2022年12月30日金曜日
2022年12月24日土曜日
インスタグラムをはじめてみたら
2022年12月10日土曜日
2022年12月1日木曜日
庸子さんの器
11/30盛況でした。ありがとうございました。
12/10まで、等持院稽古場控室に「庸子さんの器」展示していますので、
手に取ってご覧になりたい方は、どうぞいらしてください、
2022年11月30日水曜日
2022年11月14日月曜日
2022年11月9日水曜日
日和佐
2022年10月31日月曜日
2022年10月21日金曜日
2022年10月17日月曜日
AI時代の言語学習 2
2022年10月13日木曜日
AI時代の言語学習 1
2022年10月11日火曜日
ゴーヤ白書2022
身体観 3
2022年10月9日日曜日
身体観 2
2022年10月5日水曜日
身体観 1
2022年10月3日月曜日
70の風景
敬老乗車証
2022年9月30日金曜日
2022年9月29日木曜日
踊り場
2022年9月10日土曜日
アン・ソンギ
2022年9月3日土曜日
a long and winding road
改札を抜けようとしたところで、予約便運休の掲示。動物との接触が原因とある。あわててみどりの窓口に向かうが、そこはもう長蛇の列。2時間後の便で予約は取れたが、これでは稽古会90分の遅刻。白山稽古会のSさんに連絡。
朝ごはん食べずに出てきたので、買ったばかりのサンドイッチを駅の植え込みに座り込み、車内用に作ってきたコーヒーと一緒に食べる。時間あるので、駅前のヨドバシカメラ、地下にできたというスーパーをひやかす。
そろそろ時間なので再び改札。ぬぬ、予約変更した便が消えている。文句を言いに駅員のところに行くと、同じ時間に全席自由席の臨時便が出ますとのこと。おとなしく臨時便を待つ列に並ぶ。が、到着した臨時便はすでに満席で、デッキにも人が溢れている。こりゃむりだ。これで本日の稽古キャンセルが確定。
今日の稽古は諦めて16時の便に再び予約変更。一旦、自宅に戻ることにした。自宅に引き揚げたはよいが、家人外出中。こんな日に限って鍵を忘れている。入れない自宅玄関先にへたり込む。30分ほどして家人帰宅。すでに稽古着は汗まみれでシャワーを浴びる。新たにミルクティーを作ってもらい出かける準備。雨が降り出す。
土砂降りなれど、出発するしかない。大きめの傘をさしてバス停まで送ってもらう。再び京都駅。サンダーバードの遅延は続いていて、再予約した便の到着時刻は不明とのこと。しびれを切らして、京都〜金沢便のバスがあることを確認して予約。時間はかかるが、確実に着くだろう。三度みどりの窓口に並び、切符払い戻し。
これで一件落着と思ったが、まだ続く。宿にチェックイン遅れるかもしれませんと連絡したら、当ホテルのチェックインは22時までだとのたまう。以後、キャンセル扱い、つまり泊まれなくなるとも。バス便の金沢駅着時間を確認したら21時53分とある。おれ、宿無しになっちゃう。バス便を窓口に行ってキャンセルし、再びサンダーバードを予約。
10分遅れでホームに入ってきたサンダーバード33号の座席に座ってこの文章を書いている。19時半くらいには金沢駅に着けそうーつまり宿のフロントはまだ開いている。先月は豪雨で稽古会初日をキャンセル。今回は動物。なんだかトラブル多し。次回から前泊前提に日程組まないと、だめかも。
右側に夕方の琵琶湖が広がっている。
おそろしいことに、続きがあった。琵琶湖北部で大雨のため運転見合わせとのアナウンス。近江舞子で止まってしまった。現在17時55分。あと2時間は動かないとのこと。だいぶ粘ったけど、今回はここで撤退します。
2022年8月30日火曜日
2022年8月14日日曜日
古稀と腰痛
2022年8月12日金曜日
白山 4
2022年8月10日水曜日
白山 3
白山 2
白山 1
2022年8月2日火曜日
韓国文学の中心にあるもの
