2015年12月31日木曜日

年の瀬 3

大晦日になると、ついつい買い出しに走ってしまう
スーパーだって正月二日から開いているはずで、食料の備蓄をする必要性はないのにね
それでも、仏壇用にお花を、鍋用にお肉をと、都合2回出かけてしまった
そうそう、もち焼き用の網もゲット

戸村さんに教えてもらった、天満宮の大祓式を観てみようと、16時に北野天満宮
不思議なことに、式がはじまると同時に、空が急に暗くなり、雨がパラパラ降りはじめる
神道の儀式というのは馴染みがないが、このような儀式で一年の穢を祓うのか
天満宮は初詣に向け準備万端整っているようです

さて、あと5時間ほどで新年
はたして、我家に近い等持院の除夜の鐘は鳴るのか?
年が変わる少し前くらいに、覗きにいくつもりだ

2015年12月30日水曜日

年の瀬 2

大阪にお墓参りにいってきた
これまで、何年かに一度の法事の時くらいしかお寺にいってなかったのに
この改心ぶりが可笑しい

大阪も年末に墓参する習慣はあるようで、
何組かが家族連れでお墓を訪ねてきている
一周忌のときのお花とがそのままになっていると思って行ったのだが、
綺麗に取り除かれ、おまけに草団子がひとつ供えられている
いとこが来てくれていたらしい

晴天で風もないので、すこし歩くことにした
お寺のある谷町六丁目から南に歩き四天王寺を目指す
この四天王寺、これまで訪ねたことがない
境内をぐるりと回り、鳥居脇の和菓子屋さんでお餅を買う
 お餅は美味しそうだったし、なにより、店番してた姐さんの応対が細やかで気持ちよかった
 お店の名前は源氏堂というらしい
さらに、通天閣方向に歩を進めると、不思議なオブジェが見えてくる
大勢の人が、境内とおぼしきところに吸い込まれていく
一心寺というお寺のようだ
さらに坂を下り、新世界エリアに足を踏み入れる
なんだ、この小洒落た雰囲気は?
ここも外国人観光客のメッカになっているようだ

地下鉄動物園前にたどりついたところで、今日の散歩はおしまいとする



12月の読書

ゴースト・ボーイ* マーティン・ピストリウス PHP 2015
後妻業* 黒川博行 文藝春秋 2014
映像にまつわるxについて* 西川美和 実業之日本社 2013
機龍警察火宅* 月村了衛 早川書房 2014
昭和残影* 目黒考二 角川書店 2015
みちのくの人形たち* 深沢七郎 中公文庫 1982
月日の残像* 山田太一 新潮社 2013
野の医者は笑う* 東畑開人 誠信書房 2015
コンニャク屋漂流記* 星野博美 文春文庫 2014

2015年12月29日火曜日

年の瀬 1

年の瀬である
12月の報告書も郵送し、振り込みも済ませた
年末年始の一週間を過ごすに十分な本とDVDも確保してある
乏しくなった食料を、多少の正月フレーバーを加えて買い足しておけば、
それで準備万端寝正月

さて今年の正月はどうだったんだろうと
自分のブログを読んで、吹き出した
「昨年のジェットコースター状態が夢のよう」だって
つまるところ、「今年もジェットコースター状態でした」というオチになる
来年のことは来年になってから考えよう

いつ終わるともしれない片付けが、引っ越し期日が定まることで区切られ、
一緒に来るはずだった荷物が、娘とともに去り、
うーん、だいぶ身軽になった

ようやく例年並みの寒さが訪れた京都の街はずれで、静かな年の瀬を過ごしております
みなさん、よいお年をお迎えください

2015年12月25日金曜日

稽古日程1月〜2月

*稽古はすべて予約制です
*日程は変更になることがあります(ネット版が最新となります)
*pdf版をご希望の方はメールでご連絡ください

2015年12月22日火曜日

年末

今日が冬至で、明後日がクリスマスイブで、そこから一週間するとお正月
ここ数年、クリスマスも正月も関係ない生活だったから、年末という感覚を忘れている
年越しの準備など何もやってなくて、はたして雑煮を食べるような正月になるのかどうか、
そうとうにあやしい

今月は2週続きで東京
娘の結婚式を終え、帰って来たと思ったら、風邪っぴきになり、
中4日おいて、今度は操法講座のため上京

京都で暮らし始めてまだ三ヶ月というのに、すでに東京は未知の国
東京駅の混雑に、なんでこんなに人が居るんだとか、
ひさしぶりに田園都市線に、この沿線の住民ってこんなにチャラかった?とか、
自分の反応ぶりにおどろいた

唯一ホッとできたのが横浜稽古場
いい感じに空気が練れている
ブラジルの田中さんと再会を歓び、
僕が彼の地を訪ねてからの2年の間に、起こった出来事の数々を思い出した

京都駅に帰り着いたのは今日の早朝
湿度のある空気に触れ人心地ついた

2015年12月17日木曜日

教えない

教える気があるのかと問われると、正直なところない
というか、教えるられるものはないといった方が正確だ
教えることを放擲した指導者はいったい何ができるのだろうか、
というのが、この稽古場における私の課題でもある

無論、まったくの初心者がやってくれば、
最初のボタンを正しくかけてあげることはできるだろう
しかし、すでにダン先生の稽古に出ている人たちは、
私にとって稽古仲間であって、それ以上でもそれ以下でもない
つまり、教える対象ではない

連座を稽古の柱のひとつにする理由もここにある
都合、三回、連座の稽古をやったが、やはり面白い
なにかが整っていくのだが、それを「体が」と呼んでよいものかどうか
結局、みんなでその「場」を整えているとしか表現できない
場を整える技芸としての整体
これはなかなかすごい

連座が成立する前提として臥法坐法がある
これはもう間違いのないところで、
臥法坐法によって転型同質というものが担保されている
それなしの、連座って空想できない

噂によると、本部で行われた独法で臥法坐法が紹介されたとか
つまり、これまで身体教育研究所の中に留まっていた臥法坐法が、
活元運動と同列に整体協会全体で共有されていくことだと理解している

 *坐法臥法の意義について、いくつか書いたものがあるので、リンクを貼っておきます
  【はじめに臥法ありき】【臥法】【

この秋、東京でやった臥法坐法の「廻り稽古」を来春は関西でもやることになる
きっと面白い稽古会になるだろう

2015年12月14日月曜日

新婦の父

 新婦の父というのは思いの外やることがあって(あたりまえか)、写真を撮る余裕もなく一日が終わってしまった。液晶画面越しではなく、直に娘の晴れ姿を瞼に収めたかったし、むしろ被写体にされる方が多かった(どなたか写真送ってください)。結婚式というのは女のためのお祭りのようで、女と男の熱量の差は歴然としている。新婦がメインディシュなら新郎はその横に並んでいる人参カリフラワーの類かもしれない。さしずめ新婦の父など、つまようじみたいなものか。最後の挨拶を頼まれていたので、準備だけはしていたのだが、やはり上がってしまい、ずいぶん端折った内容になってしまった。それでも、ひとつ肩の荷が降りた感はある。今日は噂のブルーボトルコーヒーでコーヒーを飲み、今半のすき焼き丼ランチも食べたので、これから京都に帰ります。

2015年12月12日土曜日

地つづき

京都で暮らしはじめて二ヶ月半
東京は遠い存在になってしまった
かぐや姫が月を眺めている気分といったらよいか
どことなくヴァーチャルな存在としての東京
地続きであるという実感がない

京都から金沢へ
白山稽古会を終えて、そのまま北陸新幹線に乗った
2時間半後、時刻表どおり、東京駅のホームに滑り込んだ
どうやら京都と東京は地続きであったらしい
東京はまだ在った

明日は娘の結婚式で、
多くの旧知の友だちに会うことになる
一年前の今ごろ、江戸川の老人ホームに泊まり込んでオヤジの看取りをやっていたことを思うと、いまでもまだ夢の中にいるような心地だ

2015年12月8日火曜日

等持院駐車場事情

この近所のどこにコインパーキングがあるか調べてみた
白梅町周辺には広いパーキングがあるが、ここから1キロ離れている
一番近いパーキングはふさがっていることが多い
まちがいなく停められて、距離も500m以内という駐車場は2箇所ということになる
料金的にはどこも似たり寄ったりで、30分100円、60分200円といったところ
あとは、最大料金が800円だったり、1000円だったり
とりあえずのおすすめは、イズミヤ第二駐車場かな〜 (なくなりました…)

稽古FAQ

稽古会情報(このサイトの右下欄)に稽古FAQの頁を追加しました

http://dohokids.blogspot.jp/p/blog-page_8.html

2015年12月6日日曜日

隠居

家から一歩も出なかった
引っ越してきてはじめてじゃないかな
庭の落葉掃除はしたから、外の空気には触れたが

庭掃除のあと、
ゆっくり目の朝ごはんを食べ、
大阪の友人からかかってきた電話で長々と話していたらもう昼だ

稽古場の掃除をして、
個人教授ひとりして(観点がテーマ)、
その彼を送り出したらもう外は暗くなりはじめていて、
食料もあったから、鳥の水炊きで夕御飯をいただいたら、もう夜だ

こんなゆったりしてていいのかな
「隠居してる〜」と、また池田先生に笑われてしまいそうだが、
今日は火鉢に炭は入れていない
稽古着で過ごしていると、よけいにゆったりしてしまう

秋田の義妹に電話してリンゴの御礼を言って(秋田も暖かいみたいね)、
独法帰りの娘とラインで話し、
オヤジの句集のあとがきをどうするか思案していたら、もうこんな時間だ

明日はシーラ・ジョーダン聴きにいきます
(12/7 追記  ↓ これを生で聴けただけでも行った甲斐があるというものだ。87歳現役歌手・教師に「あきらめないで、やり続けなさい」と言われると、それは元気出る。)

2015年12月5日土曜日

稽古時間変更

等持院稽古場1月以降の稽古内容及び時間を変更します
・稽古開始時間を10時→11時に変更
・連座 5日、15日、25日 13時〜16時
・筆動法 17日 13時〜16時


2015年12月4日金曜日

歩く愉しみ

靴底のすり減り方がはげしい
実際、よく歩いている
自転車でだいたいの距離感をつかむと、次には歩いてみる
徒歩で行ける範囲は思いの外ひろく、
少々遠くても、片道歩いて、そこからバスで帰ってくるという手もある
移動の効率からいえば自転車だが、網の目がどうしても荒くなる
例えばレストランの前に置いてあるメニューなど歩きでないとチェックできない

京都の街を歩いていて気づくこと
自転車屋が多い、造園屋が多い、パン屋が多い
こないだは七味屋ではじめて七味を買った

観光名所の近くを歩くと、
「テーマパーク化する京都」という言葉が浮かんでくるが、
これについては、いつか書きます

2015年11月28日土曜日

11月の読書

十日に一度のペースで中央図書館に通っている
予約できる冊数は10冊までで、借り出せるのも同じく10冊
横浜のときはともに6冊だった
この4冊の違いがけっこう大きく、また、横浜よりも予約者数が少なく、
予約してから手元に届くまでの時間が短い
結果、借り出す本の数は増えている
対話本だとあっという間に読めちゃうし、
時間はたっぷりあるし...

