2024年12月15日日曜日

稽古日程 2024年12月-2025年1月

等持院稽古場12月、1月の稽古日程です。

等持院稽古場での集団稽古は以下の通りです。予約制です。
・筆動法   12月21日(土) 1月5日 14時〜17時 会費3000円
・公開講話  1月11日(土)11時〜14時 会費3000円
・活元運動3.0 1月25日(土)14時〜17時 会費3000円 
  動法〜活元運動〜愉気〜整体操法の関係性を探っていく試みの稽古です。

  1月19日(日)10時〜13時 会費3000円 

下記カレンダーが最新です。このカレンダーが表示されない場合、ブラウザを変更すると上手く表示される場合があります。



2024年12月13日金曜日

自転車に乗って

図書館の返却ラックに「自転車に乗って」という自転車にまつわるエッセイを集めたアンソロジーを発見。パラパラとめくったら、目次に夏目漱石の自転車日記というのがあったので、借り出すことにした。

後ろから読みはじめたら、最後から二番目に久世光彦の「自転車の時代」という5頁ほどの短いエッセイも収められている。その中で、久世は石坂洋次郎原作の映画「青い山脈」を通して自転車に憧れた中学生時代のことを書いている。この文章を読んで父のことを思い出した。1925年生まれの父は、久世よりもひと世代上になるから、映画を見たとすれば20代半ばにさしかかっている。   

76歳の時に20年ぶりに自転車に乗って怪我をした話は以前、「みーはー」というタイトルで書いたことがある。なぜ、あの状況で自転車に乗ることを思いついたのかはずっと謎だったのだが、久世の文章を読んで、ひょっとして、青い山脈への連想がそうさせたのかもしれないと、ふと思った。三浦雅士の書いた石坂洋次郎の逆襲についても、何年か前このブログに書いた。

父が亡くなって丸十年になるのか。





2024年11月30日土曜日

11月の読書

物語の生まれる場所* 木ノ下裕一 淡交社 2024
消費される階級* 酒井順子 集英社 2024
世界中の翻訳者に愛される場所* 松永美穂 青土社 2024
喫茶店のディスクール* オオヤミノル 誠光社 2023
京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る* 古川日出男 河出書房新社 2024
中学生から知りたいパレスチナのこと* 岡真理・小川哲・藤原辰史 ミシマ社 2024

2024年11月21日木曜日

冬到来

このまま冬なんて来ないんじゃないかと思っていた。
それほど、今年の夏はずっとずっと続き、ついこないだまで夏だった。
それでもやっぱり冬はやってきた。唐突に。

涼しくなりましたねという言葉を使う機会もなく、
いきなり、寒くなりましたね、と挨拶をする。
体の中に残る暑さの記憶と、現実の気温がぶつかり混乱している。

グリーンカーテンのゴーヤをようやく下ろす。
葉の間に隠れていた小さめの実が姿を現し、最後の収穫。
木槿の葉は赤くなって落葉。
玄関先の紅葉は今年は葉をつけず、幹の皮も割れてしまった。

ファンヒーターはまだ箱から出してない。
かろうじて、ホットカーペットを敷いて、当面の寒さ対策だけはした。
さて、今日は火鉢に炭を熾して入れてみよう。

で、冬がやってきた。

2024年11月14日木曜日

歩く

遍路進まず。
5日続けて休みが取れれば、足摺岬から土佐路最後のお寺まで歩けるのにと思いながら稽古の予定表を眺めているのだが、残念ながら、その五日間というのが見当たらない。
稽古で忙しくしてるわけではないのに、途切れ途切れで予約が入っている。
もう来春まで無理。

暑い間は、外に出るのもうんざりだったが、ようやく歩く気分になってきた。
果たして長距離歩けるのか。一体どれくらい大丈夫なのか試してみることにした。
まだ長い距離では使ってないマンサンダルも試したい。

醍醐寺を目指すことにした。
わが家から南東の方向に16キロ。
地下鉄東西線の駅からも近いから、帰りは楽勝のはず。
自宅を出て1時間で京都御所。
そこから岡崎公園を抜け、京都国際会館を過ぎて蹴上。
蹴上は文字通り峠越えの道で山科に至る。
山科方面から急な坂道を登ってくる自転車の人たちが意外に多い。
電動アシスト車でなければきついだろう。

そして旧東海道に入って山科駅前。
たしかに洛中を京都とすれば山科は京都ではないな。
JR、京阪線、地下鉄と三つの線が交差する交通の要所。
大きめの地方都市に来たような感覚。
ここまでで12キロ3時間。

少しくたびれた感じはあったものの、駅近くの公園でひと休みして再び歩きはじめる。
ここからは南に向かう。広いバイパスに沿って歩く。
こういう車の多い道を歩いている方が遍路の感覚に近い。
それくらいお遍路では車と一緒に歩いている。
道路沿いにお店の分布は典型的な郊外型のものになる。

車道を外れて旧道に入る。
基本、南に向かって歩いていけば醍醐寺にたどり着くはず。
山科刑務所の壁を右に見ながら南下。
思いの外、醍醐寺までの道のりは遠かったが、なんとかたどり着く。
はじめての醍醐寺。
紅葉で有名なお寺だが、紅葉には早い。
参拝客もまばら。半数はインバウンドのひとたち。

そこから地下鉄の醍醐まで歩き、地下鉄に乗る。
足袋➕マンサンダルの組み合わせは上々。
お遍路だと、7、8キロの荷物を担ぐことになるのだが、その場合、どんな感じになるのだろう。

11月なのにゴーヤ

いまだにゴーヤの収穫が続いている。
例年ならもうグリーンカーテンを外して、ぼちぼち冬の準備をはじめるころなのに。
葉っぱの黄変も遅い。花も咲いている。
その花めがけて蝶が来る、蜂が来る。
おまけに、葉っぱの影に潜んでいたゴーヤの実が突然立派な姿を現す。
よくよく探してみると、人差し指大の実が、まだ5、6本はぶら下がっている。
10月末に百本目を収穫したところまでは記録をつけていたのだけれど、それ以降は記録なし。
もう季節感がますますわからなくなってきた。



2024年11月3日日曜日

EU2025 その3

というわけで準備を始めた。

an introduction to Seitai 3.0 というタイトルでエッセイを書き始めた。
3.0に深い意味はあまりない。まあ、新しいというくらいのもの。
近年の機械翻訳の進歩は素晴らしく、Google翻訳でも相当のレベル。
このブログページの一番下に「翻訳窓」があって何ヶ国語にも翻訳される。
とはいえ、そのまま人に読ませられるかというと、それは無理だ。
操法がmanipulation と翻訳されると、バカヤローと怒鳴り返すしかない。
もちろん有料のものを使って、単語の対応表で照合できるようにすれば、一気に完成度は上がるに違いない。ダン先生の講義録PDFを丸ごと機械翻訳に入れれば、あっという間に翻訳完了ということも可能な時代に入ってきている。でも、その翻訳が正しいかどうか誰がチェックするんだという話。

ずいぶん危うい時代を僕らは生きている。


2024年10月30日水曜日

10月の読書

中学生から知りたいウクライナのこと* 小川哲・藤原辰史 ミシマ社 2022
 発行年は2022年。戦争が始まったのが2月。3月に小川哲 と藤原辰史 がオンラインで対談。その対談をベースに#ミシマ社 が書籍にしたのが6月。そのスピード感には畏れ入るしかない。その本を発行から2年経った2024年に読んでいる。戦争は継続中で終わる気配はない。本書を通しウクライナの歴史を知ると近隣の大国に翻弄され続けている朝鮮半島との類似性に目がいく。そこに北朝鮮兵士がウクライナに送られるというニュース。まるでベトナム戦争をなぞるような展開ではないか。住んでいた土地を追われる人々。外貨稼ぎのため大義のない戦争に駆り出される兵士たち。もの言えぬ市民たち。なんとも辛い。

隣の国の人々と出会う 斎藤真理子 創元社 2024
 말 マル(言葉)、글 クル(文)、소리 ソリ(声)、시 シ(詩)、サイ 사이(間)という章立てでできあがっている160頁ほどの本。正方形に近い判型で手触りが良い。文法的には近い韓国語と日本語なのに体の文法はまるで違う。二つの生きた言語の間を往き来することで得た経験と知見が肌理の細かい配慮の行き届いた文章でしるされている。「韓国文学の中心にあるもの 」の時もそうだったが斎藤真理子 さんの本を読むと、もう一度超長期中断中の韓国語学習に挑戦したくなってくる。
 
