2023年12月30日土曜日

12月の読書

感情の向こうがわ* 光岡英稔・名越康文 国書刊行会 2022
ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた* 斎藤幸平 KADOKAWA  2022
翻訳、一期一会* 鴻巣友季子 左右社 2022
さみしさは彼方* 奥田直美・奥田順平 岩波書店 2023
清少納言を求めて、フィンランドから京都へ* ミア・カンキマキ 草思社 2021

本の栞にぶら下がる* 斎藤真理子 岩波書店 2023
 岩波書店の「図書」に連載されていた文章をまとめたものらしい。斎藤さんは僕よりひとまわり年下のようだけれど、同じ時代の空気を吸ってきた方のようだ。斎藤さんの本に度々引用されていた#鶴見俊輔 の文章が読みたくなって、石川行きのサンダーバードの供に本棚から#思い出袋 を抜き出して鞄に入れた。これもまた「図書」に連載されたもの。直接の面識はないけれど、鶴見さんもまた大文字で語らない人だった。

歌仙はすごい* 辻原登・永田和宏・長谷川櫂 中公新書 2019
 歌仙はすごい というタイトルは如何なものかと思うけれど、中身は面白い。小説家、歌人、俳人というジャンル違いの三人が一堂に会して歌仙を巻く。場所を変え、季節を変え、全部で8巻の歌仙がおさめられている。永田和宏というのは、どのような歌を詠んできた人なのだろう。俄然、興味が湧いてきた。歌仙のルールも説明されていて、連句の良い入門書にもなっている。

2023年12月28日木曜日

発熱とメタモルフォーゼ

 今年一番の出来事ってなんだろうと一年を振り返る。四国遍路2年目で、春、日和佐から室戸岬経由で高知市直前までの150キロを歩いたこと。でも、それにも増して、一番の出来事は秋、39度越えの発熱と、それに従うひと月余りの低温期を無事経過したことだろう。それくらい大きな出来事だった。

 そもそも、僕が整体の道に入ったのは、晴哉先生の「風邪の効用」と僕がカルチャーショック熱と呼んでいた、異文化との出会いにおける体調不良期に共通項を発見したことに遡る。つまり、整体の「風邪を経過する」という考え方こそが、学ぶというプロセスを解き明かす鍵になると直感したからだった。

 塾をやっている友人の話。塾を何度かお休みした小学生の生徒さんがいて、お休みから戻ってきたら、それまで出来なかった複雑な引き算が急にすらすらできるようになったという。保護者にお休みの理由を訊いたら、大風邪を引いて39度を超える熱が何日か続いたという。発熱したら急に頭が良くなったってどういうことですかね、と彼は訝っていたが、不思議なことではない。

 鶴見俊輔の「思い出袋」におさめられている逸話(188頁)。15歳で無理矢理アメリカの全寮制の高校に放り込まれ、数ヶ月間、英語が全くわからないまま授業に出席していた。ある晩発熱し、三日三晩高熱にうなされ、それが癒えて学校に戻ったら、先生同級生の英語が理解できるようになっていた。さもありなんである。

 おそらく、このような出来事は誰しも経験しているはずだ。子育てしていればわかるが、子どもはしょっちゅう発熱する生き物だ。その度に子どもは脱皮し、成長している。この成長過程に気づかない大人がいるとすれば、相当に問題だ。稽古場というのは、この「大人問題」と取り組む場でもあった。

 来年は、このあたりの育児論、教育論、整体論を話できる会を等持院稽古場で始めようかと思っている。

2023年12月26日火曜日

聞き書き

 師匠に会いに嵐山にいってきた。何年か前に脳梗塞で倒れ、入院リハビリを経て、いまはヘルパーさんたちの補助を得ながら自宅で猫と暮らしている。脳梗塞の後遺症で滑舌は良くない。僕の耳が遠くなってきたこともあり、コミュニケーションはスムースとはいえない。それでも、旧知の仲間の噂話で多少は気が紛れるようなので、数ヶ月に一度顔を出している。付き合いは長いが、整体と出会う前、どんなふうに過ごしていたのか、そういえば聞いたことがない。

S 同志社行ってたんですよね?
K そう。
S 実家からはバスで通ってた?
K いや、電車。
S そうか、まだ市電ありましたね。
S 同志社で学部はなんだったんですか?
K 社会学部。院まで行った。そのまま大学に残ろうと思ってた。

K こうじまち事件というのがあって…。
S 麹町だったら、東京の?
K こうじんばし
S あ、荒神橋なら京都ですね。
K 大島渚たちと一緒にやってた。男たちはみんな汗臭くていやでたまらんかった。

おいおい、先生、学生運動やってたのか。初耳だ〜。
荒神橋事件、調べてみたら1953年の出来事。60年安保よりずっと前ではないか。
ここから、どういう経緯があって整体の道に入って行ったのか、この部分はちゃんと聞いておきたい。来年は、嵐山に通う回数を増やして、この続きを聞こうと思っている。

*****

聞き書きという行為に、相手との年齢差ってどれくらい影響があるのだろう。
40代の友人と、1970年代の話ーつまり相方がまだ生まれていない時代ーをしていると、「ああ、既にオレは歴史の一部なのか」と感じることがある。師匠との話に出てきた荒神橋事件は1953年、つまり、僕が生まれた翌年で、かろうじて、その時に僕はこの世に生を受けている。時代の空気が共有されていれば、話が聞けるというものでもないだろうが、最初のとっかかりにはなる。無論、すれ違い勘違いによって話が深まるという場合もあるだろう。

2023年12月23日土曜日

綿入れベスト

稽古着の上に着られるように作ってもらった「綿入れベスト」。この上に羽織を羽織れば、ほとんど外からは見えない。背中側には真綿。真綿効果なのか、背中ポカポカなのだ。




2023年12月22日金曜日

トマス・チャーリー・蘭杖 薩摩琵琶演奏会

*京都での演奏会の翌日11月14日、鎌倉で行われた演奏会の映像が公開されているので、主催者の許可を得てリンクを貼っておきます。

トマス・チャーリー・蘭杖 薩摩琵琶演奏会
日時 2023年11月13日(月曜日) 19時~20時  (開場18時半)
会場 西陣の町家 古武  京都市上京区大宮通五辻上ル
    駐車場・駐輪場はありません 路上駐輪も禁止です。
会費 2000円
定員 20名 (10/3 定員に達しました。以後、キャンセル待ちとなります。)
予約 等持院稽古場・角南(スナミ)まで
      075-465-3138
         dohokids@gmail.com

トマス・チャーリー・蘭杖

Thomas Charles Marshall is from Westmeath in Ireland. He is Director of Music and Organist at St Ann's Church Dawson St, Dublin. He lived in Japan from 1994 to 2008 during which time he studied Seiha Satsumabiwa with Yoshinori Fumon (1911-2003), receiving the title Ranjo.




2023年12月15日金曜日

スマホは必要か?

iPhoneの調子が悪くなって2ヶ月経過。
キャリアを換えようとしたところから不調が始まった。
アンテナ表示が立った状態と圏外を気まぐれに行き来する。
まったく信頼性に欠ける。
ネットの方は、iPadがあるから、そっちを使う。
場合によっては、iPadをルーターにしてiPhoneをぶら下げる。
要は、携帯電話の通話機能とショートメールが使えるか使えないかの問題。

携帯なくて大丈夫なのか?
白山稽古会で京都を二日間離れる。なんの問題も起きない。
緊急な案件が起きれば、それは不便かもしれないが、通常運転な限り不都合はない。
すでに携帯電話を捨ててしまった連れ合いに連絡を取るときには、公衆電話からイエデンにかける。
つまり、携帯電話の通話機能は、平常運転でもほとんど使っていない。
二人とも外に出ると、お互い連絡の取りようがないが、これは事前の打ち合わせでカバーする。
結論からいうと、携帯電話は便利だけど、無くても困らない。
むしろ解放感がある。

iOSを17.2にアップデートしたら、電波の掴みが心持ち改善された。
気まぐれなiPhoneを持ち続けるべきか、それが問題だ。
振り返れば、十年前に使っていた小型PHSとiPadの組み合わせが最強だったかもしれない。

2023年12月14日木曜日

洛句

 参加させていただいている連句の会の会報に寄稿するようになって一年になる。半年に一度、都合3回、書かせてもらったが、なかなか難しい。基本的に、俳句連句の知識に乏しいから、自分がやってきた稽古との絡みで書いていくしかなく、このブログで日々書いている文章の流用になってしまう。それでも、数十人の異分野の人たち相手に書くことには、多少の緊張感もあるし、編集者とのやりとりから学ぶことも多い。ここまで書いた3回分の原稿をPDFで載せることにした。もし上手くファイルが開けなければ、ご連絡をいただければお送りします。


2023年12月12日火曜日

インスタづかれ

インスタグラムを使いはじめて丸一年経過。
ブログに載せている一ヶ月の間に読んだ本のリストを少し深掘りするようにインスタでは書いてきた。でも、ちょっと面倒くさくなってきた。
やはり、僕にとっては手応えを気にする必要のないブログの方が性に合っているようだ。



2023年12月7日木曜日

未来に視点を置く

11月丸一か月低潮期が続いた。全てにおいてスローペース。いくらでも眠れる。なにもしなくとも満足。月末三日間の稽古会が終わって、ようやく動く気分になって来た。この風邪はいったい何だったのかと振り返ると、ここまでは60代の延長で生きてきたのだということに気づく。先の予定を考えることが苦痛で仕方なかった理由もここにあった。この大風邪が区切りとなり、ようやく70代の体になったということなのか。


60代、つまり過去に置かれていた視点が、たとえば5年後に置かれ、そこから今を見るということがやっとできるようになった。5年後も僕は生きていそうだ。つまり、この仕事を続けている。であるならば、今をどのように過ごすべきかも自ずと見えてこようというものだ。新しい5年卓上日記も買った。


2023年11月30日木曜日

迷う

39度超えの発熱があったことは書いた。十何年ぶりの発熱のつもりでいたが、備忘録がわりのこのブログを辿ってみたら、8年前にも同じくらいの発熱があったことに気づいた。その時も胸系の風邪だった。発熱するとは、いわば自分の体を毀すということで、そこからどのように体が再構成されていくか経過を見ることになるのだけれど、今回の経過もゆっくりだ。いったい、どっちに向かっていっているのか皆目見当がつかない。体が迷ってる。

体力が落ちていると稽古に来る人の数は減る。おまけに、11月は、会場が取れず白山稽古会は休会。結果、月あたまの千葉東京行き、薩摩琵琶の演奏会、洛句の原稿書きくらいで、時間だけはたっぷりある。事件はいろいろ起こる。靴はなくなる、自転車は壊れる、iPhoneは不調。これはなにかの前兆なのか?