韓国映画はよく観る。映画の中で交わされる会話が時々理解できるのが嬉しい、と言った程度の韓国映画ファンなのだが、その質の高さ、感性の豊かさに彼我の差を感じてしまう。昨年だったか、「ハチドリ」を観て、こんな映画撮れる監督日本にはいないんじゃないかと、その瑞々しさに感銘を受けた。もっとも、その少しあと、「ドライブ・マイ・カー」を観て、前言訂正したのだけれど。それでも、全体のレベルでいえば、韓国映画が先をいっていることはまちがいない。骨格のたしかさが違う。この違いはいったいどこから来るのか謎だったのだが、「韓国文学の中心にあるもの」(斎藤真理子著 イースト・プレス)を読んで腑に落ちた。そう、映画の(当然のことだが、文学にも)社会的役割として、歴史を読み込んでいくことが作り手、受け手双方に自覚されている。
2022年7月30日土曜日
2022年7月26日火曜日
2022年7月24日日曜日
筆動法再開
2022年7月18日月曜日
2022年7月17日日曜日
2022年7月16日土曜日
2022年7月11日月曜日
足掻く
2022年7月4日月曜日
10冊の本
2022年7月2日土曜日
酷暑
2022年6月28日火曜日
2022年6月27日月曜日
2022年6月25日土曜日
6月
2022年6月24日金曜日
2022年5月30日月曜日
5月の読書
2022年5月26日木曜日
筆動法から連句へ
漢字というのは点と線で構成されている。この点と線の書き方をひと通り稽古すれば漢字が書けることになる。最初は漢字一文字からはじめ、回を重ねるごとに、半紙一枚に書く文字の数も増えてくる。もう少し沢山の文字を書こうとしていくと、俳句という素晴らしいお手本があることに気づく。そのころには、一度や二度はかな文字も書いてきているから、全紙一枚に五七五の俳句一句を書いて見る。こうして、芭蕉、一茶、蕪村といった江戸時代の俳人が残してくれた俳句を書くという稽古が始まった。「読む」だけでなく「書く」という俳句の鑑賞法のはじまりでもある。
活字として本の上に定着している俳句を、自分が手にした(左手で構える)筆に墨を含ませ(自分で摺ったもの)、しかも動法というルールに則って(書くという意志さえも封じて)、身体を通して和紙の上に移し替えていく。文字通り、全身で俳句を味わいながら書いていく。こうして僕は俳句の世界に踏み入っていった。芭蕉の「おくのほそ道」に出てくる俳句を全て書いてみるという稽古もやった。半年以上かけたのではなかったか。そこから、俳句以前に、連句という広大な世界が広がっていることを知った。
2022年5月22日日曜日
定型
2022年5月6日金曜日
2022年4月29日金曜日
2022年4月27日水曜日
迷う時間
稽古者として歩く
2022年4月26日火曜日
遍路見習い 2
2022年4月19日火曜日
着物生活
2022年4月8日金曜日
パラレルワールド
自分が好きな句を選ぶとは限らない。いくら気に入っても、歌仙のルールから外れるものは捨てざるをえない。前句との繋がりで、ちょっと離れ過ぎているな、とか、近すぎるとか、好きであっても捨てざるをえないものも出てくる。基準になるのはぴったり感、これしかない。つくる側からすると、苦し紛れでつくったものが採られ、えー、これ採っちゃったの、ということもある。
連句って、ほとんど人生のアナロジーではないか。岐路はたくさんあった。なぜそのとき、そのような道を選んだのか、選ぶしかなかったのか。はたまた選ばれたのか。数限りない岐路を経て現在にたどりついているのだ。そう思えば、選ばれなかった反故句たちにも愛着が湧いてくる。連句ってパラレルワールド。そして人生もまたパラレルワールド。選ばれなかったもうひとつの人生を遊ぶことが連句の醍醐味なのかもしれない。
2022年4月4日月曜日
内観コーチング研究所