ニッポン茶室ジャーニー 藤森照信・はな 淡交社 2024
マリリン・トールド・ミー* 山内マリコ 河出書房新社 2024
経済と人間の旅 宇沢弘文 日本経済新聞社 2014
コモンの「自治」論* 斎藤公平・松本卓也編 集英社 2022

2024年10月17日木曜日

同窓会

同窓会をやるというので顔を出してきた。
同窓会といっても、1970年代のなかごろ、京都左京区の下鴨界隈にたむろしていた当時の若者が半世紀ぶりに顔を合わせようというものだ。タイに住んでいるイギリス人歴史学者、アメリカと日本を行き来している仏教学者と日本語教師の夫婦。それにアメリカ人版画家とその奥様。カップルはともにアメリカ人日本人という国際結婚組。みな70代に入っている。それぞれ半世紀を生き延びてきたわけで、それだけでも十分に感慨深い。

話の内容は、1970年代の京都にあった外国人コミュニティ内での出来事に終始する。今に比べると、まあなんともおおらかな時代であった。そんな宙ぶらりんなコミュニティの隅っこに僕自身生息していたわけだ。旧交を温め、一応再会を期して別れてきた。

帰宅したら社会言語学を教えている知人から珍しく電話がかかってきた。長々と話しているうちに、その日会ってきた友人たちの話も出た。驚いたことに、その女性ーイ・ヨンスクさんーの代表的な著作「国語という思想」を英語版「The Ideology of Kokugo」に翻訳したのが、さっきまで一緒に喋っていた僕の50年来の知人ーMaki Hirano Hubbardさんその人であることが判明し、腰を抜かした。世の中狭すぎる。

EU2025 その2

遊びにいくわけではない。稽古しに行く。
9ヶ月先ということは、準備期間が9ヶ月あるということでもある。
そんな先を見据えて物事を考えたことがない。
ひょっとするとこれは千載一遇のありがたい出来事ではないか。

以前、整体協会の事務局で聞いた話。
スウェーデン人が一人、箱根の野口晴哉記念館(閉館)を訪ねてきたことがあるそうです。そのスウェーデン人曰く、「スウェーデンのインテリは、みんな活元運動をしている」と。まったく冗談のような話なのだが、荒唐無稽かというと、案外そうでもなさそうなのだ。

ヨーロッパに整体協会の活動が紹介されたのは1970年代のことのよう。
フランスには津田さんが、スペインには眞峰さんが、そして、ドイツには竹居先生が、というような具合で、活元運動を中心に晴哉先生の思想がヨーロッパに入っていった。留学生として、あるいは駐在員の家族として渡欧した人たちも大勢いた。1980年代に入るとヨーロッパの各地の活元会の人たちが日本にやってきたり、あるいは日本の人たちがヨーロッパを訪ねたり、様々なかたちでの交流があったようで、当時の月刊全生を開くとあれこれ報告記事が載っている。

野口昭子さんとアガサ・シュノーレポンさんが親しい友人であったことから、ニューヨークで活元会が開かれるといったこともあった。二人の往復書簡は月刊全生にも度々登場してたから覚えている人もいるかもしれません。アガサさんの解読不能な手書き文字に悪戦苦闘ながら翻訳していた頃が懐かしい。しかし、それ以降、個人的な交流はあったにせよ、組織的な交流は減少傾向にあったというのが、私の理解。

ヨーロッパで整体はどのように理解され、どのように受容されていったのか?
ましてや、稽古場の活動に至っては、ドイツの竹居グループに伝わっているくらい。室野井さんが舞踏のワークショップをイタリアでやったことがあるはずだけど、それとて20年も前の話。

 インターネットでSeitai とかKatsugen undo の検索語を与えてみると有象無象山のように出てきて、結構カオスな感じ。まあ、日本でも同じようなものだけれど。どんなカオスかちょっとみてきます。活元運動もテーマの一つになるので、準備として、活元運動3.0と称する稽古を月1やることにした。

2024年10月10日木曜日

EU2025 その1

来年の6月、ヨーロッパに行くことになった。
前回の渡欧は2013年のことだから、実に12年ぶりということになる。

そもそも数ヶ月先のことしか予定を決められないたちなのに、9ヶ月先のことを考えろという。これだけで前途多難。ここ十年で世界は随分と変わってしまった。端的にいうと、日本が落ち目になってきた。コロナ禍に戦争に、あしもとでは地震。不安定でしかたがない。なのに来年の予定など立てて大丈夫なのか。

航空運賃を調べて驚いた。往復20万円もするのだ。円安だからなのか、シベリアルートが絶たれいるせいなのか。11年前にいったい運賃はいかほどだったのだろうと、パソコンの奥をゴソゴソ漁っていたら、当時の出納帳が出てきた。フィンエアーで往復12万円。ヘルシンキ経由で往路はデュッセルドルフまで飛び、帰りはパリからヘルシンキ経由で成田。交換レートは1ユーロ130円を使っている。今は1ユーロ160円。おまけに、ここ10年のインフレ率は圧倒的に日本の方が低かったから、そりゃ、ヨーロッパから来る人にとって、日本の物価は安いはずである。物価ひとつとっても問題山積である。

航空券も買ってしまった。カタール航空。中東で戦争がエスカレートしないことを祈るのみ。

2024年10月1日火曜日

かわら版WEB公開

 かわら版デジタル化プロジェクト、軽い気持ちではじめたものの、結局3年かかってしまいました。片桐ユズルが亡くなって丸一年、ようやくウェブ公開に辿り着きました。ここまでの経緯はこのブログでも載せてきたので、以下を参照のこと。https://dohokids.blogspot.com/search/label/%E3%81%8B%E3%82%8F%E3%82%89%E7%89%88

 1967年から1992年まで25年分を年度ごとPDF化しました。総ページ数は約2000頁。データ量としては全部で2GBくらいになります。できれば索引も作成したいところですが、これは次の人におまかせします。紙の原本は、立命館大学平和ミュージアムに預かっていただく予定です。

 初期のかわら版には、B4サイズの藁半紙の片面に印刷されていたものもありますが、号を重ねるうちにB5サイズ8頁立の形式に落ち着いていったようです。つまり、 B4サイズの用紙に両面印刷し真ん中で折り込んで8頁立てにするというもの。真ん中の見開きページは全面を一つの記事に使っているケースもあります。画像の取り込みはページ毎行っています。この見開きページも半分ずつ二つの画像として取り込み、両面印刷した場合でもページ立てが崩れないようにしています。ただ、こうすると見開きページは、いわゆるハラキリ状態になってしまうので、見開きページを一枚の画像として、その月の最終ページに追加しています。

 著作権法的に不透明な部分もあるので、当面、限定公開とします。閲覧希望者は、下記URLの申し込みフォームに必要項目を記入の上申し込んでください。折り返し、URLとパスワードをお知らせします。利用に際して、法的な枠組みから逸脱しないようご留意ください。また商用利用もお断りします。

片桐ユズル かわら版閲覧申請フォーム

かわら版デジタルアーカイブについてのご質問等はdohokids@gmail.com角南まで



2024年9月29日日曜日

9月の読書

しぶとい十人の本屋* 辻山良雄 朝日出版社 2024
 本屋であまり本を買わない本好きの私が図書館で借りてきた辻山良雄さんの著作。 「本屋の中に森羅万象をつくる」(定有堂書店 鳥取)、「触った本は売れる」などなど達人の言葉が散りばめられている。

生成AI時代の教養* 桐原永叔・IT批評編集部 風濤社 2024
 AIというジャンル違いの本なのにスラスラ読めてしまうのが不思議。量子コンピュータと内観的身体の世界は繋がるのか? きっと電力消費なしでやってることに、こちとらの先進性がある。それにしても桐原永叔 という人の文体よいね。聞き手として素晴らしい。こんな時代にこそ「教養としての身体教育」が必要だ。

読む時間* アンドレ・ケルテス 創元社 2013
神秘的じゃない女たち* イム・ソヨン 柏書房 2024
小さきものの近代2*  渡辺京二 弦書房 2024
わからないままの民藝* 朝倉圭一 作品社 2024
はじめての橋本治論 千木良悠子 河出書房新社 2024

