよう。




2025年7月10日木曜日

栄養学

どこの国に行っても、その国の食事に適応し、日本食を恋しく感じるなんてことはないというのが僕の自慢だった。なので、海外旅行に日本食を携えていく人の話が理解できなかった。ところがである。今回、旅の十日目くらいに、お世話になっている知人宅で、ご飯に味噌汁、それと納豆が食卓に並んだときは、もう感動してしまった。

ドイツの人はよく食べる。現地化した日本人もよく食べる。チーズ・バターといった中身の詰まったものをよく食べる。ケーキもでかい。実際に日本のものに比べてどれも美味しいから、最初のうちは勧められるままに食べていたのだが、3日もすると、ベルツ博士の話に出てくる車夫状態になってしまった。胃がもたれて苦しい。

近代栄養学の始まりは19世紀のヨーロッパ。なんといっても、nutrition science、つまり科学である。日本の栄養学も、間違いなくヨーロッパ発祥の近代栄養学の輸入から始まっている。ドイツの人たちは、本家だけあって、栄養学に洗脳されている度合いが高いのではなかろうか。

整体の食に対する姿勢は、「食べたいものを食べたい時に食べたいだけ食べる」と至ってシンプルである。その食べたいという欲求は本物なのかを問うところが真骨頂で、放縦さからは遠い。入力と出力の間の感受性という人間的な要素が入ることで、機械的身体観とは一線を画す。なにより「少なく食べてたくさん働く」ことを整体と呼んでいる。

帰ってきた日の夜の食事は素麺。地植えしておいた大葉が巨大化していたので、庭から摘んできて薬味とした。





ノイエ・ハイマート

一緒に歳とっていく作家というのがいて、僕にとっては、池澤夏樹はそんな中の一人。夏の朝の成層圏 がデビュー作で1984年とあるから作家デビューとしては遅い(1945年生まれ)。この作家が北海道生まれだからなのか、いわゆる理系だからなのか、その透明感のある文章に惹かれて、ずっと読んできた。マシアスギリの失脚の一章一章を寝床に入って読むことを無上の悦びとしていた時期もある。このノイエ・ハイマートは新作。ドイツ語で新しい故郷。難民という現代におけるキーワードを題材に、他の人の作品を含む過去と現在の文章をコラージュした作品になっている。

小松左京 は日本沈没を、日本人が国土を失い難民化していく様を思考実験として書いたという。自らが難民となることを空想の外に置いておけるほど安閑の地に僕らは暮らしていない。



時差ボケと熱帯夜

京都に戻ってきて一週間が経つのだが、いまだに時差ボケから抜け出せていない。夜の早い時間に眠くなり、それが収まると夜中に目が冴えてくる。で、本を読んだり書きものをしているうちに、外が白みはじめ、ようやく布団に入る。そして、朝の遅い時間、今度は暑さで目覚める。

ヨーロッパも暑かったが、湿度が低い(ウィーン38%)から、日差しは強くとも木陰に入ると涼しいし、屋内もそれほど気温は上がらない。それに比べると、京都の湿気は79%で、平屋のわが家など、すぐ屋内で30度を超え、しかも夜になっても下がってくれない。常に熱中症と隣り合わせ。月刊全生に載っていた低温風呂を試して、だいぶ暑さに対する感受性は変わった。つまり汗が内向して、体の中に冷えが残っている。

そうこうしているうちに、今度は稽古場のエアコンが壊れた。前住者が残していった20年以上前の旧式のものだから、寿命が尽きたともいえる。仕方なく、近所の電器屋さんに、取り替え工事をお願いした。えらい出費だ。

暑さで記憶が溶けてしまう前に、ヨーロッパのまとめをしておこうと、「飛地と迷子」という文章を書いた。回りくどい分かりづらい文章になっているけれど、これは意図的にそうした。わが組織に海外会員がどれだけの数いるのか知らないけれど(今度、問い合わせてみよう)、すこしは、日本の外のことも考えていかないと、日本社会の少子高齢化をもろに反映している現状を変えられないのではないか、とも思う。僕はいつも境界線上にいる。

この週末は白山稽古会。

2025年7月7日月曜日

飛地と迷子

飛地という不思議な土地がある。
四方を異なる行政区域に囲まれた、島のような存在だ。

そこは飛地であった。
ドイツの中に存在する、その国ではない土地。実在する土地があるわけではない。ただ、日本語で運営され、日本に本部のある組織に住民登録し、その組織の規則が適用されている。そのような人たちが住む仮想の場所。外からの客も受け入れるが、客は日本ルールに沿って振る舞うことを求められる。定期的に日本から指導者と呼ばれる人がやってきては、しばらく滞在し、新しい知恵を置いて帰っていった。住民はその知恵を仲間と共有し、次の来訪を待った。