丸2日外に出てなかったので、妻と二人、近所のイズミヤまで散歩することにした。妻が完全着物生活に入って半月、ずいぶん慣れてきた様子だが、歩き方が下手だ。手を繋いで歩きながら、膝をゆるめて、膝頭をちいさくして、腕と胴体を切り離すように、とアドバイスしていくうちに、下駄の音がどんどん小さくなり、ひょこひょこ跳び歩く感じが消えていく。内股同士が擦れる感じになって、お尻も小さくなってくるよねと本人も納得。そうか、池田くんの「からだ育て研究所京都」に倣って、飯の種に自前の研究所を立ち上げればいいんだ。即座に「内観コーチング研究所」という名前が降りてきた。メニューは手を繋いで先生とお散歩。30分3000円でどうだ。美女と手を繋いで散歩する。なんという役得。いやそれとも、介護を受けている老人に見られるのが関の山なのか。あと3日早く思いついていれば、「角南、身体教育研究所を離脱、新研究所立ち上げ!」と東スポの見出しに負けない素晴らしいエイプリルフールネタになったのに、と悔しがる。
2割引きで買ってきたアップルパイを頬張り、おい、皮ばっかりでリンゴが少ないぞと悪態をつきながら、来年のエイプリフール用にささっと書いた前段の文章を読み返してみた。これでは、読んだ人がどこに食いついてくるか予想できる只の惚気文でしかない。しかも、重大な欠陥があることを発見。美女だけを相手にできるわけがない。来る人は拒まずだから、どんな年齢、性別、性指向に対応する覚悟がなければ、このプロジェクトをはじめるわけにはいかない。え、覚悟? そう、男同士で手をつないで外を歩くとなると覚悟がいる。美女だけを思い浮かべ、このことに気づかなかった僕はアホである。というか、偏った性意識がすでに露呈している。そう考えていくと、逆に稽古会という場の特異性が前景化してくる。稽古会で組む相手は男女いろいろ。というか、あまり相手が男性か女性か意識したことがない。稽古するとは触れることでもあるだが、稽古をしている限り、自分の中で性ということが意識されることがない。
ところが、稽古場から一歩外に出れば、人の目を気にする、あるいは縛られている、つまり言い訳をしている私が出現するのだ。それなら、自動車教習中の車が「教習中」という看板を掲げて街を走っているように、「稽古中」というタスキをかけて街中を散歩すればよいかというと、これはもっと恥ずかしいだろう。稽古会で追究しているのは、どうすれば「カタをもってひとにふれられるか」ということだ。カタに入るとは、私を極小化していくということで、当然、性的指向といったものも極小化されていく。稽古場という様式もまたひとつのカタである。ふれるという行為はもともと性というものと結びつけられ易いものだ。そのような眼差しで見られると、そのような身体が浮き出てくる。そういう構造にある。逆にいうと、性的な眼差しから離脱する、自由になるヒントもきっと「カタ」のなかにあるに違いない。と、ここまで書いて、手を繋いで外を歩く覚悟が固まってきた。さあ来い。いや来ないかも。どっちにしたって、オレたちはマイノリティーではないか。
もし「内観コーチング研究所」を立ち上げようという方いらっしゃれば、事前にご連絡ください。顧問料を申し受けます。
2022年3月31日木曜日
2022年3月27日日曜日
2022年3月23日水曜日
2022年3月16日水曜日
韓日ダンスフェスティバル1995
2022年3月15日火曜日
はじめの一歩
2022年3月14日月曜日
お遍路見習い
2022年3月8日火曜日
脱液晶画面
総武線の電車の中で感じた不快感は、キューブリックの「時計じかけのオレンジ」の一場面を思い起こさせる。そう、瞼を無理矢理こじ開けられ、不愉快な映像に晒される矯正教育のシーンである。朝起きては、iPadを開けてメールをチェックする。大半は、無料登録したサイトからのメルマガ。これらをゴミ箱に入れる。ニュースアプリを開けて、最新ニュースを見ているうちに、有名人のゴシップ記事に誘導されていたりする。これではまるで、自ら進んで、総武線の広告モニタに見入っているようなものではないか。