2020年12月31日木曜日
2020年12月29日火曜日
嵐電
2020年12月23日水曜日
ジグザグ
2020年12月18日金曜日
成田街道
2020年12月15日火曜日
2020年12月14日月曜日
2020年12月13日日曜日
カリキュラム
2020年12月10日木曜日
2020年11月30日月曜日
2020年11月24日火曜日
2020年11月21日土曜日
亀岡散歩
2020年11月20日金曜日
自発の在処
2020年11月17日火曜日
Seitai as an Art of Living
2020年11月16日月曜日
だっこ 2
2020年11月15日日曜日
石川合同稽古会(続報)
2020年11月13日金曜日
だっこ
2020年11月7日土曜日
学ぶということ
2020年11月6日金曜日
2020年10月31日土曜日
2020年10月30日金曜日
2020年10月2日金曜日
眠り
小さな男の子二人(4才3ヶ月、2才8ヶ月)と何日か一緒に寝たら、劇的に眠りの質がよくなった。男の子というのは、いっときたりともじっとしていない。それでも、まるで電池が切れるように、寝るときはコトっと寝てしまう。それで、翌朝にはフル充電されて蘇ってくるのだから、付き合っている大人は大変だ。一緒に寝てみると、奴らの寝相はすざましい。こっちが目を覚ますごとに違う場所にいる。二人遠く離れて寝ていると思ったら、数時間後には、重なり合うように眠っていたりする。一緒に寝ていても、数時間ごとに目を覚まし、子供たちの様子を見て布団を直したりする。こんなふうに眠りが細切れになっても、短いながらも眠りの質は良いらしく、ぐっすり眠った感はあるし、子供たちが起き出す前にちゃんと目が覚める。子供たちの眠りの深さにつられてしまうからにちがいない。この眠りの質の良さは、京都に戻って来てからも続いていて、夜中の12時になると眠くて布団に潜り込む。本を読もうとしても、ものの10分で灯を消して眠りにつく。そして、翌朝にはスッキリ目が覚めるのだ。
2020年9月30日水曜日
2020年9月25日金曜日
コロナにかかる自由
子ども疲れ、移動疲れ、理由はもろもろ考えられるけれど、最終的に、ここ5ヶ月間、僕には「コロナにかかる自由」がなかったのだという一点にたどり着いた。そう、僕はコロナにかかってはいけなかった。妊娠中の娘のところにコロナを運んではいけなかった。妊婦がコロナ感染した場合、帝王切開となる、そんなニュース記事がインプットされてしまっていたのだ。
コロナの最中は引きこもっていればよい、そのようなスタイルでコロナと向き合うつもりでいたのに、思わぬ出来事のため、移動自粛のさなか移動を余儀なくされてしまった。基本僕のスタンスは、「病気は必要な人がかかる」「病気によって、その人の体は改革される」というものなのだが、娘の出産に関しては、医療機関と関わらざるを得ないから、そっちの土俵に上がるしかない。つまり、全力でコロナに感染しないように努力するしかなかったわけだ。
そしてようやく、ぼくは「コロナに感染する自由」を取り戻した。
2020年9月21日月曜日
iPod touch
京都に帰ってきたら、無性に音楽が聴きたくなった。このところCDプレイヤーがやや不調なので、抽斗の奥からipod touchを引っ張り出してきて、macから音楽データを移し、dockの出力端子とアンプの入力端子をつないだ。容量8ギガしかないipod touchだけれど、普段、CDで聴いているものの枚数はそう多いわけではない。4ギガ分入れれば、丸二日かけっぱなしでもお釣りがくるくらいだ。一時は売り払ってしまおうかと思っていたipod touchだけど、あらためて触ってみると結構な名機に見えてくる。dockに載せると使い勝手もよい。涼しくなって、アンプから出る熱もそう気にならない。一日中、かけていた。
150日
千葉に通うきっかけになった出来事から150日目の朝、元気な男の子が生まれてきた。この150日の間に、京都と千葉を往復すること8回、のべ70日近くを千葉で過ごしたことになる。こうなると、「暮らした」という方が適切かもしれない。究極の二重生活。小さな男の子たちとの暮らしは、住環境も食生活も京都での暮らしとぜんぜん違っていて、戸惑うことも多く、体調を崩しかける場面もあったが、なんとか乗り切った。これで、ひとやま越えた。
といっても、これで終わりというわけにはいかない。むしろ始まりだ。この二重生活は当分の間続くことになりそう。四連休の初日、帰りの新幹線に乗ったのだが、その混み具合は、まだ旧に復したとはいえないまでも、4月5月の一両にひとりふたりの乗客しか乗っていない異常な空気感のなかで息を潜めて乗っていたことを思うと隔世の感がある。このコロナ騒ぎってなんなんだろう。
五ヶ月のうちの半分留守していたということは、仕事をサボっていたということでもある。コロナ禍の最中で実際に稽古する人数は大きく減ってしまっていたことは事実だが、稽古できる環境を準備できなかったことで、迷惑をかけてしまったこともたしか。これからも、月の三分の一程度は留守することになりそうだが、少なくとも、稽古日程はあらかじめ出せるようにしたいと思っている。
それでも、ひとやま越えたという安堵感はある。
2020年9月20日日曜日
2020年9月11日金曜日
2020年8月31日月曜日
2020年8月19日水曜日
お勉強
そもそも、この「お勉強」というのはなんなのか?