飛地に住むことを選ばなかったグループもいた。
フランスで、スペインで、あるいはブラジルで、本国から持ち込んだ教えを、その土地に定着させようとした。定期的に、時には仲間を伴って母国を訪れた。ただ、それぞれの地への定着が進むにつれ、母国との紐帯は時間と共に細くなり、移住した者たちは、自分たちの後継者を、その土地の言葉で育てることにした。やがて、第一世代はいなくなり、各々のグループは独自の道を歩みはじめる。

ヨーロッパには、日本からありとあらゆるものが伝わっている。
日本では全く知られてないグループや個人が活動の場をヨーロッパに求めた例もある。ただ、一匹狼故に、その人がいなくなってしまうと、その周囲にいた人たちは行き場を失う。その師の言葉を手がかりに、自分たちが、その師から学んできたものがどこから来たのかを探し始め、やがて飛地に通っていた指導者が属していた組織にたどりつく。聞いている話は断片的でしかなく、詳しくは知らない。師の教えと近いものがありそうだからと、一念発起して、日本のその組織を訪ねてみる。飛地で行われている会に参加してみたら面白いし楽しい。自分の仕事に取り入れられるかもしれない。ただ、ここでの教えを学ぶには十年かかるという。しかも、old school new schoolのふたつがあるらしい。

飛地ができて半世紀。異国の地で暮らしはじめ、働き、家族をつくり、半世紀生きてきた。飛地での経験、人との繋がりによって、この地でよりよく暮らせた。ただ住民の高齢化は顕著で、このままだと飛地自体消えてしまうかもしれない。この飛地での経験と迷子たちをつなぐ道はあるのだろうか。その日本の組織の活動範囲は日本国内に限定されているようである。とはいえ、迷子たちが自ら飛地を形成することに意義を見出せるとは思えない。変わるべきなのは日本の組織の方かもしれない。

2025年6月28日土曜日

6月の読書

旅の伴に連れて来た2冊。
予想通りというか、たまに頁をめくるだけで、読んだとは呼べない。
これとは別に白誌47号、2023年7月の稽古会記録を持ってきた。
体を捌く。これっきゃない。





2025年6月27日金曜日

ドイツ稽古会

ドイツ稽古会は1973年にスタートしたらしい。
胃潰瘍だか十二指腸潰瘍の手術を控えていた、ある楽団に所属していた日本人ホルン奏者が竹居先生を訪ね、指導を受けたことが始まり。今回のドイツ滞在で、そのようなエピソードをそのホルン奏者本人とその連れ合いから聞いた。そこから、ドイツにおいては音楽関係者の間で整体の輪が広がっていく。

2001年から2013年までの間、ドイツ稽古会には数えてみると8回来ているが、いずれも合宿形式の会に呼ばれて稽古をしてきただけだったので、参加者と個別に話す時間はあまりなかったし、この会がどのように始まり、どのように続いて来たのかを聴くこともなかった。今回は家庭訪問のようにいろんな人の家を訪ね歩くことになり、一人一人の整体との関わりを聞き書きしている。

半世紀前にこのグループに加わった人たちは、このつながりを拠り所の一つとして、演奏者として、同時に生活者として年月を重ねてきた。リタイヤして、終の住処をどこに定めるかは、一人ひとりの大きなテーマであるし、半世紀続いて来た整体稽古会ーこちらではゼミナールと呼んでいるーも、この先どう続けていくのか、岐路に差し掛かっている。竹居先生が四半世紀ドイツに通い詰めて基礎を築き、その後を、若手指導者が引き継いで、これまた四半世紀。時代の変化とともに、当地の稽古会も姿を変えていくことになる。

2025年6月26日木曜日

【予告】薩摩琵琶とアイリッシュ・ハープ

【6/26】
着々と準備は進んでいます。
別建で、トリーナのソロ演奏会も計画しています。

【6/7】
二年前、京都でも演奏会をやった、チャーリー蘭杖が、今年は、妹でアイリッシュハープの名手であるトリーナとともに、ラフカディオ・ハーンをテーマにしたジャパン・ツアーをこの秋やります。京都でも開催の予定で、現在準備中。以下、ツアーの概略を記します。
ラフカディオ・ハーンと日本ー音楽でたどる旅