時間はあるので、モノ減らしに手をつけることにした。まずは本。古本屋にでも引き取ってもらおうと、本棚を片付けはじめる。小さな本棚に収まる量、しかも、二重にならない量しか本は持たないと決めいていたのに、本は増殖し、しっかり二重に並ぶのみならず、床に平積みされている。段ボールに詰めていく。面白いもので、比較的最近買った本から順番に詰められていき、結局残ったのは煤けた背表紙の本ばかりだ。まだ読んでない古典の類、俳句・連句関連のもの、つまり、京都に引っ越してくる前からのものが居残ったことになる。

発熱したのは10月末の三日間の稽古会の前後で、11月の稽古会でちょうどひと月たった。充実の一ヶ月。そして、明日から師走、つまり来年1月の稽古予定表も出さなくてはならないのだ。

2023年11月29日水曜日

靴が消えた

月末三日間の稽古会での出来事。
初日、夜の稽古会を終えて帰路につこうとしたときである。
三和土に置いてあるはずの自分の靴がない。
代わりに、似たようなタイプのスニーカーが一足残されている。
モノは僕が履いているものよりも良さげだし、サイズは間違いなくでかい。
初心者コースに参加した男子が、慌てて帰ろうとして間違えてる履いてったとしか思えない。
やれやれ。

仕方なく、研修会館備え付けの木のサンダルを借りて行くことにする。
ただ、木のサンダルで自転車漕ぐのは難しそうだ。
案の定、自転車に跨った拍子にこけた。
こけたのはよいのだが、なんと自転車のチェーンが外れてしまったではないか。
夜中の12時を過ぎて、このまま自転車押して家まで歩くのか?
泣きっ面に蜂状態であるのに、不思議に腹は立たない。
暗い中、自転車のチェーンを歯車に噛ませ、騙し騙し、家まで漕いで帰る。
下り坂でよかった。

翌日、つまり今朝は、自転車は諦めてバス。
研修会館の玄関入ったら、見覚えのある草臥れたーなんせ四国遍路で履いたやつだー運動靴が置いてあった。

こういう不思議な出来事がたまに起こることは聞いていたが、まさか我が身に起こるとは思わなかった。ふうー。

2023年11月28日火曜日

11月の読書

翻訳、一期一会* 鴻巣友季子 左右社 2022
江戸の女子旅* 谷釜尋徳 晃洋書房 2023
きのうのオレンジ* 藤岡陽子 集英社 2020
室町無頼(上・下)* 垣根涼介 新潮文庫 2016 

極楽征夷大将軍* 垣根涼介 文藝春秋 2023

等持院 の山門の内側で暮らしているのに、足利尊氏 について知っていることは少ない。権力闘争というと、皆、野心をギラギラ燃やしながら争っている印象があるけれど、たしかに尊氏のように、立場上、仕方なく、イヤイヤ関わっていた人物がいたとしても不思議ではない。物語りは尊氏と弟の直義(なおよし)、そして執事である高師直(こう もろなお)の三人を軸に進んでいく。2段組500頁長編をだれることなく書き切った垣根涼介 の体の体力は見事。ぼちぼち紅葉の季節だし、一度、等持院のお庭観にいってこようかな。


自由への手紙*   オードリー・タン 講談社 2020
和ろうそくは、つなぐ* 大西暢夫 アリス館 2022
馬と話すための7つのひみつ* 河田棧 偕成社 2022

関西フォークとその時代 瀬崎圭二 青弓社 2023
 先月92歳で亡くなった片桐ユズルの多岐に渡る仕事を評価していく上で、貴重な示唆を与えてくれる一冊。難解になっていった戦後の現代詩の傾向を人々の手に取り戻すため、1959年から60年代にかけての米国留学の折に触れたビート詩人たちの自作詩朗読のスタイルを導入し、鶴見俊輔の限界芸術論の考えを援用することを試みていった。それがベトナム反戦運動を通じて関西フォークソング運動へと流れ込んでいく。拡散的な片桐ユズル の仕事は見えにくい。詩論を中心に据えた瀬崎のこの論考は、そこに一本の基軸を与えてくれるものになっている。1960年〜70年という現代史を理解していく上でも有用な書籍といえる。同時代も半世紀経つと歴史になるのだ。

2023年11月16日木曜日

新聞

勢いで新聞をとることになってしまった。お試し購読に申し込んだのが運のつきで、回ってきた営業のおっちゃんにまんまと丸め込まれてしまったという顛末。朝刊のみ3900円の出費は痛い。紙の新聞をとるのは15年ぶりくらい。最近は毎日新聞電子版(有料)+smart news+X、といったところが情報源。つまり全て横書き。テレビのないわが家にテレビ欄は無用の長物。相変わらずプロ野球に紙面を大きく割く慣習も変わっていない。ネットに比べるとニュースは一日遅れ。筆動法の下敷き下書き用に使えるという以外、どんなメリットがあるというのか。とはいえ、紙に印刷された縦組みの文字を読むというのは、スマホやタブレットに表示される文字を読むのとは、まったく違う体験なのだ。ただ、一面はいつも戦争の記事ばかりで、ここから一日が始まるのは、ちときつい。

2023年11月15日水曜日

発熱

 ずいぶん久しぶりに発熱した。先月末の稽古会の前、風邪っぴきになり38度超えの発熱。とはいえ、稽古会をサボるわけにもいかず、三日間フル参加。稽古会の翌日は、自分の稽古も入っていて、普通に稽古。で、その日の晩から、どーっと熱を出し、なんと39度超え。9度超えの熱なんて、十年ぶりとか、ひょっとするともっとぶりか。別段苦しいわけでもなく、ただただ発熱していた。

 発熱したとはいえ、半年も前から約束していた千葉出張留守番をキャンセルすることもできず、千葉に移動。平温以下の、本来、休むべき期間を子守して過ごす。つまり、三人の男の子たちとペースは落としたとはいえ、しっかり付き合ってきた。

 五日間の子守を終え、帰途途中、本部稽古場にも顔を出し、京都に舞い戻ったのは、11月7日。その翌週にはチャーリー蘭杖の演奏会も控えている。京都に帰ってきてから平温以下は続き、明け方、シーツに人型が残るくらいぐっしょり汗をかく日が続く。で、ぜんぜん平温に戻らない。いつまでたっても36度。よくよく考えると、自分の平温は36度であった。

 連れ合いとも、月末の稽古会から薩摩琵琶の演奏会まで、この期間は気が抜けないねと話していたのだが、なんのことはない、どっぷりと風邪っぴきの期間と重なってしまった。無事、演奏会を終え、ふぅーとため息をついたら、11月も半分終わっていた。さすがに、計画していた秋遍路は諦めた。

2023年10月30日月曜日

10月の読書

暗殺者たち* 黒川創 新潮社 2013
1909年10月26日、伊藤博文はハルビンの駅ホームで安重根に狙撃される。その年の9月、夏目漱石は満洲・朝鮮を一月半に渡り旅行している。その旅から帰ってきて十日目に狙撃事件は起こる。小説#暗殺者たち はこのように始まる。主役は20世紀初頭という漱石たちが生きた時代。幸徳秋水、菅野須賀子、荒畑寒村、大石誠之助といった面々が交わる時代。小説とドキュメンタリーを合体させたような構成で、今に繋がる百年前の時代を著者と共に旅をする、そんな小説。黒川創 いいね。

暗い林を抜けて* 黒川創 新潮社 2020
くらしのアナキズム* 松下圭一郎 ミシマ社 2021
京都-未完の産業都市のゆくえ 有賀健 新潮選書 2023
これは「快著」と呼んでよいのではないか。京都ネイティブ/外からやってきた現京都住民/それ以外の人、三者の思いのズレがどこからやってくるのか、都市経済学というツールで解きほぐしてくれる「京都神話解体新書」。終章の市内改造案は物議を醸しそうだ。

K氏の大阪弁ブンガク論* 江弘毅 ミシマ社 2018
震災後文学論* 木村朗子 青土社 2013
日本で100年、生きてきて* むのたけじ 朝日新書 2015
カメラを止めて書きます* ヤンヨンヒ クオン 2023

2023年10月15日日曜日

コモンズ(蔵出し)