長年の学校教育の中で形成されてきた、インプットの量とアウトプットの量は相関関係にあるという観念のことを揶揄して「お勉強」と呼んでいるのだろうと思う。このマインドセットは相当に強固で、いまの日本の学校教育における決定的弱点になっている。
とはいえ、稽古場が始まったころの自分自身を振り返れば、かなり重度のお勉強主義者だったことにいきあたる。つまり、正解欲しい病なのですね。そのようなマインドセットを自分で毀そう毀そうとしてきた割には、ぜんぜん毀れていなかった。一つのことを学ぶ。なにかができた気がする。すると、翌日、その学んだことをちゃぶ台をひっくり返すように否定される。この繰り返し。これを繰り返していながら、こころのどこかで、「ぼちぼち決定版がでてくるんじゃないのか」と正解を期待している。あるときーだから、稽古場がはじまって十年くらいしたころですーひょっとして、正解って永遠にでてこないんじゃないのか?という疑問が生まれた。
動きのなかだけに真実はあるんだ、というビジョンが観えたのはいつのことだったか。上で書いたような疑問が生まれてから、そう時間が経っていたようには思わない。夢の中だったか、起きているときだったか覚えてないけれど、一瞬だけ、「動いていることが本質なんだ」というビジョン(そう、視覚的なものでした)がやってきて、それはあっという間に消えた。どうにも言語化しづらい体験。稽古が楽しくなったのは、ここからかもしれない。
そう、努力は報われないのです。
といって、努力なしで結果が出るほど、都合のよい世界であるはずもないのです。努力して、随伴行気のチャートを覚えないとなにも始まらないのです。努力を怠ってはいけない。しかし、その努力が報われるかどうかは神のみぞ知る、という世界なのです。困りますね。
「偶然に賭ける」という表現を師匠はしていたように思うのですが、偶然なにかが起こったとき、学びという出来事が立ちあがるのです。
2020年8月6日木曜日
ウイズコロナ
ウイズコロナとかいってるけど、僕らはどのようにコロナウイルスと切り結ぼうとしているのか。感染者の数が日毎増えている状況からすれば、いくら忌避しようと試みても、いつか出会ってしまうことになるだろう。それを前提として暮らしていかないと窮屈になる。その準備として、あらかじめワクチンで体内に抗体をつくっておくという対処法を考えているようだが、変異し続けるウイルス相手に、はたしてどれだけの有効性を持ちうるのか? 第一、ワクチンが出回るようになるまで、どのように過ごしていくのか。
政治は当てにできない。その無能さはコロナ対応の中で突出している。無能であるならなにもやらないでおけばいいのに、繰り出してくる雑な対応策は状況を悪化させるばかりである。雑は無策に劣る。今頃になって、最初は非難轟々だったスウェーデンモデルが見直されているらしいけれど、モデルという言葉が有効性を持つ程度には筋が一本通っている。日本モデルというものは存在しない。見えないものにどう対応するかで民度のレベルは測れるのだろう。怖いのであれば家で布団かぶって寝てればいい。でも、無能な政治の片棒担いで自粛警察をはじめてしまうのは醜悪でしかない。ウイルスを怖がる以前に、村八分になることを恐れているようにみえる。
感染することと発症することは違うし、発症することと重症化することはちがう。なぜそこに違いが出てくるのか。運不運の問題なのか。感染者の総数が抑制されれば医療崩壊を招きかねない重症者の増加を抑えられるというのは正しい。出かける時にマスクを持参するのは、感染者増加のスピードを加速化させないためのエチケットと思うからであって、それ以上でもそれ以下でもない。
仕事中、マスクはしない。それを納得する人だけが来ればいい。理念というより美意識の問題と言ってよい。コロナウイルスによって生命は脅かされる可能性はある。しかし、自らの美意識に殉ずる覚悟のないものがコロナ後の世界を生き延びて行けるとは、とても思えないのだ。
2020年8月2日日曜日
2020年7月30日木曜日
7月の読書
完本・しなやかな日本列島のつくりかた* 藻谷浩介 新潮文庫 2018