 ラフカディオ・ハーンによる怪談集『怪談(Kwaidan)』の中でも有名な物語「耳なし芳一」を音楽で描き出す、ユニークで国際的なパフォーマンス企画です。本プログラムは、ダブリンのトリニティ・カレッジ・ダブリン アジア研究センターおよび、現在アイルランド・アメリカ・日本を巡回中のラフカディオ・ハーン展のキュレーターであり、ダブリンのファームリー・ハウスのイベント主催者キーラン・オーウェンズの協力のもとに制作されました。

演奏 
トリオナ・マーシャル(ハープ奏者 チーフタンズメンバー)
ーマス・マーシャル・蘭杖(薩摩琵琶・パイプオルガン奏者)

プログラム
第一部: トリオナ・マーシャルによるアイリッシュ・ハープのソロ演奏。彼女独自の演奏スタイルと解釈でアイルランドの音楽を紹介します。
第二部: トーマス・蘭杖 が加わり、「耳なし芳一」の物語を軸にしたコラボレーションを展開します。
 ⚪︎『平家物語』からの琵琶語り
 ⚪︎鹿児島県の琵琶法師の伝統曲をハープと琵琶でアレンジした器楽作品
 ⚪︎アイリッシュ・リール「ザ・ミュージカル・プリースト」のアレンジ
 ⚪︎トリオナによるアイリッシュ・ハープ編曲の日本民謡「さくら さくら」
 ⚪︎力強くリズミカルな楽曲「くずれ」のデュオ演奏

日程:20251018日 ~ 113
訪問都市(予定): 鹿児島、熊本、京都、東京、千葉

今年3月の初演の模様(St.Ann’s Church, Dublin)が、YouTubeにアップされています。


詳細は決まり次第、随時、このブログに載せていきます。

2025年6月23日月曜日

はらぺこあおむし

去年、近所のスウィングキッチンyour でやった講座のとき、整体的成長論の補助線としてエリック・カール のはらぺこあおむしを取り上げた。食べて食べて腹一杯食べてお腹が痛くなり、蛹になり、やがて蝶へと変身する。メタモルフォーゼとしての成長を言いたかったわけだけれど、ドイツに来てみると、やはり、このお話は極めてドイツ的だと思わざるを得ない。よく食べることが成長の前提条件になっているし、限られたサンプルからの類推でしかないのだけれど、ドイツにおいて、食に関する躾はスパルタ的になされているようだ。

ちなみに、あおむしくんが食べたもののリストは次の通り。
月曜日:リンゴ
火曜日:洋ナシ
水曜日:プラム
木曜日:イチゴ
金曜日:オレンジ
土曜日:チョコレートケーキ、アイスクリーム、ピクルス、チーズ、サラミ、ロリポップ、チェリーパイ、ソーセージ、カップケーキ、スイカ
日曜日:緑の葉っぱ

(画像はAmazonから持ってきたものです)



2025年6月21日土曜日

ドイツに来て十日を過ぎ、なんだかんだ言って、当地に適応してきている。
日の入りが遅く(日没21時半)、時間感覚が狂ったり、食べ物の違いにおなかが戸惑ったり、異和感が抜けないものは多々あるけれど、最終的には水の違いというものに行き当たる。

一体、今の自分を構成している水分は、何日くらいで入れ替わるのだろか?
調べてみると、面白い研究をしている人たちがいて、その研究によると、成人で体内水分の一割が一日で入れ替わる、つまり十日で全取っ替え状態になるらしい。

硬水軟水といった違いはあるのだろうが、なんか大きさの違う粒子が体の中で揺れている感じなのだ。この違和感がなくなったとき、この地に順応したということになるのであろう。やはり、琵琶湖の水が懐かしい。



2025年6月18日水曜日

エルヴィン・フォン・ベルツ

Stuttgart近くのBöblingenという街に住む知人宅に食事に呼ばれた。
そこで出た話題のひとつに草津温泉のある群馬県草津町とこの近所のBietigheim-Bissingen(ビーティヒハイム・ビッシンゲン)市の姉妹都市の関係。この姉妹都市交流に、ここの女主人が通訳として関わったという。

なんで草津温泉なのかというと、日本の温泉療法を世界に紹介したエルヴィン・フォン・ベルツというドイツ人医師の存在がある。ベルツ博士は明治期にお雇い外国人として日本の医療制度確立に長年尽力した人物で、その出身地がビーティヒハイム・ビッシンゲン市ということなのだ。

このベルツ博士の話は、ダン先生の講話に時々出てくる。そう、人力車の車夫の話。質素な食事しか摂ってないにもかかわらず底抜けのスタミナを発揮する車夫に、栄養学的に豊かな食事を与えたら、車夫はその力を全く出せなくなったという話。