 先月の裕之先生の公開講話で「富士見橋」の名前が出てきて、懐かしかった。そういえば、富士見橋からの風景を起点に、コモンズ=共有地について書いたことを思い出し、パソコンの奥を探してみた。2006年2月、20年近く前の文章だ。コロナを経験した後で読み返してみると、感慨深いし、観光都市京都の問題にも通じる。

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 上野毛から二子玉川に向かう途中、五島美術館を通り過ぎたところに富士見橋と呼ばれる陸橋がある。下の渓谷を東急大井町線が走っている。西の方角に多摩川の河川敷が広がり、晴れた日には丹沢の山々の上に、富士山を望むことができる。しかし、この風景も多摩川のほとりに高層マンションが建ったことで、大きく様変わりしてしまった。高台にある富士見橋からしてそうである。稽古場のある二子玉川から空が失われた。近代とはコモンズ(共有地)を囲い込むことで「資源」化し、それを稀少なるものと「仮定」することによって成り立っている社会であるとイリイチは言う。景観さえも囲い込まれ、高額なマンションとしてその眺望が切り売りされる、そのような時代である。

 そのような近代において身体の捉え方はどのように変わってきたのだろう。現代では人間を資源と捉えることは当たり前のものとしてある。「人的資源」といった言葉も一般に使われている。でも、よくよく考えてみると変ではないか。本来共有されていた土地や森が国家なり企業なりによって囲い込まれることによって「経済的価値」を生じ「資源」と呼ばれるに至る。そして資源化する働きのことを「開発」と呼んだ。それと軌を一にして、同様の単語が人間についても使われるようになり、人は開発される対象となり、最近では自分に「投資」するようにさえなった。経済用語と一般用語の境界線が曖昧になり、子供の成長と経済成長が同じ「成長」という言葉でくくられるようになったのはいつからのことなのだろう。これを変と感じなくなったのはいつ頃からなのだろう。

 現代日本人の多くは、現代医療制度によって囲い込まれた状況の中で暮らしている。囲い込まれたなどというのは生半可な言い方で、「植民地化」されているといっても過言ではない。なにもわざわざ我が身を差し出さなくてもよかろうにと思うのだけれど、司祭たる医者の見立てによって自らの身体を見、医者の処方する薬をのみ、栄養士のカロリー計算に沿って食べている。主権の放棄? 三十年以上前の話になるけれど、インフルエンザワクチンの集団接種の結果、その副作用によって重大な後遺症が残り、その親たちが国家賠償を求めて裁判を起こしたことがある。予防接種は国家の意向によって行われ、その結果障害が生まれた訳だから、賠償せよというのは論理的にはまったく正しい。しかし、はじめから我が身を差し出しているわけで、この一点に関し、整体の徒としては違和感を覚えてしまう。裁判の結果、国の責任が確定し、以後インフルエンザの予防接種は任意接種となった。そうして、いま流行の「自己責任」が声高に叫ばれるようになった。国民の多くが高度医療を受ければ受けるほど経済成長の指標とされるGDP増に寄与する。このような「成長」という言葉の空疎なこと。

  1970 年代後半、東京にイリイチやフレイレの教育論を研究しているAALA教育研究会という集まりが あり、しばらくお付き合いさせていただいたことがある。何年かの後、僕が整体の道に入ることを、この会を紹介してくれた楠原先生に報告したとき、「角南くんは整体の軍門にくだるのか」とやや感慨深げにつぶ やかれた言葉がなぜか印象に残っている。つまり、問題意識を社会に置かず、整体という「個人」の「健康」を求める方向に進んでしまうのかという、失望に近い気持ちが少しだけ込められていたように思う。僕自身は日和見に走ったという気分は毛頭なかったのであるが・・・。で、身体である。国家に自らの身体を差し出さないというところまではよい。じゃあ、この身体は私個人のものなのか? これを問うところから 整体の身体論に立ち入っていくわけである。

2006/2/18

2023年10月11日水曜日

十三仏行

10月8日、月一回の連句の会が始まり、春屏先生が「今日は十三仏行といういう形式でやってみましょう」と提案された。様式としては比較的最近考案されたものらしく、例えば法事など誰かを偲ぶ場で興行されるという。表五句裏七句+最後は一行空けて長句で終わるという不思議な様式。ご高齢の先生とすれば、私が逝ったら、こんなことでもやってくださいという洒落にちがいないのだが、ごく親しい知人の訃報に触れたばかりの私にとっては、「え、このタイミングでやるか」と驚いた。

連句仲間三人でメールでの文音を巻いていたのだが、最後の挙句の番が回ってきたところで片桐ユズルさんの訃報が届いた。ただし、葬儀は家族葬でやるので他言無用と釘を刺されている。一緒に文音をやっている二人も濃淡あるがそれぞれにユズルさんとは面識があるだけに、ちょっと後ろめたい。

挙句前の句三つの中から
園児らの歌ごゑ響く花の窓
という句を選びーユズルさん、歌うの好きだったしーこれにつづく挙句案三句を提出した。

そよ風に乗り風船の往く
旅立ちの日は春コート着て
卒業写真校門を背に

結果、最初の句が挙句に採られ、この文音「石の道しるべ」は無事満尾。

ハジメさんによれば、最後ユズルさん、「急にイタリアに行くことになった」と話していたそうです。イタリアか〜。

片桐ユズル、享年92歳 2023年10月6日没

ブレンド

コーヒー豆の産地が実に沢山あることを知ったのは、連れ合いが、豆の種類の多さを看板にする焙煎屋に長く勤めていたせいで、あれこれ飲み比べて、その味の多様さに驚いていた。連れ合いが、そのお店を辞めて一年、どこでコーヒー豆を買えば良いのか右往左往している。

数年来、コーヒー豆といえば、そのお店でしか買ってこなかったのだが、改めて探してみると、京都という街には、焙煎して豆を売っている店が沢山ある。喫茶店、カフェの密度は相当なものだが、焙煎屋の密度もすこぶる高く、共倒れにならないのかしらと心配するほどである。京都人、そんなにコーヒー飲むのか。


先日、大阪にお墓参りにいったついでに、大正時代から続いているという焙煎屋を覗いてみた。そのお店のウリは、いわゆる産地毎のスペシャリティーコーヒーではなく、ブレンド。ふーんと思いながら、その店の看板商品500グラム2800円のものを買ってきて飲んでみたら美味しい。何度飲んでも美味しい。毎日飲んでも飽きない。半月ほどでなくなってしまった。


ブレンド、奥が深いぞ。ここからブレンド行脚が始まった。あっちの店で100グラム、こっちの店で100グラムといった調子で、いろんなお店のブレンド豆を試している。ブレンドというと、比較的単価が安いので、安い豆を適当に混ぜてんちゃうかと偏見の目で見ていたのだが、ちがった。失礼しました。反省してます。淹れたコーヒーで、店主の顔が思い浮かぶほど、作家性が強いものだった。


喫茶店巡りはともかく、焙煎屋巡りはしばらく続きそうだ。

2023年9月27日水曜日

9月の読書

京都喫茶店クロニクル 田中慶一 著 淡交社刊 2021
 明治維新から現在に至る京都の喫茶店史を俯瞰した力作です。京都に多いものとして挙げられるのは「パン屋」「和菓子屋」「自転車屋」色々あるが、確かに喫茶店/豆焙煎屋の密度も高い。これが競合史とならず共存史となっているところが面白い。珈琲は自分ちで淹れて飲みことがもっぱらだけれど、巻末に掲載されているお店のリスト80軒のうち20軒は行ったことがあるお店だったのは意外。

五味太郎絵本図録 青幻舎 2016
 五味太郎の本は結構読んでいるつもりだったけれど、この本に載っているものだけで350点を超えている(2016年時点)つまり最初期にものしか読んでなかったことに気づいた。幼稚園児が「五味太郎しよう」などという動詞を使ってしまうなんて、やっぱり五味太郎すごい。おじさんのつえ が好きです。

エラガント・シンプリシティ サティシュ・クマール NHK出版 2021
 若い友人に教えられた一冊。さてと本を開いたはよいが、序文でつまずいた。いきなりE.P.Menonの名前が出てきて、ソファから転げ落ちそうになった。1962年、この本の著者であるサティシュ・クマールは核兵器廃絶を求めニューデリーからモスクワ〜パリ〜ロンドン〜ワシントンD.Cまで1万3000キロの巡礼を敢行する。その時の相棒がE.P.Menonだというのだ。
 E.P.Menon氏は僕が初めてインドに行った1974年、僕が参加したプログラムのディレクター。ニューデリーでオリエンテーションを始め、アグラ、ウダイプールで終了。そういえば、当時の首相、インディラ・ガンディーとの面会もセットアップしてくれてたのを半世紀を経て思い出した。
 プログラムの事務所はバンガロールにあった。そこを拠点に学生たちはインド各地で個々のプロジェクト(今風にいえばインターン?)に入っていくから、ディレクターと過ごす時間はそう長くない。それでも、巡礼ーpeace walkと呼んでいたと思うーの話は折にふれ聞いていたように思う。
 その後、十年くらいは行き来があったような。そうだ、亀岡の花火大会に一緒に行った記憶がある。

上野千鶴子がもっと文学を社会学する* 上野千鶴子 朝日新聞出版 2023

限界から始まる* 上野千鶴子・鈴木涼美 幻冬舎 2021
 上野千鶴子 は胸元ギリギリの直球を投げ込み、相手打者をヒヤリとさせながら決してぶつけない稀代の投手なのですね。こんな風に、野球用語を使って説明しようなんて、僕の語彙力のなさの表れなのだが、この#限界から始まる 、娘世代の#鈴木涼美 に投げかける言葉には自負と愛情が詰まっている。スリリングな往復書簡集。