2024年9月14日土曜日

動法1

なぜか小さな子に掌を差し出すと必ずその掌をパーで叩きにくる。じゃあ、こうやってごらんと拳をグーにして叩く時はパー。それができたら、今度はグーを天井側に向けてクルッと回転させてパーで打ってみる。難易度をひとつ上げるごとに集注はどんどん高まってくる。4歳の孫が通っている野外保育の会に顔を出したときのの一コマ。

まったく同じことを等持院の公開講話でやってみる。4歳児が面白がるように40代50代の大人も面白がり不思議がる。まあそこから如何に触れるかというテーマに入っているいくのだけれど。



2024年9月6日金曜日

輪島漆器義援金プロジェクト終了

 足かけ3ヶ月続いた輪島漆器義援金プロジェクト@京都は8月31日をもってひとまず終了とします。最終日、迷走台風のおかげで天候の定まらない中、おひとり来ていただけました。等持院稽古場には、一つのお膳に載る分だけを残し、在庫品は一旦、主催者の山田さんのところに送り返すことにしました。売り上げの総計は、カフェ・フロッシュさん開催分を含め、281,500円。全額漆器提供元の被災者に義援金として送付しました。ここまでのご協力に感謝いたします。能登地震からの復興は遅々として進んでないようです。一度、現地を訪ねてみたいと思っています。



2024年8月31日土曜日

8月の読書

着物の国のはてな?* 片野ゆか 集英社 2020
きもの文化と日本* 伊藤元重・矢嶋孝敏 日本経済新聞 2016
江戸おんな絵姿* 藤沢周平 文藝春秋 2016
テヘランのすてきな女* 金井真紀 晶文社 2024
アナーキスト人類学のための断章* デヴィッド・グレーバー 以文社 2006
京都花園天授ヶ丘* 並木鏡太郎 愛媛新聞社 2003
室町ワンダーランド* 清水克行 文藝春秋 2024
植物考* 藤原辰史 生きのびるブックス 2022
小さきものの近代1* 渡辺京二 弦書房 2022

2024年8月30日金曜日

輪島漆器義援金プロジェクト 京都最終

明日31日、予定通り開催します。

お天気どうなんでしょうね。ご無理されませんように。


  5月末~6月初めに等持院稽古場で行われたこの輪島漆器販売義援金プロジェクトは、7月、カフェ・フロッシュさんに引き継がれました。それでもまだ、漆器は残っています。器を戻す前に、もう一度だけ、輪島漆器の会を開くことにします。前回より、二、三割引の値札をつけます。前回来られなかった方、漆器に目覚めてしまったリピーターの方歓迎です。月末には、この暑さが和らいでいることを願うのみです。


【日時】8月31日(土)10時~15時

【場所】京都市北区等持院北町8-3 等持院稽古場 

                駐車場はありません

【問い合わせ】メールで角南(すなみ)まで


*輪島漆器販売義援金プロジェクト

 糸魚川市在住の山田修さん(ぬなかわヒスイ工房 https://nunakawa.ocnk.net/)は、2月から能登半島地震の被災地支援に継続的に入っています。その支援活動の中で出会った被災者の方から災害関連ゴミとして処分される寸前であった輪島漆器を大量に預かることになります。四月、それらを代行販売して義援金とするプロジェクトを立ち上げました。売上金は全額、義援金として器の持ち主に手渡されます。






着物のはてな

 和装の世界に足を踏み入れると、「へんだな」と感じることがあれこれ出てくる。着物振興を謳いながら着物人口を増やそうとしている風もない。連れ合いが図書館から借りてきた「着物の国のはてな?」に横から手を伸ばし、その本から「きもの文化と日本 」にたどり着いた。この2冊の本、これまでモヤモヤしていた着物業界にまつわる疑問の多くに答えてくれた。やっぱりそうか〜、ということばかり。

 1970年の300万部ベストセラー、「冠婚葬祭入門」が和服のスタンダードを作ってしまったらしい。当時、光文社がカッパブックという新書版サイズのシリーズを出していて、「頭の体操」といったベストセラーを連発させていた。「冠婚葬祭入門」を書いた塩月弥栄子さんは、14代千宗室の長女。この本をきっかけに、お茶の世界のスタンダードが和服のスタンダードに拡張されてしまう。お茶の世界が基準になってしまうと、普段着仕事着としての着物は横に追いやらてしまうよね。きっと着物警察と呼ばれている人たちのルーツは1970年の冠婚葬祭入門ある。ただの歴史修正主義者ではないか。



2024年8月27日火曜日

ソウルの春

東京行きは体調不良と台風接近の予報をもとに中止。
時間をもてあまし、かつリハビリを兼ねて映画館へ。
「ソウルの春」という韓国映画を普段は行かないTジョイという京都駅南側のシネコンで観る。

1979年のソウル。朴正煕が暗殺され、全斗煥による軍事クーデターが起こる。
その顛末を映画にしてしまう韓国映画の底力に脱帽。

























主役は保安司令官チョン・ドゥグァン。それに対抗するのが首都警備司令官イ・テジン。
映画が進むにつれ、この主役の二人誰かに似ていることに気づく。そう、チョン・ドゥグァン、K田くんにそっくりなのだ。あのK田くんが稀代の悪役を演じているようにしか見えなくなってくる。チョン・ドゥグァンの慶尚道訛りまでK田くんと被ってくる。対するイ・テジン(この映画のヒーロー)はK地くんに見えてくる。おいおい、K田対K地くんの闘いなのか。

韓国映画を見ていると、たまにこんなことが起こる。「1987年、ある闘いの真実」ーこれもまた全斗煥政権下での出来事だーを見たときには、主役のキム・ユンソクが、僕らが局長と呼んでいた人物と、これまた歩き方までそっくりで驚いたことがある。


日本がバブルで浮かれていた1980年代、韓国ではこのようなことが起こっていたのだ。

2024年8月25日日曜日

読書雑観

 去年の秋から紙の新聞を復活させて読んでいる。 京都新聞には共同通信系の書評欄が毎
週土曜日に掲載されているのだが、 書評欄を開くたびに、もう一週間経ってしまったのか
と、時の速さを嘆かずにはいられない。 僕の読書は90パーセント市立図書館に依存しているのだけれど、新聞の読書欄を参考に予約を取ることが増えた。 書評欄に載るのは、その本が出版されて数ヶ月後のことが多いので、たいがい図書館ですでに購入されている。京都新聞の地元率はとても高く、 書評欄を読んだ僕と同類の人たちとの予約競争になる。とはいえ、緊急に読みたい本というのは、そう多いわけでもない。岡崎公園にある府立図書館ものぞくことがある。ただ遠くて、自転車では行けない、というか行かなくなった。それでも、バス地下鉄を使えば1時間かからない。混んでないし、市立図書館にない専門的な本も置いてあったりするから、もっと頻繁に利用してよいはずなのだが、心理的に遠い。

 最近、 本の厚さが増していると思いませんか?  図書館で借りられるのは2週間まで。 他
の人の予約がなければ、 さらに2週間ということになる。 僕が借りたい本に限って厚さが増しているのかもしれないが、2週間で読みきれない本が増えてきたきた気がして仕方がない。そういう時は本屋で買うしかない。 ところが、買った本の方が 「積読」 になってしまうケースが多い。 そう、 図書館から借りてきた本を優先して、 買った本を後回しにしてしまう傾向は間違いなくある。 「数の発明」 (ケイレブ・エヴェレット  みすず書房) など2年以上そのままにしているのではないかな。

 ひとり出版社をやっている知り合いが何人かいるが、素直にエライと思う。 どうやって
仕事として成り立たせてるんだろうと、 いつも不思議に思うのだが、本作りにかける熱量、書き手と読み手をつなごうとする意欲がすごい。どう考えても、 初版千部くらいの規模で回していると思うのだけれど、 しっかり点数も出している。出版は斜陽産業だと言われてひさしいけれど、働いている人たちはの意気は軒高だ。 古本屋稼業というのも謎の仕事だ。 定価の1割くらいで引き取って半値で売り、 その利鞘で食ってくというビジネスモデルが不思議でならない。本屋に行けばあいかわらず次々と新刊本が並んでいる。 奥付きを見てどれくらいの重版されているのか確認してしまう癖はお世辞にも上品とはいえないけれど、 ついやってしまう。 「百年の孤独」 の文庫版が平積みされていて、 版を重ねているのをみると、この国に暮らす人たちの民度はまだまだ捨てたものではないと思う。 それとも、 僕が立ち回る範囲が偏りすぎていて大きな変化を取り逃しているのか。