思想をかたちにする* 上野千鶴子対談集 青土社 2015
異端の人間学* 五木寛之・佐藤優 幻冬舎新書 2015
洋子さんの本棚* 小川洋子・平松洋子 集英社 2015
日本戦後史論* 内田樹・白井聡 徳間書店 2015
日本のカタチ2050* 竹内昌義他 晶文社 2014
世界を巻き込む。* 中村俊裕 ダイヤモンド社 2014
世界の辺境とハードボイルド室町時代* 高野秀行・清水克行 集英社インターナショナル 2015
あわいの力* 安田登 ミシマ社 2013
世界はこのままイスラーム化するのか 島田裕巳・中田考 幻冬舎新書 2015
「戦後」の墓碑銘 白井聡 金曜日 2015
本当はひどかった昔の日本* 大塚ひかり 新潮社 2014
ヨハネスブルグの天使たち* 宮内悠介 早川書房 2013
聞き出す力* 吉田豪 日本文芸社 2014
日本人はなぜ存在するか* 與那覇潤 2013
辺境から世界を変える* 加藤徹生 ダイヤモンド社 2011
からだのこえをきく* 小池博史 新潮社 2013
家と庭と犬とねこ 石井桃子 河出書房新社 2013
花森安治 KAWAD夢ムック 2011

2015年11月24日火曜日

市内一周

明日から天気崩れるというので、
一度やろうと思っていた市内一周ツアーを決行
自転車のタイヤに空気を入れ、昼過ぎに出発
最初は下りでラクちん
途中から北風が吹きはじめ、ゆるい登りもきつくなる
天王町のドトールで休憩し、河原町今出川のタバコ屋さんにも寄り、
最後に先日教えてもらった一条商店街のラーメン屋でラーメン・餃子を食べ、
家にたどりついたら、もう真っ暗になっていた
30キロ走ったのか

一周忌

妻と父の一周忌終えた
ようやく、という言葉を付け加えたくなるような一年
これに合わせ、京都の新居に、まず娘が来て、次に婿さん(はじめて使う言葉だ)が来て、
そして、法事のあと、妹夫婦も泊まりにやってきた

京都から大阪のお寺に行くにはどうすればいいのだろうと調べてみたら、
京都から天下茶屋行きの電車が出ている
南森町という駅で乗り換えれば、お寺のある谷町六丁目まで梅田を抜けなくても行ける
帰りは同じルートをひとりで帰ってきたのだが、電車の中で爆睡してしまった
なんで電車の中って、あんなに気持ちよく寝られるのだろう

京都への引っ越しをはさんで、父の遺句集をまとめている
家族の原稿も揃ったので、なんとか来月の命日に間に合いそうだ
40句ほど選んだ父の俳句に句会のメンバーがコメントを寄せてくれ、
家族それぞれも、思い出を書いてくれた
姪っ子や妹までが俳句を作ってしまったのには驚いた
父が亡くなるまでの半年、家族が交替して句会に付き添った
それを通して、父の俳句パワーを受け取ったようだ

来月は娘の結婚式もあるし、年内は慌ただしさが続きそうです

2015年11月19日木曜日

適齢期の過剰さについて

8月の終わり頃だろうか
娘がしくしくと泣いている
まあ、めずらしいこともあるものだと訊ねてみたら
私は苦労を知らないのだろうか、と宣う
なんでも、同世代の集まりがあって、そこで出会った人たちに比べ、
自分は苦労してないのではなかろうかと思い至ったという

思わず吹き出しそうになってしまったが、そこは我慢
ここでちょっと苦労しておけば、もう少し人間としての奥行きが出るだろうに、
と思うような場面はいくつかあったのだが、
大概、スルリと避けていた
あるいは、苦労のほうが、失礼しましたといって逃げていってしまう
まあ人徳というか才能ですね

それにしても、泣いてしまうというのは、いかにも過剰である
つまり適齢期まっただ中
そこに、同じく、適齢期の男が通りかかれば、コロリと参っちゃうのだろうけれど、
親としては、もう暑苦しくて仕方がない

あれから三ヶ月経ってないというのが信じられない
娘は、ほどなく結婚相手をみつけ、さっさと入籍して、来月結婚式をやるという
脱帽です

2015年11月18日水曜日

お茶室化

お茶の道具が揃ってしまった
これまで自分のものといったらほとんどなくて、
片桐さんに作ってもらった茶碗
叔母のところから回ってきた建水と蓋置
それに自分で買った茶筅と茶杓くらいなもの
棗さえ、買おう買おうと思いながら持っていなかった
自宅で自分用に点てるにはこれで十分

ところが、四畳半の稽古場を観た広島の安森先生が
俄然その気になって、余っている茶道具を知り合いの骨董屋さんに託して届けてくれた
水指に柄杓に棗、おまけに知り合いが作ったという織部風の茶碗
風炉で炭の用意をするのは難しいから、
そういう時は、火鉢に茶釜を載せればよいというアドバイスもいただいた
そうなると、いまは山梨の葡萄農家にいる山中さんから預かっている茶釜の出番

ともかく炭を熾し、火鉢に移す
火鉢を持って四畳半に入る
さてどこに置けるか
結局、床の間横の棚の前に落ち着く
お湯を入れた茶釜を運び火鉢に載せる
水指を運び、茶碗と棗を持って入る
次に建水の中に蓋置きを入れ、柄杓を載せて再び入室
もちろん、袱紗を腰につけて

あれっ、どこからはじまるんだっけ...
最初の動作がわからない
道具の位置関係を思い出して、少しだけ動かしてみると、
ようやく柄杓に手が伸びる
なるほど、このように動きというのはつくられていくのか
流れが悪くなる度にお道具の置き場所を微調整していくことで、
お道具のあるべき場所をみつけていく

何度か一人稽古した後で、客に入ってもらうことにした
お茶菓子は天満宮近くの和菓子さんで買ってきた
最初の客は池田先生、つづいてキダヤさん
おお、客が入ると集注感がまるで違う
一度、橋さんに出向いてもらってアドバイスをいただきものだ

2015年11月8日日曜日

松井くんへ

京都に越してきて6週間、一ヶ月半が過ぎました。最初の一ヶ月は、とにかく生活できる環境を作っていくのが第一で、二日に開けず、ホームセンターやら電気屋さんに通っていました。モノを減らしてきたのと、収納スペースもたくさんある家なので、ダンボールに埋もれる生活は一週間で脱し、わりに順調に新生活に入ることができました。ガスファンヒーターも入れたので、冬支度も万全です。もっとも、「京都の冬は下から冷えてくるから、炬燵は必需品でしょう」と京都の人には言われましたが...

モノ減らしは継続中で、持ってはきたものの要らないと判断したものは、どんどん捨てています。やはり食器など使いそうもないものがまだ眠っているので、今度、そちらに送るかもしれません。もっとも、モノ減らしをしている反面、稽古場の備品は増えました。毛氈は買ったし、稽古場用といえるかどうか分からないけれど、広島の安森さんから、火鉢一式に加え、茶道具もあれこれ送られてきて、ここで「お茶をやりんせー」とプレッシャーをかけられています。山中さんのところから預かったままになっていた茶釜が活躍する日が来るかもしれません。

大井町のみなさんはお元気ですか? 僕がひそかに三人娘と呼んでいた、おばちゃま方はちゃんと通ってきていますか? 黒沼くんは来てるだろうけれど、原田くんはどう? ツノちゃんの新しい仕事は始まったの? 名前を挙げていけばきりがないけれど、みなさんによろしくお伝え下さい。交通費を出せるくらい仕事ができていれば、12月には東京に行くつもりでいます。あまりに唐突な引っ越しだったので、ちゃんとご挨拶もできなかった人たちもいるので、どっかで皆さんとお会いしたいですね。なんか、考えておいてください。本部の諸先生&おばさま方にもよろしく。

等持院稽古場もぼちぼち動きはじめています。京都稽古会も二度あったので、合間合間でどんなところか見に来て下さる方も大勢いて嬉しかったです。稽古の日程表は出していますが、まだ予約ゼロの日が多く、基本ヒマなので、ふと思い立って、近所のいわゆる観光地と呼ばれるところに出かけたりしてるので、池田さんには、「楽しんでる〜」と呆れられています。昨日は、少人数稽古にふたり来てくださり、坐法臥法の稽古したのですが、四畳半での稽古もなかなか愉しいです。

一緒に移住するはずだった娘が来なくなったことで、淋しいでしょうと訊かれることもあるのですが、あまり孤独感というのは感じることないですね。これまで押し入れにしまい込まれていたオヤジが集めた花器とか、義姉の織った布とか、これまで居場所を与えられてこなかったモノたちが自分の場所を見つけた感じもあって、それらを通して、いろんな人たちの気配ーもっとも、もうこの世にいない人たちなのだけれどーと共にある感じが心地よい。だから、池田さんには「隠居してるー」と言われてしまうのだけれど。

いつでも宿は提供しますから、億岐先生を見倣って一度京都稽古会に出てきてください。

*ネットをやらない松井くんのために、だれかプリントアウトして届けてください
*追記 月曜夜本人からメーッセージ届きましたとの電話ありました

2015年11月6日金曜日

畳の目を数える

客を迎える準備は整った
あとは、合掌行気して、畳の目を数える

いつでも稽古ができる空間があるというのはありがたい
稽古着に着替え、四畳半に入れば、もうそこが稽古場なのだ
朝に夕に随伴行気を復習しながら合掌行気

そもそも教えられるものはなにもないし、
教えるということはおそらく僕の天職ではない
一緒に稽古したいという人が現れれば、一緒にやる
そうでなければひとりでやる

そういえば、先月末に来た人など、
二時間お茶飲んで喋って、会費を置いて帰っていった
坐法臥法のコマだったのだけれど、稽古した気分になってしまった
なんだか不思議な体験

日が照ってさへいれば、暖房もいらないかも
朝日は入るし、夕方近くまで日は差し込んでくる
ただ、一日があっという間に過ぎていく

2015年11月2日月曜日

暖房

朝晩大分冷え込んできた
持ってきた電気ストーブやホットカーペット、
それに前の住人が残してくれたエアコンで寒さをしのいでいるが、本格的な冬には力不足
それでなくても寒さには弱いのだ
どのような暖房器具を使うか、それが喫緊の課題
近々ガスストーブかガスファンヒーターを入れることになるだろうが、
どの部屋をどのように温めるか悩ましいところ

知人が送ってくれた火鉢がある
真鍮製のいわゆる手焙り火鉢
炭も一緒に送られてきたから、火さへ熾せば使用可能な状態
火熾しに若干手間取ったものの、火鉢に炭を置いてみた
室温を上げるのにどれだけ役立っているのかわからないくらいの暖かさなのだが、
 体ちかくに「火」があるというだけで、なぜか落ち着く
手をあぶり、ほの暖かくなった側面を撫でている

僕など、半世紀前の石油ストーブ以前の生活を知っている世代だけれど、
それでも、火鉢だけでは、とても冬は越せそうもない


2015年10月30日金曜日

10月の読書

エクソダス症候群* 宮内悠介 東京創元社 2015
茶室がほしい。* 永江朗 六曜社 2012
新「ことば」の課外授業*  西江雅之 白水社 2012
京都ぎらい 井上章一 朝日新書 2015
  京都に来て最初に買った本がこの『京都ぎらい』。この人の斜に構えた切り口は
 大好きで、これまで著書を何冊も読んできた「なぜ、私(筆者)はこのような視点
 を持ち得たのか」というのが、この本の主題。嵯峨育ちの筆者が洛中中華思想と遭
 遇することで生まれた京都への愛憎模様がいじましい。
異郷日記*  西江雅之  青土社 2008
話はなぜ、お爺さんとお婆さんが主役なのか* 大塚ひかり 草思社 2015
子米朝* 桂米團治 ポプラ社 2008

2015年10月27日火曜日

等持院

 人が訪ねて来てくれると一緒に等持院のお庭を観に行こうという話になる。先日は大阪の叔母が、また、今日はドイツ稽古会のメンバーが来てくださったので等持院に出かけていった。前回、受付の人に「年間パスポートのようなものはないですか?」と訊いてみたら、鳩が豆鉄砲くらったみたいな顔をして、「ありません」という答えが返ってきた。そいういう質問はこれまでされたことなかったのかな〜。訪問者を案内する近隣住民とすれば、年間パスのようなものがあれば、ほんとうにありがたいのだが。等持院は団体客はおらず、ゆっくり庭を見ることができる。紅葉も少しづつ進んでいるようだが、やはり見頃は来月半ば以降ということになりそうだ。



2015年10月24日土曜日

京都に来て一ヶ月
月を観る回数が増えた


2015年10月23日金曜日

稽古始めます。

10月25日(日) 10-13 連座 15-18 連座
10月26日(月) 10-     個人教授
10月27日(火) 10-13 カタと同調 15-17 坐法臥法

参加希望者は稽古のすすめ方をご一読ください

11月以降は下記の通り

2015年10月19日月曜日

白山ふたたび

 11週間ぶりの石川。8月のはじめ、白山稽古会から京都に流れていくことで、小さなスイッチが、カチッと入った。それからの二ヶ月は、これまでの人生の中で三本の指に入るくらい目まぐるしい展開だった。

 よくまあ、北陸に戻ってこれたものだ。そして、今回は、京都から北陸道をたどってやってきた。特急サンダーバードで2時間と少々。等持院から京都駅まで1時間弱だから、3時間で金沢にたどり着く。今から思うと、東京から上越回りで電車を乗り継いで、あるいは、羽田小松間を飛行機で飛びながら、ほぼ6年間、よく通っていたものである。

 ここ数年の落ち着きのなさが災いしてか、稽古会の会員数も減り気味。縄文山田さんには、北陸稽古会、いや、日本海稽古会をなんとかしましょうとハッパをかけられている。その核として、白山稽古会をもっと充実させねばと思う。

 北陸新幹線開通のあおりを食らい、金沢駅周辺のホテルから追いやられ、今回は松任泊。稽古会の会場は松任にあるのだから、本来の姿に戻ったというべきか。金沢の混雑に嫌気をさした観光客が「もっと落ち着けるところ」を探して隣の白山市まで流れてきているようだ。人の出入りのある文化財のなかで稽古をしている身とすれば、観光客の目に晒されてながら稽古するのは不思議な気分。身体教育研究所を説明するパンフレットなどあるといいですね。