ワカタケル* 池澤夏樹 日経BP出版本部 2020

2023年9月1日金曜日

9月1日

関東大震災から百年。この震災を実際に体験した人を数人知っている。
一人は、河上綾子さんといって、1980年代、僕が京都で住んでいた古い木造アパートの管理人をされていた女性。もう、一人は、田邉久彌さんという、大井町稽古場に操法を受けに来られていた方。311の後も、「私は関東大震災を経験してますから」と飄々とされていた。それぞれに面白い人たちだった。

で、いつも考えるのだ、関東大震災のとき、わが曽祖父、角南角三郎は、どこで何をしていたのかと。ひさしぶりに国立国会図書館にアクセスしてみた。官報がデータベース化されていて、角三郎さんの職歴がたどれるようになっている。どうやら広島で警官としてのキャリアがはじまり、その後、朝鮮総督府に移り、慶尚道で警官をやり、内地に戻ってからは、愛知、東京で警察署長を勤めている。叔母から聞いていた豊橋で警察署長をしていたという話も裏付けられた。そして、最後は関東庁、今の中国大連で警察官をやったのち、1922年、55歳で、おそらく定年を迎え、退職となっている。どうやら、関東大震災の時には、警官という身分ではなかったらしい。

ちょっと、胸を撫でおろす。関東大震災のとき、朝鮮人虐殺に多くの警官が関わっていたという記録が残っているが、どうやら、角三郎さん自身は、その場にいなかった確率が高い。とはいえ、経歴をたどっていくと、角三郎さんが日本の朝鮮半島植民地支配の尖兵として働いていた事実は動かない。

森達也が監督した「福田村事件」という映画が作られたそうだ。これは見にいく。

2023年8月30日水曜日

8月の読書

戦争調査会* 井上寿一 講談社新書 2017
朝鮮大学校物語* ヤン ヨンヒ KADOKAWA 2018
敗者としての東京* 吉見俊哉 筑摩選書 2023
何でも見てやろう* 小田実 講談社文庫 1979
和室礼賛* 「ふるまい」の空間学 晶文社 2022
常世の舟を漕ぎて* 緒方正人/辻信一 世織書房 1996
小さき者たちの* 松村圭一郎 ミシマ社 2023

2023年8月14日月曜日

稽古時間変更

19日(土)の筆動法のコマ、時間を下記の通り変更します。
11時〜14時  →   15時〜18時

2023年8月3日木曜日

半世紀 7 何でも見てやろう

小田実 の「何でも見てやろう」 は、生まれてはじめて自分のお小遣いで買ったという意味で思い出ぶかい一冊だ。同級生の家族が営む、町で唯一の本屋、石黒書店に、この本を取り寄せてもらうよう、勇気を振り絞って一人で出かけて行ったのだった。

出版社は河出書房新社。ビニールのカバーがかけられた一冊だった。初版が1961年とあるが、いくら読書少年だったとはいえ、小学生のぼくが読んだとは思えず、おそらく、実際に手にしたのは中学生になってからのことだろう。それでも、ずいぶん背伸びした中学生だった。

五木寛之 の「青年は荒野をめざす 」が刊行されたのが1967年。ここくらいからは、ほぼリアルタイムで読んでいるはず。僕よりふた回り若いバックパッカーには、沢木耕太郎 の「深夜特急 」あたりがバイブルになるかもしれないが、これが出たのは1986年。

僕にとってのバイブルは、やはり小田実の「何でも見てやろう」ということになる。たどったルートも、結果としてだが、小田に倣うことになった。

【追記】1967年に本書のカラー版というのが出版されている。僕が実際に手にしたのは、このカラー版の方であった可能性が高い。1967年であれば、中3の時ということになる。改めて読み直してみると、これは傑作です。



2023年8月2日水曜日

半世紀 6 「小さき者たちの」

 暑い。35度越えの猛暑日が10日以上続き、熱帯夜も同じように続いている。こんな日がいつかやってくるだろうことは、どこかで予感していた。そんな日が、とうとうやってきた、のかもしれない。

 半世紀前、エネルギー消費の問題は、先進国vs途上国という文脈で人口論とからめて議論されていた。これから途上国の人口が増え続け、その人たちが先進国並みにエネルギーを使い始めれば地球は保たない。先進国目線の都合の良い議論であった。僕が「一生車を持つことはないな」と思ったのは、インドの田舎で暮らしていた1974年のことで、実際、ここまで車を所有することなく、自前の家も建てることなく過ごしてきた。それが、ただの自己満足にすぎず、物欲が他の方向に向いていただけで、消費生活にどっぷり浸かって、これまで生活してきた。これは認めるしかない。

 「小さき者たちの」(松村圭一郎 ミシマ社 2023)という本を図書館で借りて読んでいる。1975年生まれのアフリカをフィールドとしてきた人類学者が、自分の生まれた九州・熊本の水俣病にまつわるテキストを読み込み、庶民と国家との関係を細やかに浮き上がらせている。この本の「ひきうける」という章の冒頭で引用されている、水俣病に関わった医師原田正純の言葉。「たとえば、町を歩いていて、たまたま交通事故を目撃するじゃないですか。事故の当事者とは関係なくても、現場に居合わせた責任みたいなものを背負ってしまう。偶然でもね。[中略] 地元の大学にいて神経学を勉強していて、しかも、それを見ちゃった。あの状態を見て、何も感じないほうがおかしい。ふつうの人は何かを感じる。もう逃れられないんじゃないですか。それこそ、見てしまった責任ですね。」(朝日新聞西部本社編『対話集 原田正純の遺言』岩波書店)

 見て見ぬフリをして生きていくのは、日本人の特技である。そんな日本人の一人として、僕も生きてきた。上掲書に、1973年3月、水俣病第一次訴訟に原告勝訴の判決とある。そう、僕が工業高専を卒業した年、海外に逃避した年が1973年なのだ。中堅技術者養成校として高専は1960年代はじめに設立されている。ふりかえれば、日本で公害問題が顕在化してきた歴史とともにあったともいえる。技術者として就職することは、加害者側に付くことになる。このような単純な図式から、僕はモラトリアムの道を選んだ。まあ、恵まれた環境にいたわけだ。





2023年7月30日日曜日

7月の読書

コソボ 苦闘する親米国家* 木村元彦 集英社インターナショナル 2023
腰抜け愛国談義* 半藤一利・宮崎駿 文春ジブリ文庫 2013
その農地私が買います* 高橋久美子 ミシマ社 2021
ここだけのごあいさつ* 三島邦弘 ちいさいミシマ社 2023
日本語擬態語辞典* 五味太郎 講談社アルファ文庫 2004
西の魔女が死んだ* 梨木香歩 新潮文庫 2001
政治と宗教* 島薗進編 岩波新書 2023
空洞のなかみ* 松重豊 毎日新聞出版 2020
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言語の本質 今井むつみ・秋田喜美 中公新書 2023
 言語だけでなく「学び」について示唆に富む一冊。中身は本の帯に書かれている通り。おすすめ。僕自身がAIに対して抱く「気味の悪さ」は、この本ではじめて出会った#記号接地問題 に由来しているのですね。AIに感覚センサーを接続しても、それらが「あるもの」しか感知できない以上、結局、的はずれなものしか生み出さないことは容易に想像できる。もっとも、とんでもないデストピアが出現しても迷惑千万な話なのだが。AIがいくら世の中に浸透しようと、僕の仕事は無くならない。それとも最初に弾圧を受けてしまう存在なのか。
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2023年7月25日火曜日

朝風呂のすすめ

京都連日の35度越え+熱帯夜。ちょっとこたえる。
シャワーばかり浴びていても埒があかないので、朝風呂にする。
熱中症の裏に冷えの問題があるというのは、整体の常識。

風呂にお湯を張り、まず脚湯するように、上は着たまま膝下までお湯にひたす。
ちょっと汗ばんできたら、上を脱ぎ、全身湯船につかる。
この段階で、少し追い焚きをしておくとよい。
暑い暑いといいながら、体はあちこちまだら上に冷えていることが自覚されるだろう。
その冷えを迎え入れていく。
長湯はしない。全身が温まったら、ガバリと湯船から出る。
体はよく拭いておく。
たった、これだけのことなのだが、一日の過ごし方は随分と変わる。

窓から入ってくるうるさいくらいの蝉時雨の声を聞きながら、
湯船につかっているといのは、ちょっと後ろめたい感じがしないわけではない。
それもまたよし。

2023年7月24日月曜日

同調

 五十代の十年、お茶の稽古に通った。月2が基本だったが、月1のこともあれば、数ヶ月、間がが空いたこともある。最初は二人で習いにいっていたが、途中からは、先生との一対一の稽古になった。結局、基本だけで終わり、お茶の広大な世界のほんの一部に触れただけで終わってしまったが、得難い経験をさせていただいた。先生役を買って出て頂いた、橋松枝さんには感謝しかない。この間、一度だけ、「茶室が茶を点てる」、という経験をした。もちろん、亭主の席に座し、お茶を点てているのは私なのだが、自分が点てている感じは全くなくて、お茶室が点てているとしか表現のしようがない、そのような経験だった。こんなふうに操法ができればと、切に思った。