 このブログに 「x月の読書」として、その月に読んだ本のリストを載せている。ほぼ自分
用の備忘録なのだけれど、 月10冊として年に百冊、 50年で五千冊ほどの本を読んできた勘
定になる。 読んだ端から忘れていくというのが僕の流儀だから、 ただただ活字を食い散らかしてきた、だらしのない消費者のひとりということになる。でも、一冊の本を世に出すために投入されている書き手作り手の労力を省みると、もっともっと本を味わねばと、いまさらながら反省している。

2024年8月18日日曜日

植物考

藤原辰史 の「植物考」。
何年か前、書店で見つけた時には、表紙の写真が怖くて、手に取ったはよいが、すぐ書棚に戻してしまった。

ツル系の植物成長を観ていると、なんと頭がいいんだろうと、いつも感心させられる。柔らかい紐のような触手を空中に揺らせて捕まるところを見つけ、あっという間に、巻きつけていく。一旦巻きついたら、じょじょに水分を抜いて固定化させていく。グリーンカーテンとして毎年育てているゴーヤ用に張っている麻ひもの上を等間隔でツルを巻きつけながら進んでいく様は美しい。

根を持つこと、翼を持つこと。
このフレーズは、僕の記憶が正しければ、1970年代、僕らのバイブル的存在だった真木悠介 (見田宗介 )の「気流の鳴る音」 で使われていたものだ。土着と放浪、この二律背反とどう折り合いをつけていくのかが、若者にとっての大きなテーマであった。しかし、藤原は言う。根をもち、その土地に縛られているように見える植物は、世代をつなぐとき、風の力を借り、鳥の翼を使い、人の力も借りて、大きく移動するのだと。まったくその通りだ。



2024年8月16日金曜日

冷蔵庫を冷やす

今年の夏はアイスクリームをよく食べている。
これまでなら、ハーゲンダッツのバニラのパイントサイズをひと夏かけて食べるというのが夏の贅沢だったのだが、今年はすでに三つ目に入っている。グリーンティーを試したら、これも気に入ってしまい、そうなるとストロベリーも食べたくなって、とうとう冷凍庫に3種類のハーゲンダッツのパイント揃い組になってしまった。

冷凍庫からアイスクリームを取り出して、蓋を開けて掬おうとしたら妙にゆるい。溶けてはいないのだけれど、スプーンがスッと入ってしまう。この暑さに冷蔵庫の冷却能力がなくなってきている。この小型の冷蔵庫、引っ越してきてすぐに買ったものだから、もう9年使っている。そろそろ寿命なのか? 概ね冷蔵庫は大型のものの方が冷却能力は高い。大型のものの方が潤沢に断熱素材を使っているから、大型の冷蔵庫の方が冷却効率は高く、小型の冷蔵庫を比べても電気代に大きな差はない。でも、場所を取られるのが嫌で、あえて小ぶりの冷蔵庫にした。

冷蔵庫の側面に触れたら発熱している。気張ってるわけだ。熱中症寸前と言ってもよい。このまま続けていると、爆発はしないだろうが、燃え尽きてしまいそうだ。側面に濡れタオルを垂れ下がらせて風を当ててみることにした。気化熱を使って冷蔵庫を冷まそうという魂胆である。サーキュレーターの風をしばらく当てていると少し冷めてきた感じはある。これはいけそうと、一晩、風を送り続けることにした。

翌朝、冷蔵庫を開けてみると、気持ち冷えている。空冷式の冷蔵庫って、洒落にならない。でも、これで夏を越せそうだ。

2024年8月14日水曜日

誕生日

12歳の誕生日というので、街に出た。
ひさしぶりのイノダ本店。はじめて2階の席に座る。
ガッツリ系には向かわず、おとなしくイタリアンパスタとコーヒー。
連れ合いの野菜サンドもひと切れつまませてもらい、これでもう腹いっぱい。
思いのほか空いていて、帰省中の子供たち孫たちと昼を食べに来たジジババの姿が多い。

還暦を迎えたのは311の翌年だった。それから12年。
12年で生まれたての赤ん坊も思春期という大人の入り口にたどり着く。
それくらい長い時間が経過したということになる。
僕自身、二度目の思春期を迎えるまでに成長したというわけだ。
目出度くないはずがない。

そこから四条烏丸まで、錦市場、大丸の地下を通り抜けて歩く。
くまざわ書店を覗き、自分への誕生日プレゼントとして「はじめての橋本治論」を購入。
成城石井でチーズを買い、これまた誕生日用なのかホールのアップルパイを買う。

地上に出ると天気予報通りの暑さ。今日の京都の最高気温は37.9度。

2024年8月7日水曜日

整体3.0

 不謹慎を承知の上で、いまの整体はどのバージョンで動いているのか考えてみると、整体3.0ということになる。活元運動と愉気の時代が整体1.0、それに動法内観が入って整体2.0。そこに更に双観独観が加わって整体3.0。もちろん、身体教育研究所という枠組みの中での話である。もっとも、僕の知らない整体4.0というのが生まれている可能性もある。

 それにしても、ここ十年の変化は大きかった。つまり、ロイ先生が亡くなり、ダン先生が整体協会全体の指揮を取り始めることになってからの十年である。個人的にも変化の多い十年であった。いきなり「双観」といわれ戸惑った。おーい、おれたち内観派じゃなかったんですかと異議を唱えても、師匠はさっさと先を進んでいく。君子豹変す、というのは、自分的にはよい意味なのだけれど、梯子を外される側にとっては苦難の道が待っている。それが、進化深化の道であったことは疑いようがない。整体2.0から整体3.0へ。

 身体教育研究所ができて36年。人生の半分をこの結社とともに生きてきたのかと思うと感慨深いものがある。稽古場を始めるときに、師曰く、ここは「技を通して野口晴哉の思想を追求する」場であると。技以前に、技を可能たらしめる体をつくるといって、動法の稽古がはじまった。時折、本部稽古場で竹棒を振り回している場面が脳裏に蘇る。あの時代があったから今がある、という言い回しは、あまりに陳腐で年寄りじみているけれど、体ができてない人間に技の追求は無理というのは、いまでも真理だと思う。

 やはりOSとの対比で整体を語るのは無理筋か。

2024年8月5日月曜日

白山稽古会

8月の白山稽古会から帰還。石川もしっかり暑かった。
この白山稽古会、15年続いている。
京都に引っ越して9年になるから、京都から通っている期間の方が長くなってしまった。

この会が始まったとき、まだ北陸新幹線は開通してなかったので、東京から越後湯沢まで上越新幹線で移動し、そこから、直江津までほくほく線、そこからさらに北陸本線に乗り継いで金沢にたどり着くというルートだった。片道5時間。直江津で買った鱒寿司を日本海を眺めながら食べていた。飛行機と宿がパッケージになっている出張パックというものを見つけて、飛行機で小松に飛んでいた時期もあった。十年前、亡くなった妻が秋田で入院静養していた時期には、上野から山形新幹線で新庄、そこから奥羽線で院内という駅まで行き、そこからまた新庄に戻り、日本海に出て村上新潟経由で金沢。そして帰りは米原経由の東海道新幹線という、日本半周コースで移動していたこともある。交通宿泊費を考えると、黒字にもならず、かといって赤字でもない稽古会だったけれど、なぜか6年間通った。参加者の関心と僕自身の首都脱出欲求が合致したということなのか。



2015年に京都に引っ越してきてからは、金沢直通のサンダーバードが使えるようになった。便数は少ないが、会場であるふるさと館のある松任に停る便もあって、これは便利であった。窓から四季折々に姿を変える琵琶湖や白山を眺めながら、ときにはうたた寝をしながら石川に通った。金沢までの北陸新幹線が開通したのは2015年のことなので、それほどは利用してない。しかし、新幹線開通で金沢の駅は大きく変わり、観光客がどっと増え、金沢駅周辺のホテルが取りづらくなっていった。コロナ前の話である。