脱・筋トレ思考* 平尾剛 ミシマ社 2019
まなざし-盲目の俳句・短歌集* 大森理恵・辺見じゅん編 メタ・ブレーン 2000
宮本常一と土佐源氏の真実* 井出幸雄 梟社 2016
熱源 川越宗一 文藝春秋 2019
網野善彦再読中
網野善彦対談集1 * 岩波書店 2015
日本文化の形成* 宮本常一 ちくま文庫 1994
日本中世に何が起きたか 網野善彦 洋泉社 2006
歴史の話* 網野善彦・鶴見俊輔 朝日文庫 2018
河原にできた中世の町* 網野善彦・司修 岩波書店 1988
2020年7月20日月曜日
2020年7月18日土曜日
2020年6月29日月曜日
6月の読書
在野研究ビギナーズ* 荒木優太 明石書店 2019
人口減少社会の未来学* 内田樹編 文藝春秋 2018
学ぶ、向きあう、生きる* 楠原彰 太郎次郎社エディタス 2013
世界まちかど地政学* 藻谷浩介 毎日新聞出版 2018
アーサーの言の葉食堂* アーサー・ビナード アルク 2013
インパラの朝* 中村安希 集英社 2009
また、本音を申せば 小林信彦 文藝春秋 2020
牙* 三浦英之 小学館 2019
日報隠蔽* 布施祐仁・三浦英之 集英社 2018
2020年6月28日日曜日
第3期白誌
2020年6月24日水曜日
佐倉散歩
兎にも角にも、月の三分の一を千葉佐倉で過ごしている
今回のコロナ禍の嵐を一番受けてしまったのは、結局僕ではないのか
佐倉といってもイメージが湧かない
古い城下町で、近くに印旛沼があって、国立の歴史民俗博物館がある、
といった程度の知識しかないまま、この地に立った
まだ閉じられている施設も多く、街の探検をはじめたのは最近
城址公園は石垣ではなく、土塁でできたお城
その高台の尾根に連なるエリアに古い町が残っている
南側に下ったところに総武線が走り、
北側に下ると、京成線が走る
どちらの線を使っても、東京まで1時間、成田空港まで30分
土地としてはずいぶん昔から栄えていたらしい
地誌を紐解いていて、平将門ゆかりの地であることを知った
一茶も食いつなぐために江戸から下総一円を定期的に回ったという
記述を読んだ覚えがある
車に頼らないと生活しづらいというのが難点だな
(城址公園の中にある池)
(佐倉市美術館の中に古書店があった)
(旧式の郵便ポストが街角のあちこちに立っている)
2020年6月19日金曜日
経過報告
今回のコロナ騒動の中、ネットの活用が盛んになっているようだが、その流れに追随する気にはならない。ZOOMを使ったミーティングといったものを何度か経験してみたが、ネットで人には会えないことを確認しただけで、ましてやネットで稽古会するなんて空想もできない。むしろ、リアルに人と会うことの価値というものが上がったように感じている。そして、本当に会いたいという人の数は実は少ないということも。5月は、稽古に来る人も減り、開店休業状態であったから、等持院を留守にすること自体、あまり問題にならなかった。6月になって、ようやく人が戻りはじめた。どれだけ人が戻ってくるか、ちょっとわからない。僕に本当に会いたい、と思ってくれる人がどれだけの数はいるのだろう。
月末には京都に帰り、三日間の稽古会にも復帰します。
2020年6月7日日曜日
2020年5月31日日曜日
2020年5月21日木曜日
旧仮名
『全生』と『全生季刊』にはおおよそ十年ほどの時間差があるのだけれど、内容はともかく、使われている日本語に大きな違いがある。前者は旧仮名であり、後者では新かなが使われている。『全生』には、その後、単行本として出版される、『叱り方褒め方」など潜在意識教育シリーズの元になる文章も多く掲載されているのだけれど、それらが旧仮名表記で印刷されている。この十年の間のどこかで、表記法が変わってしまっているのだ。新かなが制定されたのは戦後すぐの昭和21年のようだが、それが広まるまで十年という時間がかかったということなのか。