 関東に暮らしていたころは、風狂知音の音楽も横濱エアジンに聴きに行っていた。僕が整体指導者への道に足を踏み出すきっかけを作ってくれた存在でもある。このことは、3年前、石川合同稽古会に覚張さんを呼んだ時、こんな風に書いた。↓ 

覚張幸子さんについて
 十年以上前のこと、いやもう少し前のことかもしれない。風狂知音のライブを横浜関内のエアジンに聴きにいった。ぼくがまだ事務局の仕事と大井町稽古場での稽古担当という二足のわらじを履いて大車輪で活動していた頃のことである。風狂知音は、覚張幸子(vocal)、田村博(piano)、津村和彦(guitar)の三人のジャズユニット。この人たちの作り出す音楽を通して、音楽とは聴くものではなく「体験」するものであるということを学んだのだけれど、その日のライブは格別で、もう、自分の体がバラバラにばらけてしまうという驚愕の経験をした。風狂知音の音楽には、稽古のエッセンスが覚張さんを通して注入されているので、翌日、裕之先生に、「こんな経験をしたのだけれど、これは整体で可能なのか?」と問いにいったことを覚えている。無論、返事は「そうだよ」というもの。それからしばらくして、僕は二足のわらじを脱ぐという一大決心をするのだけれど、このときの、風狂知音の音楽との出会いがひとつの契機であったことは、ぼくのなかでしっかりと記憶されている。数年前、津村さんが逝き、二人組みになってしまったけれど、風狂知音の活動は続いている。(2020/3/1)

     指導者の道に入ったはよいのだが、なかなか、お茶室で、あるいは、風狂知音のライブで経験したような出来事が操法の場で出現することは稀だった。いや、これまでなかったと言ってよい。ところが、それが突然やってきた。師匠に教わった手順通りやっただけなのだが、相手の背骨に触れるだけで、自分の背骨がのたうちはじめたのだ。言ってみれば、脊椎同士の活元運動。あとは、もう、その流れが導くままについていくだけ。同調とはこういうことなのだ、局処と全体との関係性とはこうなのだ、ということを身をもって体験する出来事だった。ブレークスルー!。これまで、「同調する」ことを稽古の中であれこれやってきたけれど、甘かった。本当に他者と同調できるためには、とんでもない体力が求められるのだ。逆にいうと、自分の体力に応じた同調しか出現しないということでもある。かなり怖い世界でもある。

2023年7月21日金曜日

地底旅行

  生涯読んだ本の中で10冊を挙げろと言われたら、まず最初にジュールベルヌの地底旅行を挙げるだろう。小学生の頃読んだ本だが、ここから、僕の冒険心に火がつき、「コンチキ号漂流記」へと雪崩れ込んでいく。小学生になった孫にも読ませてみようと、どんな版があるのか図書館の児童書の棚を物色してみた。岩波少年文庫に収められているのだが、どうみても小学校高学年向け。僕自身が小学生の時の読んだのは、子供向けに編集された図絵満載のもので、ちゃんと原作を読んだわけではない。

 この岩波少年文庫版の地底旅行、夏の課題図書として読んでみることにした。まず、その分量に驚いた。400頁を超えている。探検をはじめるまでの話の部分がなかなか長く、ようやく160頁に辿り着いたところで地底に入っていくのだ。アイスランドの火山口から地底に入り、イタリアの火山口から地上に戻ってくるというストーリーは記憶している。僕が幼少期に読んだものも、基本的なところは、ちゃんと押さえたものであったらしい。ただ、イタリアの火山の名前をエトナ山と記憶していたのだが、原作によるとストロンボリであった。

 この原作が書かれたのが1863年。日本でいえば江戸末期、明治維新以前のことなのだが、ヨーロッパでいえば、産業革命を経た、まさに科学技術勃興期の勢いの中で書かれた小説なのだ。僕がこの本を読んだのは、1960年前後ではなかったか。科学技術立国が謳われた時代でもあった。



2023年7月14日金曜日

古道具

 人の書庫の整理を頼まれてやっていると、思わぬ骨董品に出会うことがある。
先月の掘り出し物はスライドプロジェクタ。こういうジャンクを目にすると、つい捨てられるのは可哀想と貰ってきてしまうのが、元ラジオ少年の悲しいさが。60年代?のスライドプロジェクター。Birdie Fujiとある。

 かつてポジフィルムで写真を撮っていた時期がある。押入れの奥から、まだデジタル化できてないスライドを引っ張り出してきてプロジェクターに装填してみる。ランプはちゃんと点く。1980年代の画像がスクリーン上に映し出された。それにしても発熱がすごい。

























 そして、手廻しレコードプレーヤー。小さな紙の箱から出てきたのは、プラスチック製のちゃちいプレイヤー。GDM(Graded Direct Method)の教材レコード2枚も同梱されている。鉄の針をレコード盤の上にに落とし、黄色のツマミを回してみると、針と直結された振動板から、かろうじて聴き取れるくらいの音量でEnglish through Picturesのテキストの音声が聞こえてくる。

 はて、どうしたものか。だんだん、わが家が古道具屋みたいになってきた。


2023年7月2日日曜日

糀ブーム

 4月にやった石川合同稽古会のオプショナルツアーで鶴来に行った連れ合いが、鶴来の糀屋さんで糀を手に入れたところから、わが家の糀ブームがはじまった。正確にいうと、3月に人生初の味噌作りをやったから、すでに糀ブームは始まっていたのかもしれない。甘酒にはじまり、塩糀、醤油糀、玉ねぎ糀といった調味料づくりが続き、今は応用編の水切り豆腐の塩麹漬け、甘酒漬けに移行してきた。料理全般なんにでも自家製糀調味料を使っている。目に見えるかたちで醤油瓶の醤油が減ってきて、美味しいのはよいが、これは塩分の過剰摂取になっているのではと心配になるほどである。鶴来からやってきた糀はあっという間に底を尽き、京都の糀屋さん、松任の糀屋さん、スーパーの棚で見つけたみやここうじと、あれこれ試し、また最初の鶴来の糀屋さんに舞い戻ってきた。わが家の糀ブームは一過性のものでなく、一気に定着してしまいそうである。



2023年6月27日火曜日

6月の読書

オーラル派 秋山基夫 私家版 2023

歴史の屑拾い 藤原辰史 講談社 2022

原発とジャングル 渡辺京二 晶文社 2018

 去年亡くなられた渡辺京二 さんの原発とジャングル 。これに収められている「原初的正義と国家」に深く同意。と、これだけでは何のことかわからないので、少しだけ引用。「従って私が心がけたいことは、国民国家に拘束されぬ、そして依存しない個人であろうとする心構えを常に保ち続けることである。そして自分の個としての生を、自分が属するとされる国家の興亡や利害と全く関係のない、自分の責任でしか築けないともに生きる仲間"との関係に求めたい。」(p.61)

嫌われた監督 鈴木忠平 文藝春秋 2021
100年前の世界一周 ワルデマール・アベグ ボリス・マルタン 日経ナショナルジオグラフィック社 2009
AI監獄ウイグル ジェフリー・ケイン 新潮社 2022

2023年6月23日金曜日

稽古着生活

 夏になると稽古着生活を断念する、というのが、これまでの通例だったのだけれど、今年は継続中。薄い生地で稽古着、稽古袴、そして襦袢をつくってもらったことが大きい。これまでは、稽古用と普段用の二種類くらいしかなく、その落差がけっこう大きかった。今年は、これに外着用の稽古着が加わり、あれこれコーディネートが可能になった。稽古着でおしゃれなんて、これまで考えたこともなかったのだけれど、気分に応じて稽古着を変えてみるということが可能なのですね。浴衣から稽古着に着替える中間段階でTシャツに袖を通すことはあるけども、ほぼ24時間、和服で過ごすようになった。もっとも、稽古着生活=和服生活ではなさそうだ。着流しスタイルはどうも性に合わないというか落ち着かない。つまり、袴は常に穿いている。この袴というのが結構謎です。レトロモダンと言えなくもないけれど、その実、もっと先を行っている気がしてならない。暑さはここからが本番。さて、稽古着で猛暑を乗り越えられるのだろうか。

2023年5月24日水曜日

5月の読書

5月は読書月間になってしまった。
5日間くらいお遍路に出かけるつもりにしていたのだが、体の方がウンと言わない。草臥れて行きたくないのではなく、もっと長い距離を歩きたいという。困った。先月、高知市内にある33番札所雪蹊寺を打ち、ここから足摺岬を目指すことになるのだが、一息で足摺岬まで歩き、さらに愛媛側にたどり着くには相当の日数が要る。区切りうち遍路にとって、どこで区切るかはなかなか難しい。中途半端なところで区切ると、往復だけに時間を取られ、先に進めない。今月は、雪蹊寺から37番札所岩本寺までの80キロを歩く計画を立てていた。であるのに、体の方は嫌だという。仕方なく計画は先送り。ぽこんと一週間の空きが生まれてしまった。稽古を入れたとしても、急に人がやってくるはずもなく、暇である。
で、今月は読書月間となった。

劇場アニメーション「犬王」誕生の巻* 松本大洋・湯浅政明 河出書房新社 2022
平家物語 犬王の巻* 古川日出男 河出書房新社 2017
 映画犬王 の影響なのか、単に京都を訪れる観光客が増えている余波なのか、等持院 界隈が以前より賑わっている気がする。映画犬王 が興味深かったので、アニメの原作となった平家物語犬王の巻 を読むことにした。初めての古川日出男 。琵琶法師は滅びた平家の物語を奏で、小説家は歴史の闇に消えた犬王を甦らせる。