そして、とうとう新幹線が敦賀まで延伸してしまった。京都からサンダーバードは敦賀。そこから新幹線に乗り換えて小松または金沢。そして松任へ。乗り換えが2回。それぞれ電車に乗っている時間は1時間に満たず、つまり、うたた寝をしている余裕がなくなってしまった。時間は短縮されない。運賃は上がる。関西から北陸を目指す人間にはまったくメリットのない新幹線延伸である。おまけに、関東方面からの観光客とインバウンド客の増加で、また金沢駅周辺の宿が取りづらい状態に逆戻りである。

そもそもこの会は、松任で活動していたワンネススクールの森さんの要請で始まったもので、ここまで継続して稽古しているメンバーの顔ぶれをみると、なんらかのかたちで森さんと縁のある方たちである。森さんは本人は多忙すぎてフェードアウトしてしまっているけれど、しっかり気配だけは残していっている。月一の稽古でできることは限られていて、あまり前に進んでいる感じはない。それでも積み重ねられ、深まっているものがあることは疑う余地がない。15年もやっているのに、参加者の数が増えていかないのは、僕の力量の故である。

さていつまで、この会は続くのだろう。金沢に稽古場もでき、そっちで稽古してもらえればとも思うのだが、白山と金沢は、同じ加賀とはいえ気風が違ったりするので、当面、棲み分けるかたちになるのだろう。ここにきて、若い人が加わったりして、ちょっと活気も出てきてる。老骨に鞭打って、もう少し白山に通うことにする。今回は、往復とも小松経由で松任、宿泊も松任だったから金沢に足を踏み入れていない。


2024年7月29日月曜日

7月の読書

こわばる身体がほどけるとき* 板橋勇仁 現代書館 2021
加藤周一、米原万里と行くチェコの旅* 小森陽一・金平茂紀・辛淑玉 かもがわ出版 2019
一汁一菜でよいと至るまで* 土井善晴 新潮新書 2022
生きる場所をどうつくるか 瀧口夕美・黒川創 編集グループSURE 2024

横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか* 田崎健太 カンゼン 2024
 1999年の元旦、高熱を押して僕は国立競技場で行われた天皇杯決勝、横浜フリューゲルス対清水エスパルスを観に行った。この試合を最後にフリューゲルスというサッカーチームは消滅した。一人の横浜市民として、フリューゲルスファンとして、クラブの消滅は理不尽に思えた。それから四半世紀の時を経て、クラブ消滅に至る「失敗の記録」が一冊のノンフィクションとしてまとめられた。

パンとサーカス* 島田雅彦 講談社 2022
 島田雅彦って啓蒙家なんだ。啓蒙家はサーカスのピエロなのか。それとも、僕が皮肉屋に過ぎるのか。

反穀物の人類史* J・C スコット みすず書房 2019
 「ゾミア 」の著者であるJCスコットの手による人類史。なぜ人類は穀物を栽培し定住を始めたのか? 狩猟採集の時代から周辺の環境を変形させながら人類は定住に近い様式で生活を営んできた。その後現れる穀物依存の生活より栄養的には多様性が豊かで豊潤だったのにもかかわらずだ。穀物を育てる労働集約型の生活は人口の密度を高め家畜化された動物の密度を高め、結果、疫病の蔓延を許した。なのにどうして穀物なのか。税金として取り立てやすいのが麦米トウモロコシといった穀物だった故に、時の権力者たちは住民を定住させようとした。定住地から逃亡する者も多かった。人口の減少を食い止めるため戦争をした。奴隷を獲得するために。国家に寄り添うように、あたかも文明が農耕とともに「進化」してきたように語られてきた定説を覆す一冊。そう、人類はは税金取りを養うために定住させられたのだ。高野秀行はこの本を読んだ上で「イラク水滸伝 」を書いたのか、すごく気になる。なんせ舞台は古代文明が生まれたイラク南部の湿地帯なのだ。時代区分でいえば縄文期と重なる。おーい、だれかJCスコットに縄文時代のことを教えてやってくれ。

2024年7月25日木曜日

片桐庸子さんのこと

7月20日、片桐庸子さん逝去。
最後に顔を見に上賀茂の自宅に伺ったのは、先週の火曜日だったから、
その4日後ということになる。
すでに幽明の世界を往き来していて、さて次はあるのかと思いながら帰ってきた。

はじめて会ったのは1977年のことだと思うので、付き合いは半世紀に近い。
私の29年ぶりの京都帰還をいちばん嬉んでくれたのも庸子さんだった。
稽古に見えるたびに、昔話ー昭和20年代のことが多かったーをしていった。
早稲田での同学年に小林信彦や富島健夫がいたそうだ。

ユズルさんに続き、庸子さんも居なくなり、
まあ、京都に戻ってきたミッションの半分くらいは果たした気分だ。


一度、庸子さんの器でお茶会を開こうか。

2024年7月19日金曜日

輪島漆器販売義援金プロジェクト at Cafe Frosch

 等持院稽古場でやった「輪島漆器販売義援金プロジェクト」を北野天満宮に近い、Cafe Frosch さんで引き継いでやっていただけることになりました。期間は7月20日〜28日。(26日はお休み)。開店時間は11時〜17時。輪島漆器は古民家によく似合いそうです。

Cafe Frosch カフェ・フロッシュ  
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2024年7月18日木曜日

この時期になると

この時期になると胃袋あたりが不調になる。
十年前に亡くなった妻と過ごした時間の名残り。
妻を看取り、父を看取り、それぞれ死亡診断書に「胃がん」と書かれていたせいである。
父の遺した書類を整理していたら、祖父の死亡診断書が出てきて、そこにも胃がんとあった。そうか、うちは胃がんの家系なのかと、それがずっと頭の片隅に残っている。

ガンで死ぬのは、そう悪くない。
急には死なないから、人生を振り返る時間が持てる。
だんだん衰弱していく姿を周りにいる人間に見せることは教育的だ。
かといって、整体の徒として、人がガンで死ぬなんて微塵も思っていない。
死因なんて、医者が公衆衛生上の統計のために求められている数字にすぎない。

この時期の不調は、僕のなかに残っている未練症状なのだ。
でも、もう十年経ったしな〜。ぼちぼち抜け出そうか。
不調の在処を探ってみると、お腹などにはない。
結局、頭。
そうだよな〜と妙に納得。
こうして、僕は次の十年に足を踏み出していく。
え、あと十年生きる気なの?というツッコミはなしね。

2024年7月10日水曜日

川を渡る

懇意にしている90歳越え独り暮らしのご老人が二人いて、ご機嫌伺いというか生存確認のため時々顔を出すようにしている。ところが6月はそれができなかった。それくらい、こちらの体力が落ちていた。

体力が落ちているときには、普段は気にならないものが行動の妨げとなる。たとえば川を越えること。ひとりは嵐山に住み、そこに行くためには桂川を越えなきゃならない。もうひと方は上賀茂に住んでいて、こっちは鴨川を渡る必要がある。川を渡るといったって、いまどき水の中をじゃばじゃば歩くわけでは無論なくて、ちゃんと橋はかかっているから、歩くなりバスで越えればなんてことないはずだ。でも、川というか水の流れが関所となって邪魔するのだ。

7月に入って、ようやく不義理をはたすことができた。
観光客で混み合ったバス、ぐんぐん上昇する気温、出かけていくのも、大袈裟でなく命がけだ。老人になるとは、こういうことをいうのだろうか。

2024年7月9日火曜日

夕立が通り過ぎたので庭に出てみた。
ゴキブリ風の生きものがもぞもぞ動いている。
にしては、動きがとろい。
蝉の幼虫だった。
蝉の抜け殻はしょっちゅう見つけるが、歩いている姿を目撃したのは初めてだ。
のそのそと簾を登りはじめ途中で止まった。

数時間後、もう一度様子をみたら、なんと脱皮を終えて、羽を伸ばしているところ。
脱皮の瞬間を見られなかったのは残念だが、しばらくその姿に見とれていた。
それにしても無防備。
無事飛び立っていくことを祈るのみ。