2015年10月14日水曜日

連座からはじめよう

連座からはじめることにしよう

三年前のことだ
稽古を二ヶ月ばかり離れていたことがある
稽古を再開しようとして驚いた
稽古への「戻り方」がわからないのだ
そんなとき、晋哉さんから(最近実名主義になってきています)
「ぼくの稽古に来てみませんか」と誘われた
そのときのことを連座というタイトルで書いた

結局、稽古会でやっていることは、いかに「触れるか」の追求になる
それが、生きるための「教養」となる

大井町稽古場で最後の稽古を担当したのが9月20日
ほぼ一ヶ月前のことになる
この週末、二ヶ月半ぶりの白山稽古会があるとはいえ、
またまた、自分自身、稽古への戻り方がわからなくなりつつある
そこで、やはり連座からはじめることにしよう

初回は10月25日です
引っ越しからちょうど一ヶ月目
  
連座への参加条件は、
(1)稽古歴2年以上で、(2)坐法臥法がひととおりできること
尚、三人が基本単位となるため、予約が三名に満たない場合は、
稽古がキャンセルされる可能性があることを予めご了承ください

もちろん、坐法臥法、カタと同調といった稽古もはじめます
稽古日程はこんな感じです
まずは稽古のすすめ方のページをご覧ください

2015年10月11日日曜日

大きな部屋

ここにタオル掛けがあったら、もう旅館だよね
というのが、真ん中の部屋についての皆の感想だ
京間の六畳に四畳の広縁
広縁には、小さなテーブルと籐椅子が置かれているから、
たしかに気分はもう旅館

このスペースの使い方は難しい
和室だから稽古の場にすることも考えた
しかし、台所の隣で、構造上、公私が混ざり合ってしまう空間だ
実際、今は寝室でもある
稽古場として使うことは、早々に諦めた

この部屋がどういう風に使われていくのか
稽古会が始まってみないと分からないのだが、
たしかに旅館風ゲストルームとして使われるのにはピッタリだ
京間の六畳というのは、江戸間の八畳といった感じで、
布団三人分余裕で敷ける

稽古+観光+宿泊
どうせひとり暮らしだし、千客万来ですね
ご近所に迷惑をかけず、不審な目で見られず、私の評判を落とすことのない
節度のある方は泊まりに来て下さい

更衣室として使う予定の三畳間もあります
昔風にいえば書生部屋
これも整備すれば長期滞在者用のゲストルームに使えそう

ぼくが怖れているのは、手間のかかる輩が押し寄せてくるという事態
ご飯を作ってくれる人ならばよいけれど、メシつくって食わせなきゃならない輩
そういう方にはお引き取り願いたい

小さな家

 小さな家に住むのが理想だ。田舎にちっちゃなオフグリッドの家などを建てて、エネルギー自給自足で暮らすなんて素敵じゃないか。中村好文や伊礼智の小さな家について書かれた本を読んでいると飽きない。無論、その先には、あこがれのバックパッカー生活がある。以前、このブログにも書いたことがあるが、バックバックひとつで日本とアジアをここ十年くらい行き来している知り合いがいるのだが、その自由さに憧れてしまう。

 小さな家に、もの少なめに暮らしているつもりでいた。引越し屋さんが見積もりに来てくれた時、そのように話したら、いや普通にあるでしょと言われ、ちょっとがっかりした。実際、荷造りをはじめてみると、この小さな家にいったいどれだけのものがつめ込まれているのだと思うくらい荷物は多かった。ことに台所用品の量の多さには目を剥いた。大きな家具は処分し、捨てられるものは捨ててきたのだが、それでもダンボールの数は予想以上に多かった。

 そんな私が、これまでになく大きな家に住みはじめた。収納はたっぷりあるから、今なお床に置かれているダンボールの箱を押し入れに放り込んでしまえば、あっという間に片付いた風にはなるだろう。でも、まだ、僕の片付け生活は終わっていないというか、これからだ。「京都5年間ロングステイです」と書いたが、契約がそうなっているからでもあるが、まだ旅の途中という気持ちが強い。京都でなくてもチェンマイでもキャンディでもよかった。ただ、稽古人としての人生を追求するとなれば、京都しかなかったということだ。

 こんな贅沢に暮らしてよいのだろうか、と思うくらい、静かで広々とした住空間である。カミさんには後ろめたい。きっと彼女はこんな環境で暮らしたかったに違いない。花を育てる庭もあるし。父が残してくれた花器もはじめて自分たちの居場所を見つけた。江戸川のワンルームも、その前の岡山の実家も、花器が活躍する場はなかったのだから。オヤジの審美眼などまったく信用してなかったのだが、桐箱から取り出した壺を観たダン先生に「お父さんいい趣味してるね」と言われ、あれれと思ってしまった。妻や父が実現できなかった理想がここにある。なんだかね〜。

 大きな家経由バックパッカーというのが、いま思い描いている私の未来です。

2015年10月10日土曜日

図書館デビュー

毎日が濃厚で、書くのが追いつかない
昨日はとうとう図書館デビュー
中央図書館に行ってきた

京都の街というのは、やはりこぢんまりとしていて、
google mapを頼りに、目的地に向かって自転車を漕いでいると、
たいがい通りすぎてしまう

図書館生活を諦めるつもりでいたが、
中央図書館まで自転車で20分でたどり着いた
京都の公共施設というのは、いまだに昭和の匂いぷんぷん
転入の手続きに行った区役所もそうだったが、この中央図書館もそう

それでも、図書カードは5分で作ってくれたし、
横浜市同様、インターネット予約も可能
一応、中央図書館を謳っているだけあって、蔵書の数もなかなか
横浜で普段利用していた山内図書館より量で上回り、質では相当に上をいっている
つまり、利用しがいのある図書館
しかも、一回十冊まで借りられるとのこと
みなさん、小さな買い物カゴのようなものを手に館内を徘徊している

京都生活二週間
活字というものからずっと離れていたし、本を読むという欲求さへ忘れていた
それでも、本の山を目の当たりにすると、活字中毒者の私が目を覚まし、
三冊ばかり借りてきた

・異郷日記(西江雅之)
・昔話はなぜ、お爺さんとお婆さんが主役なのか(大塚ひかり)
・子米朝(桂米團治)

2015年10月9日金曜日

冷凍

食器棚、洋服ダンス
大きな家具の類は全て粗大ゴミに出してきた
最後の最後に、冷蔵庫も引越屋さんに処分してもらった

ひょっとすると、冷蔵庫なしの生活も可能なのでは、と一瞬だけ思った
ところが、引越荷物と一緒に持ってきたチーズはどうなる、バターはどうなる
と、考えた途端、冷蔵庫なし生活を諦め、家電量販店に走り、小さな冷蔵庫を買った
軟弱ですな

自炊体制が整うまで十日かかった
それまでは、外食だったりお弁当だったりの食生活
お米を炊いた
食べ終わって、土鍋に残る残りご飯をどうするか
そこで、はたと立ち止まった
これまでなら、ラップして冷凍庫に放り込んで、食べるときにはレンジで...
そうか冷凍庫と電子レンジはペアなのだ

ひとり暮らしに電子レンジは必需品というのは、世の常識
とはいえ、ここで更なる軟弱路線に入っていくのはちょっとくやしい
いま少し踏みとどまることにした

2015年10月8日木曜日

開設準備

 引っ越してきて二週間近くが経ち、ようやく生活できる状態になってきた。ここから稽古場部分の整備をはじめなくてはならない。まずは毛氈の注文。以前(といっても随分前のことなのだが)に比べ2〜3割値上がっている。お店の話だと、来月になると、さらに三割くらい上がることになるらしい。あとは、照明と窓の明かりをどうコントロールするか。やっぱり、稼働できるのは今月下旬になりそうです。
開設準備中のこの等持院稽古場、基本定員3名の全予約制で運営していく予定です。皆さんをお呼びしての「道場開き」は行いません、というか物理的に行えません。だから、じょじょに稽古しに来ていただくことで、ゆっくりここの存在が周知されていく、みたいなかたちが一番よいです。稼働前の見学も歓迎です。
 また、稽古日程の告知等は、このブログを通して行おうと考えています。大井町の稽古を担当していたときには、大井町稽古場独自のブログを立ち上げて、そこでいろんなお知らせを載せていたのですが、等持院稽古場に関しては、このブログに同居させていきます。文字通りの「公私混同」ですね。このブログの右下に等持院稽古場という項目を追加したので、時折、チェックしてみてください。

2015年10月4日日曜日

人力移動

 京都に越すというと、「終の棲家ですか?」と尋ねられることがあるが、「いや、5年間のロングステイです」と答えることにしている。いつからか「終の棲家」「定住」といった考えは捨ててしまった。30年前、京都で暮らしていた時には、基本、「学生・外国人」コミュニティの中を移動していたから、地元とのつながりは少なかった。それに比べれば、今回の京都住まいは、ひとりの大人として住み始めたわけで、逆に、若いころ体験できなかった「隣組」的な付き合いも、ひとつの「異文化体験」として愉しめそうな気がするのだ。

 こっちに来る前は、どんな田舎に住むことになるのかと心配していたが、杞憂だった。ここは閑静な住宅街なのだが、そこを学生たちがぞろそろ歩き、自転車に乗った学生たちが傍若無人に道路を走っている。立命館大学のお膝元なのだ。学生相手の定食屋なども結構な数あって、しかも夜遅くまで開いているから、お世話になることもあるだろう。というか、何日か前、お腹空いて仕方ないので、通りがかったハイライト(これって、百万遍にもなかったか?)というお店に飛び込んで、豚しゃぶ鍋定食を頼んだ。丼と呼べるサイズのプラスチックの茶碗に扮われたご飯のべちゃべちゃ感はともかく、620円は安い。徒歩10分の白梅町に行けば、大きなスーパーもあるから、暮らしていくのに不自由はなさそうだ。

 はじめての街に着いたら、ひたすら歩き回るというというのが、僕の旅のスタイルだが、これは今回の京都暮らしをはじめるに際しても同様で、必要に迫られてという部分は大きいけれど、随分、歩きまわっている。これに自転車移動が加わるから、人力移動の距離は、横浜で暮らしているときに比べ、格段に増えている。徒歩で2キロ圏、自転車で5キロ圏といったところだろうか。電車通勤しなくて済む生活というのはいいです。

(等持院の山門 この門をくぐった向こう側に住んでいます)

2015年10月1日木曜日

まずは一服

怒涛の9月をなんとか乗り越え、10月に入った
これから少しづつ稽古場としての体裁を整えていくことになるが、
まずは、生存していくための居住空間と台所をなんとかせねばならない

なにがどの箱に入っているか定かでないので、ひとつひとつの仕事に時間がかかる
探しものをしているうちに、もう一つの仕事を発見してしまい、
そもそも僕はなんのために、この箱を開いたのだろう
という最初の目的を忘れてしまうことも多い
結果として、無駄に家の中をウロウロするばかりで、一向に片付けははかどらない

お抹茶と茶筅が出てきて、しかも研修会館から頂いてきた和菓子があったので、
まずはお茶を一服点てることにした
すると、今度はお菓子を載せるお皿を探すことになる
お懐紙でもあれば、それでいいのだが、それも見当たらない
なんとか漆の小皿をみつけだしお菓子をのせ、超略式でお茶を点てる
思いの外、柔らかく美味しいお茶が点てられた
琵琶湖の水は期待できないと思っていたのに、横浜の水道水よりよほどおいしい

























築年不詳のこの家、後から大分手を入れられてはいるが、
随所に昔の姿を留めている
まず、見つけたのが鴨居から対角線上に飛び出ているL字型の金具
これは蚊帳用のものですね
昨晩訪ねてきてくれたダン先生
台所をみるなり、「ここは土間だったんだ〜」と感心し、
風呂場の風呂桶の深さに、「ここには五右衛門風呂があった」
と懐かしげに話されていた
そう言われれば、まったくその通りで、
たしか平成15年に大改装と不動産情報に書かれていたから、
それまでは、昔のかたちが、そのまま残っていたのかもしれない

2015年9月28日月曜日

前にすすむ 12 − 引っ越し

雨の金曜日、荷物を運び出す
お手伝いに来てくれたカンナさんに感謝
たちも来てくれたのだが、どうも当事者感に欠けている
そう、これは僕の引っ越しなのだ
引越業者のトラックが出た後、ご近所の方たちに見送られ駅に向かう
カフェ32°Fに立ち寄っていつものカフェオレ
新横浜から新幹線で京都
パレスサイドホテルにチェックイン
先発した娘たちは、家の状況を確かめにいってくれたらしい
奇しくもこのホテル、28年前、結婚式のお願いに亀岡西光寺を訪ねたときにカミさんと泊っている