あなたのルーツを教えて下さい* 安田菜津紀 左右社 2022
フェンスとバリケード* 三浦英之・阿部岳 朝日新聞出版 2022
太陽の子* 三浦英之 集英社 2022

老いと踊り* 中島那奈子・外山紀久子編著 勁草書房 2019
 なぜ、僕らを発見するのは「踊り」の人たちなのだろう?という問いはずっとある。踊る人たちは、文化の違いも国境も越えて、すっとここにたどり着く。もちろん、室野井洋子、 田中敏行という仲間がいたからでもある。この本は2014年に開催されたシンポジウム「老いと踊り」をベースに、その後の論考を加えた構成になっている。大野一雄の73歳デビューが与えた衝撃の大きさから、この本が始まっているといってよい。こういう立体的な言語空間の存在は貴重。と同時に論考の緻密さを求めるがあまり、身体から離れていくという矛盾とどう向き合うかが問われることになる。

記憶のつくり方* 長田弘 晶文社 1998
深呼吸の必要* 長田弘 晶文社 1984

直立二足歩行の人類史 ジェレミー・デシルヴァ 文藝春秋 2022
 キューブリックの映画2001年宇宙の旅の冒頭シーンの映像は強烈だった。二本足で立つことで道具を使うことを覚え、獲物を捕らえられるようになった人類は生活圏を広げていった。そんなストーリーを刷り込まれてきた。ところが実際は、むしろ「狩られる」存在であったようで、樹上の安全地帯を生活圏とし、猛獣が昼寝する時間に樹上から降りて食料を探していたらしい。#直立二足歩行の人類史 の最初の章は、二足歩行にまつわる諸学説〜水生類人猿之説とか〜に充てられていて、それぞれ興味深い。
人類の祖先は、樹上ですでに二足歩行しており、その歩行によって平地を移動しはじめたのではないかというのが、この本で示される新視点。ゴリラやチンパンジーは人類と共通の祖先を持つが、枝分かれする前の段階ですでに二足歩行しており、ゴリラ、チンパンジーのナックルウォークは枝分かれした後で獲得されたものではないかというもの。人類の二足歩行の特徴を「膝の裏を伸ばし、腰を直立させて」と記述されると、?っと思い、それって既に西洋中心主義が混じってないか?と突っ込みたくはなる。古人類学者って世界に何人くらいいるんだろう。

歩く江戸の旅人たち2*  谷釜尋徳 晃洋書房 2023
辺境メシ*  高野秀行 文藝春秋 2018
異性装 中根千絵他 集英社インターナショナル 2023
嘘と正典* 小川哲 早川書房 2019
急に具合が悪くなる* 宮野真生子・磯野真穂 晶文社 2019
他者と生きる* 磯野真穂 集英社新書 2022

2023年5月2日火曜日

150歳

 高知での二泊三日の遍路行を終え、空路、千葉に移動。佐倉で三日間孫たちと遊び、さらに二子玉川へ。こんな周回コースを思いついた私はいったい何者なのだ。

 二日間の研修。顔ぶれは少しづつ入れ替わってきているけれど、稽古場創設以来のメンバーもしぶとく残っている。二人組の稽古。二人の年齢を足してみるー20年間事務局やっていたので、みんなの年齢はだいたい把握している。150歳越えのペアが二組。すごいなと思う。しかも嬉々として稽古してる。長老と呼ぶしかない人たち。二人足して100いかなければ若手。100越えて、やっと中堅どころ。稽古場はじまって、今年で35年。

 新しい稽古が提示されたとする。それでも、その新しい技法は基礎のひとつとして立ち現れる。そして、出現した新しい基礎によって、旧来の基礎とされて来たものは刷新され、新たなレイヤーを得て重層化していく。そして新たな生成の種となる。「基礎が進化する」とは、こういうことを云うのか。

 二子玉川から新横浜へ。乗り換えソフトで調べると、見慣れないルートが表示される。あざみ野経由でも、長津田経由でもなく、なぜか自由ヶ丘、大岡山経由。首都圏の交通事情は年々変化しているようだ。電車に乗る生活から離脱して、はや7年を過ぎた。

遍路2023 その4

 遍路をはじめて間がない頃、しょっちゅう杖を忘れた。休憩して歩きはじめ、しばらくしてから杖を置き忘れてきたことに気づく。ひどいときには、1キロも歩いてから気づき、取りに戻ったこともある。それでも、今年3月、一週間かけて、日和佐から室戸岬、さらに高知市の手前まで、お寺の間の距離にして150キロを通しで歩いたせいもあるのだが、杖が体の一部になり、置き忘れるということは、ほぼ無くなった。

 4月は高知市内のお寺を打った。JR土佐山田駅から歩きはじめ、29番国分寺から33番雪蹊寺に至る40キロほどの距離になる。32番の禅師峰寺から33番雪蹊寺に向かう道は、国道と並行している旧道を歩く。遍路地図で見ると、旧道がそのまま浦戸湾を越えて対岸まで伸びていたので、てっきり橋があるものと早合点していたのだが、歩いて渡るためには、湾の空中高くかかっている浦戸大橋を渡ることになるのだ。そして、遍路地図に載っていたのは、「渡し」であった。このことに気づいたのが、渡しが出る船着場まで20分くらいのところにあるコンビニで休憩していたとき。時刻表を調べてみると1時間に一本。次の出航時間には、速足で歩けば間に合いそう。あわててリュックを担いで歩きはじめたのだが、しばらくして、杖を忘れてきたことに気づく。苦笑しながら、来た道を戻る。なるほど、こういう時に杖を忘れてしまうのだ。

 僕のように居住地と四国を行ったり来たりしながら何回にも分けて歩くパターンを「区切り打ち」と呼ぶ。区切り打ちのよいところは、体力に応じて、時間の取れるところでサッと行き、さっと帰って来れるところにあるのだが、そのぶん、時間もお金もかかる。徳島を歩いている分には、「さっと」帰ってくることは可能なのだが、土佐路に入ると、前に進まない限り戻ってこれなくなる。つまり、一回あたりの日数は増えていく。高知から足摺岬に向けて歩きはじめると、ますます京都からとおざかり、最初と最後の移動だけで一日がかりになってしまう。どこで区切るか、それが問題だ。今回は雪蹊寺で打ち止めとする。欲張ってもう少し先まで歩くことも考えたのだが、再開するときのことを思うと、高知駅まで30分くらいで戻れるこのお寺にした。さて、次回はいつになるのだろう。身体は、もっと長い距離を歩きたいといっている。

 区切り打ちのよいところは、歩きはじめる度に、自分の体が「歩くからだ」に変化していることを実感できることかもしれない。四国を歩いてない「間」の時間にも、体は作られていっているのだ。

(高知市3日目は市内観光に充てた。高知城向かいの高知城歴史博物館でいただいた「海鱗図」の絵葉書)



2023年4月30日日曜日

4月の読書

ええかげん論* 土井善晴・中島岳志 ミシマ社 2022
この国のかたちを見つめ直す* 加藤陽子 朝日出版 2021
証し* 最相葉月 角川書店 2022
セクシュアリティをことばにする* 上野千鶴子対談集 青土社 2015
ニッポンが変わる、女が変える* 上野千鶴子 中央公論社 2013

2023年4月21日金曜日

証し

最相葉月さんの「証し」(KADOKAWA  2022)を10日かけて1000頁を読了。サブタイトルは日本のキリスト者。何ヶ月か前、本屋で手に取り、「いずれ読むべき本」リストに加えられた。最相さんの本は結構読んでいる。対象との距離の取り方が上手で、ちょっと理系っぽい文体も好きだ。

身近にキリスト者がいないわけではない。全般的に言えば「良い人たち」。でも、「北海道生まれの人たちは皆んないい人」と同じくらい、ステレオタイプな印象を持っているに過ぎない。 数千人に取材し、それを千頁の本にまとめた貴重な証言集。戦争があって震災があって...。日本という国に住む住人として、同じ時代をキリスト者というマイノリティとして生きてきた人たちの記録でもある。 量が語るものというのはある。

自分自身のキリスト教との関わりを思い出してみると、意外に近くにあった割に、教義については驚くほど無知なままでここまで生きてきた。それが逆に不思議でならない。 

僕の最初の英語の先生である阿部青鞋先生は俳人であり、そして牧師でもあった。1960年位のこと。でも、その俳句とキリスト教との関係を論じたものを目にしたことがない。 僕が20代から30代で繋がっていた大学はクエーカーが始めたもので、その大学の京都センターを率いていたJack Hasegawa氏はハーバードの神学校の出で、同志社に来てたんじゃなかったっけ。でも、彼とキリスト教の話をした記憶がない。 当時、その大学の関係者は、独裁政権下にあった韓国の人権運動支援に関わっていて、そのつながりで、僕自身、ソウルのFriends Meetingに出席したこともあるし함석헌 (ハム・ソクホン)先生にお会いしたこともある。1980年代の前半。 

こうして振り返ってみると、ここに挙げただけでなく、まだ他にもあるのだが、かすりながらも見事に出会ってない。これはキリスト教に限ったことではなくて、宗教と出会ってないのかもしれない。自分が仏教徒かどうかも怪しくなって、最近はお葬式に数珠を携えることさえをしなくなった。なのに四国を歩き、お寺では般若心経をよみ、真言を唱えているのだ。