蝉は明け方まで同じ場所にいた。一晩かけて透明な羽根ををアブラゼミ特有の茶色に変え、ちょっと目を離している間に姿を消した






2024年7月8日月曜日

AI翻訳

このところ、英語でEメールを書く機会が増えてきた。
自分の英語のチェックのためにDeepLなどの世話になっているのだけれど、その有能ぶりに舌を巻くと同時に薄気味悪さも感じている。英文を書いて、左側の窓にコピペすると、さっとブラッシュアップされた英文が右の窓に表示される。たしかに、より自然な言い回しだなと納得することが多い。ネイティブにチェックしてもらっている感じではあるのだけれど、自分の実力以上の文章が出現してちょっと戸惑ってしまう。ほんとうにこれでよいのか。

文章のこなれ具合というのは、音読であろうが黙読であろうが、声にして読んでみて、体に馴染むものを選択しているはずなのに、その身体性なしに滑らかさがやってくるのが腑に落ちないというか、薄ら寒い。もちろん、校正された文章をチェックするのは人間だ。時には誤訳もある。多少の読解力のある英語なら、どの程度正確に翻訳されているかチェックできるが、もし自分の知らない言語でこれをやった場合、その翻訳が正しいかどうかを判断する術がない。逆方向に翻訳したり、違う言語を介在させたりしたとして、正確性は担保されうるのだろうか。軽薄な相互理解という幻想と、修復不能な行き違いが起こる気がしてならない。

この便利さによって、僕らは何を失ってしまうのだろうか。
困った時代になってしまった。

検索窓、翻訳窓に文字を入力し、リターンキーを押すたびに、彼我のコンピュータは発熱し、冷却ファンがゴーゴーと低い音を立てて回る。

2024年7月5日金曜日

反穀物の人類史

「ゾミア 」の著者であるJCスコットの「反穀物の人類史」(みすず書房 2019)を読んでいる。なぜ人類は穀物を栽培し定住を始めたのか? 狩猟採集の時代から周辺の環境を変形させながら人類は定住に近い様式で生活を営んできた。その後現れる穀物依存の生活より栄養的には多様性が豊かで豊潤だったのにもかかわらずだ。

穀物育てる労働集約型の生活は人口の密度を高め家畜化された動物の密度を高め、結果、疫病の蔓延を許した。なのにどうして穀物なのか。税金として取り立てやすいのが麦米トウモロコシといった穀物だった故に、時の権力者たちは住民を定住させようとした。定住地から逃亡する者も多かった。人口の減少を食い止めるため戦争をした。奴隷を獲得するためである。国家に寄り添うように、あたかも文明が農耕とともに「進化」してきたように語られてきた定説を覆す一冊。そう人類はは税金取りを養うために定住させられたのだ。

高野秀行 はこの本を読んだ上で「イラク水滸伝」を書いたのか、すごく気になる。なんせ舞台は古代文明が生まれたイラク南部の湿地帯なのだ。時代区分でいえば縄文期 と重なる。おーい、だれかJCスコットに縄文時代のことを教えてやってくれ。





2024年7月1日月曜日

分裂を引き受ける

整体協会はその出自からして反西洋文明的、前近代的存在といえる。
とはいえ、だれしも現代を生きているわけで、近代と前近代、西洋文明的と反西洋文明的なるものとの分裂の中で生きざるをえない。文明的なものとは、強迫症的な病に囚われてしまうということで、このあたりの構造はイリイチが警告とともに書いてきたことでもある。今の時代、文明的なるものに呑み込まれることなく正気を保つためには、分裂を引き受ける覚悟を持ち、分裂の狭間で生きる技を身につけていくしかない。おそらく、整体協会、あるいは身体教育研究所に存在意義があるとすれば、その正気を保つ技を発見継承させていくことだろう。言い換えれば、国を問わず、正気であろうとする人たちは一定数(少数派かもしれないが)存在しているが故に、もし十人の人間が、この道で生きる覚悟さえ持てば、僕らの道は、たとえそれが細々としたものであっても続いていくだろう。

2024年6月29日土曜日

6月の読書

超人ナイチンゲール* 栗原康 医学書院 2023
 憑依系の書き手であるアナキスト#栗原康が、神秘主義者ナイチンゲールに憑依して出来上がった一冊が#超人ナイチンゲール 。舞台は19世紀のイギリス。この組み合わせを思いついた#ケアをひらく シリーズを立ち上げた#白石正明 という編集者はすごい。このシリーズ、三分の一くらい読んでいるけど、どれもおもしろい。

増補・近代の呪い* 渡辺京二 平凡社ライブラリー 2023
 初版は2013年で、この増補版には、2014年にスタジオジブリで行われたインタビュー「近代のめぐみ」が追加で収められている。渡辺さんの名著「逝きし世の面影に記録されいる外国人の眼を通して捉えられた江戸庶民の「幸福感」は、明治政府の自己正当化のもとで無視され、戦後のマルクス主義的歴史観においても無視されてきた。そのような歴史観への抵抗(という言葉は使ってないけど)であった。僕らがやってる身体教育と呼んでいるものも、前近代あるいは近世を生きた庶民の身体を追体験することで、国民国家的身体、消費社会的身体に抗おうとする試みなのかもしれない。

「日本語」の文学が生まれた場所* 黒川創 図書出版みぎわ 2023
 黒川創の『「日本語」の文学が生まれた場所』を読み進めていくうちに、著者の視点が形成されてきた水源に「思想の科学」があることを知り腑に落ちるものがあった。男たちが漢文から口語文への移行に四苦八苦していた時期、鷗外の妻、森シゲは、軽々と言文一致の世界に入っていったなどという逸話は興味深い。漢文世界から口語文世界へ、日本のみならず、朝鮮、中国、台湾でも同様の試みが、相互に影響を与えながら〜人の行き来も多かったわけだ〜行われていたのだ。

地図と拳* 小川哲 集英社 2022
 600頁を超える長編、#地図と拳 読了。人工国家であった満州国を描くのに「建築」「地図」といった工学の知見を織り込むことで、虚構国家がリアルに立ち上がってくる。直木賞作品だった。

教えないスキル* 佐伯夕利子 小学館新書 2021
神田ごくら町職人ばなし 坂上暁仁 サイド社 2023

2024年6月28日金曜日

コンヴィヴィアリティのための道具

 Your夜学「からだを失くした現代人のための身体教育論」の最後にイリイチの「コンヴィヴィアリティ」という言葉が出てきて自分でも驚いた。そのくせ「コンヴィヴィアリティのための道具」(ちくま学芸文庫 2015)をまだ読んでなかったので、これはいかんだろうと本屋に走った。もともとは1989年、日本エディタースクールから出版されている。訳者の渡辺京二さん、「コンヴィヴィアル」に「自立共生的」という言葉を充てている。コンヴィヴィアルとかヴァナキュラーとか、イリイチの使う単語は日本語に置き換えづらい。

 それにしても50年たって、またイリイチかよ、という感は否めない。僕のことを「イリイチ本を訳した人」と思っている人が、たまにいて面食らうのだけれど、まったくの誤解です。1980年に野草社という出版社から「対話」という本が出て、その翻訳者の一人として僕の名前が出ていて、しかも、なぜか一番目にクレジットされていて、それがいまでも検索エンジンで引っかかってくるせいなのだけれど、大いなる誤解で、自分的には「黒歴史」。渡辺京二訳ののコンヴィヴィアリティ本のあとがきに「わけもわからない訳本をだすのはよくよく罪深い行為なのだ」と書かれてあって、思わず身をすくめた。

とはいえ、1973年以来、断続的ではあるけれどイリイチは読んできた。
これまでイリイチがどのように紹介されてきたのか、Wikipediaで著作の英語版と日本語版の発行年を調べてみた。どうやら1970年の後半あたりから注目されるようになってきたことがわかる。イリイチがメキシコのクエルナヴァカに設立したCIDOC(Centro Intercultural de Documentación)で活動していた時期(1965-76)から10年後ということになる。日本にどのような経路でイリイチの思想が入ってきたか、よくわからない。日本の知識人って、結局ただの輸入業者だから、案外、フランス経由という可能性もある。

1971 / 1985 Celebration of Awareness
1971 / 1977 Deschooling Society 脱学校化社会
1973 / 1989 Tools for Conviviality コンヴィヴィアリティのための道具
1974 / 1979 Energy and Equity エネルギーと公正
1975 / 1979 Medical Nemesis 脱病院化社会