僕が晴哉先生の著書に触れたのは、かれこれ40年前になるのだけれど、もちろん、現代仮名遣いで表記されたものだった。いま、こうして、旧仮名で書かれた同じ文章を読んでみると、うん、野口晴哉は旧仮名の人だったのだなと強く思う。
2020年5月13日水曜日
居るひと
2020年5月10日日曜日
白山稽古会休会
今月5月号の月刊全生に掲載されている晴哉先生と中川一政さんの対談の中に、スペイン風邪について話された部分があるので、読んでみてください。18頁一番上の段です。此処を読ませたいがために、この対談記事を再掲載したとしか思えませんね。普段の風邪の経過のさせ方は、今回のような未知との遭遇における練習問題であったのかもしれません。
2020年5月8日金曜日
宿無し弘文
2020年4月30日木曜日
2020年4月21日火曜日
2020年4月18日土曜日
アイボディ
2020年4月14日火曜日
わたしたちの「性と文化の革命」2
参加者はミドリさん、ハジメさんとわたし。70〜80年代を共有する高齢者3人。この3人が30年の時を経て集結。去年何回かやって、その後、中断していた。抱腹絶倒の2時間。聴衆がいれば金取れるレベルーもちろん、聴衆がいたら、三人とも良い子になって、話はつまらなくなってしまうことは明白なのだが。それぞれが、恋愛、結婚、離婚、死別等々を経験してきたからこそ話せることってある。人が生まれ育ったフレームから抜け出すことの大変さ。教育をなんとかしようともがいてきたけれど、成果出せなかったという残念な想い。各自、自分の居場所にいたせいか、リラックスして喋ってましたね。
2020年4月12日日曜日
蟄居
覚張さんの気韻の稽古は新鮮で、体の奥の奥が動かされた
遠藤さんの稽古運びも進化して、なるほどと教えられることも多かった
8月末には新しいかたちの合同稽古会も企画している
ただ、そのとき、日本はどんな姿になっているのか
帰ってきて、これでしばらく動けなくなることを覚悟した
案の定、月末の操法講座がキャンセルとなり、ぼくの上京もなくなった
稽古予約のキャンセルも増えはじめ、利用している図書館もその機能を縮小してきた
ゴールデンウィーク明けに、ものごとが正常に復している可能性はなく、
この状態は夏まで、へたすれば秋まで続くことになる
おのおのがた、長期戦を覚悟せよ、です
仕事減るなら、いっそ稽古場閉めて、8年前に挫折した四国遍路をやるのも良い
などと、一瞬妄想したが、どこかの県が県境封鎖を言い始めたので、即却下となった
やはり蟄居である
しかし、この状況が夏まで続けば、すでに余力を失っているこの社会は大きく傷む
都会で一人暮らしする若い友人たちが心配だ
頼れるものは何でも頼れ
生き延びよう
2020年4月8日水曜日
ZOOM
でも、テレ稽古会は無理だな。
2020年4月6日月曜日
2020年3月30日月曜日
おそれる
ぼくらが成長病と呼んでいるものがある。耳下腺炎、麻疹、水疱瘡の3つを主に指すのだけれど、いづれもウイルスが引き起こすものらしい。それらが引き起こす病気を成長病と呼び、成育の過程で罹ることを是とした。この時点で、そのような主張の下に集まっている人間は近代イデオロギーに抗する反社会的勢力とみなされる。そもそもが「風邪の効用」をうたっている集まりである。でもでも、人類はずっとウイルスと共存してきたし、いまもぼくらの体内で多くのウイルスが活動している。
ぼく自身も試されている。人生の半分以上、医療制度の世話なしに生きてきたけれど、この局面においてどうだろう。ぼく自身は、たとえ感染しようが発症しようが自力で経過させていくつもりだ。ここまでやってきたことが、本当に力になるのかどうかが試されている、ともいえる。これでダメだったら(高齢者だし)その程度のものだったんだと笑って逝けばよい。ぼくが怖れるのはウイルスよりも、ウイルス撲滅という錦の御旗を掲げる多数派によって、社会的に指弾されることである。それを避けるため、ぼくは蟄居することを選ぶ。ウイルスよりも正義の方がこわい。
門は施錠せず開けてあります。
(追記)
読書会の友人に教えてもらった「表土とウイルス」というエッセイ、参考になったので、リンクを貼っておきます。