2023年4月10日月曜日

出石に蕎麦を食べにいく

 城崎温泉にいく機会があったので、帰途、出石まで足を延ばすことにした。目的は蕎麦。

 これには前段があって、今月頭、石川で、筆動法の稽古会をやったおり、稽古の翌日、客人のリクエストに応えるべく、鶴来ツアーを企画した。麹屋、白山神社、そして蕎麦屋。白山稽古会の男性が車を出してくれて、女子3名が参加したのだが、帰りの電車の時間も決まっているし、蕎麦屋は行列しないと入れない店とのことだったので、全部は無理じゃないかと思っていた。その間、私は仕事。

 最近、美味しい蕎麦にありついてない。時々通っていた、近所の若い亭主がやっているお店は、何年か前、ミシュランなんちゃらになってから、行列のできるお店になってしまった。コロナ禍中は閉めていることも多かったが、観光客が戻ってきた今、再び長蛇の列である。地元民は行けない店になってしまった。

 普段の行いのよい人たちのグループだったのだろう、鶴来組はミッションを完遂して戻ってきた。麹も注文でき、美味しいお蕎麦も食べ、神社にもお参りできとのこと。稽古会も盛況で、満足できる二泊三日の石川行きだったのだが、僕の中では、蕎麦にありつけなかった一点のみが心残りであった。

 さて、出石である。城崎温泉から豊岡に出て、そこからバス。ゆるやかな道を内陸に向けて走っていくのだが、但馬は山の佇まいがよい。日本の豊かさって、結局、水の豊かさなのだと再認識する。出石は城下町。藩主の転によって、信州風の蕎麦が出石に持ち込まれたとのこと。それにしても蕎麦屋だらけ。そのなかの一軒に入り、皿そば8枚いただいてきた。これで、ちょっと気が済んだ。





2023年3月30日木曜日

3月の読書

 インスタのおかげで、以前より、この欄が充実してきた。本の読みかたも以前より丁寧になった。それだけ書影の力は大きいのだね。

 シンクロと自由* 村瀬孝生 医学書院 2022 
 同僚のY女史は、「わたしゃ103歳まで生きる」と決めていて、一緒に歳取ろうと広島弁で迫ってくるのだが、僕は逃げ腰である。とはいえ、70代に入り、これから先、自分がどのように老いていくかには興味がある。一人の人間に与えられたその時々の能力の総和は一生不変で、なにかを獲得するということは、なにかを捨てているというトレードオフの関係にあるのではないかという仮説を立てている。耳が遠くなってきた私にはなにが育ってきているのだろうか。
 ボケの出てきた人に「認知症」というラベルを貼るのは現在の社会制度である。それを病気として扱うことで本人と無関係に周りは安心する。このシンクロと自由 では、そのような老人たちは、時間からも役割からも解放されつつある存在であり、老人たちに丁寧に付き合っている中で介護者側の通念が揺らいでいく様が、スリリングに描かれている。基準となっている社会制度、社会通念は、思っているほど堅牢なものではなく、背景が少しずれるだけで、物事の見え方は変わっていくのだ。
 この医学書院のケアをひらくシリーズ 、どれもこれも秀逸で、おそらく半分以上読んでいるのではないかしら。

語学の天才まで1億光年* 高野秀行 集英社インターナショナル 2022 
 新しい著書が出ると、ほぼ必ず読むという著者が、おそらく10人くらいいる。高野秀行もその一人。大自然を相手にした正統派冒険家の本も好きだが、そこからちょっとズレてしまい、人の間にどんどん入っていく高野秀行の方により惹かれてしまう。この本を読みはじめ、え、こんなに文章下手だったっけ、と戸惑う。なんか肩に力入りすぎ。言語を軸に話が展開していく今回の本は、これまでの現地シリーズと随分趣きが違う。現地の話はもちろんたくさん出てくるが、「言語と青春」という自伝的要素が強い。早稲田の仏文でコンゴ人作家の小説を卒論にして最高得点を獲得するという輝かしい経歴を持っているなんて想像しなかった。整体協会の理事を務められていた加藤尚宏先生の授業に出ていた可能性もある。

れるられる* 最相葉月 岩波書店 2015
 出版直後に読んでいたはずなのに、図書館で再び借りて読み始めたら、中身をまったく覚えていない。この本の中で参照されていた、映画「大いなる沈黙へ」がAmazonプライムで見られることを知り、早速観てみた。修行者の表情を正面から至近距離で10秒間ただ撮るというショットが随所に挿入されている。このシーンが印象に残る。

土と文明史* デイビッド・モントゴメリー 築地書店 2010
 「土・牛・微生物」「土と内臓」と読み進め、同じ著者の三部作を逆方向に読んできたことになる。 

韓国カルチャー* 伊東順子 集英社新書 2022
 僕の韓国理解は30年前で止まっている。というか、そもそも理解などしていなかったのだというこを、去年、斎藤真理子 さんの韓国文学の中心にあるもの と出会うことで痛感したのだけれど、では、この30年の空白をどのように埋めていけばよいのだろう。手掛かりになりそうな一冊と出会った。韓国映画にも言及されていて、さっそく、朝鮮戦争をテーマにした「国際市場で会いましょう」を、これまたAmazonで観てみた。韓国で1400万人が劇場に足を運んだという2014年の作品。後半の離散家族探しの場面では、もう滂沱の涙。公開当時の劇場の様子はどうだったんだろう。

22世紀を見る君たちへ*平田オリザ 講談社新書 2020
 月末に豊岡に行くことになった。5年前に僕の稽古場で短期間稽古に来ていたアルゼンチンの知人がKIAC(城崎国際アートセンター)のアーティストinレジデンスプログラムで来日するとのこと。城崎まで出かけて行って稽古するのかー。豊岡遠い。予習のつもりで、そのKIAC立ち上げのキーパーソンである平田オリザ の近著を読んでみることにした。なんと、大学入試制度について書かれた本だった。入試制度に関しても、自分の頭の中がアップデートされていない。少子化で定員上は大学も全入の時代に入り、大学の側も優秀な学生を集めるのに工夫が求められている。入試改革を梃子に、その下の世代の教育も変えていこうという目論見なのだが、有象無象なだれ込んできてスムースに改革は進んでいかない。地方自治体が小中一貫教育をやる時代なんだ。教育制度の改革とふるさと創生が手をつなぎ、移住の促進によって少子化を食い止める。なるほどね。豊岡市はそのような道を模索している。KIACの立ち位置が少し理解できた気がする。

2023年3月23日木曜日

遍路2023 その3

28番札所大日寺を打って、今回の遍路行は終了。そこからさらに4キロ歩いてJR土佐山田駅にたどり着く。遠隔みどりの窓口で切符を買い、岡山行きの特急南風に乗り込む。座っているだけなのに体が「運ばれ」ていくという不思議。

列車は大歩危を過ぎ、善通寺を経て、瀬戸内海を越えていく。休日前のせいなのか、岡山駅は混み合っている。新幹線で新大阪、そして京都。わずか4時間で高知から京都に帰ってくるという不思議。

今回歩いたのは、23番札所薬王寺から28番大日寺。お寺間の距離にして150キロ。実際に歩いた距離は180キロ。それを8日かけて歩いてきた。ここから、高知市内に入り、1番から最も遠い足摺岬を目指すことになる。ますます、帰って来れなくなってくる。

帰って来て三日目。朝5時になると、まず脚が目覚めてくる。そして「さあ、今日も歩こう」と呼びかけてくる。おいおい、今日はオフなんですけど。続きは来月。

2023年3月22日水曜日

遍路2023 その2

隧道の壁を伝いて遍路ゆく

徳島から室戸岬を経て高知に至る国道55号線をひたすら歩く。徳島側はトンネルも多く、車がビュンビュン走っている横を歩くことになる。海沿いとはいえ、アップダウンの繰り返し。幸い天気には恵まれた。何日か歩いたあと、宿の洗面所に鏡に映る自分の顔に驚いた。日焼けしてる。

舗装道路は人間の脚には優しくない。いや、これは罰ゲームなのかというくらい過酷である。歩道もあるが、これももちろん舗装されていて、おまけに車道よりも小さなアップダウンがあって、それがつらい。いっそ、フラットな車道の端っこを歩いた方が楽だったりする。アスファルト道というのは、コミュニケーションを拒絶しているとしか思えない。かろうじてコミュニケーション可能なのが、側溝を覆うために置かれたブロックの上を歩くこと。その下にある空気を感じ取りながら歩くと脚もひと息つく。道路脇に落ち葉が溜まっていたり苔に覆われていると嬉しくなる。

阿波は発心の道場で、土佐は修行の道場と言うらしい。いつごろ誰が言いはじめたのか知らないけれど、コピーとしては優れている。たしかに徳島を歩いているときには、なんでこんなこと始めちゃったんだろうという迷いがあった。でも室戸岬を目指して歩き始めると、もう前に進んでいくしかない。関西からの玄関口である徳島駅から、どんどん遠ざかり、高知まで歩かないと京都に帰ってこれないのだ。



遍路2023 その1

遍路から帰ってきて体重計に乗ったら、微塵も減ってない。
荷物は7キロ。今回持って行ったものは一通り使ったから、どう軽量化していけばよいのやら。

遍路は前に進まなくてはならない
しかし、先をを急いではいけない
というのが去年阿波路を歩いて得た教訓だが、今年の遍路行は、「土佐路を軽快に駆け抜ける」 というイメージで始めることにした。が、初日にして「軽快」が消え、二日目には「駆け抜ける」を「歩き通す」に差し替えた。