ドイツに来て一週間。控え目に食べているつもりなのに、つい食べすぎてしまい、お腹がもたれた感じが抜けない。隙間の稽古をやろうとしているのに、当地の食事は、その隙間を埋めようとしているかのようである。ちょっと気をつけなければ。

2025年6月15日日曜日

コモンとしての身体

12年ぶりにドイツで稽古会。
フランクフルトのDiakonessenhausという修道会の施設の一室を借りての小さな会。
よい雰囲気。半世紀続いている会の歴史を感じている。

体を捌く、隙間を捉えるをテーマに3コマ。
主語、所有格のはっきりしている言語の中で暮らしている人たちにとって、隙間は誰に所属するのか。

コモンとしての身体、という言葉が降りてきた。
ただ、話の中にこの単語をちらっと入れたら、スッと引かれたような気がした。




2025年6月13日金曜日

車と街並み

ドイツ3日目。
Recklinghausenという小さな街に住む知人宅でお世話になっている。
助手席に座って街中を車で走っていると、車と街並みが一体化していることに驚く。
家の前に、道路脇に車はいっぱい停まっているのだけれど、それが風景を邪魔してない。
京都だと車が街並みの風景に及ぼす異化感が半端ないのだけれど、ここではそれがない。
つまり、京都に、あるいは日本の街並みに車は基本似合わないのではなかろうか。



2025年6月2日月曜日

聴力補助

聴力補助機能付イアホンを使いはじめて一ヶ月。世の中は音で満ちている。雑音で溢れかえっているとも言い換えられる。そんな中で、人は必要な音を取捨選択して聞き分けて生活している。なんという高度な技なんだろう。音を増幅する機能によって、人の声は近くに聞こえるが、紙のカシャカシャ音とか、換気扇のザーザーという耳障りな音も同時に増幅される。

これまでなら最初から諦めていた大人数の会話の輪にも加われる。師匠の講義も以前よりフォローできている感じではある。不思議なもので、聞こえる状態はイアホンを外した後もしばらく継続する。内部に向かっていた集注が、イアホンを付けたことで外に向かい、その外に向かう集注が保持されるということなのだろうか。

でも、自分が聞いている声は、一体どのような声なのかという疑念は晴れない。きっと、これから先、対象の声を自動追尾する機能とか、対象だけの声を拾う機能とか、自動翻訳してしまう機能とか、どんどん付け加わっていく予感はあるけれど、果たして、それは声を聞いていることになるのか。所詮は、電気なしには成り立たない技術でしかないことを肝に銘じておかないと足元を掬われそうだ。

イアホンを外すと平和が戻ってくる。この静かな環境の中で、本当に僕は何も聞いていないのか。それとも、この娑婆に溢れている音以外のものに耳を傾けているのか。聴くという行為は奥深い。

2025年5月27日火曜日

5月の読書

働くことの人類学* 松村圭一郎+コクヨ野外学習センター編 黒鳥社 2021
明治のことば* 齋藤毅 講談社学術文庫 2005
江戸の読書会* 前田勉 平凡社ライブラリー 2018
この星のソウル* 黒川創 新潮社 2024

2025年5月23日金曜日

この星のソウル

黒川創ファンを自認しているが、手元に置いている本はない。ただ、この「この星のソウル」だけはいつか著者にサインを貰うために買っておこうと本屋に出かけたのだが、出版から3ヶ月も経つと存外在庫がなかったりする。セルフレジを使っている大型書店は基本避け、小さめの本屋を目指すのだが、それでも見つけられない。余波舎ならあるだろうと目星をつけて行ったのに、他の本はあるのに、この本に限ってない。とうとう諦めて取り寄せてもらうことにした。

と、ここまでは前置き。なぜ、この本に限って購入しようと思ったか。フレンズワールドカレッジという、私にとっては母校とも呼べる固有名詞が活字となって記されているからである。かわら版のデジタルアーカイブを作ったときにも思ったのだが、記憶はどんどん風化して忘れ去られていく。活字というのは、そのような歴史に爪痕を残すことでもあるのだ。フレンズワールドカレッジ(京都)を記憶に留めておくには今がタイムリミットなのだが、やるエネルギー残ってるかな。

閔妃暗殺という日本近代史の暗部を中心に据えた日韓の歴史、70年代から現代にいたる筆者自身の韓国との関係、そして、変貌するソウルの姿。それら異なった時間の流れをひとつの作品としてまとめ上げている。同じ時代、似たような場所を彷徨った者のひとりとして、このような作品が世に出たのは嬉しいし有り難い。