土曜日天気は晴れ
早起きして等持院へ
まもなく引越屋さん現れ、荷物搬入開始
当然のことだけど、みなさん京都弁を話す
戸村さんも手伝いに駆けつけてくれる
大型家具は仏壇とチェストひとつくらいなので、搬入はスムース
2時間ほどで搬入完了
収納スペースはたっぷりあるので、荷物に埋もれてしまう感じはない
一区切り付いたところで、ご近所への挨拶回り
六請神社にお参りし、等持院を拝観
横浜で住んでいたところは、コンビニ・スーパーまで徒歩2分だったけど、
ここでは、神社・お寺まで徒歩2分だ
その足で、ダン先生に教えてもらった龍安寺駅近くのうどん屋へ
家から徒歩10分かからない距離になる
修養講座に出ていた山中さん来宅
訪問者第一号

日曜日
夜は静かだったし、昼間も静かだ
前日お留守だったご近所を周り、挨拶完了
池田さんが自転車をくれるというので烏丸丸太町の池田医院を目指す
バスと地下鉄を使ったのだが、乗り継ぎで歩く距離が長く、京都の人がタクシーをひんぱんに使う気持ちが分かった
帰京する娘と別れ、自転車で自宅に向かう
自転車を漕いでいると、この街を自転車で走り回っていた20代の記憶が蘇ってくる
20分ほどでたどり着く
このヒューマンスケール感が心地よい
暗くなってから徒歩で研修会館を目指す
google mapsのナビに従うと、まあ、細い路地をくねくねと歩くことになった
研修会館が徒歩圏内にあるって不思議な気分
大きな月が出ている
やることはいっぱいあるが、ひとつづつ片付けていくしかない
明日から、いや今日から三日間は稽古会だ

2015年9月25日金曜日

お茶

 お茶のお稽古だけはもう一度行っておきたかった。荷造りの目処が付いたので、橋さんにお願いして菊名のお茶室にお邪魔した。五十の手習いではじめ、十年と少し通ってきたことになるが、結局、お点前の作法を覚えられないダメ生徒で終わってしまった。
 稽古のあとお昼に誘っていただいたのだが、同席してくださったご主人との会話はいつも愉しい。一家でニューヨークに駐在されてた1960年代の話はとくに面白い。JFKが暗殺された時期であり、ベトナム戦争が拡大していた頃のこと である。私が経験したのは十年後の米国なのだが、橋さんの話を聞いていると、アメリカにとっても激動の十年だったことがわかる。
 どこかにお茶の稽古について書いたものがあったはずだとリンクを探ってみた。あるにはあったが、なぜだか文字化けしてしまうので、長文だけどそのままここに貼り付けることにした。長期休刊中の季刊独鬼に掲載されたものです。整体を学んでる方、お茶の稽古をしましょう。杉浦先生、名前を晒してごめんなさい。


瓦を磨く日々 ー お茶を稽古する


 長く生きていると、じつにいろんなことが起こる。五十歳すぎてからお茶を習い始め、それが四年たったいまも続いているなどということは、かつての自分からは空想もできなかったことである。最初の二年は、杉浦くんと二人で月二回、せっせと橋さんのところに通った。盆点前で、袱紗さばきにはじまり、お茶の点て方を一通り教わった。むさくるしい男二人を前に、橋さんには、ご苦労をおかけしたが、こちらも、お茶と毎回かわるお菓子を目当てに通っていたようなもので、小さな子供が、お菓子食べたさにお茶のお稽古に通ったという話を笑えない。盆点前とはいえ、お茶の基本的な所作はすべて含まれているわけで、通しでやるとなるとなかなかむずかしい。もともとなにかを覚えようという意欲が乏しく、そのうえおさらいなど一切やらないので、一年たっても二年たっても上達したという自覚をもてない。稽古場では動法を教える立場であるのに、橋さんの前では、「ちゃんと脇を張って」などと叱られてばかりである。叱られる心地というのは、なかなかよい。
 それでも半年を過ぎ、一年が近くなり、ひととおりの点前を終えると、今度はお茶会を開きなさいと言い渡されることとなる。デパ地下のお菓子売り場に、客に出すお茶菓子を買いに行くところからはじめ、客を迎え、その前でお茶を点て、喫していただく。私が呼んだのは自分の家族であったとはいえ、緊張しまくり、それでなくてもあやうい所作を飛ばしまくる。ほとんど学芸会の児童状態。亭主の役を務めたとはいえ、脇に橋さんがいなければ成り立たなかったお茶会であった。お茶会が終わると、今度は稽古の場がお茶室に移る。盆点前と同じよと言われるものの、盆点前でやったことではまるで歯が立たない。厳しい。水屋で茶道具の用意をして、それらをお茶室の中に運び込むところからして難題つづき。ただ手順が複雑になるぶん、点てられるお茶の味は歴然と変わる。お茶の世界における音というのは、じつに不思議で、お茶碗に茶筅をコツリと当てる、柄杓を水蓋の上に、コッと置く、柄杓からお茶碗にお湯を注ぐ、あるいは客がゴクリとお茶を飲み干す。このような一連の音によって、風景が進んで行く。最初聞こえていた屋外からの人の声、車の音が遠のいてゆき、静かな集注の世界に入っていく。はじめがあり、途中の展開があり、そして終わりがやってくる。これがお茶の醍醐味なのかもしれない。
 動作がつかえる時がある。時々ではなく始終ある。手順がうろ覚えということもあるが、たいがい何か違うことをやろうとしている時に止まる。しかたなく、そこでしばし佇んでいると、「こっち」という道が見えてくる。そっちに動き出すと、「ああ、こっちなのだ」と体がついて動いていく。そうはじめに流れありきなのだ。流れの中に自分の所作がぴたっとはまると、すらすらといく。どうしてこれが整体でできないんだと、つくづく思う。

 お茶室に入って一年もたたないうちに、杉浦くんは名古屋に稽古場を開くことになり、以後、橋さんと一対一の稽古になった。それからすでに二年がたつ。

(初出 『季刊独鬼』 2008年4月)


2015年9月24日木曜日

9月の読書

引っ越しを控えているので(明日だ!)今月は早目に。
あざみ野という街に暮らし続けた第一の理由を図書館が近かったことに帰したとしても、そう外れてはいない。活字中毒者にとって、図書館の存在というのはありがたいもので、この欄に載せている書籍の大半(*を付けているもの)は図書館から借りてきたものである。もし、図書館がなければ、私の乱読生活は成立しなかったし、家計的にも破綻していただろう。京都の公立図書館事情を調べてみると引っ越し先からは遠く、気楽に図書館に通うという生活は望めそうもない。「大学の図書館もありますよ」と教えられて調べてみたら、近所の立命館大学は図書館を有料で一般市民に開放しているらしい。これはありかもしれない。大学生に混じって図書館に座っている自分の姿は空想できないが、一度訪ねてみる価値はありそうだ。

恋するソマリア* 高野秀行 集英社  2015
 横浜市立図書館で借りる最後の一冊。高野秀行最高!
結婚のアマチュア アン・タイラー 文春文庫 2005
 週刊文春のコラムで小林信彦氏が取り上げていた一冊。イタイ。アン・タイラーって、クエーカーの家庭で育ったのね。

2015年9月22日火曜日

いつかは

いつかはやってくるであろうその日は唐突にやってきた
いまどきの娘が「お嫁にいく」なんて言葉を使うとは思わなかったが
一年前の今頃、妻の通夜葬儀で動揺しまくっていたことを思うと、一年で人生こんなに進んじゃうんだと感嘆するしかない

2015年9月21日月曜日

四畳半でできること

お茶室のような稽古場があればよいなと思っていた
平屋建であれば尚よい
贅沢な望みである
ところが、お茶室ではないけれど、それらしき建物が見つかった

稽古スペースは四畳半
この限られた空間でどこまでの稽古が可能か
チャレンジしがいのある課題である

毛氈一枚の上で操法はできる
定員3名とすれば、連座にもぴったりだ
坐法臥法が稽古のベースになるだろう
じゃあ筆動法はどうか?

大井町稽古場での最後の稽古が筆動法だった
おくのほそ道の序の部分を三人一組で手分けして書いてみた
四畳半で筆動法の稽古をするという空想がはじめて湧いてきた

・坐法臥法
・カタと同調
・連座
・筆動法

稽古会のかたちがだんだん見えてきた






















fudedoho on 2015.9.20

2015年9月20日日曜日

彼岸

彼岸
妻の一周忌
大井町での稽古最終回

2015年9月15日火曜日

前にすすむ 11 - ひとり

この前にすすむシリーズを始めたのが5月
京都への引っ越しというまさかの結末が待っていた
ところが、まさかは更に続くのだ

ほんの数日前、
娘が、「私は京都いかないことにする」と宣う
まあ、あの歳で、一緒に来ないということは、つまりは、そういうことだ
しかし、このタイミングで言い出すか?
もっとも今回の引越話が引鉄となったと言えなくもない

要約するとこういうことだ
29年前、僕はひとりで東京にやってきた(→引っ越し1986
結婚して娘ひとり育て、身体教育研究所の立ち上げを手伝い、
去年、妻と父を納得できるかたちで見送り、
あと十日したら、ひとりで京都に帰っていく

時代がぐる〜っとひとまわりして、ひとりに還る
まるで十牛図を眺めているようだ
もはや出家者の心境

2015年9月6日日曜日

前にすすむ 10 - 荷造り

引っ越しって命懸けなんだ
下手すると、引っ越したあと寝込みそうだ
いや、荷造りの途中で倒れそうだ

決断というほどのものもなく
ほんの軽く触れたつもりでいたのに、
その触れたものが巨大洗濯機のスイッチだった
といった風で、渦はどんどん大きく速くなり、
その渦に自分自身が呑み込まれそうになっている

こんなに多くの人たちと関わっていたんだ
ということを日々自覚させられている
根付いてなどいないつもりでいたのだけれど、
29年間はやはり長かった

ただ、引っ越し先は京都です
と伝えると、皆一様に、顔がほころぶ
京都のブランド力って有効なんだ
おっ、これで京都に行く口実ができたぞ、という空想が湧くらしい
無論、皆さん、遊びに、いや稽古に来てください

さて、荷造り荷造り

2015年8月31日月曜日

前にすすむ 9 - 京都again


6月末、三年ぶりに京都稽古会に出た
休憩時間の雑談の中で、関西に戻ってこようかなという話をした
無論、喫緊の話ではなく、数年という尺での話
もう少し京都での稽古会に通わなきゃと秋以降の宿を予約しようとしたら
全く取れない
ほんと、宿よ宿よという感じ


妻と父の初盆は東京式に7月に執り行った
南品川のお寺からお坊さんが読経に来てくださった
私と娘、そして妹の家族が揃った
読経がはじまった
妻の戒名は出てくるのだが、なかなか父の戒名が読まれない
家族は固唾をのんで待っている
結局、そのまま読経は終わってしまった
僕の連絡不行届きで、二人分の初盆を迎えるということが伝わってなかったらしい
オヤジは、普通に8月にお盆をやってほしかった
更にいえば、大阪の菩提寺のお坊さんにやってほしかった
というのが、僕ら家族の好意的後解釈で、
大阪のお寺に、一度、そちらでお経を読んで下さいという葉書を出した
そうか、死んでもなお、故人の想いというのは、こういうかたちで現れてくるのか


8月はじめ、白山稽古会のあと岡山の親戚を訪ねる予定にしていた
それが先方の都合で、岡山行は延期になり、結局京都に呼ばれていった
冷やかしのつもりで、ネットで下調べしておいた物件について不動産屋に連絡してみた
面白そうな物件は三つあって、
第一候補は天竜寺近くのモダンな一軒家、
二つ目が等持院ちかくの平屋物件、
そして、三つ目が左京区の古い家屋
結局、内覧できたのは等持院近くの平屋建ての物件


門から玄関までのアプローチが美人の一軒家で、
引き戸の玄関も素敵
入ってすぐの四畳半は稽古スペースとして使えそう
すっかり気に入って、特定小数の人間が出入りする教室として使えるかどうか
訊いてもらうことにした
人の出入りを嫌う大家さんは多くて、この段階で断られるケースは多い
しばらくして、o.k.の返事が来た
こうなると一気呵成にものごとを進めていくしかない


8月14日
誕生日、そして新月であることを娘に教えられる
新しいことを始めるにはよい時期なのか


コンビニ、スーパーまで徒歩3分、
図書館まで10分という便利過ぎる街暮らしをしている身からすれば、
等持院に住むなんて、田舎暮らしも同然である
家のつくりも昔風
この不便さに耐えられるか
冬の寒さ、夏の暑さに耐えられるか