1981 / 1982 ShadowWorks シャドウワーク
1982 / 1984 Gender  ジェンダー

僕などは、初期の著作に触れていた程度で、2000年代に入って藤原書店からイリイチの本が出版されるまでの20年間、イリイチとは疎遠だった。なので、1980年代、エコフェミ論争なんてものがあったことさえ最近になるまで知らなかった。しらなくてよかった〜。

今年の春、本棚を整理していて、もうこの先、イチイチを読むこともないだろうと、藤原書店から出ていた三冊の本も手離した。なので、え、またイリイチ、いったいこの半世紀、自分たちはなにをしていたんだろと思ってしまうのだ。
 








 


2024年6月21日金曜日

夜学終了ー世界史の中で「整体」を考える

三回に渡って行われたYour夜学「からだを失くした現代人のための身体教育論」無事終了。結局、からだを失くした人は現れずー考えてみれば当然のことで、このタイトルに反応する人は、自分が体を失いつつあることを自覚している人だー普段、等持院稽古場で稽古していながら、顔を合わせたことのない人たちの交流の場になってしまった感はあるけれど、中間地点で集まれたことはとてもよかった。これまでご縁のなかった人たちともお会いできたし、なにより、人前で話す機会を得ることで、自分のやっていることが、大袈裟にいうと「世界史」のなかで、どのようなポジションでいるのかーなんで自分はこんなことをここでやっているんだろうかという素朴な疑問なのだがーを考える機会となった。 

凡人にとって、自分が生きてきた年数分しか歴史を遡ることは難しいようで、僕など齢72にして、1952年から72年分、歴史を遡れるようになった。とはいえ、70年遡ったとしても1880年代、すでに明治の世は始まっている。この間、日本人の身体観はどのように変化していったのか。西洋文明が怒涛の如く流入した明治期、モノが急速に増えはじめた高度成長期。高度成長期を通過してきた僕など、その時期の変化を肌感覚で知っている世代なので、ついつい、そこに焦点を当てて話を進めてしまうのだけれど、よくよく考えてみると、1980年代にはじまった、パソコン、インターネット、スマホの出現といった出来事ーIT革命と呼ばれているのかーは、高度成長期に匹敵する変化をこの社会に与えてきたのかもしれない。

今回、会を進めるにあたり、晴哉先生の著作と並行して何冊かの本を補助線として紹介していった。列挙すると、「はらぺこあおむし」「身の維新」「ケアの倫理」「近代の呪い」といったもの。最終回で紹介した渡辺京二さんは「増補 近代の呪い」(平凡社ライブラリー 2023)の中で、「普遍」という人間中心主義的価値を取り入れることによって世界は西洋文明化されていかざるを得なかったと説き、二回目の会で取り上げた岡野八代さんは、「ケアの倫理」のなかで、西洋の男たちが築き上げてきた「普遍」という価値感に「ケア」ー整体の観点からすると「双」ということになるのかーの倫理でもって楔を入れようとしてきたフェミニズムに焦点を当てている。

まとめの話になったとき、イリイチのコンビビアリティという言葉が出てきたのは自分でも意外だった。いまだに相応しい日本語に出会ってないけど。おまけに、Tools for  Convivialityの訳者は渡辺京二さんだー未読だけどーそして、祭りの話に。なるほど、祭りというのは、西馬音内盆踊にせよ、諏訪神社の御柱祭にせよ、祭りを中心に一年を過ごしている人たちがいて、その人たちは体を失くしてはいない。近くにいる人たちとの丁寧できめ細かな関係性。僕は、この仕事ー機度間の追求としての整体ーを続けていくだろう。この世が放射能で溢れようとマイクロプラスチックで埋め尽くされようと、西洋化文明社会の帰結として、それは受け入れる。ただ、孫たちが生きていく未来を思うと、世界を少しでもマシなものに変えたいと思う。

2024年6月17日月曜日

Your夜学 3

  今週19日水曜日、18時半より、Your夜学「からだを失くした現代人のための身体教育論」(→https://dohokids.blogspot.com/2024/03/blog-post.htmlをやります。三回シリーズの最終回になります。今回はじめて参加されるという方もいらっしゃるので、どなたでも参加できます。前回、等持院稽古場ですでに稽古されてきた方が、私の話を頷きながら聞いてくださっている風景が印象的で、「あれ、普段、こんな基本的で大事な話をしてきてなかったのかしら」と反省することになりました。三回目は、「身体と文化」といったところまで、話を広げられればよいなと考えています。今回もにんじん食堂さんがお弁当を用意してくださる予定ですので、事前の予約をお願いします。

輪島漆器販売義援金プロジェクト つづき

  先月末、今月初めに等持院稽古場で開催した「輪島漆器販売義援金プロジェクト」、近隣の方たち、連句の仲間も来てくださり、約20万円の義援金を被災者のもとに届けることができました。来てくださった方たち、情報の周知にご協力いただいた方たちにお礼申し上げます。

 とはいえ、預かった輪島漆器、まだまだ在庫があります。漆器を購入してくださったご自分でカフェを運営されている方から、協力の申し入れがあり、現在、その場所で展示販売会が可能かどうか、調整しているところです。詳細決まり次第、このページでお知らせします。また、事前にご連絡をいただければ、等持院稽古場でみていただくこともできます。

 山田修さんがはじめたこの義援金プロジェクト、どんどん輪が広がっている様子す。UX 新潟テレビ21のニュース映像がYouTubeにアップされているので、共有しておきます。

 わが家でも漆の器を使いはじめました。手触り口触りが良いです。小ぶりの飯碗に豆御飯などを盛ると、それだけで美味しいです。汁椀、煮物椀で素麺をいただくのもよいですね。



2024年6月13日木曜日

京都2024夏

どことなく草臥れた感じが抜けない。
こういうときは、水の力を借りるか、大きな岩の近くにでも行った方がよい。
熊野行きを考えたが予定が立たない。
近場でどこかないものかと「磐」で調べてみた。
何ヶ所か出てきたがーそういえば、船岡山だって磐だーピンとこない。
亀岡に出雲大神宮というのがあるらしい。
丹波の国一宮。
円町から電車で30分弱、千代川という駅で降り、そこからバス。
家を出てから一時間半ほどで到着。
参拝客も適度で、混み合ってはいない。
境内は清涼。

参拝を済ませ、帰りは旧道をたどって亀岡駅まで歩くことにした。
六キロほどの距離を歩きながら、この土地が、昔から開けていたことを知る。
そして、オーバーツーリズムによって、今、住んでいる京都という街が疲弊してることに思い至った。

そう、京都という町が草臥れてきている。観光客が悪いとは思わない。むしろ、ぎゅうぎゅう詰めのバスに揺られて寺社仏閣を回っている外国人観光客をみると気の毒でならない。半世紀前なら、海外からの観光客といえば、欧米人が多く、植民地的視線を感じることも多かったが、今は国籍が多様化し、どこか「憧れの国日本」にやってきた感がある。こっちが歳取って、しかも稽古着姿でいるものだから、バスに乗っても、席を譲られることが多い。地元民に配慮して観光しましょうというコンセンサスは、コロナ前よりは浸透している風がある。観光客に対して、基本、僕自身は好意的なスタンスだ。若い頃あちこち歩き回った経験は人生の糧になっているし、観光客の無邪気な顔をみることは、そういやではない。

ただ、オーバーツーリズムによって、京都という町が疲弊してきていることも確かだ。観光客がやってきて、お金を落として町が活気づく。産業として観光を捉えれば、その通りかもしれないが、その「消費」によって、土地の力は奪われている。亀岡の田舎道を歩きながら、そんなふうに思った。

2024年6月1日土曜日

輪島漆器販売義援金プロジェクト

 能登半島地震被災者支援のための輪島漆器展示販売会をやります。予告してから一ヶ月になりますが、山田さんの活動はいろんなメディアで紹介され(→中日新聞web  →UXテレビ)、大きなうねりをつくりだしているようです。

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輪島漆器販売義援金プロジェクト 

 糸魚川市在住の山田修さん(ぬなかわヒスイ工房)は、2月から能登半島地震の被災地支援に継続的に入っています。その支援活動の中で出会った被災者の一人から、災害関連ゴミとして処分される寸前であった輪島漆器を大量に預かることになります。ただそれを代行販売して義援金とするには、法的問題をクリアするとともに、膨大な労力が必要とされました。その活動を側面支援するため、今回、山田さんが販売にこぎつけた輪島漆器を等持院稽古場で展示販売する機会を設けることにしました。売上金は全額、義援金としては器の持ち主に手渡されます。