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2025年5月20日火曜日

身体観を変える

出発まであと三週間。

ヨーロッパ行きが決まったのは去年の10月だったから、十分な準備期間はあったはずなのに、あっという間に時間が過ぎてしまった。この間なにしてきたかというと、稽古の内容を考えるというよりも、自分の整体人生を振り返り、稽古場の歴史を辿っていた。

2回稽古会をやることになっているのだけれど、後半の方は、整体になじみのない人に、しかも通訳なしの英語でやるという無謀な選択をしてしまったので、体とはなんぞや、カタとはなんぞや、内観とはなんぞやといったことを英語で話そうと作文に励んでいる。考えれば考えるほど、頭の中はカオスに向かう。

内観を英語で説明しようとすると、えらいことになってしまう。なんで、身体観を変えろ変えろと言われ続けてきたかやっと分かった。身体観が変わらなきゃ、内観なんてできない。今ごろそれ言うかと突っ込まれることは重々承知。でも、身体観が変わるとは、世界観、人生観が変わることでもある。

途中から、紹介されて読みはじめた難解な量子論の本は補助線として有効。客観と内観は、ニュートン力学と量子力学ほど違う。つまり、世界の記述の仕方が異なっているのだ。

今更ながらの発見の連続。

2025年4月29日火曜日

4月の読書

会社と社会の読書会* コクヨ野外学習センター/WORKSIGHT編 2025
韓国、男子* チェ・テソップ みすず書房 2024
市場のことば、本の声* 宇田智子 晶文社 2018

宇宙の途上で出会う 4

第3章を通り抜け、とうとう第4章に突入。

第3章はボーアの哲学の解説に費やされている。
運動量と位置を測定するには異なった実験装置が必要とされる。つまり、両者を同時に観察することはできない。

装置を変えれば観測される現象の性質も変わるということである。(p.134)

筆者のバラッドは安易なアナロジーを戒めるよう丁寧に論を進めていくが、位置と運動の相補的な関係性など、つい内観的整体技法とつなげて考えてしまう。

それにしても、哲学を日本語でやるって難儀なことですね。
一応、日本語の体をなしているのだが、明治漢字語満載の日本語は難解すぎる。

たとえば、こんな感じ。まあ、もとの英語も難解で、どっちを読んでも外国語なのです。

つまり、測定装置は、問題となっている概念の意味を確定する可能性の条件であると同時に、問題となっている性質の測定において、一方が他方をしるしづけるというように、確定的な境界と性質をもった(部分)系が存在する可能性の条件でもある。つまり、装置は現象内部で「対象」が確定的な境界と性質をもつようになる可能性の条件を提供するのであり、ここで「現象」とは、対象と装置の存在論的分離不可能性のことなのである。(p.141)

In other words, the measurement apparatus is the condition of possibility for determinate meaning for the concept in question, as well as the condition of possibility for the existence of determinately bounded and propertied (sub)systems, one of which maries the other in the measurement of the property in question. In particular, apparatuses provide the conditions for the possibility of determinate boundaries and properties of "objects" within phenomena, where "phenomena" are the ontological inseparability of objects and apparatuses.


明治時代、漢字を用いて西洋からの概念を翻訳していった人たちには漢文の素養があった。
その素養が失われている現代日本人は、この明治漢字語を使いこなせなくなっているのかもしれない。



2025年4月18日金曜日

遍路2025 伊予路へ

初心に戻って歩き遍路再開。
土佐路から伊予路へ。
39番延光寺から40番観自在寺を経て宇和島駅まで。
遍路転がしとまではいかないまでも標高差のある峠越えの道が続く。
初日二日目はお天気雨と強風に煽られての山道峠越え。
そういえば、土佐路ではコンクリ道の上ばかり歩いていた。
南伊予の広葉樹で被われた山々は美しい。
杉の緑に違和感を覚え、唐突に姿を現すソーラーパネル群に憤る。
マンサンダルは山道で力を発揮してくれる。岩場でも滑ることなく地面を摑む。
足運びは小刻みになり、足首から先は消える。
足先の消えない左足には必ずマメができる。
三日目でようやく歩くコツがつかめてきて、もう少し続けられればと思うのだが、いつもここで打ち止めになる。
コロナ禍以降、食事の提供をやめたという宿が増えている。高齢化も理由のひとつだろう。遍路にとってコンビニはオアシスだが、コンビニのおにぎりと菓子パンだけで歩き続けるのはつらい。