休憩時間、迷う時間を含めると時速3キロである。一日25キロがせいぜいであり、今時点の適量。健脚の人は、普通に30キロ35キロ先の宿を予約して歩いているが、今の僕には度を越えている。それでも、一日25キロ歩いて宿にたどり着くと、手すりに掴まらないと階段を登るのが困難なくらいボロボロになっている。でも、風呂に入り、普段の三倍量の夕食をいただいて布団に入ると、朝には復活している。大袈裟に言ってしまえば、毎日、死と再生を繰り返すことになる。

23番薬王寺から24番最御崎寺まで75キロ


2023年3月13日月曜日

半世紀 5

 秋ぐらいに某団体の集会に呼ばれて稽古会をする可能性がある。まだ確定ではないのだけれど、いちおう、どんな内容をやろうとしてるのか教えてくださいとのことなので、文章をでっちあげてみた。ここまで書いてきたことのまとめみたいなものか。

<ひとにふれる せかいにふれる>
 世界を知るにはふれることからはじめなければならない。自と他の境界線上に感覚という経験が生まれる。その感覚経験が身体によって消化・同化されて、はじめて身に付くことになる。これを「身体化」と呼ぶ
 ところが、人は文字通り人それぞれであり、同じ時間、同じ場所にいたところで、ひとりひとり「感受性の方向」が違う故に、体験の質はそれぞれ異なったものになる。消化された食べものが人の体をつくっていくように、同化された経験が、その人の体をつくっていく。つまり身体化のプロセスにおいて、そこには必ず他者の存在があり、また、体験を受け止める一人ひとり異なった感受性がある。よって、身体ははじめから個性的である。
 人が他者にふれると、そこで感覚経験が生まれる。では、人はどのように他者にふれればよいのだろう。相手を操作しようとふれる者がいる。相手と同調しようとふれる者がいる。では、同調的にふれようと意図して、実際に相手にふれたとき、そこに同調は生まれるであろうか?
 困ったことに、自動的に同調は生まれない。なぜなら、まず、ひとりひとり異なった身体を有しているからである。次に、ふれるための手は、操作することが習慣化されているからである。同調なき接触は、たとえ本意ではなかったとしても操作的にならざるをえない。人間関係の困難は、この齟齬から発生するといってもよい。
 人と人が(モノであっても同様)、どのように同調的な関係を切り結べるのか、人は体験というものをどのように同化・身体化していくのか。整体の知見をベースに、このような研究を身体教育研究所では行っています。また、すべて稽古という、実際に体で経験する会として提示しています。

(しばし休憩)

2023年3月11日土曜日

半世紀 4 京都

1975年から1986年までの十年間、京都で暮らした。20代から30代前半に当たる。一昨年だったか、一年かけて、当時付き合いの多かった片桐ユズル編集発行の「かわら版」20年分をデジタル化する作業をやった。整体にすすむきっかけを与えてくれたのは片桐ユズルだったし、彼自身手広く、いわゆるボディワークを輸入していた。それはともかく、かわら版のデジタル化作業をやりながら、70年代後半からの京都暮らしは、僕にとっての揺籃期ーつまり、異文化に攪拌されて輪郭を失っていた私が、新しい輪郭を作っていた時期に当たっていたということだ。おい、10年もかかったのか。これとて、事後的に作り上げた、仮説のひとつなのだけれど。

「風邪の効用」は教育の書として読まれるべきだということを言い続けている。晴哉先生の「経過」という思想は、「学び」について考える上で、決定的なものであった。風邪をひき、それをうまく経過させれば体は、それ以前より丈夫になる。これって、「culture shock fever」のことじゃないか。我が意を得たりとはこのような心境のことをいう。それでも身に染み込んでいる私自身の傷病感、健康観のようなものが邪魔して先に進ませてくれない。身体の時間と精神の時間は、流れている質が異なっているのだ。ここから身体教育研究所の時代に入っていく。1988年のことだ。娘が生まれた年でもある。

(つづく)

2023年3月10日金曜日

風邪(追記)

先月半ばに風邪を引いたことは書いた。
発熱は数日で終わったが、結果からいうと、やたら低温期の長い風邪で、月末まで十日ほど、低温期が続いた。2月は禁糖と風邪で過ぎていったことになる。

今月はじめ石川に行き、白山稽古会の人たちの話を聞いて笑ってしまった。皆さん先月の稽古会のあと軒並み大風邪を引いている。僕が風邪引いたのは、白山稽古会から帰ってきて数日後のことだから、ほぼ同じ時期になる。等持院に来ている人たちの間でも風邪は流行っていたようで、来る人来る人、先月は風邪をひきまして、という話題になる。しかも、やはり同じ時期。インフルエンザだったのかコロナだったのか分からないけれど、これほど周囲が同時多発的に風邪をひいたという経験はあまりない。

まずまず上手に経過できたようで、3月に入ってから、お遍路に出る力が湧いてきた。

2023年3月9日木曜日

半世紀 3 身体

十年サイクルで教育のことを書きたくなるらしい。10年前、「なぜ身体教育なのか?」と題した文章を書いている。いま書いたとしてもいく同工異曲、大同小異のものしかでてこないと思うが、どのような小異になるのだろう。

1970年代後半から80年代にかけ、僕が「culture shock fever」と呼んでいた、「異文化への適応過程における体調不良とその経過」というテーマは、そのまま、「体験学習という理念は、どのように実現されうるのか」というテーマに横滑りしていくし、「人はどのように学ぶのか?」という大テーマに敷衍していくこともできる。この時点ーおそらく1970年代後半あたりーに大きな岐路があったらしい。もっとアカデミックな「教育学」に向かっていれば、ちがった人生が展開していたのかもしれない。ほんと、パラレル・ワールド

ところが、学びにおけるキーワードとして「身体」が浮上してくる。ここから先は、もう整体の独壇場といってもよい。言い換えると、整体の学びを深めていく以外、自分自身のテーマの追求はあり得なくなってしまう。これは大変だ。整体協会には整体協会の掟がある。

(つづく)

2023年3月8日水曜日

半世紀 2 ライフワーク

いまを起点にして半世紀前を振り返るというのは危険を伴う。
そこから現在に至る道筋を自分に都合のよい物語として描いてしまうことになってしまうだろう。なんせ、その時には、自分の未来がどのように動いていくのかまったく未知数だったわけだから。事後的に振り返れば、ああ、あの時代、自分がどのような段階にいて、なにをやろうとしていたのだと記述することは可能だろう。でも、それでよいのかという疑念は拭えない。

ライフワークというのは、その人がどのような異化感を人生のどの段階で何に対して持ったかによって決定されるのではないかというのが、僕の仮説。もちろん異なった経緯でライフワークと出会うことだってあるに違いない。僕の仮説が僕一人にしか適用されなくってもぜんぜん構わない。実際、ライフワークがライフワークとして意識される、あるいは浮上してくるのは、そうとう後の段階であったりする。

ひとはなぜ海外に行って、3ヶ月暮らすと体調を崩すのだろう?というのが一途最初に浮かんだ疑問だ。僕自身そうだったし、周りを見回すと同様の経験をしている人は多かった。もちろん個人差は大きくて、いきなり体調を崩す奴もいれば、一年経った頃、ガツンと来る奴もいる。それを経験した後で、異文化への馴染み度が一気に変化する。不思議だった。このような事例に気づいたのは、おそらく整体の考え方が僕に入りはじめた時期と重なる。1970年代の後半、地球をひと回りして帰ってきて数年後のことになる。

(つづく)

2023年3月7日火曜日

半世紀 1 1973年

はじまりは1973年。
それから半世紀が経ったことになる。
岡山の田舎で過ごした20年ののち、僕は太平洋を渡った。それが1973年の8月。
旅は20ヶ月後の1975年4月まで続き、そこから、整体に出会うまでさらに3年。
コロナ期の前には、第二次ワールドツアーなども計画していたのだが、どうもそのような気配はない。静かに四国遍路を続けることにする。

1973年と2023年
半世紀の間に世界は変わってしまった。
1973年、世界の人口は39.2億。それがいまや79.7億人だという。
もっとも、日本の人口は少し増えたとはいえ、1.087億に対して、1.246億。
すでに人口減少期に入っているからー去年1年で80万人減!ー1973年レベルには、すぐ戻ってしまうだろう。
人口の変化は多くはないが、人口構成割合は大きく変わった。
15歳までのこどもの人口比率は1973年で24.3%、それが今や11.9%.
一方、65歳以上の老人比率は、7.9%から28.9%に上昇、つまり少子高齢化社会。

1973年に1ドル360円という固定相場時代は終わったが、僕の記憶には1ドル300円というレートがしっかり刷り込まれている。国際電話の料金は3分3000円。携帯電話はまだない。インターネットも無論ない。世界は今よりもずっと広く、ずっと遠かった。

(つづく)

2023年2月28日火曜日

風邪の効用

手元にある風邪の効用 は昭和37年度版。出版元は社団法人整体協会出版部(住所は北多摩郡狛江町)とあるから、瀬田に本部道場ができる直前くらいの頃になるのか。90頁に満たない小冊子である。

60年前に風邪の「効用」を説くことの先進性というのは、いまの時代からは逆にわかりづらいことなのかもしれないが、病気などないと言い切る野口晴哉のラジカルさの根本に(あら、意味重複)、誰もが引く風邪を持ってきて、さらに、お風呂の入り方ひとつが「技」なのですと言うところにあらためて唸ってしまうのです。