https://synecoculture.org/blog/?p=2640&fbclid=IwAR3aMG0b1mFsiceM86nqEjS5yvqLb6y3QaCm54XnKb7wDYet93hT6wcmXgE
2020年3月26日木曜日
敗北力
グローバリゼーションというモノとヒトが高速度で回転していたものがいきなり止まることで、それと連動していたローカルな動きも急減速してしまった。もともとスローな生活をしている私のような隠居者への影響はいまのところ小さいけれど、それでも、冒頭に書いたように近づいている感は日々増している。外の大きな回転と内の小さな回転の癒着が剥がれ、うちの小さな回転ー経済圏と呼んでもいいのかもしれないーとの関係性が変わってくるきっかけになればよい。
鶴見(俊輔)さんが書いていた「敗北力」のことを考える。ほんと、僕らは負け方が下手だ。負けを認めないで、ずるずると結論を先延ばしにし、その分、再起への体力が失われていく。この習性は日露戦争くらいに形成されたもので、伝統と呼べるほどの長さを持つものではない。この習性に則ってコロナウイルスに対応していくと、今回のパンデミックが収束していったあと、日本だけが貧しくなっていくという未来しか予想できない。19歳の鶴見青年は第二次大戦に日本が負けることを予想した上で米国から日本に帰ってきた。その選択は僕の中で謎としてあったのだが、今だと、その心境を少しだけ理解できる。
2020年3月23日月曜日
大井町稽古場
大井町稽古場は、来年で30周年を迎えるはずだけれど、期間の長短はともかく、多くの指導者たちが担当してきた。覚えているだけで、金井、井上、戸村、江川、伊藤、松井、剱持、角南、奥須賀といった名前が浮かんでくる。身体教育研究所を離れてしまった人もいれば、他処で稽古場を開いている人もいる。担当者がこれだけの数がいて、大井町稽古場を通り抜けてった人の数は、当然のことだけれど、さらに多い。大井町稽古場は、そのような役割を担った稽古場ともいえる。今回、担当者に服部、小泉という名前が付け加わり、岡田、黒沼という動法教授資格者の稽古も入る。本来の大井町稽古場的風景が復活すればよいなと、西の地から応援しています。
2020年3月22日日曜日
2020年3月21日土曜日
彼岸
阪急・地下鉄線経由で谷町六丁目。お墓参りを済ませ、空掘商店街の昆布屋さんに寄って佃煮を買うというのがいつものパターン。前日仕入れた天六商店街の蟹ラーメンの話は魅力的だったけれど、朝飯抜きで出てきたので空腹が先に立ち、パスタ屋に駆け込む。あとは京都に戻るだけなのだけれど、腹ごなしに少し歩くことにする。北に向かってあるいていると大阪城の案内板。意外に近い。家族連れも結構出ていて、芝生やベンチでお弁当を広げている。
京阪電車で京都に戻ることにした。それならばと京都観光の目玉であるらしい伏見稲荷に寄ることにした。インバウンド客も少ないだろうし、コロナ騒動で人もいないだろう。ところが、である。結構な人出なのだ。家族連れやカップルが大勢いる。これにはちょっとびっくり。ピーク時ってどれだけの人出だったんだろう。
三条京阪まで電車で移動、そこから北白川を目指す。劇団地点の「罪と罰」。半年前にチケット買った時には、予想だしなかった状況なのだが、公演に踏み切った。若い友人そっくりの役者さんが狂言回し的な役で出ていて、気になってしかたなかった。ロシア人俳優がロシア語でやるバージョン(もちろん字幕付きで)を観てみたい。
こうして、普段、経験したこともないくらい長い一日が過ぎていった。ヘトヘト。
2020年3月20日金曜日
詩ってなんだろう
いや、ずっとずっと前から詩について考えていたような気もする
一年前のちょうど今ごろ、テキストという文章を書いた
30年間書き溜めた文字データの総量と、デジカメ写真一枚のデータ量がなぜ同じなのか
いかにも元電気少年が考えそうなことだ
30年分のテキストデータと一瞬を写し取ったデジカメデータ
両者が同じ量で表されるのであれば、それくらいテキストの抽象度は高いということになる
受け取る人がいてはじめて言葉は伝わる