柏坂越えの途中。霞んで見えるのは九州なのか。






2025年3月30日日曜日

3月の読書

青い星、此処で僕らは何をしようか* 後藤正文・藤原辰史 ミシマ社 2024
音のない理髪店* 一色さゆり 講談社 2024
軽いめまい* 金井美恵子 講談社 1997
八九六四 完全版* 安田峰俊 角川新書 2021

2025年3月18日火曜日

日帰り東京

早起きして日帰り東京。
品川で新幹線を降り、京急線に乗り換える。
ホームは羽田に向かうらしい荷物を抱えた旅行者でごったがえしている。青物横丁で降りて、鮫洲を目指して旧東海道を歩きはじめる。下町の風情は相変わらずだが、再開発が進んでると聞いていた割にどことなく寂しい。新旧入り混じったことで、逆にガチャガチャ感が増しているように見える。

懐かしの大井町稽古場。
三十数年の歴史を刻んできたこの稽古場も、ゴールデンウィーク明けには取り壊されるという。何百時間も座った二階の控室で、Mさんや、午後からの稽古に現れた常連の何人かと言葉を交わす。それぞれが年齢を重ね、この場所に多くの時間が積み重なっている。それももうすぐ消えてしまう。

大井町稽古場から大井町駅に向かい、今度は東急線で二子玉川。
二子玉川は相変わらずの賑わいだが、もはや京都での田舎暮らしに完全適応している僕には別世界。どこもかしこも、落ち着きのない風景になってしまった。本部稽古場の隣にあった二階建てのアパートも取り壊されて5階建てのマンションに変貌中。ただ、稽古場の中の空気だけはいつもどおり静謐。

用事を済ませて今度は新横浜へ。
以前ならあざみ野経由新横浜が定番のルートだったのに、数年前から乗換アプリが自由が丘経由のルートを表示するようになった。試してみると、まあまあ便利。崎陽軒のシウマイ弁当を買い込む間もなく新幹線のホームへ。豊橋でのポイント故障の影響とかで40分遅れで京都到着。

東京との心理的距離の遠さを再確認しに行ったような日帰り旅行だった。

補聴器の誘惑

ここ十年何が変化したかというと耳が遠くなったことだろう。

まず、ダン先生の講義が聴き取れなくなった。この40年間、だれよりもダン先生の話は聴いてきたから、もう十分と言えなくはないけれど、講義の中身を一年後に白誌で知るというのは、いかにも悔しい。最近は、難聴者のためにミライスピーカーが導入されて多少は話についていけるようになったとはいえ、肝腎なところを聞き逃している。実習が始まると最悪で、スピーカーから離れたところで稽古していると、もうついていけなくなる。休憩時間の雑談の輪にも加われない。

対面で話していると、大体通じる。あくまで大体であって、人によっては至近距離であっても相手の言っていることが聞き取れないケースも多々あって、いかにも情けない。さてどうする。最近、アップルのイアフォンが補聴器がわりになるというCMを観て、またそのCMで流れてくる難聴者の聞こえ具合が実にリアルに再現されていて、まったくいやらしいったらありゃしない。

さて、整体人として、この状況とどう向かい合うべきなのだろうか。もともと近視で、30代前半までは眼鏡をかけていたのだが、ある時点で使うことをやめてしまった。眼鏡を外したら視力が戻ったかというと、そんなことは全然なくて、単純にぼんやりとした世界を受け入れただけでのことなのだが、無理矢理焦点が合うように作られている眼鏡の不自然さから解放された感と対象物との間の空気を捉えられるメリットは何事にも代えがたく、運転免許の更新時にやる視力検査の時以外、眼鏡をかけることも無くなってしまった。その視力検査にしても、なぜか歳とともに正解率が高くなって、60代後半になって眼鏡不要のお墨付きをもらってしまった。視力ってなんだ、という話。旅行に行くときなど、念のために眼鏡を荷物の中に入れておいた時期もあったが、結局使うことなく旅を終えることが当たり前になってしまい、最近では100パーセントの眼鏡なし生活を送っている。

随分前から、人生能力一定説ーつまり、なにかの能力が育つということは、他の何かの能力を捨てている。逆に、何かの能力を失うということは、他の違った能力が育っているに違いないという説を唱えている。これは、数年前、孫たちと濃密な時間を過ごすうちに浮上してきた説で、大人の足で3分で移動できる公園まで15分掛けて移動していくというのは能力と呼ばずなんと呼ぶのか。では、耳が遠くなることで、僕の中でいったいどのような能力が育って来ているのだろう。円滑な社会生活を送るために補助的機器を頼るべきか、それとも自分の中で何が育って来ているのかを見極めていくのか。整体人として進むべき道は明らかなのだが、それでも、揺れ動いてしまうのだ。