京都研修会館には近いが、
街中からは不便なところである
駐車場もない
ただ、著名な観光スポットは近い
金閣寺、竜安寺は徒歩圏内、等持院も有名なお寺らしい
となると、稽古に来る人はいないが、
京都観光の拠点として、あるいは研修会館への足場として泊めてほしい
という人は大勢現れるのではないか
稽古場よりもB&B向きの物件なのかもしれない
悩ましいところだ


8月半ば、操法を受けた時、
骨を拾える距離という妙な言葉が浮かんできた
たしかに、関西には高齢の叔母たちがいるし、
京都の知り合いたちもみな高齢者と呼べるお年頃だ
他人事ではないのだけれど


娘を伴って日帰り京都行き
再度の内覧をお願いする
不動産屋に戻って契約の詰め
もう後戻りできない
クールダウンのために歩くことにする
烏丸今出川から同志社前を通り、鴨川を越え出町柳
電車で三条に出て、寺町通りを下り、そこから東進して八坂神社
やたら外国人浴衣女子が闊歩している
三十年の時を経て、こうして娘と一緒に京都の街を歩いている不思議

10
引っ越しは9月末の予定
とはいえ、まだ契約手続は未完了
ここまで書いて、京都行きが実現しなかったら
国外逃亡しかないぞ

2015年8月30日日曜日

8月の読書

空也上人がいた* 山田太一 朝日新聞出版 2011
救出* 猪瀬直樹 河出書房新社 2015
帰還兵はなぜ自殺するのか* デイヴィッド・フィンケル 亜紀書房 2015
狼の群れと暮らした男* ショーン・エリス+ペニー・ジューノ 築地書館 2012
日本の長者番付* 菊地浩之 平凡社 2015
噂の拡がり方* 林幸雄 化学同人 2007
フルサトをつくる* 伊藤洋志・pha 東京書籍 2014
憎悪のパレード* 石田衣良 文藝春秋 2014
日本人はどう住まうべきか* 養老孟司・隈研吾 日経BP社 2012

2015年8月28日金曜日

復元

このブログの前身は、「あざみ野通信」と名づけた個人通信で、1986年9月、僕が東京に出てきてから3カ月目に始まっている。ワープロが普及しはじめて間もないころで、ワープロ入力→インクリボン印字→両面コピー→郵送という手順を踏んで、50部くらいを友人たちに送りつけていた。紙メディアの時代がだいぶ長く続き、その後、インターネットを使い始めると、メール版、web版と姿を変え、ここ十年くらいはブログに書くというスタイルで落ち着いている。郵送、メールの時代は、まだ読者が特定されていた訳だが、web版以降は、誰が読んでいるのか分からないし、送りつけるより、興味のある方(いろんな興味の持ち方がありそうだが…)に読んでもらえればいいか〜、というスタンスに変わってきた。

駄文も積もれば山となるで、30年近く書き続けていると量だけは溜まってくる。ここから稽古場史を抽出できるだろうし、育児史、家庭史も抽出できるだろう。かさばるものでもないし、テキストデータとしてせめて娘くらいには残しておこうと思うのだが、ひとつ問題にぶつかった。固有名詞をさけて、Aさん、Bさんという表現を使っているケースが結構ある。ところが、D先生くらいなら問題ないのだが(記号にしている意味もない)、いったい誰のことを示しているのかが自分でも判然とせず、復元できないものが沢山でてきた。例えば以下の文章(いま読み返すとのどかだな〜)。これはおそらく、web版の文章だと思うのだが、S1,S2,S3まで出てくる。Sくんは男性で、Sさんなら女性だろうということは想像できるのだが、そこから先がなかなか難しい。十年も経つと、記憶というものはあやしくなるものです。

【気刊あざみ野通信 #295 2004/8/4】■Kくんは稽古仲間であると同時に僕のサッカー師匠である。ここのところJ2フロンターレ川崎に入れ込んで、等々力通いを続けているらしい。そんな彼とのサッカー談義。■「問題は、横パスばかりしたがる人間が多いことだ」というのはサッカーに喩えた恋愛論。「ゴール目指して切れ込んでいけばいいものを、ゴール前でうろうろ横パスの交換ばかりしている輩が多い。もうちょっでロスタイムに入ってしまおうかという時間帯にそんな悠長なことをやってる場合じゃないだろう」とKくんを含む40代独身の友人たちを揶揄するのは私。■MFばっかりでFWがいない、というのは稽古場の人材を評して得た共通の認識。なんだ稽古場もサッカー日本代表と同じじゃないかと二人で溜息をつく。それでも、誰彼構わず突っかかっていくS1くん、いい球が渡れば強さをみせるS2さんなどFWの素質はあるかもしれない。フムフム。DFラインを統率するのはEさんでしょうと、Kくん。なるほど、存在感あるし、リーダーシップも十分。ちなみにKくんも僕もボランチ的であるらしい。前線に球を放り込む、ときどき攻撃参加する、相手の攻撃の芽を摘む。もっともKくんと僕のダブルボランチとなると最悪の組み合わせかもしれないな、これは。■これには後日談がある。数日後、Kくん、なんとメンバー表を持って現れた。つまり稽古場の人間11人で1チーム作ろうというのである。なるほどというメンツが顔を揃えている。GKがKさんーこれはちょっと不安。右サイドバックにS3さん。左サイドバックにWくんーこれはいい。じゃあ今度は、僕が西日本チームを作ってみようと応じたのだが、こんなやりとりを稽古場の人が聴いたら怒り出すかあきれるか。■アジア杯にアテネ五輪。ここのところ連日のようにサッカーの試合をテレビで放映している。目くじらを立てず、こういう消夏法もあるのだとお読み流しください。それにしてもアジア杯準決勝の対バーレーン戦はすごい試合だった。

2015年8月26日水曜日

前にすすむ 8 - 風をつかむ

がんばりが効かなくなったら、
がんばらなくともやっていけるすべを身につけるしかない
ひとはなかなか死なないものだが、かんたんに死んでいく存在でもある
歳取るとは、エンジン付きの飛行機が、グライダーに変身していくようなもので、
失速してしまう前に、次の風を捉まえるしかない
エンジンを吹かして加速上昇しようと思ったら、エンジンがなかった
というのでは洒落にならない
風の読みかたが生死を分けることになる

2015年8月24日月曜日

前にすすむ 7 - 引っ越し1986

外務省に勤める知り合いがいる
あの人たちは、国境をまたいでの転勤が日常茶飯事だから、
辞令が出てから一ヶ月以内に次の赴任先に移動する
なんて事態も普通に受け入れている
独身ならまだしも、家族持ちなどどうするんだろう

1986年のことを思い出す
縁あって整体協会の本部事務局に入ることになった
その話が持ち上がって、実際に事務局で働き始めるまで
つまり、住まいを京都から東京に移すまでを、わずか6週間で終えている
それが以後29年間続く私の東京生活の始まりだったのだが、
古い日記を広げてみると、知人友人親戚の家を泊まり歩き、
引越の荷物出しまで友人に頼み、じつに他力本願の引越し模様だった

時系列で辿ってみると、こんなかんじ

4/25 京都支部長のO先生から本部事務局員募集の話を聞く
4/26 O先生より本部に履歴書を送るよう指示あり
4/27 履歴書購入
       (永瀬清子朗読会in奈良)
4/28 本部に履歴書郵送
4/30 (韓国領事館査証申請)
5/7 局長と電話面接→内定
5/10 (大倭活元会)
5/12 上京 局長と面接→即決
5/13 不動産屋巡り開始
5/14 アパートは見つけられず 京都に帰ってくる 
5/15 荷造り開始
5/18 知人友人に声をかけてガレージセール
5/19 区役所に転出届 バイク廃車届 実家に荷物を送る
5/21 (伊丹からソウルへ飛ぶ 28日まで韓国 → 白雲山へ
5/28 ソウルから成田経由東京 荻窪の竹渕宅へ転がり込む
5/29 日生ホールで中等講習会 事務局として参加
6/1   アパート探し 宇奈根の物件に決定
6/2   仕事始め  道場泊
6/6   道場泊 夜中ダン先生やってきて研究生相手に明け方5時まで喋る
6/8   京都から荷物到着

ものごとが決まるときって、こんなものなのかも
それにしても、このフットワークのよさ
独身だったからできたんだろうな〜

さて、ここまで書けば次に何が起ころうとしているか、
察しのよい方には、もう分かりますよね

はい、引っ越すことにしました

2015年8月19日水曜日

西馬音内

土方巽の原点が西馬音内盆踊りにある
という説にはにわかには同意できないが、
8年ぶりに観に行ってきました西馬音内盆踊り

8年前に案内してくれた栗田さんは踊りの輪の中にあり、
京都から来た笛吹きの森美和子さんも踊っている
西馬音内に来るのは3回目で、
最初は会場周りをウロウロしながら、人垣の間から踊りを眺めていた
2回目は指定席ーといってもパイプで足場を組んだものーから観て、
今回はお囃子正面の桟敷という特等席

























雨が心配されたが、
始まる前に少しぱらぱらしただけで、最後まで保った
前日が体育館開催だったことを思うと、ラッキーとしかいいようがない
この西馬音内盆踊りを初めて見た時には、
伝統芸能継承のお手本を見せられたようで感激したが、
間を置いて来てみると、
やはり、その難しさにも目が行かざるを得ない

筋金入りの年寄りは消えつつある
おじさんたちは頑張っている
十代とおぼしき若者もそこそこ数は揃ってそうだ
しかし、その間の30代40代が手薄な印象
ことにお囃子、地口連
こんな状態で一定のレベルを保っていけるのか
観光、地域振興とも絡み合っているから、話は余計に難しくなる
おそらく

義妹は、50年前、高校生の時に西馬音内の盆踊りを観たという
篝火だけの明かりで、遅い時間には子どもは帰されたという
踊り手も地元の人たちだけで、まだ観光客はいなかった
盆踊りが盆踊りだった頃の記憶

西馬音内盆踊りが美しいことは変わらない
上手い人の踊りを観ていると飽きることがない
彦三頭巾姿の十代とおぼしき踊り手ものなかに、
それはそれは美しく踊る子がいて、もう希望の星
男踊りも女踊りと同じ所作なのに、なぜああも違った踊りになるのか
ー酔っぱらってるからですというだけでは説明にならない
角帯を締めた女の踊り手はなんだろう
衣装によって表出するものが違ってくる
謎だらけ

帰り道、
今年から笠を付けて踊るようになった栗田さんに
彦三頭巾とのちがいを問うてみると、
視野が全然ちがいますとのこと
とにかく、笠をかぶると、前の人の足しか見えなくなる
どんどんひとりの世界に入っていく
とのこと



(画面中央、紺地□模様の浴衣が栗田さん)

課題山積は明らかだけれど、
やはり、よくここまで続いてくれた、
これからも是非是非続いてほしいという、
一途最初に感じたのと同じ感想を胸に会場を後にした

2015年8月15日土曜日

新幹線時間

北陸新幹線が開通して以来、3回新幹線を利用した
いずれも往路のみ
東京駅で新幹線に乗り込み、二時間半で金沢駅に滑りこむ
長野を過ぎたらあっという間に糸魚川という距離感が衝撃である
途中はトンネルばかりで、景色を楽しむこともない
金沢駅の新幹線の改札は自動改札になっていて、
(在来線の改札には駅員さんが立っている)
切符は改札機にのみ込まれて金沢の町に降り立つことになる
なんか違うな〜と思いながら歩きはじめる
気分が切り替わらないのだ
新幹線が開通するまでは、東京と金沢では異なった時間が流れていたのに、
新幹線開通とともに、東京時間が金沢に大量に流れ込むようになった
東京という圧力の高い空気の塊と金沢という小さな街が太いパイプで繋がってしまった
金沢は大丈夫だろうか

花はどこへいった

ラジオから流れてきた
デートリッヒの「花はどこへいった」
ちょっとゾクッときた


2015年8月11日火曜日

骨の拾える距離

骨の拾える距離?
なんだよそれは
スープの冷めない距離ってのは聞いたことがあるが、
骨の拾える距離なんて言葉知らないぞ

操法を受けていると
あるいは操法をしている最中、
見馴れない風景が現れたり、
聞いたこともない言葉が浮かんできたり
そんなことは、特段珍しいわけではないけれど、
昨日操法を受けていて浮かんできた言葉がこれ

骨の拾える距離ね〜
当分、骨なんて拾いたくねーや
いったい誰の骨を拾うんだ
それとも誰かがオレの骨を拾ってくれるのか?
お盆も近いし...
うつらうつらしながら、そんな連想のなかにいた

2015年8月9日日曜日

先月末の筆動法は松井さんに代わってもらったので、二ヶ月ぶりの筆
今回テーマは晩夏の季語である
意外ではなかったが、シーンとした静かな空間が出現した
*本部独法に参加した人の話を聞き、再び「動法の時代」の到来を予感