【日時】

 5月30日(木)16時~19時

 6月  1日(土)15時~18時

 6月  2日(日)12時~15時 (17時まで延長します)

 これ以外の日時については順次、このページでお伝えします。


【場所】 

京都市北区等持院北町8-3 等持院稽古場


【問い合わせ】

 メールで角南(すなみ)まで。dohokids@gmail.com

 このプロジェクト発足までの経緯と直近の活動は、「ぬなかわヒスイ工房」のサイトで読むことができます。 https://nunakawa.ocnk.net/




















2024年5月30日木曜日

5月の読書


 1937年生まれの古井由吉が1867年生まれの漱石の漢詩を読む。自らの素養を漱石と比し「からっけつ」ですからと素直に告白する。間違いなく本心。古井から下ること15年、僕など「からっけつ」より軽い言葉は一体なんだと頭を抱える。「修善寺の大患」時に作られた漱石の漢詩を読んでいく。病むこと自体が軽薄になってしまった現代にため息も出ない。

2024年5月16日木曜日

your夜学 2

 来週水曜日(22日です)、your夜学(→https://dohokids.blogspot.com/2024/03/blog-post.html)の2回目やります。1回目(4/24)は総論で終わってしまったので、今回は各論に入ります。といっても、この「整体育児論を参照軸にした身体論」というタイトルで始めたこの会、やっているうちに自分自身の問題意識がだんだん明らかになってきて面白い。その問題意識というのは、思いのほか大きなテーマで、「整体はフェミニズムと出会えるのか」というもの。僕が整体の勉強をはじめた頃ー半世紀前ですー整体は「自立の思想」としてもてはやされる一方、整体育児論は、「三歳児神話」に与するものとしてリブの女性たちの反発を食らっていた。「次回は体力について話します」と予告したのだけれど、胎児期、そして三歳までの期間というのは、この体力を育てていく上で核になる時代であるから、私など、三歳児神話を擁護する立場になるかもしれない。しかし、三歳児神話問題の核心は、子育てを母親に押し付けていたところにあって、高度成長期における特異な家族形態であった「男は外、女は内」というイデオロギーにあったと考えるべきだろう。やはり「大人問題」なのです。

 参加希望者は必須ではありませんが予約お願いします。初回参加されてないかたも方もどうぞ。今回もにんじん食堂さんがお弁当を作ってくださるはずので、お弁当希望の方はその旨、記してください。

2024年4月29日月曜日

4月の読書

ロッキード* 真山仁 文藝春秋 2021
マンモスの抜け殻*  相場英男 文藝春秋 2021
涙にも国籍はあるのでしょうか*  三浦英之 新潮社 2024

アジア発酵紀行 小倉ヒラク 文藝春秋 2023

 糀生活丸一年。塩糀、醤油糀、玉ねぎ糀は、もはや必需品。白山に行くたびに糀屋さんで糀を買ってくる。大半は甘酒になる。先週には仕込んでおいた初めての手前味噌を開封。美味しいじゃないか。小倉ヒラク さんの手前味噌の歌を聴いてから7年は経っている。このアジア発酵紀行 、糀のルーツをたどって、中国雲南省、ネパール、インド東北の国境地帯に足をずいずい踏み入れていく。


ケアの倫理 岡野八代 岩波新書 2024

 今月から近所のシェアキッチン yourではじめる「からだを失くした現代人のための身体教育論」の背後に「整体育児論はフェミニズムと出会えるのか?」というテーマが隠れていることに気づき、自分で驚いた。この本の中では、哲学史における「正義の倫理」と「ケアの倫理」が対比されるかたちで説明されていて、なるほど、哲学をする人たちは物事をこのように考えるのかと半ば呆れ、半ば感心してしまった。驚いたことに、1970年代になるまで、女性視点での哲学は哲学業界では考慮されてなかったのだ。「正義」というのは、多分、justiceの訳語で、この倫理がまとう家父長的な色合いは、おそらく育児という仕事が奴隷によって行われていた時代にまで遡る。つまり、人の出発点を個人、「独」からスタートさせようとする。一方、ケアの倫理だと、関係性、「双」の視点を取り入れようとしている。この展開は面白い。野口晴哉が「育児の本」を書いたのは1950年代。この時点で、「双」の視点は組み込まれているし、なによりも「子供」の視点に立っている。

2024年4月26日金曜日

your夜学

第一回目のyour夜学、無事終了。
参加者は11名で、うち等持院稽古場関係者が5名もいたので、アウェイ感はあまりなし。
等持院稽古場は、ずっと個人教授中心でやってきたから、横の繋がりはあまりない。なので、一昨日のyour夜学で初対面というケースもあったりする。僕の話が終わったあと、にんじん食堂さんに作っていただいた弁当をみんなで食べるという光景も新鮮だった。

話は総論で終わってしまった。
稽古らしきものもひとつ入れたが不発。
録音しておくつもりだったのに、緊張していたせいか、鞄から取り出すのを忘れていた。
次回5月22日(水)は、「体力とは」という話をしますと予告。
2回目からでも参加できます。

2024年4月25日木曜日

身体観の変遷

 これまで、身体観の変遷という話をする時に、「明治維新」「経済高度成長期」の二つを画期としていた。ところが、今回、外で話をすることになって、あらためて身体教育研究所の30年を振り返るなかで、この30年もまた、身体にとってとんでもない時代であったことに気づくことになった。

 ウォークマンの出現したのは、僕が留学生関係の仕事をしていた1980年の前半(初代発売は1979年)のことなのだが、学生と連れ立って出かける折、歩きながら、あるいは電車の中でウォークマンに聞き入っている様は、異様に思えたし、せっかく海外の地に身を置きながら、周囲の出来事に注意を払わないとは、なんともったいないことかとため息をついた覚えがある。

 そこから、時代はPCが跋扈する時期に突入し、さらには携帯電話、そしてスマホと移ろっていく。もはや、で電車の中でスマホ画面を眺める人間が多数派を占め、歩きスマホという言葉が出てくるくらい、人は、自分の周囲に注意を払わなくなってしまっているのだ。

ここ40年の新製品、新サービスの出現を時系列で並べてみると、こんな感じ。
1979 ウォークマン登場
1981 pc-8801販売開始
1986 ニフティサービス開始
1994 インターネット
2000 携帯電話
2007 iPhone登場

 僕自身、新しもの好きの元電気少年だったから、なんだかんだといって、テクノロジーを追いかけてきたし、仕事でも率先してパソコンを使ってきたから、目くそ鼻くそを笑う体なのだが、稽古することで、かろうじて体を失くさずにここまで生き延びてきたとも言えなくもない。ここからは、「便利」をひとつひとつ手放していくしかない。

2024年4月23日火曜日

1974年4月

 1974年3月を振り返るはずだったのに、気がつけば、もう4月の下旬ではないか。3月は飛ばして、まずは、半世紀まえの4月を振り返ることにする。

 フィールドプロジェクトは三ヶ月と定められていて、学生たちは、4月にはニューヨークのキャンパスで再集合する。しかし、自分は、三ヶ月でここで何を学んだというのだ。やっと、子どもたちとの関係ができあがってきたばかりではないか。もう少し、ここに留まりたい。アドバイザーに連絡し、こちらの希望を伝え、サンタフェ滞在を学期が終わる5月末までのばしてもらうことにした。4月の再集合(evaluation period)の代わりに8月にある編入生のためのオリエンテーションに参加すればよいとの許可も得た。

 4月前半は、こんなかんじ。

4月1日santa feu.s.a.料理当番 すきやき
4月2日santa feu.s.a.
4月3日santa feu.s.a.
4月4日santa feu.s.a.
4月5日santa feu.s.a.
4月6日santa feu.s.a.
4月7日santa feu.s.a.
4月8日santa feu.s.a.フィールドトリップ Rio Grande Zoo
4月9日santa feu.s.a.
4月10日santa feu.s.a.
4月11日santa feu.s.a.
4月12日santa feu.s.a.イースター休暇
4月13日santa feu.s.a.


 4月半ばでイースター休暇に入る。学校もしばらくお休み。この期間を利用してメキシコに出かけることにした。以下は、十年前に書いた記事。

1974年4月 To Mexco