抽象度の高いテキストから、受け手は、意味だけでなく書き手の運動性を読み取ろうとする
運動性とは、声であり、筆遣いであり、からだ遣いである
ここでやっていることって、その運動性の読み取り方の稽古なのかもしれない
→「ぼくが筆動法を稽古するわけ」(十年前の文章を蔵出してきました)
→「音読」
(つづく)
2020年3月18日水曜日
僕の予言は当たらない
でも、ちょっと引っかかるものがあって公開中止
5人くらいの人の目には触れてしまったかもしれない
ここ2週間の変化は大きくて、ヨーロッパがこんな状況になるとは予想してなかった
ヨーロッパ、アメリカに飛び火すると、経済も大きく揺らぎはじめた
オリンピックはもう中止でしょう
延期って、ただの問題の先送りに過ぎず最悪だ
311の時もそうだったけど、潔く負けを認めることができない社会の頁をめくることは難しい
それにしても、「ウイルスに打ち勝つ」だなんて、なんと傲慢な物言いなんだろう
---
僕の予言は当たらない
三年前の今頃、森友問題が出てきたとき、
この内閣は半年後にはなくなってるねと予言したが、
半年どころか、三年経っても存続している
このままだと日本封鎖だね
国内の感染者数は、ここからうなぎ上りに増えていく
一斉休校措置が裏目に出て、多くの労働現場が人手不足におちいる
医療現場も然り
結果として、コロナウイルスの封じ込めは失敗
中国、韓国での拡散はやがて終息に向かい、4月末には終息宣言が出される
日本国内での感染者は爆発的にはふえないが、長期化する
日本からの渡航を拒否する国は増え続け、海外からの訪問者も限りなくゼロに近づく
逆鎖国
物流も滞り、物価は上昇する
中国韓国に続けて日本政府も終息宣言を出すが、だれも信用しない
嘘で招致したオリンピックは、招致した者たちが嘘つきだとバレて中止に至る
期待された経済効果は、まるごと借金に転じる
311後の欺瞞によって進められた滅亡への時計の針は、更に先に進められる
究極の悲観論だけれど心配無用
僕の予言は当たらないことになっている
2020年3月13日金曜日
横浜稽古場
小杉さんで成り立っていた稽古場だったから、
主亡きあと、こうなってしまうのは、いたしかたない
でも寂しい
思い出ぶかい稽古場
開設前から、出来上がるまで、ずっと現場に通い詰めたし、
出来上がってからも、何度か稽古させていただいた
今から思えば、ずいぶん画素数の低いデジカメで撮った写真が残っている
→ 横浜稽古場のできるまで
2020年3月10日火曜日
2020年3月3日火曜日
新しい時代
311直後の街の空気を思い出した
311のあと、僕はどんなことをブログに書いていたのか蔵出してきた
311のときは、「目眩まし停電」だったけど、今回は「目眩まし休校」なのだね
---
新しい時代
1
駅を出て停電で暗くなった道を歩きながら、首都圏の意味も郊外の意味も変わってしまったことを自覚した。数ヶ月の不便で、生活が元に戻ることはもはやない。数千万人の人間が、放射能との共存を否応なしに強いられる世界。まだ誰も経験したことのない、そんな世界にすでに僕らはいる。これまで目隠しをされ、目を背けていたものが突然眼前に現れた。つまり、僕らが抱えていた嘘が露わになった。その嘘を再び塗り込めてしまおうとする力も強く働く。しかし、ここから始めるしかないではないか。新しい時代ははじまったが、旧い時代はまだ終わってはいない。
(2011年03月23日)
2
いつまでも寒い。何日かまえ、横浜でも雪が降った。冷えびえとした雪だった。地震から二週間、被災地の寒さは如何ほどであろう。計画停電を、ぼくは、「目眩まし停電」と名づけた。原発事故から目をそらさせ、原子力発電なしに都市生活は送れないよという脅しのメッセージ。でも、僕らは気づいてしまった。なんだ、これまでの明るさは不要だったんだ。電車も各停だけで十分じゃないか、と。停電のせいで経済活動は停滞するだろう首都圏の意味はまちがいなく変わる。