2015年8月8日土曜日

前にすすむ 6 - 呼ばれる

5月の公開講話でのお話の中に「呼ばれる」というのがあった。ある大工さんにお茶室を頼んだのだが、適当な床柱となる木がなかなか現れず、工事が進まない。大工さんをせっついても、「木に呼ばれない」という答えが返ってくるだけで、積極的に木を探している様子もない。2年経ったとき、ようやく向こう(どこだ?)から木はやってきて、以後、工事はすらすらと進み無事お茶室は完成した。めでたしめでたしというお話。ダン先生にはこういう寓話的な、ありそうもないけど、あるかもしれない、いやきっとあるだろうというものが多い。究極の受動性というお話です。

月始め、稽古会のため石川に行った。二年前、フランスでお世話になった西田昭博さん一家が帰省中だったので、稽古会のあと合流して晩御飯をご一緒した。翌日も都合が合えば一緒に遊びましょうといって別れたのだが、翌朝電話してみたら、お墓の掃除等々やんなきゃいけないことを沢山抱えてそうなので、西田さんと遊ぶことは諦め、京都に向かうことにした。6月末の京都での稽古会に参加して以来、京都に戻ることを考えて始めていた。来年5月で私の東京暮らしも30年になるし、カミさんもオヤジも居なくなって、東京にいる理由がなくなってきた。金沢移住という案も温めてきたのだが、いかんせん横つながりの人間関係がとぼしいから、きっと淋しすぎる。その点、京都なら昔の繋がりがわずかながら残っている。

降り立った京都は暑かった。おお、これが京都の夏だ!と懐かしさを覚えたのは自分でも意外だった。前日、39.2度という最高気温を記録したとか。予め連絡してあった池田先生と合流して、蕎麦屋で昼食。あとは、コーヒーでも飲んで、その日のうちに横浜に帰るつもりだったのだが、ふと思いたって、旧知の知り合いである新海みどりさんに電話することにした。電話は通じなかったのだが、しばらくして返信があり、いま京都に来てるんだけど、と話したら、「今晩、片桐ユズルさんの話を聞く会があるから是非来てくれ」とのこと。でも、宿ないんだけどというと、私の仕事場に泊まれるよとのこと。これはもう参加するしかない。

午後7時、高野にある新海さんの仕事場にお邪魔したら、神田稔さんの顔もある。一気に1980年前後にタイムスリップ。そもそも、私を整体と結びつけた張本人が片桐ユズルだったりするわけで、このタイミングで京都に来てしまったというのは、もう「呼ばれた」と思うしかない。夕食に連れてってもらった花見小路の小料理屋さんで、久方ぶりに鱧を食べ、翌朝はこれまた、うん十年ぶりに北白川のドンクで朝食をとり、最後は、鞍馬口のカフェで戸村さんとお茶して(「臥法が先」はこのときの会話から)横浜に帰ってきた。まあ、手応えありという感じかな。

2015年8月6日木曜日

はじめに臥法ありき

先に臥法が発案され、
それだと、普通の座り方だと負けてしまうから、
次に坐法がつくられたのです
だから臥法坐法漫画も臥法を先に描いています
と戸村さんに教えられ、なるほどそうだったのかと腑に落ちた

いまでこそ、みんな普通に稽古着を着て、普通に坐法・臥法をしている
最近稽古をはじめた人など、この伝統が百年も前から続いていると思うかもしれない
しかし、本部稽古場がはじまる1988年以前、それらは存在しなかった
大勢の人間が繰り返し繰り返し行うことで、坐法臥法はひとつの伝統として定着しつつある

どの段階で坐法・臥法が発案され、
どの時点で僕らは稽古着を着はじめたのか
そもそも、みんな最初から足袋を履いていたのか?
28年も経つと、このようなことすら時系列で捉えられなくなってきている

はじまりを知る人間はやがていなくなる
そのとき、この坐法・臥法を行う風景が残っていたならば、はじめて
定着した、といえるのだろう


*本部道場で修養講座がはじまったとき、「臥法は稽古場にとっておいて下さい」などと了見の狭い意見を述べましたが撤回します。整体協会の共有財産として浸透させていきましょう。

*わけあって、独法講座冒頭の講話部分だけ音声で聞いた。身体教育研究所の公開講話と共通する部分が多かったのだが、この講話で述べられたことが、今後の整体協会の「標準」となる。と同時に、その「標準」たることを裕之先生は引き受けられたことになる。そういう意味で、エポックメーキングな講習会である。

2015年8月5日水曜日

熱中症

金沢駅降りた時に、
「あっ、こっちの方が過ごしやすそう」と感じた
それで油断したらしい

翌日、稽古会の途中から、なんだか頭が回らなくなった
帰りの電車は、たった三駅なのに寝入ってしまい、
たまたま一緒になった会員さんに「着きましたよ」と
揺り起こされる始末

宿に戻ってシャワーを浴び、
ベッドに倒れ込んだ
気がついたら三時間経過していて、
食事のできそうなお店はすでに閉まり、
結局、コンビニのサンドイッチの夕食となる

こういうのを熱中症と呼ぶのだ

石川での稽古を終え、その翌日京都に移動
前日、39度超えの最高気温を記録し、あの熊谷よりも暑かったそうだ
たしかに暑い
実に懐かしい暑さ
京都に暮らしていた頃の記憶が蘇る

独法三日間参加される方、
くれぐれもお気をつけあそばせ

2015年8月2日日曜日

魯山人展

部屋に届けられていた朝刊をめくっていると魯山人展の記事。今月23日までとのことだから、見に行けるとすれば今日、土曜日の午前中しかない。

慌てて身仕度して、普段は乗らないタクシーを奮発して県立美術館へ。そしたらタクシーの運転手というのが面白い人で、なんと78歳。タクシー歴50年、しかも運転歴59年で無事故無違反。なんとも天然記念物のような人で、去年、叙勲を受けて皇居に呼ばれたとのこと。そんな話を聞けただけで元取った気分。

この魯山人展、去年、世田谷美術館で開催されていたはずだが、去年はさすがに観に行く余裕はなかった。魯山人って、書家、篆刻家として、そのキャリアをはじめてるのね。そんなことも知らなかった。

もっとアクの強い人だと思っていたのにーこの先入主はどこからきたのだろう?ー作品はどれも素直で気持ちよかった。バター入れとか小さな作品がいい感じ。あと、志野の洋皿っぽいもの。

この展覧会を観て、ここ20年くらいの間に本部道場で2回やった野口晴哉展を思い出した。やはり晴哉先生の書は素晴らしいし、なによりも裕之先生のプロデュース力の凄さをあらためて感じる。

2015年7月30日木曜日

7月の読書

気になる人* 渡辺京二 晶文社 2015
世界農業遺産* 武内和彦 祥伝社新書 2013
猫を拾いに* 川上弘美 マガジンハウス 2013
佐野洋子-追悼総特集* KAWADE夢ムック 2011
幻影の明治* 渡辺京二 平凡社 2014
花森安治伝* 津野海太郎 新潮社 2013
住宅読本* 中村好文 新潮社 2004
百年の孤独 ガルシア・マルケス 新潮社 2006

2015年7月28日火曜日

中年独身稽古人

稽古場の制度設計をしていた時から、
これは、勉強を続けていくためのものであって、
職業人を育てるためのシステムではない
ということは明らかであった

そして案の定というか、
まったくそのように機能して、
結果として、多くの中高年独身稽古人を生み出すことになった
これだけあれば、別に、おひとりさまの人生も悪くない、
と思わせてしまうのは、稽古場の罪な部分である

ただ、整体というのは、
かつて、裕之先生が「整体三代」という言葉で表現されていたように、
家庭という現場を通して伝わっていくものでもある
家庭生活における「絶望」を経験しながら、ヒトは整体人になっていく

私自身、今となっては、独身者と似たような境遇にある
さて、これから先どうしようと思った時、
いかに稽古を継続できるかを、まず第一に考えてしまう
こうなったら、最後まで食らいついていきますぜ、
みたいなノリで、周回遅れの長距離走者を気取ることになる

2015年7月23日木曜日

前にすすむ 5 - ふろんてぃあ

日脚が短くなってきた
もう晩夏である

初盆を迎え、うかうかしてると一周忌という話になる
死んでいった人たちと一緒にいる暮らしはたのしいのだが、
ただ、あっちとこっちの境界があいまいで、ひょいと跨ぎ越えそうになる

これはいかん
我が身を現世につなぎとめているものは、
娘の存在と、体のかゆみくらいのもので、
もう少し重石がないと、どこかに飛んでいってしまいそうだ

負荷のないところに自由はない
というのは、稽古が教えるところだが、
さて、どのような負荷を求めているのだろう?

猫を飼う
車の運転をする
引っ越す
うーん、いまさらなものばかりである

新しいことをはじめる
これまでやってきたことをつづける
この二つを同時にやることが、先に進むキーワードになりそうだ

そう、どこをフロンティアに定めるか
ですね

2015年7月11日土曜日

行く雲

 父のところから持ち帰ってきた書類のなかに句会の記録が含まれていたので、時間を見つけては父の俳句を拾い出していった。四年分、二百句ばかりが集まった。玉石混淆で、句集を編むほどの数は残りそうもないが、小さな遺句集くらいはつくれるかもしれない。同時に、父の第二句集である『行く雲』も読みはじめた。すると、東京に来て参加しはじめた句会への投稿句と重複するものが結構な数出てきた。「ずるいぞおやじ」、と苦笑しながら目を通していくと、いいなあと思う俳句がいくつもあった。妻を失くした老境に入った男の俳句が身に滲みる。

熱き日のはじめ遺影に声をかけ
遺影にも誕生日あり草団子

なんだか、境遇までオヤジに似てきてしまった。
ただ、この『行く雲』に対する僕の反応は当初冷やかっだった。「書店に並びます」という自費出版商法の誘い文句にイカれていることがミエミエで、ああなんという金食い道楽なんだと思ったが、口には出すことはなかった。今になると、オヤジが句集を編みたかった心情=寂しさがよくわかる

前掲句はあまりにベタすぎて恥ずかしい
むしろ、こんな句の方が、俳句らしい

ポケットに鍵をまさぐる春の闇
独り居の自由不自由日脚伸ぶ

初盆

東京式で新盆を迎えることになった
明日、お坊さんが来てくれる
7月のお盆に戸惑いはあるが、来てくださるのが東京のお寺さん
それで、こういう日程になった
神奈川というところは、7月のお盆と8月のお盆が混在している地域のようで、
スーパーにもお盆コーナーができている
提灯がどうとか、御膳がどうとか、昔からのしきたりはあるようだが、
お坊さんがお経を読みに来てくれるのが一番の供養と、
あまり、風習に拘泥するつもりもない

父のところから持ち帰った大きなご本尊を掛けてみた
ただ、これまで掛けられているのをみたことがない
保存状態も良いとはいえず、破れも目立つ
大正3年と書かれているから、百年前のものだ
曽祖父が当時の偉いお坊さんから頂いたらしい掛軸
縁というのは不思議なもので、そのお坊さんが最後に住職を務めていたのが、
明日来てくれるお寺さんなのだ

2015年7月3日金曜日

海街diary

金沢フォーラスで映画を観る習慣を復活させた
鎌倉が舞台の「海街diary」
予備知識なしに観たのだが、とてもよかった
古い家屋が主役といえなくもない
四姉妹それぞれ素敵だったが、母親役で出てきた大竹しのぶの凄さに感銘を受ける
メーキングビデオを見つけたので貼り付けておきます
本編を観てからの方がよいです



2015年7月2日木曜日

宿よ宿よ

京都三日間の稽古会がとても良かったので
毎月通うべしと、旅行サイトで宿を確保しようとしたら
デキナイ

いざ継続的に通おうとすると、
宿の確保が一番のハードルになりそうだ
宿泊費そのものも値上がっている

どうやら外国人観光客と競合しているらしい
JTBが月別の統計を出していたので、ここ三年間の3月の外国人観光客数推移を見てみる
http://www.tourism.jp/statistics/inbound/

  外国人観光客数 前年比 ドル/円
2013年3月 85万人  +25%    94円
2014年3月  105万人   +23%  102円
2015年3月  152万人   +44%  120円 

二年前に比べると、なんと70%以上増えている
これは全国の数字で、このうちの10%の人たちが京都を訪れているらしい
観光客数の増加のきっかけはビザ取得資格の緩和といった政策的なものもあるし、
これも、政策的と言えるが、円安
二年前と比べても、ドルベースで25%以上日本の物価は安くなっている
それが宿代を引き上げることにつながっている

宿の確保が難しくなったのは毎月通っている金沢がそうで、
こっちは、北陸新幹線開通とともに、日本人旅行者と外国人観光客の両方が増え、
空前の観光ブーム
これは、地元の旅行産業にとっては福音なのだが、
私にしてみれば、とばっちりを受けている感じなのだ
歓迎すべき観光客がライバルとは...