2025年3月11日火曜日

紙風船

 講義の中で「室伏くんが紙風船の稽古を流行らせててね〜」という師匠の話を聞いて、ググってみたら、なんとスポーツ庁のホームページで紙風船エクスサイズなる動画までアップされている。スポーツ庁長官って、ひょっとして偉い人なのか。

 彼が稽古会にはじめて現れたのは足柄で合同稽古合宿をやったときだと記憶している。1996年10月開催、参加者318名という記録が残っている。あれから30年近く経つのだ。本部稽古場にハンマーの球がゴロゴロ転がっていた時期もある。時に京都の研修会館の稽古会に現れ、女性陣に取り囲まれている写真も残っている。

 それにしても、あんな凶器にしか見えないものを、ブンブン振り回す競技ってなんだろうと、その後興味を持ってオリンピックや世界陸上を観ていると、もう野獣としか思えない筋肉隆々の選手たちが雄叫びを上げながらハンマーを投げている。筋肉増強剤全盛の時代で、ドーピング検査で引っかかる競技者も多かった。僕らからすると十分巨体の室伏選手が華奢に見えるほどであった。競技選手のドーピングには厳しいくせに、自身のドーピングには甘い観客というダブルスタンダードな変な世界。

 竹棒団扇ほどに紙風船が稽古道具として定着したという話はあまり聞かないが、室伏くん(もはや君付けでは呼べないけれど)が紙風船を抱えていると、ちょっと微笑ましい。ハンマー投げの球は7キロの鉄の塊。それに対して紙風船はわずか数グラム。大きさは似たようなものだろう。それを鉄人室伏がやるとコントラストが際立ってお洒落。動法とも内観とも言わず、無いものへの集注、つまり身体を引き出している。そりゃ、ラジオ体操よりも紙風船エクスサイズでしょう。



2025年3月3日月曜日

大井町稽古場閉鎖

今月末をもって大井町稽古場が閉鎖されることになったという。
京都に移ってくるまでの十数年を大井町稽古場で過ごしてきた私としては感慨深い。
なくなってしまう前に一度お別れにいこうと考えている。

大井町稽古場に関して書いた文章はないものかと、パソコンの奥を探ってみたら、「大井町稽古場の歴史をたどる」という文章が出てきた。東日本大震災の年、2011年に書いたものだ。どこかで発表したかどうか、誰かに読んでもらったかどうかも覚えていない。


【大井町稽古場の歴史をたどる】 

 大井町稽古場ができたのが1993年であるから、いまから18年前ということになる。本部稽古場が二子玉川につくられたのが1988年であるから、それから5年が経過している。つまり、身体教育研究所(当時はまだ整体法研究所と呼ばれていた)の本部稽古場が活況を呈し人が溢れはじめ、また助手として連日連夜、裕之先生のもとで稽古していた助手たちも育ってきたので、本部稽古場以外に活動の場を広げるために作られた、稽古場第2号というのが、大井町稽古場に与えられた立場である。スポンサーは剱持先生/整体コンサルタント(2008年に逝去)。裕之先生をずっと影で支えて来た四天王と呼ばれた古い整体指導者の一人である。

 助手三人体制による大井町稽古場の運営は順調であった。この時期(1993~1998)が一番活気があったかもしれない。その理由は、稽古会の受け皿が大井町稽古場しかなかったからである。稽古場3号となる鎌倉稽古場が開設されたのが1996年である。

 大井町稽古場第2期は整体法研究所が身体教育研究所と名前を変え、技術研究員制度が整備された1998年に始まる。従来の整体コンサルタントであった人たちが身体教育研究所に「移籍」し、身体教育研究所の技術研究員として活動を始めた。整体指導室も稽古場に看板を書き換えた。稽古場の数も一気に増えた。ここから担当者の一人であった戸村が京都に移る2002年までは、戸村を中心に据え、それに大井町稽古場に続いて1996年に開設された鎌倉稽古場との兼務になる松井、それに事務局との二足の草鞋を履くことになる角南が補佐する形で加わった。

 2002年、戸村は関西の稽古拠点となるはずだった山崎稽古場を担当するために大井町稽古場を去っていった。これを機に、大井町稽古場は松井を中心に据え、それを角南、剱持(小田原稽古場との兼務)が補佐するという体制に変わった。2003年に横浜稽古場が開設されて数年は、大井町/横浜/鎌倉三稽古場共通登録という試みもされ、稽古の裾野を広げることに貢献してきた。大井町に関していえば、十年間、松井/角南/剱持体制が続いてきた。活気のある時期、活気のない時期、様々であったが、概ね、登録者25~30名という範囲で稽古会が続いてきた。