福島原発の動向から目が離せない。事故が起こったとき、誰も当事者能力を持てない。東電はもとより、政府もまた当事者能力を持てない。そのことが露わになった。原発はそのような怪物。国民の命を守ろうとしない政府にどのような存在価値があるというのか。各国の大使館が日本在住の自国民にどのようなメッセージを送っているか。この方が、政府発表や国内大手メディア報道より参考になる。なんと悲しいことだろう。
新しい時代ははじまった。じゃあ、どんな時代にしていくのか。
(2011年03月27日)
3
暴動が起きても不思議のない状況なのに、僕らは大人として振る舞おうとしている。なぜなら、僕らは、すでに自分たちが核の人質であることを理解しているから。暴力的手段に訴えれば、その先は破滅であることを知っているから。では、僕らにどのような表現が可能なのだろう。徹底的に非暴力で、徹底的に美しく、徹底的にたくましい。そのような道を見つけることなしに、新しい時代はやってこない。
当事者能力とはなんだろうと考えている。今回の原発事故でいえば、東電も政府もその当事者能力の欠如を露呈させた。当事者能力を持てない技術なんて怖いじゃないか。ふりかえってわが身をみれば、同じことだ。なにもかも他人まかせ、制度まかせにしてきたではないか。もし、僕らにできることが一つあるとすれば、この当事者能力を育てていくことにあるのかもしれない。新しい時代の担い手のイメージが少しだけ湧いてきた。
(2011年03月31日)
4
戦後生まれの私は、当然のことだが敗戦を知らない。なのに、いま私が体験している事象はまがうことなく「敗戦」である。一体全体この既視感はどこからくるのだろう。3.11から三週間、街は平静を取り戻してきた。あたかも、暫くすれば、3.11までの日常が戻ってくると信じているかのようだ。でも、そんな日が来るとは思えない。青天の霹靂ではない。きたるべき時が、やってきてしまった。僕らはすでにSFで読んだ不条理の世界の中にある。放射能予報をみてから洗濯物を外に干すかどうか判断する。そんな、へんてこりんな世界。夏場、公園のスピーカから流れてきていた光化学スモッグ注意報のなんとのどかだったことか。この落ち着きのなさとどう共存していくのか。SFで語られていた世界が現実になったとき、僕らはどんな文学を産み出せるのか。試されているのは僕らの文化力かもしれない。
(2011年04月02日)
2020年3月1日日曜日
【参加申込受付中】石川合同稽古会
なにげにさわがしい世の中ですが、施設閉鎖にでもならない限り、やります。
(3/1)
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以後、このページで、お知らせしていきます。(2/5)
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石川合同稽古会 2020 4月4日〜5日 (pdf版はこちら)
第3回目の石川合同稽古会を開催します。会場は金沢湯涌創作の森で、今回は、覚張幸子さん(専科動法教授資格者・歌手)を迎えての気韻発声の稽古も予定しています。参加希望者は3月20日までに、申込書に必要事項をご記入の上、お申し込みください。
【日時】
4月4日(土)
13時〜16時30分
稽古Ⅰ 動法入門〜基礎が進化するとは?*(角南・遠藤)
*稽古1に限り未会員の方も参加可能です
17時〜19時30分
稽古Ⅱ 気韻発声(覚張幸子)
4月5日(日)
10時〜13時30分
稽古Ⅲ 動法入門〜カタと内観(遠藤・角南)
【会場】 金沢湯涌創作の森
金沢駅より北鉄バス12番湯涌線 湯涌創作の森下車 徒歩8分
【担当】
遠藤日向(金沢稽古会)
角南和宏(白山稽古会・等持院稽古場)
覚張幸子(専科動法教授資格)
【会費】 稽古Ⅰ3500円 稽古Ⅱ3000円 稽古Ⅲ 3500円
【宿泊】 一人一泊 2000円 (シーツ代、宿泊税、朝食用食材を含む)18名限定
【申込】 遠藤 rakuendoh@gmail.com 090-3169-2806
角南 dohokids@gmail.com 070-5592-0591
覚張幸子さんについて