さてどうしよう

2015年7月1日水曜日

京都へ

白山稽古会から京都に移動
毎月末三日間行われている京都稽古会に参加してきた
前回来たのは、なんと2012年の10月のことで、ほぼ3年ぶりのことになる

はたして三日間体力は保つのか?
というのが課題だったが、夜の男組特訓を含めフル参加
半歩前進ですね

久しぶりに会う顔も多く、
変わらないねと言われたり、爺さんになったねと言われたり、
とにかく付き合いの長い人が多いから
まずは、お互い生き延びていることを喜び合う

皆さんすごいよね
この稽古会が始まって、四半世紀が経つはずだけれど、
初期メンバーの多くが、25年間通い続けている
若い男性諸君が多いのも心強い

とりもなおさず、それだけの魅力があるということで、
いつかアリ先生が、
継続して稽古しているひとたちの半数は、
ダン先生はいったいどこへ向かおうとしているのか、
私たちを何処に連れて行こうとしているのか、
半ば観客のように、半ば保護者のように見つめながら、
稽古につきあっているのではないか
という説(かなり意訳してる気がするが)を述べていたが、
私自身そんな感じで、言葉を変えれば、毒食わば皿までの世界

こうして、稽古経験の総和が次世代に繋がる力となる

2015年6月27日土曜日

6月の読書

バウルの歌を探しに 川内有緖 幻冬舎文庫 2015
暴走する「地球温暖化」論* 薬師院仁志他 文藝春秋 2007
江戸の教育力* 高橋敏 ちくま新書 2007
住宅地図と最新ネット地図の秘密* 内田宗治 実業之日本社 2014
日本人だけが知らない「ニッポン」の観光地* 水津陽子 日経BP社 2014
近代の呪い* 渡辺京二 平凡社新書 2013
ぐう~の音* 太田垣晴子 文藝春秋 2008
独居老人スタイル* 都築響一 筑摩書房 2013
ぼくらの民主主義なんだぜ 高橋源一郎 朝日新書 2015
ほんとうの日蓮 島田裕巳 中公新書ラクレ 2015
本当は日本が大好きな中国人 福島香織 朝日新書 2015
ダライ・ラマ自伝 ダライ・ラマ 文藝春秋 1991
奇跡の生還へ導く人* ジョン・ガイガー 新潮社 2010
「あまちゃん」はなぜ面白かったか?* 小林信彦 文藝春秋 2014
映画x東京とっておき雑学ノート* 小林信彦 文藝春秋 2008
映画の話が多くなって* 小林信彦 文藝春秋 2013
非常事態の中の愉しみ* 小林信彦 文藝春秋 2012

2015年6月7日日曜日

前にすすむ 4 − swingby

前に進むといいながら、後ろ向きの話ばかりしているではないかと言われるかもしれないが、「いやこれでも前に進んでいるのです」と言う他ない。これまで関わっていたものから離れていく動きはいまだ続いていて、ひたすら「ゼロ地点」に向かっている感じなのだ。なまじ、この動きに逆らって、あたらしい関わりを希求しない方が、自然におもえるのだ。屁理屈を付け足せば、ゼロ地点に向かっているというより、宇宙旅行で使われる、スウィングバイ地点に向かっているといった方が良いのかもしれない。つまり、次なる遠距離旅行に向かって加速する一点だ。

家の片付けは「遅々として」という形容詞付きながら進んでいる。モノを減らすというのは、次なる移動に向けての準備でもあるわけだが、モノが減ってくると、空間の快適性はまちがいなく増す。つまり居心地がよくなってきて、移動へのモティベーションは減じてくる。面白いものですね。

ずいぶん昔の話だけど、ある連れ合いを亡くして間がない女性と会ったとき、彼女の輪郭、ことに表情がフワフワと揺らいでいて不思議に思った記憶がある。後になって、人の輪郭というのも、ある安定した関係性のなかで定まるもので、人生の過渡期にあって、それは不定位化するのだということに気づかされた。今、私に起こっている事象も同様なのだ、きっと。

前稿で「失せもの現れず」などと書いたせいか、クレジットカードを失くしてしまった。梅雨って、忘れ物が多くなる季節ではあるのだが、これまでの例だと、大概出てくる。数年前、整体協会の会員証を2回続けて落っことしたことがあり、警察から事務局に連絡が行って恥ずかしい思いをしたことがある。が、今回は出てきませんでした。今、再発行の手続き中。

2015年5月31日日曜日

前にすすむ 3 ー 凶

先週二年ぶりに鎌倉に出掛けてきた
Tさんが指定してきたのは、お洒落なオープンカフェ
約束の時間より少しだけ早く着いたので、
入口の見える席に陣取って待つことにした
しばらくして、見覚えのある顔が入ってきたーTさんの娘
ずいぶん会ってないが、この春、高校生になったことは伝え聞いている
ほどなくTさんも現れ、Tさん、Kちゃんと三人でひとつのテーブルを囲んだ
制服姿のKちゃんを見られるとは...
なまじ赤ちゃんの頃から知ってるから、なんだか余計に気恥ずかしい
家族の誰よりもしっかりしてる子だったから、
普通の高校生の格好をしているというだけで嬉しい
ところで、このお店のシラスピザは美味かった

元気をもらった勢いで江ノ島まで足を伸ばすことにした
江ノ島は三年ぶり、江ノ電に至っては乗るの十年以上ぶりだ
午後の遅い時間だったから、帰途に着く人の流れに逆らうように参道入口にたどり着く
タコ煎餅に齧りつく姿を自撮りする若い中国人観光客を横目に参道を登り江島神社にお参りする
そうだ、前回妻と来た時におみくじ引いたなと
百円玉一枚放り込み、おみくじをひとつ
凶!
だいたいが僕は中吉、小吉の人だから、これまで凶を引き当てた記憶がない
失せもの戻らず、待ち人も来ずとないないずくし
何も期待せずいまを粛々と誠実に生きよ
まったく心憎いくらいぴったりではないか

思い出の場所を訪ねる
不在を確かめるために

2015年5月30日土曜日

北陸行

いつもだと夕方には金沢に着いている筈なのだが、今回は遅い便で予約を入れてしまい、羽田発18時の小松便。石川に通い始めて5年を過ぎるが、ある時から、航空券プラス宿泊のパッケージが一番安上がりということに気づき、おそらく2回のうち1回か、それ以上の割合で航空便を利用している。
機中、乗務員がwifi使えますとアナウンスして回っているので、iPhoneの電源を入れてみると、確かに電波がある。簡単な手続きののち使用開始。反応は遅いが、そこそこの速度は出ているようだ。
ふと窓の外に目を転じると、眼下に大きな山の塊が見える。これって白山?  雪が結構残っている。山頂らしきところに建造物も見える。未だ登らせてもらってない白山にちがいない。思わずシャッターを切り、ついでにFacebookへの投稿を試みる。

先月初めて乗った北陸新幹線は東京〜金沢2時間半。乗り換えなしで行けるし、便数も多いから、その場で飛び乗るといったことも可能だし、時間の変更も容易だ。そういう意味での利便性は高い。それでも、横浜〜金沢の所要時間だけ考えれば、そうは変わらない。
新幹線開通で、観光客は相当に増えている様子で、金沢駅周辺は以前より混み合っている。昨晩など、時間も遅いし、ラーメンでいいかと、何度か食べたことのある、駅から少し離れたお店に行ってみると、なんと行列ができている。ありえない! 仕方なく、駅のスターバックスのサンドイッチで済ませることになった。意外なところで、新幹線開通の余波を食らったことになる。ホテルの予約も取りづらくなったし、値段も上がってきたようだ。これから先、白山稽古会を継続させていくための課題がひとつ増えたことになる。

5月の読書

日本は世界第5位の農業大国* 浅川芳裕 講談社α新書 2010
日本農業への正しい絶望法* 神門善久 新潮新書 2012
森繁さんの長い影* 小林信彦 文藝春秋 2010
しなやかな日本列島のつくりかた* 藻谷浩介 新潮社 2014
ロストシティZ* デイヴィッド・グラン NHK出版 2010
九龍城探訪* 吉田一郎監修 イースト・プレス 2004
地図のない場所で眠りたい* 高野秀行・角幡唯介 講談社 2014
やくざと芸能と* なべおさみ イースト・プレス 2014
(株)貧困大国アメリカ* 堤未果 岩波新書 2013
貧困大国アメリカⅡ* 堤未果 岩波新書 2010
文明開化は長崎から(上)* 広瀬隆 集英社 2014
伊礼智の「小さな家」70のレシピ 伊礼智 エクスナレッジ 2014
反知性主義 森本あんり 新潮選書 2015

2015年5月22日金曜日

前にすすむ 2


大井町の控室に坐って稽古が始まる時間を待っている。だれも現れない日が2回あれば、大井町引退を決めている。私自身この引退勧告を待ち望んでいる節もある。事務局を離れ、稽古場指導者として独り立ちして丸6年、これで七年目に入るわけだが、ここまで生き延びて来られたのが不思議である。この間、311があり、身近な人達が逝き、多くの出来事がありすぎた。組織を回す立場から離れていたから対応できたともいえる。ようやく身の回りのことが片付いたと思ったら独りになってしまった。これから先も稽古を離れることはないだろうが、拠りどころとしてきたこの場所から離れる時はいずれやってくる。


淡い期待を裏切るようにAさんがやってくる。普段、私の稽古に出たことのあまりないのにと苦笑する。「愉気&活元運動ー稽古場スタイル」という名称の稽古をはじめたのは最近のことだが、ここ2年くらいやってきた「活元運動以前」「合掌行気以前」の発展形の稽古である。「活元運動以前」「合掌行気以前」だと準備運動、あるいは、掌が合わさるところまでが稽古の9割を占めていて、活元運動や合掌行気そのものをやり込むところまで辿り着かなかった。古株のAさんにはぴったりの稽古かもしれない。結局、1対1の稽古会になり、再現法で邪気吐きを行うところからはじめ、最後は活元操法までたどりついた。終わった時の静寂感。さすがに、年季というものはある。話は変わるけれど、今後、整体協会は、自分たちの活動のなかで活元運動をどう位置づけていくつもりなのだろう?


稽古会の総量ということを考えてみる。無論、体験を量で捉えることなど不可能に決まっているけれど、例えばの話です。稽古量を測るため、「容積x時間x質」という計算式を立ててみる。これだと一体、何次元の話になるのか? これは独りの量だから、稽古会の総量というのは、それが人数分合わさったものとなる。では、どうすれば、稽古会の総量を増やせるのか? まず、ひとりひとりの総量を増やすこと。次に、総体量が増えるようなシステムを作っていく。具体的にいえば、ひとりひとりが良いものに触れ、また、できるだけ多くの人が師匠直接の薫陶を受けられるようにし、その邂逅が実りあるものとする準備を整える、等々。無論、稽古する人間も増えてほしい。なぜ総量にこだわるかというと、絶滅危惧種である整体部族を存続させたいからである。生物もそうだが、言語でいえば、毎年、数千という言語が消滅しているという。ひとつの言語を存続させていくために必要な最低人数というものがあるらしく、たしか、千人くらいの集団が必要とされているのではなかったか。


ここを終の棲家ときめたお姉様方と、早く本部で直接裕之先生の指導を受けたいという若者たちで大井町稽古場は構成されている。前者は高齢化が進んで先細っている。後者は補充が進まず、これまた先細っている。深刻な問題なのだが、こればかりは、我が身の不明を恥じる他ない。稽古の総量ということを考えたとき、若者は早い段階で裕之先生の薫陶を受けた方がよい。ただ、体ができてないのに先走って宝の持ち腐れとしては勿体ない。大体、みなさん先走るし、裕之先生の若者好き(この気持もよく分かる)が仇となることもある。


ここでまた脱線してしまうのだが、アメリカの刑務所ビジネスがすごいことになっているらしい。服役している囚人を使ったコールセンターなんてのもあって、これまでインドなどにアウトソーシングしていた業務を刑務所で法外な低賃金でやらせ、莫大な利益を上げている企業があるという。TPPが締結されて米国流のビジネスモデルが、グローバリゼーションという名目で、これまで以上に日本に流入してくることになれば、いったいどのような労働環境が出現してくるのだろう。考えるだに恐ろしい。そのような流れに諾々と従わない生命線となるのが身体であり、私たちがやっている稽古だと思っている。