 大井町稽古場の特徴をいくつか挙げるとすると、(1)参加者は関東一円の広い範囲からやってくるー言い換えると地元密着型でない、(2)若者の出入りが多いー本部への通過点になっている、(3)課外活動の多様さー田んぼ手伝いから句会まで、といった点である。この多様さが大井町稽古場のエネルギー源といってよい。

 そして2011年3月11日、震災がやってきた。東日本大地震は地面を揺るがしただけでなく、多くの人の人生を揺すぶった。大井町稽古場をも大きく揺らせ、新しい時代へと一気に押し出した。大井町稽古場第4期のはじまりである。

  2011/10

2025年2月27日木曜日

2月の読書

本屋がアジアをつなぐ* 石橋毅史 ころから 2019
沸騰大陸* 三浦英之 集英社 2024
外国語を届ける書店* 白水社編集部 白水社 2024
コペンハーゲン* マイケル・フレイン 小田島恒志訳 劇書房 2001
スペイン サンティアゴ巡礼の道* 高森玲子・井島健至 実業之日本社 2016

2025年2月20日木曜日

遍路2025 運ばれる哀しみ

四国遍路4年目。
38番札所金剛福寺にお詣りし、ここから歩きはじめる。
目指すは土佐路最後の札所39番延光寺。
日差しはあるが風は冷たい、しかも向かい風。
竜串の宿にたどり着いた時には結構へろへろ。
足裏にマメもできている。

2日目の宿は28キロ先の大月町。
この状態でたどり着けるのかやや不安。
途中の大浦分岐までバス移動にする。
距離にして13キロ。徒歩でいけば3時間の距離。
ここまで一筆書きの歩き遍路できたが、はじめて足裏が地面を離れることになる。

大浦分岐でバスを降り、月山神社を目指す。
途中から大月遍路道に入る。
月山神社に詣で、さらに進むと赤泊に降りる遍路道に入る。
よく整備されているが、滑落しそうな崖縁の部分もある。
地元小学生の応援メッセージが木の枝にたくさんかけられていて、つい読んでしまう。

遍路道を抜けるとあとは海岸沿いの道。
海沿いとはいえ、アップダウンは多い。
最後の上り坂を登り、日が高いうちに宿に到着。
バス移動の効果は大きい。
陽が傾いてからここまでの道を歩けば、ずいぶん心細かっただろう。
この日、すれ違った人ひとり。
道端で猿一匹と遭遇。

最終日。
ときおり、雪が舞っている。
バス3本乗り継いで延光寺。このあっけなさはなんだ。
不完全燃焼感は残るが、ともかく遠かった土佐路最後の札所にたどり着く。

さてここから先どうしよう。





2025年2月18日火曜日

SKIMA

4年前、コロナ禍の真っ最中、リモートで稽古したベルリン在住のダンサー/コレオグラファー、Lina Gomezさんから、そのときの稽古にインスパイアされ、「SKIMA」という作品が出来上がったというメールをいただいた。こんな風に作品化できるんだと、ちょっと感動。オンラインだけで、まだ本人とはお会いできてないのだけれど、この夏会えることを期待している。

https://vimeo.com/user21474509/skima





2025年2月14日金曜日

動く

 当時の僕らは、いつ師匠は整体の決定版を打ち出してくれるのだろう、そんな期待を持って日々稽古を続けていた。明日こそ、来年こそ…。師匠もまた、これこそが整体だ、と言い続けていた。ところが、その決定版の賞味期限は短く、今日これと言っていたものが、その翌日には、あれは間違っていたと覆される。へたをすると朝のコマで言っていたことが夜には否定される。このように日々期待を裏切られることが日常茶飯で、師匠の君子豹変ぶりに僕らはくたびれ果てていた。この当時が、いつのことであったのかすっかり忘れてしまったのだが、本部稽古場が始まって十年も経ってない頃ではなかったか。

 そんな日が続くなか、ある晩夢を見た。ジェットコースターに乗って自分が運ばれている。あるいは、キューブリックの「2001年宇宙の旅」の最終盤、ボーマン船長が光の中を超高速で落下していく様、そんな動きの中に身を預けている、そんな夢だった。「そうか、この運動の中だけに真実はあるんだ」とその刹那得心した。たった一瞬のことで、すぐ忘れてしまったのだけれど、その時の感覚だけは今でも体のどこかに残っている。

 この夢以来、「決定版」を待ち望むことは無くなった。