十年以上前のこと、いやもう少し前のことかもしれない。風狂知音のライブを横浜関内のエアジンに聴きにいった。ぼくがまだ事務局の仕事と大井町稽古場での稽古担当という二足のわらじを履いて大車輪で活動していた頃のことである。風狂知音は、覚張幸子(vocal)、田村博(piano)、津村和彦(guitar)の三人のジャズユニット。この人たちの作り出す音楽を通して、音楽とは聴くものではなく「体験」するものであるということを学んだのだけれど、その日のライブは格別で、もう、自分の体がバラバラにばらけてしまうという驚愕の経験をした。風狂知音の音楽には、稽古のエッセンスが覚張さんを通して注入されているので、翌日、裕之先生に、「こんな経験をしたのだけれど、これは整体で可能なのか?」と問いにいったことを覚えている。無論、返事は「そうだよ」というもの。それからしばらくして、僕は二足のわらじを脱ぐという一大決心をするのだけれど、このときの、風狂知音の音楽との出会いがひとつの契機であったことは、ぼくのなかでしっかりと記憶されている。数年前、津村さんが逝き、二人組みになってしまったけれど、風狂知音の活動は続いている。できれば、一度、風狂知音の音楽を金沢で聴いてみたい。(角南記)
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石川合同稽古会202004 参加申込書 下記内容をメールで送付ください
1 氏名
2 電話番号
3 メールアドレス
4 住所
5 整体協会の会員ですか? □はい □いいえ
6 希望参加コマ □稽古Ⅰ □ 稽古Ⅱ □ 稽古Ⅲ
7 宿泊を希望されますか? □希望します □不要です
( /受付)
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第3回目の石川合同稽古会を開催します。
日程は4月4日(土)5日(日)の両日、会場は金沢湯涌創作の森で、今回は、覚張幸子さん(専科動法教授資格者・歌手)を迎えての気韻発声の稽古も予定しています。
詳細は近日中に発表します。(2/5)
2020年2月28日金曜日
2020年2月26日水曜日
同工異曲
2020年2月24日月曜日
2020年2月14日金曜日
百年という時間 2
2020年2月8日土曜日
練る
2020年1月30日木曜日
2020年1月22日水曜日
近代日本の民間精神療法
日本近代の科学思想はどのように形成されたのか。歴史的にみるならば、英·米·独·仏·蘭など西欧各国に由来するさまざまな科学思想が、制度化された概念装置がない段階の知的世界へと無秩序な奔流のように流れ込んだことによって形成されたのが、日本近代の科学思想の原型であった。欧米由来のさまざまな科学思想は、翻訳され、紹介され、断片化された形で近代日本の知的世界に移動され、その世界のなかで、欧米においては存在しなかった関係性が作られ、新たな意味が形成された。そこに起きたのは、個々の思想の移植ではなく、個々の思想が互いに関係をもつための新たな言説空間が日本語で形成されたという出来事である。そして、その言説空間では古来の思想と西欧科学思想が混交体を生じ、合理性と神秘性、普遍性と特殊性、近代と前近代、科学と科学外、西欧と日本との往還といった現象がしばしば起こっている。(p.52)
2020年1月9日木曜日
日蓮主義とはなんだったのか
【追記1】近代の人名はアジ歴で検索するのが一般的です、と知人に教えられました。なるほど。
【追記2】第五章まで読み進んできました。(1/14)「日蓮主義はどのように天皇主義と接続したのか?」というのがずっと疑問としてあったのだけれど、セイロンの仏教復興運動家であるダルマパーラという僧が1902年に来日した折、田中智学と面会し、「セイロンの歴史の言い伝えとして、約2500年前、インド王族の高級貴族五百名が海を越えてどこかに行った」という話を伝えたとある。智学は、この貴族を神武天皇と解釈し、みずからの国体論に取り込んだ。(p.159)
【追記3】手元においてじっくり読むべく、MARUZENにて新刊購入(1/17)