あれ、なんの話を書こうとしていたんだっけ。そうそう、いかに前に進むかという話。続きは後日。

2015年5月9日土曜日

前にすすむ

5年連用日記を使っていて、
しかも、今年がその二年目だったりすると、
新たに書き込む度に、去年の同じ時期、自分がどこでなにをやっていたか
思い出されてくる
自分のことそっちのけで走り回っていた日々

それに比べ、今年の寄る辺のなさ
寒くて中断していた荷物の整理を再開させたのだが、
手紙や写真に行き当たると、そこで立ち止まってしまう
でも、唯一、モノを捨てていくことが前に進む方法のように思える

街に出れば、人々は忙しく立ち働いている
楽天バブルに賑わう二子玉川などに降り立てば、そこはもう別世界
でも、家の中の時間は、限りなく止まっている状態で、
平穏といえば平穏
のんびりしていた娘も動き始めたようで、
僕一人、街角に佇んで、車や人が行き交う様を眺めている
そんな風情だ

とはいえ
痒痒記に書いた変動は進行中で、
これもまた自分が前に進んでいるという実感をもたらせてくれている
七割がた終わったかなという感じ
明け方の発汗は続いている
うつらうつらしたら、汗で目覚め、
下着を替えて、ここから本格的な眠りに入るのだが、
時間はもうすっかり朝なので、仕方なく起き出すことになる
眠らなくても人間生きていけるものである
今は指の股が角質化して
それがボロボロと落ち始めている
やはり胸の系統
一側系の操法など苦手にしていたが、これで少しは上手になるかもしれない

半年一年といったスパンで変化を眺められれば、
大概の問題は問題ではなくなる
いわんや百年単位で眺めれば、
問題というものはほぼ無くなってしまう

2015年5月2日土曜日

5月1日

たまには、どんな一日を過ごしたか記録しておくのもよいだろう

8時頃起床
胸と脚と腕に発汗
いそいで下着を取り替える
後頭部にも汗をかいている
発熱しているわけではないのに、汗をかく不思議

ゴミ出し
石川から持ち帰った洗濯物を洗濯機に投入
朝食は、娘が買ってきていた甘食パンに紅茶

ご無沙汰している大阪の叔母たちに電話
Mくんからも電話来る

洗濯物を干し終えてから外出
セブンイレブンで明日F夫妻と行くことになっている多摩川クラシコの前売チケット購入
クリーニング屋に冬物ジャンパーを出す
郵便物投函
本屋に立ち寄って、「反知性主義」(森本あんり著 新潮選書)を購入

お腹すいてきたが、夕食は焼肉の予定なのでたくさん食べないほうがよさげ
冷蔵庫にシラスが残っていたので、シラスとキャベツのペペロンチーノ
しっかり食べてしまい、眠くなる
ここのところ続いている寝不足のせいか、ソファーに横になると眠ってしまう

地下鉄で横浜
切らしているお茶を買っておこうと、高島屋地下へ
一保堂をみつけ、ほうじ茶と一番安い煎茶
チーズも買っておかねばと、ルミネ地下の成城石井を目指すが、迷ってしまう
横浜駅人多い...
チーズとウーロン茶購入

Iくんから「こんなところにD先生の写真が出てますけど〜」というメール
ほんとだ、公開講話の時に撮られた写真みたい

美女二人と焼肉会食
寡夫(婦)も独身であるのか、と訊かれ絶句
人と一緒に飯を食うというのは楽しい

帰宅
反知性主義を読み始めると止まらなくなる
タバコを吸いに台所に降りてきて、パソコンを開いてこの文章を書いていると
いきなりFaceTimeが起動する
時刻は2時半
Tくん
「操作間違えました」とのことだが、タイミングのよさに驚く
こんな時間なのに、小金井公園で仕事中だという

近年になく盛り沢山な一日
もう5月なのか

2015年4月29日水曜日

4月の読書

紳士協定-私のイギリス物語* 佐藤優 新潮社 2012
波の音が消えるまで*(上・下) 沢木耕太郎 新潮社 2014
コーダの世界* 澁谷智子 医学書院 2009
永続敗戦論 白井聡 太田出版 2013
有次と包丁 江弘毅 新潮社 2014

2015年4月28日火曜日

痒痒記


1
皮膚からの排泄というのはこれまであまり経験したことがなかったから、今年に入ってから続いている原因不明の痒みには少々というか大分参っている。皮膚というのは神経系の反映されるところだし、また胸の系統でもあるから、一昨年来続いている精神疲労が皮膚からの排泄として起こっていると考えるのが妥当なところ。文字通り体中ー手足、腹、胸に麻疹状のものが出てきて、痒くて仕方ない。痒みにこんなにも種類があるとはしらなかった。ピリピリ、チクチク、ゾワゾワ...。アトピー等皮膚系の問題をかかえている人への共感度は増した。

2
父の最期、脱水症状からくる、皮膚の痒みをずっと訴えていた。医者が処方する軟膏を塗りたくって痒みを抑えていたのだが、今回の麻疹騒動は、まるで父の痒みを僕が受け継いだかのようだった。そう考えれば、この痒みと向き合おうという気にもなる。ただ、予想よりもずっと長びいている。痒みが出てきて、それが疱疹を形成しはじめ、中心に核がつくられ、それが時間とともに固まって、そして剥落していく。これの繰り返し。一月にはじまった痒みは二月がピークで、痒みで明け方まで眠れない状態が続いた。三月に入って少し落ち着いてはきたものの、一進一退。微熱がずっと続いているような状態だ。まあここまでが第一段階。

3
4月に入ってから、明け方、胸に汗をかくようになった。半端なかきようではなく、文字通りぐっしょりといった状態で、日によっては二回下着を取り替えるほどの汗である。腕にも汗をかくようになった。ある日、やや熱が出てる感じがしたので、体温計を引っ張り出して測ってみると、なんと9度の熱。発熱するの十年ぶりくらいのことではないかな。この風邪を上手く経過させれば変わりそうだと、丁寧に身体を見ていったのだが、体温が平温に戻った後も、明け方の発汗は続いた。

4
風邪は一段落したものの、皮膚に関しては大きな変化はない。ここから、予定していたベトナム行きが始まってしまうのだが、タイミングとしてよかったかどうかは疑問。直前キャンセルということもできたのだが、この気候の変化がどういう影響を与えるか、自ら人体実験する方を選んでしまった。もともと今回のベトナム行きには、季節を前倒しするという目論見もあった。今年4月の花冷えは尋常ではなく、中旬まで桜の花が枝にしがみついていた。そんななかでのベトナム行き。10℃~20℃の世界から、一気に25℃~35℃の世界へ。

5
ベトナムに着いてからも明け方の発汗は続いた。日常から離れるのはいいとしても、持ち合わせの下着の数は限られてくるから、洗濯をどうするという問題が出てくる。そして冷房への対処法。暑い国において、冷房というのは大体において過剰。昼間の起きている時間帯であれば、上着を羽織ることで対応できるのだが、問題は夜。どれくらい冷房をコントロールできるかという設備面は、宿のランクによって随分違ってくる。一箇所目のホイアンという町で泊まった宿は石造りということもあって冷房はいらなかった。問題は、二番目に泊まったフエの宿。フエという町はちょっと内陸にあるせいか、暑さが半端なく、また夜になっても涼しくならない。仕方なく冷房に頼ることになるのだが、この冷房設備が古くて細やかな制御ができない。汗かいているところに冷房が直に当たるのだけは避けたい。当初の予定を切り上げてダナンに移動することにした。ホテルのランクも少し上げることにした。


発汗のプロセスというのは面白い。外気温とはあまり関係ない。明け方になると汗をかく。一気にどっと汗が出てくるのだが、皮膚の深いところから汗をかいている感じはあまりない。汗をかいて、それを拭き取って着替えると、そこからやっと深く眠れる。だから仕事以外で午前中の予定が入れづらい。休みの日など、気がつくとお昼だったということもある。身体は確実に変わってきている。勿論、改革されて来ているという意味だ。さて、あとどのくらい時間がかかるか、まだ分からないが、当分、この痒みと付き合っていくことになりそうだ。

2015年4月27日月曜日

はじめてのベトナム 2















はじめてのベトナム 1

ベトナムに行ってきた
そもそもの経緯はダナンを参照のこと

【ホイアン】
ベトナム中部のホイアンという街にやってきた
その昔、江戸幕府が鎖国政策を取るまで、この地に日本人町が形成されるほど大勢の日本人が暮らしていたそうである
古い町並みが残されている小さな街で、
水が近くにあるせいか、昼間の暑さに比べ、夜は過ごしやすく、
日が落ちると、人がどこからか湧いて出てくる
のどかな田舎町の空気が流れていた
日帰りでミーソン遺跡も訪ねてきた
アンコールワット同様、この地にもヒンドゥー文化が栄えていた時代があったのだ





























【フエ】
観光するにも体力がいる
が、その体力がない
しかもフエの暑さは半端無く、夜も気温が下がらない
それよりもなによりも、中国を模した王朝の歴史に興味がないことを発見
そうそうにダナンに移動





















【ダナン】
ダナンは活気のある地方都市
二日間、食べ歩いていたな〜




2015年4月10日金曜日

永続敗戦論

■読みたい、或いは読まなきゃと思っていても頁を開く勇気を持てない本がある。「永続敗戦論」もそんな一冊で、いずれ読まなくてはと思いながら、なかなか手にすることのできない本だった。書評やいろんな人の紹介、意見を見ながら、きっと自分が読みたい内容がここにある、ということは重々承知していても、「読んだあと、顔面に強烈なパンチを見舞われ、あっけなくマットに仰向けに倒れこむ心境になった。」(水野和夫)にはなりたくなかった、ということなのだ。■311のあと、この国の当事者能力のなさを目の当たりにして、「我々は信託被統治国になるのが相応しい」と心底思った。その後、様々な書籍等で明らかになったのは、「日本はそもそも独立国ではなかった」という身も蓋もない現実で、生きる気力をなくしてしまうほどであった。そんな状態のなか、憲法成立の過程を辿ったり、安保関連の本を読み進め、ようやく「永続敗戦論」に辿り着いた。311から4年、この本が出版されて丸2年になっていた。私が買ったものも奥付けには18刷となっているから、5万10万の人たちがこの本を読んでいることになる。■はい、読みたい内容はすべて書かれていました。結局、昭和天皇と大岡昇平のやりとりに尽きる。

2015年3月30日月曜日

同型転質

■昨夏、ロイ先生が亡くなって以来、本部道場での愉気法講座、活元指導の会は休会のままである。晴哉先生以来続いてきた整体協会の伝統が失われてしまうことは、ちょっと淋しい。愉気法にせよ活元運動にせよ、整体の基本というべきもので、少なくともそれらの様式はなんらかのかたちで残すべきだろう。■今は「カタと同調」という名称に統一してしまったが、数年前に大井町ではじめた「合掌行気以前」「活元運動以前」という稽古は、それぞれ、合掌という形に至るまでの経路、活元運動にける準備運動とは何かを動法的内観的に、つまり稽古場的に検討を加えたものである。■稽古用語で「同型転質」というものがある。つまり、形は変えず、その質を変えるの意。これに対して「転型同質」は、形は変わっても質は変わらない。これって、理念の話ではなくて技法の話で、例えば、邪気吐きひとつとっても、一つの様式ながら、百通りの吐き方が可能であるということを言っている。■稽古場ができた四半世紀前だと、「転型転質」の様相で「稽古」というジャンルを打ち立てようとしていた気がするが、すでに稽古という考え方は十分に浸透してきたから、やや先祖返り的な、従来の様式に則った、じっくり合掌行気するような稽古会をやろうと思っている。

3月の読書

古本屋にダンボール一杯分の本を送りつけ、今度は、振り込まれたそのお金を握りしめて、また古本屋にでかける。ところが、そこで買い求めた本のうち、一冊は文庫で読んだもののハードカバー版で、もう一冊は失敗作としか思えない小説。で、結局、本屋に行ってまた新しい本を買い込むという悪循環。

ベトナム語ーはじめの一歩まえ* 富田健次 DHC 2001
「生きづらい日本人」を捨てる*下川裕治 光文社新書 2012
動物感覚* テンプル・グランディン 日本放送協会 2006
俺に似たひと* 平川克美 医学書院 2012
そしてメディアは日本を戦争に導いた* 半藤一利・保坂正康 東洋経済新報社 2013
ぼくはスピーチをするために来たのではありません* ガルシア・マルケス 新潮社 2014
十二の遍歴の物語* ガルシア・マルケス 新潮社 1994
ベトナム町並み観光ガイド* 友田博通編 岩波アクティブ新書 2003
わりなき恋 岸惠子 幻冬舎 2013
捨てる女 内澤旬子 本の雑誌社 2013
身体は幻 渡辺保 幻戯書房 2014